届かない警告と愚行の連鎖
静止の声は間に合わなかった。
いや、正確に言えば、その声はジ・ボーダンを含むその場の大半の者の動きを止め、振り下ろされかけていた番人の刃はオブライトに届かなかった。
しかし、勇者は止まらなかった。
相手の一瞬の停止という致命的な隙をついて、勇者の聖剣は番人の獣頭をあやまたず切り飛ばした。
「なんということを」
「そこか!」
番人の首から吹き出す飛沫を浴びるのも厭わず、己の行為が過ちであったことにも気づかぬまま、勇者は次の一歩で声の主の方に跳躍した。
闇から現れた女は青藍のローブを身にまとった魔導師で、深くかぶったフードの奥の目は、内側から光を放っているような燃える緑色だった。
「お前は!」
「貴女は」
勇者の剣が女魔導師の喉元を切り裂く寸前で止まった。
「女。貴様、何者だ?」
女の喉と剣の刃との間に差し込まれた彼女の短杖が、勇者の剣をグイっと押し返した。
「ジ・ボーダンを切る愚か者に名乗る名などない」
「さては、王墓の守り人……いや、違うな。街で見た顔だ。黒髪に緑の目。貴様が学者が言っていた沿海州の女か」
「オリヴィア・バルディ! どうやってこんな奥まで無事にたどり着けたのですか」
床にへたり込んだまま素っ頓狂な声を上げたオブライトの奥で、「違うな」と輿から放り出されていた身体を起こしたのはセイルーンだった。
「間違いない。ヴィクトリア……そうだな」
剣を突き付けたまま勇者が女魔導師のローブのフードをはいだ。
「角のある女……だと?」
有角の公女ヴィクトリアは毅然と顔を上げたまま、男達の問いには答えずに儀礼の間全体に目を走らせた。
空になった台座、首を失って停止したジ・ボーダンの身体、転がった首、倒れた兵士の躯、それらから流れ出たものが石の床にゆっくりと広がって、種類の違う石が敷かれた床の模様に沿って流れていく。
「命が惜しくば、早くこの場を去りなさい」
「もう手遅れかも」と小さくつぶやいた彼女の足元で、ゴウン……と重い音がして、八角の泉の間との境に石壁がせり上がり始めた。
§§§
最悪だ。
私は愚昧な男どもを絞め殺したい気持ちで奥歯をかみしめた。
泉に水を注いで、儀礼の間を間違った手順で起動したのだけでも十分に厄介なのに、儀礼の裁定者でここの魔導術式の管理中枢であるジ・ボーダンの首を落とすとは。無知と暴挙もここまで重ねられると頭痛がする。ただでさえ、この遺跡には本来想定されたよりも膨大な魔力が蓄積されているのだ。その制御を司る、しかも自然言語による対話が可能な優秀な魔道具を破壊して、この後どうするつもりなのか。
ジ・ボーダンというものすごく有名な賢者の姿を模して造られていて、その性質が明白であるというのに、これだから故事を知らない無教養はたちが悪い。
「勇者殿! ここはいったん撤退を」
兵士の一人が叫んで、勇者の脇に駆け寄った。聞き覚えのある声だ。鈍色の目……ヴァント。差し入れの菓子箱にあった"裏切り"のメッセージはこれか。いて欲しくない人間がいて欲しくない場所にいる。最悪な事態が坂道を転がり落ちるようにより悪くなっていく。
閉じ込められる恐怖に恐慌を起こした他の数人の兵士が、閉まりかけの出口の方に駆け出した。
「待て、逃亡は許さ……」
留めようとする勇者の声は、せり上がる石壁を乗り越えようとした兵士達の断末魔でかき消された。
来る途中の通路で見たのと同じ棘が石壁の上端から突き出て、徐々に収納されていく。ここの出入り口は、許可証を持たない侵入者の通過を非常に単純明快な脅威で拒絶する。
「魔女め、貴様の仕業か!」
アホか。私がそこまでこの場を制御できていると思うのはずいぶんな買い被りというものだ。
石壁は落ちた水の重みとその移動で開閉しているだけだし、棘の方は単純な条件発動に過ぎない。
うっかり侮蔑が表情に現れてしまったらしい。カッとした勇者は私の短杖を剣で払い飛ばした。剣についていたジ・ボーダンの"血"が飛ぶ。
カラカラと転がった短杖が石の床を滑って、繋がっていなかった円環模様の最後のひとかけを"血"で繋いでしまった。
不正規な形ながら命の水の代替品を注がれたために術式が発動し、床の円弧から魔力光がほのかに立ち昇り始める。
私は咄嗟に術の成立を防ごうとしたが、事態を正確に把握していない勇者が「動くな!」と叫んで、左手で私の喉元を掴んだ。そんなことをしている場合ではないというのに!
「おお」
「なんだこれは」
動揺する兵士達の前で石壁が完全に閉ざされ、隔絶された儀礼の間の床に描かれた魔法陣が魔導師でないものにも見える輝きを放ち始めた。
「光が……」
天井から射した一筋の光がセイルーンの胸の護符と、私の額を照らした。認証だ。
儀礼の間の床に転がっていたジ・ボーダン像の頭部の口が動いた。
「チカラヲ、ツグカ」
応えてはいけない!
警告しようとしたが、勇者の手が喉を締め付けて息ができない。押し付けられる力が強まり、私は膝をついた。額に射していた光が私を押さえつける勇者の身体で遮られる。
「私こそが継承者だ」
セイルーンの声が響いた。その声の方向に落ちる光が強くなり、こちらの明かりが消える。
「チカラヲ、ノゾメ」
ぎこちない発音の抑揚のない低い声が、セイルーンが決して断れない誘惑を騙る。
「ノゾメ。シカラバ、ナンジニ、チカラハ、ソソガルル」
「我に力を!! 魔導王のすべてを与えよ!」
最悪だ。
この際もう、このバカはどうなっても知らん! と思いながらも、私はここからどう立て直すことができるかを必死で考えた。
やばい展開のピタゴラスイッチ。
今回も不穏なので、平和なオマケをお送りします。
<領主館厨房>
「黒さん、いってらっしゃ~い」
「奥様にくれぐれもお体をお大事にしてくださいとお伝えください」
「領主館一同、無事のお帰りを心からお待ちしております」
カタリ
「……いっちゃったねぇ」
「と言っても、またすぐ帰ってくるよ」
「不思議だけれど便利だよねぇ」
「あつあつのお食事を遠く離れたところにいる奥様にお届けできるのはありがたいねぇ」
「奥様、ベリー喜んでくれるかな」
「ちょっと沢山いれすぎちゃったかもね」
一同は、黒騎士が消えた先でバスケットいっぱいの朝食に驚いているヴィクトリアを想像して笑った。




