知恵は使っても減らない、知識は詰め込んでもかさばらない
王宮書院の積層書庫で、私は、魔導王の墓所について記された文書を見つけた。
残念ながらここの文書は持ち出しできない。それに、ここは特殊な術式で作られた場所なので、学院の知識の塔のように黒騎士を呼び出すこともできない。これで紙や筆記具を含む手荷物一切持ち込み禁止というのだからむごい。
あまり長くいてよい場所でもないし、外にいるオブライトが私の不在に気付くと面倒なので、私はつい読みふけりたくなる衝動と戦いながら、ひたすら斜め読みして要点だけを頭に叩き込んだ。
しばしの後……。
つけがたいキリを無理やりつけて、私は顔を上げた。
墓所がただの墓ではなく、重要な研究が行われていた場所であることの確信を深め、しかしながら、墓所の正確な場所について書かれたものがどうしても見つからないまま、私は積層書庫を出た。
元の階層に上がり、螺旋階段のある吹き抜けの大図書室まで戻って来ても、ラリーとオブライトの姿は見えなかった。
耳を澄ませると上階から微かに声が降ってくる。
透かし彫りの手摺に様式化されたアイリス文様が並ぶ螺旋階段を上がっていくと、上階の書架の奥に二人の姿があった。
「なるほど。では、エーレ信仰は王国固有のものではなく、中央平原全域と言っていい範囲に伝承が残っているんですね」
「ああ、今は神聖帝国があるエンデミール大森林の東方の方が、本来はエーレを崇める人が多かったらしい。魔導王国は魔導をもって世を拓くという者達の国だから、中央平原の西の端にあるという話もあるぐらいだ」
「ああ……だから、この東方の古書のこの部分に"神に背きし悪しき魔の国"って言われているのが、王国のことなのか。この時分にはまだ神聖帝国はなかったって、さっき教えていただいたのにどういうことかと思ったら、もともと信心深い人が多かった地域で、なんか神様だけすげ変わっちゃったんですね」
「すごいまとめ方をするな君は」
「死の常闇の神から、火の神にってのは、わかりやすいですね。神聖帝国の勇者とか司祭が真っ白の服を着ている理由がわかりました。闇を払って自分の取り分を増やしたいからなのか」
「どうだろう? 少々発想が短絡的ではないかな」
「あっ、それもそうですね。すみません。素人考えすぎました」
バロールの田舎出身の護衛が、学院の正学士とまともに宗教文化史の問答をしている?
どういう状況なのかよくわからないまま、立ち尽くしていた私に気づいて、ラリーはパッと顔を明るくした。
「お嬢様。お探しの資料は見つかりましたか? 頼まれていた分は見つけ終わりました」
「見つけ終わったって、あのリストを全部?」
「はい。オブライト先生が助けてくださいました。コツを教えてもらって、手分けをしてからは早かったです」
「ラリー君は筋がいいね」
「ありがとうございます!」
私は壁際の書見台の方に案内された。たしかにラリーにお願いしていたリストに合致する良い書物が集められている。褒められたい子犬みたいに上機嫌なラリーは「そうそう!」と1冊の本を広げて私に差し出した。
「お嬢様、面白い記述を見つけたんですよ。ここ見てください」
宮中祭祀の文献だ。ひたすら当時の行事の段取りが書いてある地味な資料である。
示されたページには、脚注として欄外に書き込みが入っていた。
「昔は魔導王様のお墓参りの行事があったそうですよ。面白いですね。不滅の魔導王様にお墓があるとは僕は考えたこともなかったです。いまもここにあるんですかね?」
私はひっくり返りそうになったが、令嬢の嗜みとして鍛え上げた渾身の外面で耐えた。
§§§
「調べ物は上手くいったんですか?」
宿の部屋を訪問してくれたサムソンに、私は「まあね」と返して、読み終えた本を置いた。
「ラリーは殊勲賞ね」
「がんばりました」
ラリーはニコニコしながら、私が置いた本を片付けた。
「あなたが古書を読めるとは思わなかったわ」
「字がちょっとわかる程度ですよ」
「いや、お前、護衛だろう?」
サムソンが目を剥いている。わかる。私も同じ気分だった。
ラリーは「いやぁ」と照れ笑いして、頭をかいた。
「僕はおばあちゃんっ子だったんです。で、その祖母が教えてくれたのが古い文字と古算で……」
「あなたのお婆様、バロールの辺境の村にいるのが不思議な方よ」
「面白い人でした。僕はおばあちゃんから、知恵と教養はたまに役に立つし、かさばらなくて隠しやすいからありったけ身に着けておけって言われて育ちました」
「お嬢様の血縁者ですか? そのおばあちゃん」
「そんなわけないでしょう」
自分でも、自分がいいそうな言葉だなとは思ったが、それは黙っておく。
