甘いお誘い
「王立学院に亡霊が出るという噂を聞きました。何をなさっているんですか」
「いやぁねぇ、ヴァン。私のせいだって決めつけないでよ」
私は本のページをめくる手を止めて、わざわざ宿までやってきたヴァント・ホーヘンスに笑顔を向けた。
商家の使用人風のくすんだ茶色の服を着て、髪形まで変えてきた彼は、公爵家の裏方というよりは富裕層向け商店の御用聞きに見える。用意周到なこの灰色の男は、状況に応じて身なりを変えてくるが、いつでも違和感なくその身分の者として雑踏に溶け込めるレベルに仕上げてくるのは大したものだ。
彼は商人がよく商品見本を入れているタイプの鞄を開けて、小箱を取り出した。
「こちら、ご要望の石です」
「あら素敵。いい色ね」
鮮やかで華やかで内側から燃えるような緑。
私は差し出された宝石ケースに収められた石を、脇に控えていたリラに渡した。
「後でラリーに黒鳥文具店に届けさせて」
「はい。お嬢様」
宝石を見たリラは、ちらりと私の眼を確認し、もう一度、宝石を見て「うへぇ」という顔をした。なんだろう? ヴァンは私の急な要望にも誠実によく応えてくれて、良い石を調達してくれたと思うのだが。
リラはヴァンにもの言いたげな一瞥を残して、小箱を持って下がった。よくわからないが、リラは昔からよくヴァンに対して変に張り合ったりするところがあるから、今回もそのたぐいだろう。
「ラリーというのは、今回お連れになってきている護衛の彼ですか」
「ええ。よくやってくれているわ。筋のいい子よ。こっちにいる間に、あなたちょっと色々教えてあげて。時間があったらでいいわ」
ラリーは初めての王都が物珍しいらしく、空いた時間であちこち見て回っているようだ。そうやって見聞を広める気なら、王都のことに詳しいヴァンに教えてもらった方がいい。危険な場所も避けられる。
ヴァンは「承知しました」と、いつも通り快く私の頼みを引き受けてくれた。
「それで、ヴァン。噂というのはどの程度、どんな噂?」
「大きな噂ではありません。現状では王立学院の知識の塔の警備関係者と学士の間に少しささやかれている程度の不確かな怪談です」
それを仕入れてくるあたり、相変わらずの地獄耳で恐れ入る。
「なんでも、夜中に塔の閉ざされた窓の鎧戸の隙間から、灯火ではない不審な白光が見えたり、どこからともなく響く重々しい鉄靴の足音を夜警番が耳にしたり……そうそう、棺桶の釘を引き抜くような不気味な軋みが聞こえたなどという話もありましたな」
「よし。決定的な姿は見られていないわね」
「お嬢様」
鈍色の鋭い目で咎められた。
「今度から足元には消音用に布か革の覆いを着けさせるわ。それにもう釘抜きがいるような扉は通らなくてよくなっているし」
「明かりの対策には金属の筒をご利用ください。あの魔導の灯りなら小さな筒の内側に灯せば、照らしたい側以外への明かり漏れが防げます」
「そうね。すぐに用意するわ」
「お持ちしました。こちらをお使いください」
ヴァンがいるってこういうことだった。忘れていた。バロールに来てくれないかしら。
「噂の"調整"はしてくれている?」
「はい。すすり泣く女の声や、笑う石像、歩き回る骨格標本の荒唐無稽な話を混ぜて、全体の信ぴょう性を下げておきました。信じるものの知性を嗤うニュアンスを仕込んでおいたので、まともに取り合うものはすぐにいなくなるでしょう」
「うちのラリーがあそこの門番と仲が良くなっているから、必要なら使って」
「ありがとうございます。ですがお嬢様につながりのある人物が直接かかわるのは得策ではないでしょう。こちらで収めておきます」
ヴァンは「一つわからないことが」と眉を寄せた。
「フワフワ揺れる黒い影の目撃談があったのですが、不定形の亡霊も呼び出せるのですか?」
「姿を見られないように、念のために頭からすっぽり黒い布を被らせていたのよ」
バロールの屋敷に余っている黒く染めすぎてしまった布だ。目と手の部分だけちょっと切り目を入れて、額の位置で布紐で留めただけだが、暗闇で見たらいい感じに正体不明になる。
子供がシーツを被ってやるお化けごっこみたいな細工だが、黒騎士の背丈で黒い布でやるとなかなか怖い。
「何かなさるときは、こちらにも事前にお話しくださると対応がとりやすくて助かります」
ヴァンは諦観を感じる無表情でそう言った。たしかに情報共有と連携は重要だ。
私は「気を付けるわ」と約束した。
「それで……というわけではないのだけれど、一つ相談があるのよ」
私は、勇者イラーナがこの王都にいる件をヴァンに話した。
§§§
花びらのような形の可愛らしい器に入った果物の甘煮、平皿にはスパイスの香る焼き菓子とパイ包み。糖衣付きアーモンドは、テーブル中央の花瓶の脇に置かれた蓋のあるキャンディ用の足付ガラス器に入っている。
「さあ、どうぞ召し上がってくださいな」
私は、テーブルの向かいに座る勇者イラーナに、にこやかに菓子を勧めた。
「どういうつもりなの」
神聖帝国の勇者という勇ましい肩書だが、この銀髪の少女はまだ16歳になるやならずだ。綺麗なお菓子にそわそわしながらも、知らない家に連れてこられて毛を逆立てている仔猫のように警戒していて可愛らしい。彼女には、この砂糖菓子店の奥の小部屋が、怪しげな悪の秘密地下組織のアジトにでも見えているのだろうか。花の絵の描かれた白い漆喰壁や、装飾的なランプの下がった天井に、せわしなく目を走らせている。
せっかくラリーが調べてきてくれた店だ。上流階級の子女に人気の老舗なのだから、気負わず楽しんでほしい。このご時世でも営業できている店は貴重で、個室を予約するのはヴァンでも大変だったのだ。
「お礼ですわ。先日、助けていただいた」
私はお茶を注ぎ終わった給仕を下げさせると、小さな蜜入り砂糖菓子と赤いベリーの飴餅の小片を取り分けて差し出した。
ああ、美味しそう。この際、先に食べて見せた方が良いだろうか?
