害虫避けの薬草は用法用量の見定めが肝心
正確を期すならば、セイルーン=ガラクト殿下を、私の婚約者と認めたことは一度たりともない。
王子と言いながら実態は、傍系の後妻の連れ子で、王家の末席。
コンプレックスと表裏一体のプライドが、なまじ容姿が良いせいで肥大化して、態度ばかり大きくて度量の小さい最悪な男だった。
魔導王の後継を争うには、彼自身の血筋と魔力がまったく足らないので、彼を担ぎたい母方の親族とその利害関係者が目を付けたのが、公爵令嬢で魔導の才があるものの年頃になっても婚約者がいなかった私だった。実家に冷遇されている売れ残りを貰ってやるのだから泣いて喜べ、というあのクソ男の態度は、思い返すだけではらわたが煮えくり返る。
砕けたアーモンドの砂糖掛けを小皿に置いて、私は手を拭った。
怒りを見せないように、冷静にティーカップを取ったが、カチリと音を立ててしまう。
『どうした。相変わらず取り澄ました顔をして。社交の挨拶すらまともにできぬとは呆れ果てたものだな。こちらを向いて愛想笑いの一つもして媚びてみろ』
セイルーン殿下の嫌な声をうっかり思い出してしまってひどい気分になった。十代半ばで人見知りの激しかった少女時代の私に、この手の暴言を吐き続けた奴を、私は決して許さない。
幸いこのクズは、馬上槍試合での足腰の怪我がもとで後継者争いからは脱落した。当時、奴を担ごうとしていた者達も、対神聖帝国で日々きな臭さが増す情勢の中では、馬に乗って指揮が取れない王子は旗印にしにくかったのだ。
ごり押しだった彼との婚約話が立ち消えたおかげで、私はなんだかんだでバロールに嫁げた。
もうすっかり世間から見捨てられた男だと思っていたのだが、怪我のせいで戦場に行かなかったために、有力な上層部が戦死したり捕縛されたりした戦後の王都で、再び力をつけているらしい。害虫のようにしぶとい男だ。
ささくれだった気分をなだめるために、私はハーブ入りのお茶を一口飲んだ。
ダメだ。ぬるくて酸味と苦みしか感じない。
私はティーカップを静かにソーサーに戻した。
「すっかりお茶がぬるくなってしまいましたわね。いかがです? もう少し落ち着いてお話の出来る場所に参りませんこと?」
穏やかに微笑んだつもりだったのだが、勇者イラーナは、うっかり猛獣の尻尾を踏ん付けた猫みたいな顔をしていた。
§§§
「あの手の老舗の高級店の従業員は口は堅いですが、どこでどう王侯貴族と繋がっているかわかりません。アレが王族と繋がっていて、今それほど権勢を持っているようなら用心した方がよいでしょう」
白い花を咲かせた果樹の下のベンチに並んで座り、その点、こういう私設の療養院の中庭はより安全だと、私はイラーナに説明した。
「私をこんなところにまで連れてきてまだ話をするということは、聞かれると困る話があるのね」
「はい。実はあのゲス勇者がかかわっていると思しき不正について内密にお話しを」
「不正というと?」
「帝国軍の物資の横流しです」
木漏れ日の落ちる静かな療養院で、私達は他愛ないお喋りをしている風を装いながら、あまり大っぴらにはしにくい話を始めた。
実はこのネタは、イラーナとのいきさつをヴァンに相談した折に、彼と打ち合わせた話なのだ。
今回、私は塩以外の物も王都に運び込んでいた。うちのワルドが山賊仕事でハキマーの軍営からかっぱらってきた諸々のうち、バロールで使いにくい物である。私はそれらを塩の販路とは完全に別のいつでも切れる裏ルートで換金するようにヴァンにお願いしていた。
彼はいつも通りあっさり請け負ってくれていたのだが、ろくでなし勇者のスチュワートと出会った日にその話をすると、「万死に値する身の程知らずですね」と真顔で冗談を言い、その後、嬉々として(真顔で)この盗品売買の件は全部、勇者スチュワートに紐づけましょうと提案してきた。
というわけで。筋の悪い奴らを介して流した、明らかに帝国軍の官給品の数々は、雑な偽造書類とスチュワート・ペンドルトンの裏書付きの軍票とセットで発見される手筈になっている。
イラーナがそれを検挙してくれれば、ヴァンの本命の取引筋の邪魔になるあたりの勢力が弱くなるらしい。「すぐに動いていただけると後の段取りが良くなるよう仕込んでありますので、よろしくお願いします」と頼まれているので、ここはがんばって交渉しなければならない。
私が真に迫った誠実さで、偽造軍票が出回っているらしいという話をすると、イラーナは話に乗ってくれた。彼女の従者は懐疑的な姿勢だったが、話の整合性は裏読み前提で整えてある。この後、彼らが調べに行けば実際に裏物資は出てくるので信用はされるだろう。
「本当だとすれば由々しき事態だわ。すぐに調査します」
「はい。行動は迅速かつ慎重になさってください。あまり表立って騒ぐとつまらない障害が増えるやもしれません」
「まかせて、うちのディーノはそういうの得意よ」
イラーナはベンチを立って、つつましやかな花壇のそばに歩み寄った。薄紫色の鈴形の花房を突こうとした彼女の手を私は止めた。
「それは薬草です。かぶれますよ」
「なんで、憩いの場にそんなものを植えるのよ!」
「療養院は病人や怪我人の治療のための薬草も扱うのです。毒と薬は表裏一体ゆえ」
ぎょっとした顔のイラーナに私は微笑んだ。
「くれぐれもお気を付けください。魔導王国は古い国です。からめ手は多うございます」
「ゆ……勇者に毒は効かないわ」
「治癒魔法は経歴への傷には効果がありませぬよ」
「そっちの話だってことぐらい、わかってるわよ」
心配そうにイラーナの様子を見ている過保護な従者が、何か言いたそうだったので私は質問があるなら尋ねてよいと目配せしてやった。
「ありがとうございます、オリヴィア様。……しかし、それを言うなら、貴女の行動は不可解です。貴女がそのようなことを我々に教えてくださるいわれがありません。返礼というにはあの程度のことに対して過剰すぎる」
はっきり言う従者だ。やはり神聖帝国の勇者という身分は歴史浅い。この従者もできる男だが貴族社会で揉まれた身の上ではないのだろう。交渉の仕方が実に直接的で好感が持てる。
「あら、バレてしまいました?」
私は悪戯を見つかった子供のようにクスリと笑った。
「ごめんなさい。実は下心がありますの」
「えっ?! そう、ふーん。や……やっぱりね! 思った通りだわ」
イラーナの従者と私は、こういうところで可愛いのはズルいよな、という思いを共有して、小柄な銀髪の少女に目を落とした。
「なによう。言いたいことがあるならさっさと言いなさい。それであなた、何が望みなの?」
「はい。神聖帝国の勇者であるイラーナ様の人望と権限におすがりして立ち入り許可証を一枚、手に入れていただきたいのです」
「立ち入り許可証って、どこの?」
療養院の中庭の木が風に揺れた。私は王宮地区の方角の空を見やり、傾き始めた日差しに目を細めた。
「王宮書院。魔導王国に伝わる古文書の保管庫です」
数日後、軍の横流し品と不正軍票を扱っていた悪党どもをまとめて摘発したイラーナは、勇者の署名入りの通行許可証を私に発行してくれた。