なるほど。そういう信条で育つとこういう風に小器用になるのか。納得させられるものはある。
「それで、どういうことがわかったんです?」
「んー、専門的な問題なので、かみ砕いて説明するのは難しいわね」
表向きの調査項目である"ルス湖沿岸の自然史と古代民間伝承"の方でも、ケトゥス騒動やエーレ信仰に関する興味深い資料が思ったより多く見つかっている。そちらはまだ説明しやすいのだが、サムソンが知りたいのは、その話ではないだろう。
かと言って、魔導理論を並べてもサムソンはまず単語の概念が理解できない。
「でも調査は順調なんでしょう?」
焦れたサムソンは、どうにも気になるという様子で、控室にいるリラの方をこっそり見ながら、声をひそめた。
「あいつの呪いはどうなんです? 解呪できそうなんですか」
「ええ。安心して。本格的な調査と言える規模の調べ方はできなかったから、そのものズバリの答えは見つかっていないけれど、重要な手掛かりは掴めているわ」
神聖帝国が秘匿しようとした呪物……勇者の聖珠と酷似した構造のそれは、実体のない異界の怪異をこの世の依り代に下ろす代物だ。
その呪物を一時的に体内に取り込んでしまっていたリラは、異界の怪異が持って行った能力を習得してしまった。リラを怪異に乗っ取られる事態を防ぐためには、使われている術式の特定は不可欠である。
帝国がどんな術式を使ったのか神聖魔法の体系はわからないが、根本的な原理は王国の魔導術式とそう変わらないはずだ。
そしてこの術式は、おそらく我が夫の鎧にかけられている呪いとも関連がある。リラを失いたくなく、夫も取り返したい私は、なんとしてでもこの術式を解明する必要があった。
「昔、その手の術を大規模に研究していた場所があるの。そこに行けば、今は失伝している術式の原理稿が見られるはずよ。もし原理稿が残っていなくても、そこにある大規模術式の発動陣を解析すれば深淵領域との接続認証様式がわかるわ」
サムソンは私の説明の大半の単語は理解していなさそうだったが、「そりゃよかった」と頷いた。
「リラの奴が迂闊なことをして奇病にかかっちまって、こちとらヒヤヒヤしてたんで」
「迂闊でもないし、奇病でもないですわ。お嬢様に適当なことを言わないでください」
私用にお茶を用意してくれたリラが、サムソンに食ってかかる。
「あれ? 俺のお茶は?」
「水桶はそこの階段を下りた先の中庭の向こうにあります」
「そこ、厩じゃねえか。せめて井戸を教えろよ」
いつも通りの仲の良い掛け合いを楽しみ始めた二人はそっとしておくことにして、私はお茶を楽しんだ。なんだかんだ言っても、徐々に商人が戻り始めて、こうした嗜好品がちゃんと手に入る程度には王都も平時に復帰しつつある。
先日行った高級砂糖菓子店が店を開けてやっていけているように、帝国将校や彼らと組んで利権側に回った者達、およびうまく立ち回ってそこから金を吸い上げている者達はそれなりにいるのだろう。
庶民は滅びない。
魔導王国が今後どうなるかは、魔導王国の王侯貴族が、どこまでその魔導師たる本質を神聖帝国相手に削るかによるのだろう。
「お嬢様」
「なあに? ラリー」
ラリーはいつもより一歩私に近づいて声を潜めた。
「そこに行けばよいとおっしゃっていた場所というのが、書院でおっしゃっていた"墓所"なんですか?」
「そうよ」
「じゃあ、墓所の場所に関する話って、オブライトさんのいるところでしてしまったのってまずかったんじゃないでしょうか」
「それは……そうだけれどあの場合しかたなかったもの」
「すみません」
「いいえ、あなたが見つけてくれたのは大手柄よ。気にする必要はないわ」
宮中祭祀の文献に脚注で墓所巡行の書き込みが入っているなんて予測できない。
書院でラリーが「お嬢様、ここ見てくださいよ」とやってきたときは、私は場所に関する決定的な手掛かりがないまま、書院を出た後の次の手を考えていたところだった。
あの時ラリーに屈託なく魔導王の墓所の話をされて、私とオブライトは二人揃って目をむいた。
幸い平民のオブライトには、王家や公爵家でも秘匿されている"魔導王の墓所"に関する知識はない。ラリーとほぼ同レベルで"魔導王様にお墓があるなんてびっくり"という反応だったようなので、何とかその場は無難な相槌に終始することでごまかした。
「では、オブライトさんは抜きで、僕らだけで"墓参り"に行くんですね」
「ええ」
私はお茶のカップを置いた。
「私達だけで攻略する必要があるの」
魔導王の墓所は恐ろしい人外の番人が守る地下迷宮なのである。
「もちろん、今度は彼も一緒よ」
私の後ろに虹色の揺らぎが立ち昇った。




