第十四夜・箪笥の中の海
ホタテを五〇個も買ってくれたお礼だと、鮮魚店で真珠を貰った。
大粒の真珠である。
直径五センチもありそうな、あまりにも巨大なそれを、ウキウキと持ち帰り箪笥にしまい込んだのだった。
それが夕方のことであった。
異変はそれからすぐに訪れたのだ。
風呂に入りさてのんびりするかという頃合いに、ソファでくつろいでいるとなにやら音がするではないか。
ドン、ドン、ドン、という何かを叩く音である。
例の真珠をしまった部屋から、その打撃音は響いている。
部屋の前まで辿り着くと、逡巡ののち、ゆっくりと扉を開ける。しかし部屋には何もおかしいところはない。
だが、確かにこの部屋からその音は響いてくるのだ。
そろりそろりと室内に入る。
と、音はそう、間違いなくあの箪笥から響いてきたのだ。
ドン、ドン、ドン、ドン。
繰り返されるその音に、ついには観念して箪笥の引き出しを引っ張った。
すると、途端に潮の匂いが香ってくる。
よく見ると箪笥の中は何やら、とっぷりと水で満たされているのだ。
これは一体全体どういうことかと観察すると、澄み渡った水の中を、数多の魚が泳いでいたのである。
まるでジオラマだ。
ただしジオラマと明確に違うのは、その海が明らかに生きているということであろう。
魚が泳ぎ、海水もゆらめいている。
暫しその海を観察していると、砂に埋もれる何かを発見した。
どうやら船のようだ。
手が塩水に濡れるのは嫌だ。風呂上がりだし。
それに、この中に手を突っ込んで安全なのかどうかは判らない。
だが、その船が妙に気になって、恐る恐るそれに向かって手を伸ばしたのである。
冷たい海水が肌を撫でる。ゆっくりと手を伸ばすと、魚たちが慌てて逃げてゆく。
ようやくたどり着いた船——、それを埋もれさせている砂をそっと払うと、船体はだいぶ朽ちていることが判った。穴も空いているし、マストも折れている。
貝やら藻やらが付着した船を、ヒョイと持ち上げる。
すると中から無数の魚たちが慌てたようにまろび出てきたのである。
ああ驚かせてしまったな。
そう呑気に思ったのも束の間、怒り狂ったような魚たちが、大群となってこちらに向かってくるのだ。
当然だ。何十年も掛けて作り上げた彼らの住処を、ちょっとした出来心で動かしたのだ。
彼らは群れとなり人の腕の形を作る。
思わずギュッと目を瞑る。それから頬を軽く叩かれる音。
痛い。
だがなおもその魚の大群でできた手は、ペチペチと自身の頬を叩き続けるのだ。
すまない、と必死に謝るがどうにも許してもらえそうもない。
と、手に何かが当たった。ころりとした感触。真珠である。
叩かれる合間になんとかそれを引っ掴み、これで許してもらえないかと差し出すと、頬を叩く力が弱まった。
手はスッと真珠を掴むと箪笥の奥の海へと引っ込んでいく。
今だ! 慌てて箪笥を閉じた。
だが、隙間からちょろりちょりと少しずつ海が漏れ出してくるのである。
渾身の力を込めて押しても漏水は止まらない。
やがて漏れ出す力に耐えられなくなり思わず手を離すと、箪笥の引き出しは勢いよく開け放たれ、そして中から海が飛び出した。
部屋に広がっていく青い海、魚、それに貝。
海が楽しげに踊り海藻が泳ぐ。
許してくれと謝り続けるが、海の流入は止まらない。
やがてドスン、と音を立てて何かが転がってきた。
あの巨大な真珠だ。
それが自身の足元へと落ちると少しずつ海は箪笥へと戻っていった。不思議なことに、部屋は一切濡れてなかった。
残されたのは謎多き巨大な真珠。
なんだかこれを持っていると悪いことが起きるようなそんな予感がして、慌てて鮮魚店へと走っていく。
ことの顛末を話すと、店長と思しき男は「じゃあもう、これは空ですね」と言うのだ。
どういうことかと尋ねると、彼はあっさりと「これは海の素なんですよ」と言い放つ。
「人間が糧として奪った海の一部が、この海の素で回収された。それであなたのことを許してくれたんでしょう」などというのである。
「ホタテを五〇個に船。うーん、ちょっと欲張りすぎでしたね。物事には限度がある」
だったら売らなければ良いものを! なんという理不尽! なんという当たり屋!
ぷりぷりとしながらそう詰ると、店長は「じゃあこの牡蠣をお詫びにあげましょう」などと言い出したのだ。
そんな恐ろしい牡蠣は貰えない。
店長がどうします? などと言うのを聞き終わる前に、店から逃げ出す。
まいどありー、またお越しください、という溌剌とした声が聞こえて来たが、あの店に行くことは二度とないだろう。
おしまい。




