潜入デートは忍び足
夜風すら届かない石の塔の中で、鳳雷鳥の雛のフィヨは古い木の棚板の上でじっとうずくまっていた。
右側には、大きな獣の牙と角のある頭骨。左側には色とりどりの小鳥のはく製。向かいの棚は葉脈と蝶の標本。中が細かく仕切られた木箱に入っているのは貝類だろうか。一つずつ几帳面に小さなラベルが付けられているが、鳥であるフィヨには読めない。棚の下段に並んでいる瓶や壷も何が入っているかよくわからない。生命の抜け殻をこんなにため込んで何がしたいのかフィヨにはわからない。
人の子ならば夜にこんなところに一人でいたら、その不気味さに泣いてしまったかもしれない。しかし雛とは言え、そこは北の霊鳥。闇も標本も、大騒ぎするほど恐ろしくはなかった。
ただ、その場に漂うどことなく酸っぱにがい薬臭さと、ホコリとカビの辛気臭さはフィヨの気分を滅入らせた。
「フィヨ~」
灰白色の羽毛玉から飛び出している赤い飾り羽が、へにょんと垂れた。
フィヨは、すこし身じろいで、目立たないように羽根の下に抱えていた人形をのぞいてみた。この黒いドレスを着た人の姿を模した人形は、ときどき動いてフィヨと遊んでくれるのだが、今夜はまだ動く気配はない。
退屈なので、フィヨは人形をちょっとつついてみた。……人形の目が緑色に光った!
「ふぃっ?!」
『フィヨ、おまたせ。ひと気はないみたいね』
起き上がった人形は、慎重に部屋を見回して様子を確認した。
標本棚の間の通路に虹色の揺らぎが出現する。黒騎士だ。フィヨは人形を背に乗せ、揺らぎの中から現れた鋼鉄の鎧の方にパタパタと飛んで行って、左肩のお気に入りの場所に留まった。
§§§
ガション……ガション……。
人のいない暗い書架の間を、黒い影が幽鬼のように通り過ぎていく。
石の床を踏みしめる鉄靴の足音が虚ろに響く。
『体重はかからないから、そんなに足音はしないと思ったけど、やっぱり金属鎧は音がするわね』
『鎧の中が空洞だから響くのかしら』と無情な考察をしているヴィクトリアに気を使って、黒騎士はより慎重に歩くようにした。彼女に言われるままに、角を曲がり、階段を上って、廊下を進むと、板が打ち付けられた扉の前まで来た。
重々しい青銅の扉だ。
表面には複雑な装飾文様のレリーフがあり、取っ手も草花装飾紋と蛇が絡み合った意匠だった。
『しっかり魔導結界で閉じられているこの扉を、こんなちゃちな木の板を打ち付けて封じるなんて、冒涜を通り越して滑稽なのか、滑稽を通り越して冒涜なのか、わからないわね』
ヴィクトリア人形が小声で何か唱えながら布製の小さな手を振ると、フィヨの飾り羽のてっぺんに小さな白い明かりが灯った。
明かりの下でよく見てみると、打ち付けられている釘は扉の周囲に張られている木製の装飾パネルに刺さっているだけのようだ。青銅の扉や石壁に刺さる釘はないから、体裁を取り繕うように雑なことをしただけのようである。いかにも知識に敬意のない兵士が面倒くさがりながらやったやっつけ仕事という感じだった。
黒騎士は腰のホルスターから釘抜きをさっと取り出した。
後で元通りにしておく必要があるので、余計な傷をつけないように布片を噛ませながら慎重に釘を抜く。
キィキュィィィ。
怪鳥の悲鳴のような嫌な軋み音が、静まり返った塔の内部に響いた。
ハッとした黒騎士は抜けかけた釘の周囲を慌てて手で覆って、きょろきょろと周囲を見回した。
何の音もない。……誰もくる様子はない。
黒騎士はホッと胸装甲をなでおろして、残りの釘にとりかかった。
フィヨの背から降りたヴィクトリア人形は、黒騎士が釘相手に悪戦苦闘している間に、結界の解析をしていた。小さな人形の身体から見上げる扉は巨大で、黒々とそそり立っていたが、魔力が感知できる彼女の視界では、その表面には整然とした魔導紋がキラキラと輝いて見えていた。
『愚者と部外者は立ち入り禁止、って書いてあるも同然の封印の仕方だわ』
単純に学識が必要なだけではなくて、学院の夜食あるあるネタが解除のキーになっている。研究で泊まり込んで三徹したことのあるものだけがこの扉をくぐりなさい、と言わんばかりの封印の仕方に、ヴィクトリアは苦笑した。
板を取り外し終わった黒騎士が、足元のヴィクトリア人形を心配そうに見下ろした。
『大丈夫よ。私、愚者でも部外者でもないもの』
魔導書の資料室を封印した学院の研究バカ共と同類であるヴィクトリアは、人形の手を青銅の扉に当てた。フィヨの灰色の羽毛がパチリと音を立てて、扉が一瞬、真珠貝の内側のように光った。
『開けて』
ノブに手が届かない人形を、黒騎士は優しく両手で抱え上げて、自分の肩に乗せた。
二匹の蛇と花蔦が絡みあった取っ手を握って引くと、扉はゆっくりと開いた。
§§§
「おかえりなさいませ」
バロールの領主館のエントランスに出現した黒騎士を、グレンは「大荷物ですな」と出迎えた。
黒騎士の首元からヴィクトリアの人形がちょこんと顔を出した。
『グレン。これ、うちの図書室に置いておいてちょうだい。順番に読むから』
黒騎士が持ってきた木箱の中には、大量の本が入っていた。グレンには魔導のことはわからなかったが、明らかにどれも古くて貴重そうな魔導に関する書物だった。
「戦利品ですか?」
『必要な参考文献を借りてきただけよ。でもそうね、神聖帝国のバカ共が学院の魔導に関する本を焼こうとしてるんだって。失われないように家で保護してもいいわね』
「なるほど」
『量が多いから何往復か必要だけれど……今日のところは、無理せず板を元に戻して終わりにしましょう』
カタリと肯いた黒騎士の装甲を、人形は嬉しそうにぺちぺち叩いた。
『頼もしいわ。明日からは直接さっきの部屋の中に出現すれば釘抜きはいらないからね。あ、そうそう。グレン』
「はい。なんでございましょう、奥様」
『大きな布を持ってきて。黒いのがあったでしょう? それと木粉と膠』
何に使うのかは聞かずに、グレンは要求された品を用意した。




