とはいえ来るのが英雄だ
「やめろーっ!」
引き延ばされた感覚のせいで現実感が薄れて、ラリーの声が遠く聞こえる。
魔導術式の構築は間に合わない。振り下ろされる巨大な尾をジ・ボーダンの剣で防ぐにも、剣が長大で重すぎるせいで取り廻しが遅れる。
くらりと身体が揺らぐような感覚と共に、目の前が真っ黒になった。
「疾く命ず。力得よ。不壊!」
咄嗟に組み直した簡易強化術式が、私が伸ばした手から黒鉄の装甲の大きな背中に広がる。
私の目の前に出現した黒騎士は、巨大な怪物の尾をがっしりと受け止めた。
私は長剣を持ったまま黒騎士に後ろから抱き着いた。
「剛力招来! 打ち倒せ」
対象指定をゼロ距離で省略し、追加で強化術式を発動。詠唱を短縮し、威力に全フリした術式だ。
黒騎士は多肢異形の怪物の尻尾を掴んだまま、盛大に振り回して、叩きつけるように豪快にぶん投げた。
「フィヨ~♪」
地響きを上げて床に打ち据えられた怪物を越えて、鳳雷鳥の雛のフィヨがパタパタと飛んできて黒騎士の肩に止まった。定位置だ。
「奴の力の源を閉じます。その間、私を守って」
カタリ。
手短に状況を伝えると簡潔な了承の返事が返る。うだうだ言わない男は話が早くて素敵だ。
「加護は」
「いるか?」と問う前に黒騎士は素早く振り向いて顔をよせてくれた。
私は彼の兜の後頭部に手を回し、ぐっと近づけて、その額に加護の口づけを施した。
彼の流儀はこれだ。
仕上げにフッと息を吹きかけて、ペチっと軽く指先で叩き、効果を確実にする。黒騎士の甲冑の装飾文様に沿って加護の光が奔った。
杖代わりの剣を両手で構え直して、怪物に向き直ると、黒騎士は無言で私の半歩前に出た。
「鎧の旦那! あんたの剣だ」
サムソンが上から黒騎士の剣を鞘ごと投げた。拵えがグレードアップしている。ここしばらくサムソンは暇だったから仕事が細かい。
黒騎士は、片手で剣をバシッと受け取ると、元はバロールの岩に埋まっていたとは思えない外見に生まれ変わったその剣を、鞘から引き抜いた。
わずかに壁からの赤い光があるだけの暗い儀礼の間で、その刀身は仄白く輝いて見えた。
「ヴィクトリア様、あとお任せします」
ラリーは爽やかな笑顔で護符を掲げてみせると、倒れたままのヴァントの方に駆け寄っていった。
王家の護符を持ったラリーからの、固有名を指定した全面委任で、私にこの王墓での圧倒的な管理権限が与えられる。素人のラリーが自覚的に行なったとは思えないが、最適策だ。
制限されていた魔力が解放され、ジ・ボーダンの剣の柄に付いた竜頭の赤い目の宝石が光る。拡大された権限は私の額飾りの石を通じて、リラやサムソン達にも恩恵を施した。
ラリーが自分の額飾りをヴァントに渡しているのを視野の隅で確認する。これでヴァントも保護下に入る。
打ち据えられた怪物がもがきながらゆっくりと身を起こした。
首なしとはいえ人がましい肩や胸の形状だった上半身は二つに裂けていた。両肩だったところから盛り上がった肉塊が、取り込んだ人の顔の名残を張り付けたまま、蛇のように伸び上がる。両腕は不完全な皮膜の翼と化し、関節を失ってとぐろを巻く胴から生えた多肢は、半分溶けて人とも獣ともつかないおぞましい触腕になり果てていく。双頭の大蛇の口がぱっくりと裂け、赤く光る文様が浮かぶ儀礼の間の壁面を背景に、黒々とその粘膜の翼が広げられた。
まるで闇から湧き出でた悪夢のようだ。だが!