「乱暴そうな男に無体な真似をはたらかれそうになったところを、貴女がお助けくださいました。これはほんのお礼の気持ちです」
「わ、私は別にそんなお礼が目的で何かしているわけではないし……」
「美味しいですわよ。まぁ、こちらは薔薇の香料入りだわ。素敵」
「ちょっと。それ私用に取り分けたのじゃないの?!」
「ふふふ。まだたくさんありますわ。あら、これはナッツ入り?」
私とイラーナは、美しくてよい香りのする素晴らしい砂糖菓子の誘惑に負けて、とりあえず、話より先にまず一巡、味を確認し始めた。
やぁん、この香りと甘さは甘草? 薬屋でも売ってないわよ。リソルのパイ生地にはちゃんとオレンジ水を使っているし、この店、最高だわ。
至福のひと時の後、二人同時に温かいお茶を一口飲み、鼻に抜けていく馥郁たる香りを堪能して一服したところで、イラーナがハッと我に返った。
「私は罠にはかからないわよ! 毒を仕込もうったって、勇者に毒は効かないんだから」
「毒だなんてとんでもない……でもそうね、これはある意味、魔性の毒かしら」
私の言葉に、ほっそりした美少女は、仔猫みたいな目を見開いた。
「つい食べ過ぎて太りそう。間に塩味のあるパテのミートパイを食べてしまうと、また甘いものが欲しくなるのはひどい罠だわ。きっと明日コルセットが締められないって侍女に怒られちゃう。でも、イラーナ様は太りにくいタイプですのね。うらやましいわ。お好きならヌガーをもう一切れいかが?」
「く、くううう」
「イラーナ様、ダメです。グダグダです」
勇者の後ろに控えていた従者が、見かねて口をはさんできた。
若い女主人同士が砂糖菓子店でお茶をする席で、このように従者がその話に口を出してくるのは、とんでもない作法違反だがこの場合は正解だろう。このディーノという名の従者は油断ならない男だが、交渉相手とするならば、番外戦術と言外のニュアンスを読む力がある分、話が早くて助かる。
「イラーナ様が菓子に目がくらんで役に立たないので、僭越ながらお伺いさせていただきます」
明るい茶色の髪をいかにも若い女の子にウケそうなスタイルに崩している優男の従者は、主人が頬張ったヌガーのせいで文句が言えないのを横目で見つつ、慇懃に前に出てきた。
「単刀直入に、なぜ今こちらにいらしたのです? ⋯⋯奥様」
「オリヴィア・バルディとお呼びください。招待状に書いてありましたでしょう? 敬称はレディが嬉しいけれど、イラーナ様からなら敬称なしでいいですわ。コスタリオールの方から参りました。商家の娘なので商用で、と言いたいところですけれども、実際の目的は調べ物ですわね。ルス湖周辺の動植物に興味がありますの」
嘘をつくときは9割真実。言葉選びは適切に、とはヴァンに教わった。彼は有益な物知りだ。
従者のディーノは流石に私に向かって暴言を吐く真似はしなかったが、目が明らかに「なにを言っているんだコイツ」という感じだった。修行が足りない。
「あー……いえ、オリヴィア様。そうではなく」
それでもちゃんと話に乗る気があることを、こうして初めに示してくれる点は評価できる。
「本題はなんですか?」
「お礼ですわ。本当に助かりましたもの。あのようなものが勇者とは、さぞやイラーナ様も頭の痛い思いを日頃しておいででしょう」
「その通り! よくわかってるわね。育ちが悪くて礼節を知らない勇者も困るけど、スチュワート・ペンドルトンは生まれが半端にいいのを鼻にかけていて、権力もあるのが最悪よ」
キャラメルとリンゴ果汁を棒状に固めた金色のリンゴ飴を指先で摘まんで、指揮棒のように小さく振りながらイラーナは口を尖らせて文句を並べた。よほど性が合わないらしい。
隣の従者も眉を寄せている。
「生まれがいいと言いましても、聖都では三流の部類なのですが、こちらで王族の一人と組んで幅を利かせております。軍にも伝手があるようで、咎められないからと神聖帝国の権威をかさに着てやりたい放題でして」
「まぁ、ひどい。そのようなものに手を貸す王族がおりますの?」
魔導王国の王族は、長らく空位の魔導王の座をめぐって仲が悪く、元から四分五裂だ。第一継承者は敗戦の責を負って退任を迫られており、次の覇権をめぐって、ぎすぎすした不毛な争いをしているのは容易に想像がつく。それにしても、あんなゲスな半端者の若造勇者と組みたがるような王族がいるとは思えない。
「たしか、セイルーンとか言ったな。王子らしいぞ。気障な男だった」
私は気が遠くなるような不快感と同時に、深く得心した。奴ならばやりかねない。
セイルーン=ガラクト殿下……私の元婚約者である。
……正確にいうと違うんですが、細かく説明すると長くなるので以下次号!
(気になる方は、タイトル上のシリーズリンクから、短編「花冠の騎士」を参照ください)




