第十七夜・空をつくる工場
朝と夜の間には夕方があって、夜と朝の間には明け方がある。
どうやらそれを上手いことくっつけて回る職人たちによって、世界の空は保たれているようだった。
新人である自身は、体育座りでまずはその様子を眺めている必要があると言われた。新人研修というやつだろう。
目の前にドデンと置かれた機械はピカピカの金色。まるでオルゴールのような風体だ。
横幅二メートルはあろうかというそれからは、カカカカ・ンガーという音が鳴り、薄っぺらなシートが排出されたのだった。
説明によると、これが焼き移された『昼』だという。
作業服の工場長は、そのシートを指し示してみせた。
「このように、まずはこの機械から『昼』が送られてくる。時間までにこちらの塗料を塗っていく。色はオレンジ色、ピンク色、様々であるが、作業工程表に従うように。まあ、今日は見ているだけでいいよ。作業開始!」
先輩の色塗り職人たちが、一斉に刷毛を手に、シートへと向き合った。
開けっぱなしの塗料缶の中には、きらめくクリアカラーの粒子が詰まっており、そのなんとも言えない色合いに胸が躍る。夕方を煮詰めたような、そんな色なのだ。
職人たちはそれらに刷毛を浸すと、絶妙な色合いのグラデーションとなるよう、丁寧にシートを塗り上げてゆく。
エプロンに染料がぴちぴちと飛ぶのもお構いなしに、ドボンと刷毛を缶に突っ込むくせに、しかしシートの扱いは殊更丁寧、しかし手早くサッサッサっと仕上げていくのである。
見事だ。
「北海道、仕上がりました!」
工場の端からそんな声が上がった。
工場長から「ついてきなさい」とジェスチャーされ、自身も慌てて立ち上がって彼へと続く。
『北海道担当』と天井からぶら下がるプレートの下に辿り着くと、工場長はシートを具に確認していった。それから頷くと、「送信!」と号令を出すのである。
今し方塗られたばかりの夕方は、ここに来た時と同じくカカカカ・ンガーと音を立てて機械の中に送られていった。
「東北、できあがりました!」
「……よし、送信! 時間がないぞ! 首都圏はどうした!」
「できあがりました!」
なんともまあ、忙しない作業である。ここでやっていけるだろうか。自信がない。
日本全土、一通りの作業を終えると再び北海道が来るという。
今度は先ほど送信したばかりの『夕方』が届き、かと思えばそれを再び『夜』に塗り替えなければならないらしい。
先輩たちがヘトヘトになりながら夜を塗り終えた頃、工場長がこちらへと向き直って笑顔を見せた。
「心配はいらないよ。研修期間中は、誰かの目に触れる空は塗らないからね」
では何で練習するのかと問えば、「空は空でも観測する者がいない空だ」と言うのだ。
そんな空があるとは思えなかった。
「ヒントをあげよう。君の空と僕の空は違う空だ」
勿体ぶらずに教えて欲しいとせがむと「自分で気づくのも修行のうち」と言うのである。
ますます謎が深まるばかりだ。
先ほど先輩方は一枚の空を塗り替えていた。ならば空は、そのエリアで共通なのではないか。
「今度シートが届いたら、よく見てごらん」
工場長には意味ありげに笑うのだった。
夜を送信した後は、明け方まで少しばかり時間が空く。
先輩方と雑談をしながら長いようで短い時間を過ごし、どうやったら綺麗にシートを塗れるかのコツを聞いた。
肘の力は抜くように、という人もいれば、いや抜くべきは手首の力だという人もおり、最終的には「まあ、自分のやりやすいようにやるといい」などと言うのだから、やはり練習は必要なようだった。
熟練工への道は遠そうだ。
やがて明け方が訪れる時間となった。
「準備はいいか! 来るぞ!」
今回は近くで作業を見るように言われたため、機械から排出されるシートをじっと観察をした。
普通のシートだ。一枚切りの空。工場長と自身の空が違うとはどう言うことだろう?
先輩たちは一言も発さずに作業を続ける。
と、シートが一瞬だけ撓んだ。それはすぐに戻ったが、ははあなるほど、と納得をする。
シートは、極限まで細く区切られた短冊の集合体であった。
塗りの作業を楽にするため、人数分いっぱいの短冊を集めシートにしているのである。
つまり、同じ色で塗られてはいるが、実際に人々が観測する空というのは、このよう細分化されそれぞれ違うということだ。
効率化、それに工夫の極み。素晴らしい。
意味が判ったと工場長へと向き直ると、彼も頷く。
「まずは深海魚用のシートで練習だ。慣れてきたら人間用。人間用はその日に空の経過を見る予定がない人のものだから、そう心配することはない。頑張ってくれ。これが君の刷毛だ」
工場長はニッと笑顔を作って、新品の刷毛を渡してくれた。
「九州、仕上がりました!」
掛け声に反応して工場長がそちらに歩いていく。
きっとアメリカにはアメリカの、南極には南極の、インドにはインドの「空工場」があるのだろう。
海外研修などはあるのだろうか。楽しみだ。
刷毛を手に、サッサッサッと手首を動かしてみる。
工場には刷毛を動かす音と、送受信音、それに工員の完成を知らせる声が響いていた。
空専用のペンキからは、少しだけスイカに似た匂いがした。
朝が来る。
だがその朝のシートに、ここで働く我々の空はきっと入っていないのだろう。
そんなことを考えながら、刷毛を手にシートを塗る職人たちの背中を見つめたのだった。
おしまい。




