いつでも英雄が都合よく現れると期待してはならない
鎖に絡め取られた私は勇者の手に落ちた。
「ははハ……つかまエたゾ……ヴィくトリあ……」
様子がおかしい。
私はぎょっとして、私を捉えている男の顔を見上げた。勇者の眼がぎょりんと左右別々に回って、その首が不自然に太くなった。それなりに整っていた容姿が輪郭から崩れる。
勇者は怪物の肉塊に取り込まれ始めていた。
「奥様を放せ!」
「フィヨ〜っ!」
フィヨを頭に乗せたままラリーが肉塊に切りかかるが、彼の剣は、怪物のブヨブヨと弾力のある肉の上に薄く広がり始めた勇者の白銀の装甲に阻まれ、刃が立たない。気がそれたせいか少しだけ怪物の腕の力が緩んだが、それだけだ。
帝国兵の装備でもそれは同じで、一般兵は次々と肉塊に取り込まれ、ヴァントも迂闊に近づけず、攻めあぐねている。
「サムソン、離して。ヴィクトリア様ーっ!」
「バカ、まずお前が上がって態勢を整えろ」
リラはサムソンが無事引っ張り上げてくれた。私のせいでリラまで落ちなかったのは不幸中の幸いだ。
「サムソン、リラをお願い」
「わかった」
「何をバカなこと言ってんですか」
激昂したリラはサムソンに羽交い締めされた状態で、私の方に向けて思いっきり両腕を振り下ろした。
「出て来い! シャーザー!!」
誰?
と思ったのも束の間。リラの両手からモヤモヤと放たれた黒い何かが中空で人に似た形を取り始めた。
それは黒い鎖で拘束された亡霊だった。……これは以前、リラが呑み込んだ呪われた宝珠に憑いていた怪異だ。
「リラ!? あなた何てものを召喚しているのよ」
「安心してください。コイツは調きょ……教育済みです! ヴィクトリア様は怪異風情が手を出してはいけない至高のお方だと徹底的に教え込みました」
「んんん?」
人型のモヤがペコリとお辞儀をする。先日はすみませんの意味だろうか? 正気か?
「シャーザー! その化け物をぶちのめして、ヴィクトリア様をお助けして」
"モ"だか、"ゴ"だかわからない不鮮明な雄叫びを上げて、全身に鎖を巻きつけた怪異は、私を捉えている怪物に襲いかかった。
飲み込んだ勇者や兵士らを己の肉の中にこねて混ぜ込み咀嚼中だった怪物は、ラリーやヴァントの攻撃と同じように鎖の怪異の攻撃を装甲の付いた触腕で跳ねのけた。白銀の装甲があたると黒い鎖は銀色に光って抉れるように崩れて、あちら側に取り込まれる。
「負けんなこの根性なし!! そんなことでヴィクトリア様にお仕えできると思うなよ」
リラの檄が飛ぶ。
どうやら勇者装備とあの怪異の鎖は同質で、術者の精神性で制御権が左右されるようだ。
神聖帝国の勇者武装は、魔導師のような知識がないものでも術を行使できるように作られている。魔導師でないリラが根性論で使いこなして、怪異の使役までしてしまっているのは、そのためだろうか。
それにしても、暴走した王墓から無制限に力を汲み上げている怪物相手に、気合を入れろの一言で亡霊を戦わせるのは無茶すぎる。
「黄水晶を狙いなさい。それが勇者武装の発生源よ」
「ま゛」
謎の返事を返して、シャーザーとやらは拳を構えた。
……人語を解するのか。
黄水晶は、怪物の盛り上がった肉の頂上付近にある勇者の顔だったものっぽい瘡に埋まっている。モヤと鎖でできたシャーザーの身体が伸びあがる。肉塊から突き出た触腕がシャーザーの身体を抉るのと、シャーザーがしなるようにして打ち込んだ拳が黄水晶を砕くのが同時だった。
白銀の装甲の存在が希薄になり、私を拘束していた鎖もボロボロと崩れて消えた。
「偉い! よくやった。その大盛り肉、食って良し!!」
「に゛…ぐ……」
