②
「剣崎さん、無事……?」
扉の向こうから飛び込んできたのは、山井さんの心配そうな声だった。
思考が駆け巡る。次々と頭の中に湧いて出てくる疑問をぐっと飲み込み、一つだけ質問した。
「……えっと、何が起こったの?」
すると、山井さんは視線をあちこちに彷徨わせて、小さな口をへの字に曲げた。
「ええっと……どこから説明すればいいのかな」
◆
正直、眉唾物の話だった。
でも聞いたことはあった。
この世界には聖剣がある。聖剣を持つ者は、現世と幻想の境界を越えて、魔法の世界に辿り着けるのだとか。
そんな誰も信じない御伽噺を。
夜舞家が始まった千年も昔ならまだしも、今の時代ならお父さんも、お母さんも、兄弟姉妹たちも、我が家の誰も信じてはいないだろう。
魔術と御伽噺は違うんだ。
だから、少し前に噂を聞いた時は鼻で笑いそうになってしまった。
日本のこの街に、聖剣の断片がある。
ただ、この噂話はここからが違った。
この数日で、色々な機関の魔術師がこの街を歩き回っているんだ。あのくだらない噂話を嗅ぎ回っているんだ。
夜舞家にも何人か尋ねてきた。ただ、そういう対外的な話は、お母さんやお姉ちゃんが対応する。今回もそう。だから私は詳しいことを知らない。どういう話になっているかなんて知らない。
ただ。
赤髪の女の人と笠の古風な男の人、あの二人の行動はあまりにも無茶苦茶だった。
“魔術を他人に見せてはいけない。”
それ自体は私も両親からきつく教わっている。だからといって、結界を張るでもなく、人避けを用意するでもなく、目撃者は全て殺すなんて、あまりにも無茶苦茶だ。私が気付いたものだけでも、すでに十人近く殺されているし、うちの一件は殺人事件として一般の人達にも認知されてしまっている。
だから、ここ最近はずっとアイツらが動きを警戒していた。誰かがアイツらに近づくようなら、出会うことのないように追い払っていた。
迂闊だったのは。
一人目を追い払っている間に、別の人が接触してしまったことだった。
それも、クラスメイト。
剣崎夏帆さん。
表社会の高校生活で、友人に恵まれずひっそりと日々を送っていた私にも、気さくに声をかけてくれた良い人だった。
事故の話も先生から簡単には聞いたし、あれ以来人が変わったように暗くなってしまった。
それでも、数少ない私の友達なんだ。
それなのに。
それなのに……。
私が辿り着いたその時、剣崎さんの首が跳び上がった。
──まだ間に合う。
夜舞家の魔術は、黒泥という。
簡単にいえば、自分の肉体や他の生き物を生命エネルギーの塊のような黒い泥に換えて、再構成する魔術。
私はお姉ちゃんほど上手くは扱えないが、それでも──。
「あー先生、アイツついに来たよ」
私が飛び出す直前、赤い女はそんなことを言っていたが、気にしている暇なんてない。
全身を黒泥に化けた私は、赤い女も笠の男も無視して、一直線に剣崎さんの首と身体に飛びついた。途中、凄まじい速さで刀が振り下ろされていたが、そんなのはどうでもいい。
最優先事項は、剣崎さんの回収。
黒泥で優しく包み込んで、あとは逃げるだけ。
そうして、私は実家に剣崎さんを連れて逃げ帰って今に至る。
◆
「じゃあ……私の首」
山井さんは、その言葉に気まずそうに頷いた。
首に触れていた左手、そこから伝わるぬめぬめとした感触。離して見下ろすと、黒くてネバネバした液体が手についていた。
「……えっと、あまり触らない方がいいよ。完全にくっついてないから、変に触ったらきっと痛いと思う」
思わず、背筋が縮こまる。
あの悪夢のような光景が現実なのだと、手の、首のぬめりが嫌でも教えてくれる。
死というどこか遠くにあったものが、まだすぐそこにあるのだと教えてくれる。
それに、魔術……?
理解が追いつかない。自分の知らないものが次から次へと流れ込んでくるこの不快感に眉をひそめてしまう。
けど、きっと嘘ではないのだろう。
それも、この黒いぬめりと真剣な眼差しの山井さんが物語っていた。
「……ごめん、ちょっと待ってね?」
改めて考える。思考を巡らせる。
表にできない秘密の世界。不幸にもその住民と出会ってしまった私。そして、ついさっきその口封じに殺された。
「まだ……その人たちに狙われてるんだよね、私」
恐る恐る結論を口にする。
山井さんは険しい表情で、何も言わなかった。
キンコーン。
遠くの方からしたそんなチャイムの音が、私達の嫌な沈黙を振り払った。
「えっと……お客さん来たみたいだし、ちょっと様子見てくるから安静にしててね剣崎さん」
すると、山井さんは気まずそうに背を向けようとした。
ふと、そのとき。
視界の端で何かが動いたような気がした。窓は閉まってて風はない、山井さんの部屋? には動きのある物が置いてあるわけじゃない。
だけど、ほんの微かに──。
「ひぃっ!?」
それは、普通の部屋の中で小さくもたしかに異彩を放っていた。
目だ。
人間のような二つの目が、壁から私達二人を見つめているのだ。
「剣崎さん……?」
私の短い悲鳴に気付いた山井さんが足を止めて振り返る。
壁の目の視界に、山井さんの顔が映る。
すると目の次は口が、にたりと嗤う口が壁の奥から浮いてくるように現れた。
「みぃつけた♪」
瞬間、私の腰が締めつけられた。
山井さんのベッドの布団だ。布団が突如うねうねと動き始め、私の身体を締め付けている。
──いや、布団じゃない。
ピンク色の掛け布団は、徐々に黒く艶のある固い、得体の知れないものに変わっているんだ。黒い鎧のようなものを連結したような、長い何か。節々から黄色い突起が生えた何か。
……ムカデだ。
私の腕よりも太いムカデが、私に巻き付いて締め上げている。
「────ッ!?」
「剣崎さんっ!?」
◆
時を数秒だけ遡る。
キンコーンと、山井家の巨大な日本家屋に来客を知らせる音がする。
すぐ近く使用人が玄関扉を開く。
直後、使用人は悲鳴を上げた。否、悲鳴を潰されていた。
他の使用人達が見たものは、目から、口から、股下から、穴という穴から人間の腕ほどの百足が生えた使用人の姿だった。
しかし、悲鳴は連鎖しない。
彼らは山井家、否、夜舞家に雇われた人間である。通常の業務だけが仕事ではない。すぐさま刃物を、銃器を、常備された暗器の数々を繰り広げる。
その上で、魔術師はただ一言。
「つまんね」
次の瞬間、百足の肢が矢のように噴射される。
短い悲鳴が続き、やがて、静寂が支配する。
わずか数秒のやりとりであった。
そうして、最初の使用人を襲った百足の亡骸がゆっくりと溶解し、それらは再構築されて、赤く長い髪を靡かせる。
「……みぃつけた♪」
彼女の視界は、すでにこの血の海となったエントランスではなく、屋敷の奥へと向けられていた。
赤髪の魔術師は不敵に素敵に嗤う。
「恨むなら、あーしの邪魔したガキを恨んでね、夜舞家」




