第十三夜・体験型図書館
その図書館は巨大であった。
本は好きだ。煉瓦造りの建物も魅力的であったから、少しだけ寄っていくことにした。
この図書館は、世界のあらゆる体験が集まっている、と職員に説明を受ける。
図書カードを作成後、ブラリと館内を歩いていくと、『自然』のコーナーへと行き当たった。
ひょいと本を手に取りぱらりとページを捲ると、何かが頬を掠める。
——おお、風が吹いている。
その本は「風とは何なのか」を教えてくれる本のようだった。
なんとなく手近にあった本を開いてみたところ、まずは微風が吹いたというわけだ。
ページをめくればそこは強風の項で、顔には強い風が遠慮なく吹き付けてくるのである。文字はないが、これはなるほど、面白い体験である。
水の本は「飲み水」や「プールの水」、それに「雨」など多様に項目分けされており、ページごとに喉が潤う感覚や塩素の匂い、雨に至っては霧雨や大雨などに細かく分かれており、それらがすべて体験できた。
一体、誰がこんな面白い本を集めたのだろう。
カウンターの向こうにいる男に問えば、「館長が探してくるんですよ」と笑顔で言った。
館長は無類の本好きで、遂には蒐集家となりこの図書館の運営に乗り出したのだと彼は説明をする。
暫く本棚を探索する。火の本、山の本、キノコの本に土の本までもがある。
うん? と考える。
これらの本のすべては、先ほど風の本を開いた際に風がそよいだように、説明を伴わない何らかの体験が起きるのだろうか。
それはつまり火の本でも同様のことが起きるのだろうか、とカウンターへ急ぎ戻って先ほどの男に尋ねると、またもや彼は笑顔で「安心してください」と言うのである。
「本当に危険な本は開きませんから。ほら、火の本には鍵が掛かってる」
指摘された手元の本を見れば、確かに小口には平たい金属が嵌っていた。
開かない本を図書館に置く意味はあるのだろうか。
というか、火の本を開いた者は、一体どんな体験をするのか——、そこに考えが至るとゾッとする。
「怖がる必要はありませんよ。無理やり開いたりしなければいいだけの話です」
男は笑顔で言った。この男はいつも笑っている。なんだが不気味だ。
嫌な予感がする。早々に去るべきかもしれない。
と、静かなはずの館内に悲鳴が響き渡り、同時に大音量の警報が鳴った。
館内が慌ただしくなる。職員が同じ方向へ向かって駆けていくのを見て、それに倣うよう、自身も彼らに続いた。
辿り着いた本棚の合間には人だかりができており、彼らは口々に「施錠は?」だとか「誤作動か?」などと囁き合っている。
何があったのだ、と近くにいた女に問えば「無理やり鍵を開けたみたい。『知識』の本を開いたらしいの」と答える。
知識の本とはどんなものなのか、と続いて問うと、「さあ……」とどうにも歯切れの悪い返事だ。
どうやら読んだことがないらしい。まあ、施錠がされていたのなら当たり前だろう。
「すべての知識なんて頭に入れて置けないのさ。この世の全部を知ったらどうなると思う? 考えただけで怖いね」
すれ違いざまに誰かが言うのを、女は「ちょっと!」と声を荒げて止めた。
「……あなたも不用意に鍵のかかった本を開けない方がいい」
開けるのは危険だということだろう。なに、無理やり開けなければいいだけの話だ。そう恐れることはない。そうだろう? と恐々と問う。
要はそんな横暴をはたらかなければいいだけであろう。
「そう、その通りなんだけどね」と小さく、恐れを含んだ声音で彼女は言ったのである。
「開かない本は二種類あるの。危険な本と、まだ誰も開いていない本……」
ことの成り行きをすべて知っているのであろう女に「ここの本は普通の本とはなぜ違うのか」と尋ねる。
「本は本よ。ただあるだけ。小説やら技術書と変わらない。ただね……、うちの本は……、ほら見て、あの本。字が消えていく」
群衆の隙間からその奥を覗き見れば、寝転がったまま、焦点の合わぬ者が、なにやらわけの判らないことをぶつぶつと呟いてる様に行き当たる。
その脇には徐々に文字が失われていく本があった。
「早く閉めろ! 体験が完成するぞ!」
誰かが大声をあげ、そして職員によって知識の本はパタリと閉じられた。
——施錠してある本をこじ開けたのなら、こじ開けた人自身の責任だ。
だが、開けられない本をそこに置く意味。それを知って背筋が寒くなる。
手元にある火の本を見遣り、それから来た道を駆け戻ると本棚に丁寧に収める。
うっかり施錠が外れないよう、ことさら丁寧にその作業を行い、ゆっくりとそこを離れた。
火の本に収められているのは、記述なのか、それともすでに『体験』に成り変わったページなのか。
誰もその本を開かないことを願ってその図書館を後にしたのだった。
おしまい。