上からリラの威勢の良い掛け声がかかる。身体に巻き付いていた鎖の大半を失った亡霊は肉塊に覆いかぶさった。触れたところから、モヤだった亡霊はドロリとした黒い粘体に代わる。
あれに襲われて死にかけた時の忌々しい記憶が甦った。至近距離では見たくない代物だ。
リラには悪いが、正直にいうとぶちのめしたい。
「ヴァン! もう茶番はいいから、それ取って!」
「承知」
私が何を欲しているか察するのがむやみに巧い古なじみの部下は、床に落ちていたジ・ボーダンの剣を拾った。そのまま、ためらいなく投げる。剣は私を捉えている腕の付け根にあやまたず突き刺さった。
私は長い直剣の柄を両手で握って、腕が緩むのと同時に怪物の身体を思いっきり蹴った。剣を体重で引き抜きながら、床に着地する。すかさずヴァントが私を抱き留めて、後ろに下がった。入れ替わりにラリーが私と怪物の間に入ってくれる。良い連携だ。練習する暇なんてなかったと思うのだが、どうなんだろう。
私は、赤い眼をした竜頭の柄のついたジ・ボーダンの剣を構えなおした。
これはヴァントやラリーが使うには長すぎるが、私にとっては良い術式発動補助具となる。
「ラリー、その金色の護符をそいつから引きはがして。それが術の権限の焦点になっているわ」
「はい、奥様」
勇者や兵士の耳をもう気にする必要がなくなったので、"お嬢様"呼びを切り替えてきたラリーも、帝国兵の略徽章を千切ってから前に出たヴァントも、変なところが律儀である。
二人とも頼りになる得難い者だ。こんなところで無駄死にさせたくはない。
どちらも普通の兵士よりはよほど強いのだが、本職は斥候や裏方での重戦士ではない。このどんどん巨大になっていく怪物の相手を長くさせるのは厳しいだろう。今はシャーザーのおかげで奴の動きは鈍くなっているが、暴走する術は際限なく怪物を強化する。
あの人が来てくれればと思うが、連絡を取る手段がない以上、いつでも都合よく現れて欲しいと願うのは、お姫様願望の妄想だろう。
私はこの儀礼の間で発動している術を穏当に解除する方策を組み立てながら、壁や床に目を走らせた。
「ヴィクトリア様! "とっとと来い"って、鎧の旦那を呼びつけてやってください!!」
「あのバカタレ、食堂に戻ってきたはいいけど、廊下でぶっ倒れて起きないから置いてきたんです」
サムソンとリラの声で私の思考は中断した。
「あいつ、今でも古い方の人形をこっそり肌身離さず持ってますから、そっち経由で呼べば絶対来ます」
思わず上を見た視界の隅で、ヴァントが怪物の腕で横薙ぎにされて壁まで吹き飛んだ。
怪物は、触腕が生えた首のないいびつな巨人の上半身と、馬のような多脚の下半身に、大蛇のような長い尾のある姿を取りつつあった。その巨躯は広い儀礼の間を狭く感じさせるほどで、しかもその尾は伸び、脚はさらに増えつつあった。
怪物の胸に当たる部分の、ヴァントが切ったと思われる切り傷が、パクリと口のように開いた。
「オ ウ ナ ラ ザ ル モ ノ ハ イ ネ」
人の妄執の残滓が滲む、人ならざる者の声が、儀礼の間を震わした。
発動されるであろう強制排除の術に対抗すべく、私は皆に防御系の加護を授けた。複数のことをすべて同時に行う必要があるために思考が加速して、周囲の光景がゆっくりに見える。
ヴァントが怪物の胸から削り取ってくれたのだろう。床に落ちた金色の護符を、ラリーが怪物の脚をかいくぐって拾いに行った。素早い身のこなしで器用に脚を避けて、護符の方に滑り込む。
「やった! 護符取りましたっ!!」
私はジ・ボーダンの剣で床の魔法陣の要所をぐるりと円弧状に断ち切った。
すさまじい絶叫と共に、怪物の長い尾が私の上に振り下ろされた。




