交感 秘めし想い
ぼんやりと意識の境目にいる。
ような……気がする。
目を覚まそうと思ったら。
覚ませそうだけど。
まどろみの続きが気になっている。
そう。
あの通春という人の書いた文字。
どこかで見たことのあるような……
あっ。
さよの意識が――
それからというもの。
寺へ通うことが。
日々の楽しみになった。
通春さんの好物の山菜を持っていって。
字を教わる。
わらびにつくし。
ぜんまいに大葉。
私は名前を書けるようになって。
難しい漢字は無理だけど。
文字も少し読めるようになった。
通春さんは歌というものを作って。
私に読み聞かせてくれた。
『龍の音誘う、村雨の、霧立ちのぼりし、蛙池、一人かもねむ憐れ身に、さよ一度の花一輪、氷いた、心の清水綻ばす、春雷とどろき、請い願う、天へ通じよ、偲ぶる底に、息吹きし風 通春』
紙面に並ぶ楽しそうな。
美しい文字たち。
通春さんの文字のクセが。
分かるようになった。
はねが。
それこそ。
跳ねるような文字。
目と耳とで噛みしめる。
「どういう意味ですか? 文字と響きが美しいのは私にも分かりますけど」
通春さんは。
さっと。
両手を広げ。
袖を波打たせて。
足の付け根辺りに添えた。
そんな動きの晴れやかさに。
目だけでなく。
そう、
心さえ奪われる。
「ちょっとした言葉遊びです。初めてお会いした。あの雨の日を想い。僕とさよさんの名前を散りばめてみました」
「うわ! そうなのですね」
私は歌の文字を指でたどる。
あっ。
さよ一度の……
私の名前。
通春さんの名前は……?
ん。
春雷!
それと。
通じよ!
「ありました! 私と通春さんの名前」
「お見事です」
「やっぱり通春さんはすごいですね。私もこのような歌を書いてみたい」
「さよさんは、飲み込みが早いですから、いつの日か歌をしたためる時が来ますよ」
通春さんの。
真っ直ぐな声色と瞳に襲われて。
「はい」
微笑んだつもりが。
うつむいて。
膝の上の手が。
ぎゅっと裾を掴む。
ずっと。
お側にいたい。
ただ。
そう願っていた。
日がのびて。
蝉が鳴き始めた。
ある日。
「今日は陽気もいいですし、一緒に山菜を摘みに行きませんか」
通春さんの申し出を受けて。
森に入った。
通春さんが籠を背負って。
私が案内をする。
斜めに落ちる。
幾重もの光の筋が。
森に立ち込めて。
なぜだろう。
いつもの森のはずなのに。
鳥の歌。
蝶の舞。
花の色。
全てが生まれたばかりみたいに。
鮮やかで。
生き生きしている。
さらさら……
森の中程にせせらぐ小川。
深いところも私の腿ぐらい。
川幅は私の歩幅で10歩ほど。
「ほう。川があるのですか」
「はい。この時期。水を浴びるんですよ。とても気持ちいいの」
「そうですか。確かに木々に囲まれ、さぞ清々しいのでしょうね」
「はい。よかったらしてみますか?」
「そうですね。折角ですから」
通春さんは。
背負った籠を苔むした岩場の陰にそっと置いた。
懐から小刀と龍笛を抜き取り。
「持っていて下さい。ああ、刀は危ないから鞘から抜かないように」
「はい」
両手で受け止めて。
ぎゅっと抱きしめた。
するすると帯がほどかれ。
着物を脱いで。
下帯だけの姿に。
村の男たちまでとはいかなくても。
色白で細身なのに。
がっしりとした体躯だった。
通春さんは。
両手を合わせて。
小川に足を踏み入れる。
ぽちゃぽちゃ……
涼しげな音をたてながら。
川の中ほどで跪いて。
水を浴びる。
その動きのしなやかさ。
美しさに。
じんわり汗ばんで。
抱きしめた腕に力が入る。
飛沫が木漏れ日を弾く。
「いや、実に気持ちいい。さよさん、ありがとう」
私を見て微笑む通春さん。
きゅっと肩が上がって。
膝が笑う。
「え、いえ」
すりすりと。
膝をこすり合わせて。
「あ、あのお背中流しましょうか?」
「ああ。いや、平気ですよ」
「でも、私、上手いんです。父に褒められるんです」
夢中で張り上げた声。
通春さんに……
私は……
「分かりました。じゃあお願いしましょう。刀と笛は僕の着物の上に置いてください」
「はい!」
私はそーっと。
刀と笛を着物の間にはさんで。
ぱちゃぱちゃと川の中に入っていく。
火照る体をなだめるように。
ひんやりとした水が。
足を撫でていく。
通春さんの大きな背中のそば。
懐に手を入れる。
あっ。
かさかさ。
忍ばせた想いに触れた。
その手をずらして。
手拭いを引き抜いた。
そっと。
川に浸す。
きゅっ、きゅっ……
軽く絞って。
「では、お流しします」
「お願いします」
片手を通春さんの肩に添えて。
あっ。
手のひらから。
伝わるぬくもりが。
私の全身を駆け巡る。
鼓動の昂りが。
通春さんに届くといいな。
叶わぬであろう。
はしたない想いを秘め。
一拭き、一拭き。
心を込めた。
お読み下さりありがとうございます。
感謝しております。




