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想いの行方  作者: ぽんこつ


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交感 名前を書いてみる

「大丈夫ですか?」

うんうん。

と。

うなずく私。

「じゃあ、名前。練習してみましょうか?」

うん。

とうなずく私。

「じゃあ、こちらに上がってください」

通春さんは。

衣がすれる音を残して。

しゅっと立ち上がる。

「え、あ、はい」

懐から手拭いを取り出して。

草履を脱いで。

土まみれの足を。

片方ずつ丁寧に拭く。

そして。

そっと縁側に上がる。

私より頭一つ。

背が高い通春さんを見上げた。

「どうぞ」

柔らかい声と共に。

手のひらを差し出した。

私は襟元に手を添えながら。

小さく頭を下げて。

通春さんが座っていた場所に。

裾を直しながら腰を下ろす。

床は温かい。

ふわりと私の隣に座った通春さん。

また。

香りが漂って。

鼻に残る。

なんだろう?

花でもない。

甘くもない。

つんとするけど。

嫌な感じは全然ない。

むしろ好みで。

爽やかな匂い。


「じゃあ、筆を持って」

「あ、はい」

通春さんが持っていたように。

筆を握る。

はぁ……

片手を胸に添えた。

通春さんが近寄って。

その指が。

私の右手首をそっと包む。

何もしていないのに。

小刻みに震える私の手。

「緊張してるんですね。大丈夫です。最初は一緒にしますから、動きを感じてみて」

鼓動が耳鳴りのように。

呼吸が喉にへばりついて。

髪の毛先まで。

汗をかいているみたい。

「じゃあ、はじめますよ」

「……はい」

うなずきながら。

出た声は。

弱々しい。

通春さんに掴まれた。

私の手。

筆が紙の上を走り出す。


さー、さー、……

『さ』

さー、さー、……

『よ』

通春さんと一緒とはいえ。

初めて自分で書いた。

自分の名前。

胸元に添えた手を。

ぎゅっと握りしめる。

通春さんは重しの置物をよけて。

その紙をそっと床に置いた。

ぱらぱら……

降る雨は止むことなく。

立ちのぼる霧と。

私たちの時を包む。

「じゃあ、今度は一人で書いてみましょう」

通春さんは袖を絞って。

伸ばした手で。

置物を紙の上にのせる。

私は見よう見真似で。

筆に墨をつける。


そして。

背筋を伸ばして。

筆を紙に……

ぽたり。

黒い点が。

紙に染みて。

思わず通春さんの顔を見た。

「大丈夫です。僕も習いたての頃。よく同じことをしましたから。さあ」

通春さんの微笑みに促され。

気を取り直して。

紙に筆先をつけて。

その勢いのまま。

書き上げた。

通春さんのような美しさはないけど。

自分一人で書いた名前。

黒い文字が嬉しそうに。

私を見ている。

「すごいですね。とても逞しく、かつ温もりがある。僕が初めて書いた時より上手です」

「ふふ」

なんか肩の力が抜けて。

首をすくめた。

「記念に持って帰るといいですよ」

「え、あ、はい。ありがとうございます。あのそれも貰えますか?」

床に置いてある。

通春さんと一緒に名前を書いた紙を指差した。

「あっ。お礼に茸を差し上げます。汁物に入れたり。焼いたら美味しいですよ」

私は袖の中の茸をいくつか取り出して。

床に並べた。

「ほう。これはありがたい。山菜は好物なんです。お礼などなくても差し上げたのに。かえって申し訳ない」

通春さんは私に紙を渡しながら。

眉をあげる。

私は首をかしげる。

「そうしたら、さよさんの名前に漢字をあててみましょうか?」

「漢字……?」

「ええ。ちょっと待ってくださいね」

通春さんは背筋を伸ばして。

すっと。

目をつむる。


ぱらぱら……

雨音だけが。

響いて。

通春さんと。

二人だけの世界にいるような。

錯覚。

ふっと。

息が漏れて。

通春さんは瞼をあげる。

右手で筆を持ち。

左手でその袖をたくしあげて。

紙に筆の毛先をつける。

さー、さー……

かすかな音を伴って。

生まれた艶やかな文字。

『沙与』

「どうでしょう?」

「すごい……」

私の名前なのに。

私の名前じゃないみたいで。

日など差していないのに。

とても眩しくて。

「さよ……」

思わず口ずさんだ。

名前に。

時雨の粒さえ。

星の瞬きのように思えた。

お読み下さりありがとうございます。

感謝しております。

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