王宮書院
オブライト学士が、私が預けた通行許可証を見せると、城門の衛士は通行許可証に書かれた勇者の署名と、オブライトの身分証を見て、黙って私達の額に朱色の小さな膏薬を塗り、通してくれた。
王宮書院は王城区の内堀の奥にあり、一般の立ち入りが厳しく制限されている。同じ王城区でも王立学院はまだ市井の辻馬車で近くまで乗り付けることができたが、その奥にある堀と城壁に囲まれた"王城"は別格だ。敗戦後の統制下にあるために、制限の種類はいささか変わっているが、入場が難しいことにかわりはない。
いくら戦勝国の勇者という伝手があっても、"沿海州コスタリオールのオリヴィア・バルディ"という無名の小娘が学術目的を名乗って易々と通してもらえるとは思えなかったので、私は学院のオブライトを頼った。平民出で万年准学士だった彼は、戦中、戦後で上流階級の権威筋が軒並みいなくなった結果、正学士に出世していた。学識はあって権力と政治思想はない彼は、学院を管理下に収めたいが学識がなく勝手がわからない神聖帝国にとっては、扱いやすいコマだったのだろう。
ただ、学院で一定の信用を得ていると言っても、オブライト学士は王城区は不慣れらしい。城門や王城前ではまだそれなりに落ち着いた態度をとってくれていたのだが、奥に向かうにつれてそわそわし始めた。
「王宮書院に行くのは初めてだ。本当にこんな機会を与えてくれて、ありがとう」
「私は先生の助手という扱いであることをお忘れなく。それから、あまり物珍しそうにきょろきょろなさらないでください。衛士の目に留まると不審に思われます」
「す……すまない」
研修生の紺色のローブを着た私にたしなめられて、オブライト"先生"は慌てて周囲を見回した。
私の後ろで、やはり紺色のローブを着たラリーが笑いをかみ殺している。バロールの田舎者に笑われてどうする、先生。
「思ったより見張りの兵士はいないものなんだね」
「王城区は魔導的な結界が幾重にも張られています。人の警備は城門付近での威圧用にすぎません」
魔導術式による結界は、魔導王国の王族や上級貴族の高位魔術師の間ではよく使われる保安手段だ。
血縁者だけ入場を許可したり、害意のあるものに不快感を与えたり、許可や拒絶の方法の指定バリエーションも豊富で便利なので、私もバロールの領主館に張っている。
規模も強度も術者の能力次第で、古代の魔導王は国土全体を覆う結界を張ったともいわれている。
「魔導結界……感じなかったぞ」
「城門と、この通路の入り口と、他にも数か所。先生は魔導師の修養は?」
「正学士の試験用にそれなりに学んだと思っていたが、さすが王城だな。まったくわからなかった」
「結界を抜けるためのまじないが効いていますから、感じにくくはなっていると思います」
私は城門で着けられた額の膏薬を指さした。
「これはそういうものなのか」
「触ってはだめですよ。不正と偽造対策のために、下手に触ると発火するようになっているはずです」
「えっ?!」
「怖っ!」
自分の額の膏薬をいじりかけていたオブライトとラリーが同時に叫ぶ。だから、バロールの田舎者と同レベルの行動をしてどうする、先生。
「王宮書院でも、うかつにあちこち触ってはダメですよ。あそこは基本的に魔導師が閲覧すること前提の書庫ですから」
「僕、入って大丈夫なんですか?」
ラリーは、成人男性と密室で二人きりになるなんて外聞の悪いことは社会的にできないから一緒に来てもらっているだけなので問題はない。リラは呪物の影響で身体に異変が起きているので結界で弾かれかねないから、連れてこれないのだ。
そして、オブライト先生。あなたまでラリーと一緒に不安そうな顔をするな。
