交感 雨の中に宿りしもの
頭に手を乗せて。
とんとんと。
縁側まで駆け寄る。
青年は首をかしげて。
微笑む。
「どうぞ」
ゆったりとした物言い。
普段。
がさつな声しか聞かない私にとって。
棒もそうだけど。
声すら不思議だった。
「あ、ありがとうございます」
私は着物のすそを合わせて。
縁側に腰かけた。
「雨ですね」
「そうですね」
なんで。
分かりきったことを聞くのかな。
おかしくて。
肩をすくめてはにかんだ。
「あ、あの、その棒はなんですか?」
「これは龍笛といって、笛という楽器ですよ」
青年は私の膝の上に棒を置いた。
濃い茶色。
表面はつるつるして。
鈍く光っていた。
「りゅうてき……?」
恐る恐る手にしてみる。
思いの外軽い。
所々に穴が開いている。
「そこの穴に息を吹き掛けると音が出ます。そして、たくさんある穴の方を指で押さえると様々な音に変わるんです」
「へえ……」
ちらりと青年を見て。
真似をして構えてみる。
「ほう。様になってますね。息を吹き掛けてみて」
私は唇を噛んで。
背筋を伸ばす。
ゆっくりと息を吐いた。
ぴー……
「あっ……」
驚いて。
瞬きしながら。
顎を引く。
「ハハハ。上手ですよ」
「あ、すみません。ありがとうございます」
頭を下げながら。
両手で笛を差し出した。
「いえいえ。謝ることはないですよ。本来、簡単には音は出せないものですよ」
「え……?」
顔を上げると。
笛を手にした青年は。
首をかしげて。
微笑んでいた。
きゅっと。
胸の辺りが。
ざわざわして。
肩に力が入る。
「そうだ。ちょっと待ってて下さい」
青年は。
すーっと。
立ち上がると。
ゆっくりと座敷の中に入っていった。
「はぁ……」
吐息と共に肩を落とす。
ぱらっ、ぱらぱら……
私の面持ちみたいに。
まばらな雨足。
「お待たせしました」
青年は足音も立てずに。
文机を抱えて戻ってきた。
私のそばにそれを置いて。
嗅いだことのない香りを漂わせて。
ふわりと腰下ろす。
すると。
筆を取って。
すらすらと流れるように。
文字を書きはじめた。
書いたものを私に見せる。
難しい文字。
何がなんだかわからない。
「これはなんと読むのですか? 私、字が読めないんです」
「そうでしたか、それは失礼をしました。これがりゅう。そして、ふえという字です。この二つの文字でりゅうてき。と読みます」
「へえ。龍って。神様ですよね? じゃあ神様の……笛ですね」
「そうかもしれませんね」
穏やかに目を細める青年。
「確かに、龍という字の右下の方。龍のしっぽが上を向いてるみたいです」
「本当ですね。面白い」
「あの。あなたはずっとここにいるのですか? 都に帰ってしまうのですか?」
「ん?」
「あっ。ごめんなさい」
「いや、構いません。私は罪人でこちらに流されたんです。罪が赦されるまでは、ここにいると思います」
「悪いことしたんですか? そんな悪い人に見えないのに」
「ははは」
肩を揺すって笑う青年。
そんな笑い声さえも。
笛の音色のようで。
ぼーっと。
見入ってしまう。
「ん? どうかしましたか?」
「あっ、いえ、その……」
着物の襟を合わせて。
髪を耳にかけた。
うつむいた視線の先には。
龍笛の文字。
ぱらぱら……
雨足は変わらず。
しとやかな空気に包まれている。
あっ。
「あ、あの、その、私に字を教えてくれませんか?」
青年は目を丸くして。
ゆっくりと目尻を下げた。
「ほう。いいですよ」
「本当!」
「ええ……」
青年はまた紙に筆を走らす。
滑らかに文字を生み出す。
そして、筆を置くと。
また紙を私に見せる。
「これはなんと書いてあるのですか?」
「小野、通春。僕の名前です」
「小野通春様……」
「ははは、そんな畏まらなくて良いですよ。そうですね。通春さんでいいですよ」
「え、ああ、じゃあ通春さん」
名前を呼んだ時。
ぽっと。
私の中に日が差し込む。
「あなたの名前を教えてください。書いてみましょう」
「あ、はい。私は、さよと言います」
「さよさん。とりあえず平仮名で書いてみますね」
青年は紙の上に。
糸を引くように私の名を。
黒く鮮やかに浮かび上がらせた。
とても。
柔らかくて。
美しい字。
これが、文字で書いた。
私の名前。
指で触れようとして。
しゅっと。
引っ込めた手を包み込む。
「きれいです……」
「そうだね。あなたに相応しい美しい名だ」
「ひゃっ……」
息を吸い込んで。
吐くのをしばらく忘れてしまった。
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