「勝つわよ」
私は儀礼の間に明かりを灯した。魔導の明かりがあたりを白々と照らした。
§§§
悪夢は白日の下で見るものではない。
十分に明るくなった儀礼の間は、惨状と言ってよい有様だったが、そこは結局のところ石造りの広間であり、魔境ではないのだ。
私は怪物との戦闘を黒騎士に任せて、この場で不適切に発動され暴走している術の解析に集中した。
竜頭の杖を床の破損した魔法陣にまっすぐ立て、視界と魔力の両方で現状を把握する。魔力制御器官である両の角が熱を帯びて伸びていくのに伴い、把握できる範囲が拡大し解像度が上がる。
赤眼の竜頭の柄から、剣の刀身に沿って金色の魔導紋が奔り、床の魔法陣に接続する。儀礼の間を覆っていた赤い光が、すべて私の魔力光の金色の輝きに置き換わる。
王墓に渦巻く膨大な魔力の全容を、私は掌握した。
すぐ脇でうねる怪物の触腕を黒騎士が切り払っていて、凄惨な戦いが繰り広げられているが、それはノイズとして無視する。黒騎士に切り払われても怪物は再生するので、あの怪物を発生させている術自体を解除する必要がある。
金土でできた像に火風水の理を付加して命出ずる術が、正順を失って混沌としているこの場を、まず浄化して正す。
「一二三 四五六七八九十百千万億兆……」
詠唱に乗せて、渦巻いている膨大な魔力の流れを整えていく。
「……さり経て述ます……」
対象とする術が複雑で、扱う魔力も膨大であるために、極限の集中と長い詠唱が必要となる。
黒騎士や皆のことは心配だが個人の欲は雑念になる。黒騎士を信じ魔導師として術に向き合う。
私は心を落ち着けながら、古い詞を唱えて、場を静めていく。
「荒きもの、奇しきもの。和たまえ、幸たまえ」
古王国は国家宗教を持たないが、それは霊魂について無知であるということではない。
文献には、当時の魔導師が、人を個たらしめ生者となす要素は、意思、記憶、情動、活力、肉体など様々に分けられると、考えていたことが記されている。老い、病気、怪我などで肉体を損壊し活力を失ったとき、人は死を迎えその意思、記憶、情動などの精神活動を担う霊魂は、この現世とは表裏一体の幽世に還るのだと、書は解く。魔導王の復活の儀式とは、幽世の霊魂の一部をこの世に用意した肉体に戻すことに他ならない。
勇者の聖珠が行っていることは、原理的にはほぼ同じだ。それは死者の霊魂が還る幽世とこの世を繋いで力を引き出す。幽世に属する霊的な存在の魂の一部をこの世の物体に下ろすことで、疑似的に死者の力を顕現させるのだ。
この墓所の術式は魔導王の能力を後継たる王族に付与しようとし、勇者の宝珠は力のみを引き出して装備顕現や強化を行っている点は違うが、共にその根源となる霊的存在の自我は必要としていない。
リラのシャーザーを見て確信したが、リラが呑み込んだあの呪物は勇者の宝珠の失敗作だ。本来は幽世にとどめるべき霊魂の意思が、十分に隔離できず現世に現れてしまっている。鎖として実体化しているのは、元となる霊体を拘束する術の概念なのだろう。
"神聖なる"が聞いてあきれる。やっていることは魂への冒涜だ。大元より出でて大元に還るべきものを拘束し、ただの魔力源として消費するとは。
流石に魔導王の方は"鎖で縛る"ような真似はされていないはずだが、古の魔導王国の者達がどうやって魔導王の魂を留めて、そこから智と魔力のみを引き出すなどという荒業を実現しようとしたのかの詳細は不明だ。少なくとも今、発動しているこの術は、魔導王の知性は全く汲みだせていない。あの怪物にあるのは飲み込まれた者達の欲望や怨嗟だけだ。
悪しき思念に同調しないように私は詠唱を続ける。
祈る神を持たないことと、死や霊魂をないがしろにすることは違う。王墓という死者を弔う名を付けた場なのに、滅した王を便利な資源扱いとはひどい話だ。ここを作った者達は時代的には初代魔導王を直接知らない世代のはずだが、面識がないからと言って、本来は魔導王本人をそのまま復活させるはずの計画をゆがめて、能力だけ引き出して継がせる方式に変換して実装したのはどうかと思う。
私はもつれた糸玉をほぐすように、混乱し暴走している術を解いていく。これは鎮魂と解放の儀式だ。
絡み合った禍福。無知と強欲と執着がもたらした過ち。先の戦乱とバロールでの怪物騒ぎで、本来のここの許容量を超えて蓄積されてしまった魔力。その結果、暴走してしまった術によるこの混沌を正す。
かつて心臓に宿りし意思よ、影を亡くし、精気と分かたれてなお名に縛られしものよ、汝は化身。
かの肉体は汝の糧にあらず。穢れ忌み、祓いたまえ、戻りたまえ。
日と夜の間、不未の淵、忌むなく永久の果て巡らむ。
始まりにして終わり、来し方行く末、天の果て地の底の奥。ゆらゆらと還れ……。
「魂魄散解!」
竜頭の杖を突き出した私の目の前で、黒騎士が雷電を纏って高く跳躍し、まっすぐに振り下ろされた剣が怪物の巨躯を両断した。
儀礼の間全体に金色の雷が降り注いだ。
やっぱりこの夫婦、最強。