一抹の不安を感じつつ、私は魔導王国に伝わる古文書の保管庫、王宮書院の青銅の扉の前に立った。
§§§
アラバスターのはめ込まれた天窓のある高い天井。四方の壁に埋め込まれた書棚には、革表紙の本やスクロールが整然と収められている。王宮書院の主室は荘厳と言っていい雰囲気だった。
「すごい書の数だが……意外に普通だな」
「ええっ、これが普通なんですか?」
「ああ、学院の知識の塔もこんな感じだ。こちらの書架の方が全体に造りは豪華だが、書の数はあちらの方が多いかもしれない。見栄えではなく体系的に分類されているので探しやすいし」
「なるほど、書の保管は置き方も大切な要素なんですね」
「ああ。膨大な知識を管理するということは、そもそも博学の体系化という非常に深淵なテーマなのだよ。古の賢者ノダクは数多の学問をまず十の分野に……」
ラリーという大変素直な良い生徒を前に、オブライト先生はすっかり指導教官と化して滔々と解説を始めた。私は彼らを残して部屋の奥に進んだ。ラリーにはオブライトと一緒に調べてもらいたい本のリストを渡してあるから大丈夫だろう。
書院入り口で渡された封書の封蝋を切り、中から黒ずんだ真鍮の鍵を取り出す。
封書は封蝋が切られた途端にさらさらと白い灰になり始めるので、崩れる前に内側の文字を読む。
古代文字での意地の悪い数式だ。わざわざ現代の式と計算順序が異なる古算の表記である。
鍵の柄に付けられた小さなダイヤルを順に回して数字を式の解に合わせる。
こういう作業をしないとこの鍵は使い物にならないという説明を一切しない辺りが魔導王国の古式ゆかしさだ。神聖帝国軍の士官や事務官はさぞや諸般の些事でイラつかされていることだろう。
私は壮麗な書架の奥の目立たない場所にある背の低い扉の錠穴に、ダイヤル付きの真鍮の鍵を挿した。カチリという手ごたえがあって扉が開く。
ラリーとオブライトが話している場所からは死角になっていることを確認して、私はするりと中に入って、後ろ手に扉を閉めた。
真っ暗だ。
単に光源がないだけなのだが、さすがの厭らしさである。書を守るためと称して、一切の手荷物の持ち込みを許可せず、灯り一つ持たせない管理体制が、許可証を持っているだけの招かれざる来訪者に対する嫌がらせとして完璧に機能している。
私は手首に巻いた錫の腕輪を外した。留め具のないこの柔らかい金属の腕輪はヴァンに貰ったものである。筒状に丸め直して内側に魔導で明かりを灯す。筒の先から出た光は、上手い具合に先を照らした。
扉から入ったすぐ先は、幅の狭い急な階段になっている。
人を落とそうと思っているとしか思えない階段を下りると、そこは何もない小部屋だった。
灯筒で周囲の壁をぐるりと照らすと、闇の中に等身大の群像のレリーフが白く浮かび上がった。描かれているのは古代の服装をした人々で、歴史的に有名な賢者や魔導師であることが、それぞれの持ち物やポーズでわかる。葡萄の高坏と酒杯、天秤、釣り具、果実と小鳥、竜頭の六弦琵琶……。
私はその中の一人、本を持っていて、眠たそうに目を半ば閉じている賢者ノダクの前に立った。
等身大のレリーフなので、本は文字までちゃんと彫られている。記されているのは賢者ノダクが考案した学術分類の階層図だ。
私はその中から「魔導」の文字に触れて微量の魔力を注いだ。
周囲全体が揺らいだ感覚があり、僅かな不快感の後、私はレリーフの小部屋とは全く別の場所にいた。
びっしりと立ち並ぶ灰色の石棚の列と、そこに収められた書と石板。魔導王国が連綿と蓄積してきた魔導に関する知識の集積がそこにはあった。
王宮書院の積層書庫。その魔導に関する階層で、私は魔導王の墓所に関する資料を探し始めた。




