交感 闇に咲いた杜若《かきつばた》
目の前で私のカレーライスを頬張る仙次郎さん。
そのお姿を見ているだけだ。
心もお腹も満腹になってしまう。
ふと。
仙次郎さんと目があって。
微笑みを交わす。
私の小さい頃からの。
仙次郎さんへの想いは。
実は。
半分叶えられている。
あれは。
2年前。
18歳の時。
私も仙次郎さんも浴衣に身を包んだ。
夏祭りの夜のこと――
『越天楽』が流れる。
祭り囃子の喧騒から離れた。
町を流れる小川のほとり。
並んで腰かけて。
宵に浸っていた。
天の川が帳を染め。
またたく蛍がせせらぎに舞う。
月明かりがほんのり。
私と仙次郎さんを淡く包んでいた。
それは突然。
雷鳴の如く訪れた。
「美鈴さん。僕のお嫁さんになって欲しい」
「ん?」
私は最初。
耳に届いた言葉に。
頭はついていかなくて。
騒がしい鼓動と。
全身の火照りが。
求婚して下さったのだと。
教えてくれた。
分かった途端。
考えることなんてなくて。
私はただ。
頬を赤らめて。
「はい」
そう。
答えていた。
「よかった。ありがとう。美鈴さん」
「うれしいです。仙次郎さん」
青白い光の中に。
仙次郎さんの。
白い歯が目映く笑う。
「僕の両親には伝えています。美鈴さんの御両親にも話はしてもらっています」
「はい」
「明日。ご挨拶に伺います」
「はい」
「ご両親がご承諾下されば、美鈴さんは、僕の許嫁です」
「うれしいです」
「ただ、結婚は早くて、僕が兵学校を卒業してからになると思う」
「はい」
そっと。
私の膝の上の手に。
大きな手が重なった。
小さい頃は。
なんの気兼ねもなく。
つないだ手。
逞しくなられたけど。
ぬくもりは。
あの頃のまま。
ただ。
違うのは。
私の体と心と頭の反応。
熱く。
深く。
奥底から沸き上がる。
仙次郎さんへの。
狂おしいまでの。
うねり。
あっ。
すーっと。
仙次郎さんの手が離れた。
「美鈴さん。渡したいものがあるんだ」
「なんですか?」
仙次郎さんは微笑みを一つ。
袖口から小さな箱を取り出した。
「これは?」
「オルゴールといって、音楽が流れるんだ」
そっと。
仙次郎さんの指が箱の蓋をあけた。
カンカカカン、カンカカカン……
高い金属の音が刻む旋律。
「美しい音色ですね」
「でしょ? 『華麗なる大円舞曲』というショパンが作った曲です。このオルゴール、お揃いなんだ。僕と美鈴さんと」
「わっ。嬉しい」
仙次郎さんはオルゴールの蓋を閉じて。
私に差し出した。
ちょうど両手で。
包み込める大きさ。
茶色い木目調の小さな箱。
表面には紫色の杜若が彫り込まれている。
仙次郎さんは袖口からもう一つのオルゴールを取り出した。
「僕のは、モーツァルトが作った『トルコ行進曲』。花はね梔子なんだ。幸せ者という意味らしい」
「ふふ。素敵」
「美鈴さんの杜若にも幸せになるという意味があるんだけど、他にも面白い話があるんだ」
「聞きたいです」
「伊勢物語の中で、遠く離れた妻を想う歌が出てくる」
私が首をかしげると。
仙次郎さんの瞳が笑う。
「唐衣、着つつ慣れにし、妻しあれば、はるばる来ぬる、旅をしぞ思う」
耳に馴染む優しい声色で。
拍子をつけて詠う仙次郎さん。
「この歌の頭文字を繋げると、かきつばたになるんだ」
「わぁ! すごい!」
私はオルゴールを抱きしめた。
「オルゴールを聞きながら、遠く離れていても。僕は美鈴さんのことを常に想っている」
「はい。私も片時も仙次郎さんのことを想い慕います」
見つめた仙次郎さんの顔の前を。
ふわふわと。
淡い光を灯した蛍が横切った。
すっと。
仙次郎さんのお顔が近づいて。
目をつむる。
あっ。
おでこに。
柔らかくて。
あったかい。
ぬくもりが。
触れて。
離れた。
でも。
余韻は残っていて。
瞬く間に全身を駆け巡って。
紅潮する体。
口から飛び出そうな心臓を。
肩を丸めて。
膝を寄せて。
オルゴールを抱きしめて。
堪えるのが精一杯だった。
カカカン、カカカカカカ……
仙次郎さんのオルゴールが鳴り始めた。
星々の揺らめきのような音色が。
二人を包んでいた。
――だから。
本当は。
この休みの間に祝言をあげる筈だった。
けれど。
アメリカとの戦争が始まるかもしれない。
そんな世情で。
さらに日延となってしまった。
「美鈴さん、おかわりいいですか?」
「はい。もちろんです」
「冷奴も、合いますねカレーライスと」
唇を噛みしめて。
微笑む私。
あっ。
そんなやり取りを。
仙次郎さんの妹の加奈子ちゃんに美代子ちゃん。
私の弟の幸一と知吉が。
ニヤニヤと見つめていた。
仙次郎さんは。
カレーライスをいつものように3杯召し上がられて。
「美鈴さんのカレーライスは天下一」
高らかに笑っておられた。
食後に仙次郎さんのお土産。
羊羹をみんなで食べることに。
鈍く黒い照りを放つ。
長細い物体。
両家の人数分に切り分けるのに。
包丁を入れた感触が不思議で。
お豆腐よりも固くて。
でも。
お野菜よりも柔らかい。
中まで真っ黒け。
それが。
口にしたら。
また不思議で。
歯にくっつくような。
少し粘り気のある食感。
深みのある甘さに。
頬が落ちそうで。
弟や妹たちは。
やんややんやと。
仙次郎さんにまとわりついていた。
お読み下さりありがとうございます。
感謝しております。




