隠し森
若葉を茂らせた木々と草いきれの、鬱陶しいほど濃い緑の間を馬車は進んでいた。
「バロールの森より下生えが深いですね」
馬で併走しつつ、細かく先行しては道を確認しているラリーは、馬車に当たりそうな位置に垂れ下がっている蔦を、また一本払った。
「北辺と違って、この辺りは雨も多いからな。草も伸びるだろう」
鍛冶の修行時代に各地を周ったサムソンは、御者台で手綱を慎重にさばいてくれている。細い道も通れるように、できるだけ小さくて幅の狭い馬車を選んだのだが、御しにくそうだ。人通りのない旧道に入り、道はますます悪くなるばかりだ。使われなくなった道は森にのまれつつある。
「明るくて、それほど深い森とも思えないのに、変な感じです」
「王都よりさらに南に来ているから、エンデミール大森林の端にあるバロールの森とは、生えている木が違うものね」
「里の近くと山の奥で森が違うのは知ってましたけど、土地でも違うものなんですね。言われてみると木の種類自体が違います」
「エンデミール大森林と比べて、幹が細くて葉が広く茂る木が狭い間隔であるでしょう。若い森なのよ」
「森に若いとか年寄りとかあるんですか? ヴィクトリア様」
馬車の狭い二人掛けの隣に座っているリラは、いぶかし気に馬車の半屋根の向こうの木々を眺めた。
「そうね、森になって日が浅いと言い換えてもいいかしら。この道が使われなくなる前は、ここまで森は道に迫っていなかったはずなのよ」
王墓に搬入された資材と人員の数とそれが維持された年月を考えれば、そこに向かう道が賑わわないわけがない。しかも、この辺りは今でも馬車で走れる程度には石畳が残っている。
「あー、それもここまでのようですよ」
行く手を倒木が塞いでいた。
回り込めるか様子を見に行ったラリーが、倒木の向こうでダメだと手を振る。
「この倒木は、わざと置かれたものですね。この先に地割れがあります」
たしかに脇に生えた木が自然に倒れたという感じではなく、太い木が二本交差する形で道を塞いでいる。よほど古い物らしく、かなり朽ちて苔が生えているから単純にどかすのも難しそうだった。
「地割れって、どんな感じ?」
「見てまいります」
「私も行くわ」
リラに続いて馬車を降りようとしたところで、力強い黒鉄の手にさっと抱き上げられた。
黒騎士だ。
人目がない道に入ってから同行してもらっている。目的地に着いてから呼んでもいいのだが、彼ができるだけ一緒に行きたいと言ってくれた。街の外の森に入るのに護衛がラリーだけでは心もとなかったのでありがたい。それに毎晩、宿や倉庫で打ち合わせはしていたと言ってもそれはそれ。
一緒にいることで、こうして驚かされるのは、やはりちょっと嬉しい。
黒騎士は私を抱えて月魄に乗せ、そのまま倒木を飛び越えた。
……乗馬に明るい方ではないのだが、普通の馬はこういうことはできないのではないだろうか?
バロールの領主館の厩頭に確認したのだが、月魄は、特別ないわれは何もなく単に優秀な馬なのだという。むしろ、何か曰くがあってくれた方が説得力がある気がする。月魄がある日突然、人語を発し「実は我は魔法で馬の姿に変えられた何某で」と言い出したら、「だと思った!」と口走る自信がある。
地割れは思ったよりも深くて、幅も広かった。そこには水も流れていて、谷川という方が近い。
迂回できる様子はなく、幅もある。
「そこの木を倒して渡せば、即席の丸木橋にはなります」
「手斧はあるが、俺は木こりじゃないから、あの高さの木を上手く谷にかかるように切り倒せるかはわからないぞ」
「サムソン、木の上の方を谷側に引っ張ればいいんじゃない?」
「リラ、木に登ってロープをかけたとしても、そんなに思った通りに向こう側に向かって引っ張れないわ」
「そこはお任せください」
リラは地割れの近くに生えた高い木の梢に向かって、さっと手を伸ばした。
ジャリジャリジャリ!
真っ黒い鎖がリラの手から伸びて、まっすぐ伸びた木の幹の上の方に巻き付いた。リラが鎖の端を持って引くと、高い梢がゆさゆさ揺れた。
「これ、結構力があるし、かなり自在に動くので行けると思います」
「ひょっとして、お前。呪いの効果を結構気に入っている?」
「サムソン。あんたみたいな筋肉ムキムキの男だけに力があるアピールされっぱなしにならなくて済むのはいい気分よ。さあ、私が手伝ってあげるから、さっさと切り倒しちゃってよ」
サムソンの手斧が谷側に切れ込みを入れたところで、黒騎士が逆側を切り、生きているようにたわむ鎖に梢を引かれて、その木は上手い具合に地割れに渡された丸木橋になった。
「枝を少しはらってから倒せばよかったですね」
「幹だけ固定してあげるから、渡るのに邪魔な小枝だけ、少し払ってちょうだい」
「はい、奥様」
鉈を持って丸木橋を身軽にわたり始めたラリーの足元の幹を崖端に短縮詠唱の軽い魔導術式で固定する。
『そは我が礎。不動定置』
術をかけ終わったとたんに、黒騎士が私を抱えて丸木橋を渡った。
「リラ、お前もあれやってやろうか?」
「私は自分で渡れます!」
逆にリラの鎖で支えられながら、大荷物のサムソンもなんとか橋を渡った。全員が揃ったところで、黒騎士がパチンと指を鳴らす。すると、地割れの向こう側に残っていた馬車の前に虹色の揺らぎが発生した。月魄が草を食んでいた馬車の馬とラリーの馬を急かして、揺らぎの中に追い込む。
「あれ? こっちに来ませんね」
ラリーが周囲を見回して首を傾げた。
黒騎士も、消えた馬達が自分達のいる側に出てこないのは予想外だったらしく、少し焦ったようにきょろきょろした挙句、ラリーと一緒に首を傾げた。
「また、厩舎に帰っちゃったのかしら」
月魄は、飽きたり疲れたりすると、キリのいいところで帰って休む馬だ。
黒騎士は私に向かって、ちょっと待っていて、というような身振りをしてから揺らぎの中に消えた。
ほどなく戻ってきた彼が渡してくれた木片には炭の欠片で書いたと思われる字で、"馬車と馬はお預かりします"というメッセージと厩頭のサインがあった。
「まぁ、この先は道も険しくなるようだから、馬は返して正解かもしれないわね」
私達は、緑に埋まった痕跡を辿って、次第に昇り勾配になる道を辿りはじめた。
慣れない森歩きで私の足が遅すぎるのに皆が焦れ、黒騎士が私を抱き上げて進むことしばし。
うとうとしかけていた私は、強い結界の気配にはっとした。
「奥様、あれを……」
唐突に森が途切れ、視界が開けた先には、岩山を削るようにして造られた石窟遺跡があった。




