慎重にかつ大胆に
夕暮れにはまだ余裕のある頃合い。
知識の塔を出て、王立学院施設への最初の検問のところまで戻ってくると、帝国兵とラリーが親しげに談笑していた。
「あ、お帰りなさい。お嬢様」
入門証の木札を返すと、門衛は入った時とは違うおおらかな笑顔で「勉強ははかどったかい、お嬢ちゃん」と私に声をかけ、十年来の友人のように「またな」と、ラリーに手を振った。
「馬車があちらに待たせてあります。どうぞ」
なにがなんだかわからなかったが、私とリラは無難で社交的な微笑みを浮かべ、ラリーと共にその場を後にした。
「ちょっと、ラリー。あなた、あんなところで何をしていたの? なにあの門衛の反応は」
「ああ、リラさん。お嬢様をお出迎えに来たんですが、僕は入れないでしょう? だから、あそこで待たせてもらうことになったんです。それで、暇だから一緒に簡単なゲームをいくつかして遊んでいたら気に入られちゃって」
「簡単なゲームって?」
「えーっと、道具がなくても歩哨中にできる遊びです。例えば、"25"というのは、数を数えるだけの遊びなんです。1から25までの数字を交互に数えて25を言った方が負け。ただし一人は一度に3個までなら連番で数を進めてよいっていうルールなんですけど……」
「それは二人でやると後攻が必ず勝つのではなくて?」
「お嬢様、魔術師以外の一般人はルールを聞いた瞬間に必勝法を解きませんわ」
「その通りです。バロールの斥候隊だと、新入りはこれで必ず古参からカモられて数字に強くなります」
上の者としては、どう応えていいか相槌に困る話だ。
「ムーア隊長は、この手のゲームにめっぽう詳しくて強いんです。数字の上限をずらしながら先攻、後攻を入れ替えてゲームを進めて、ときどきわざと負けて場をコントロールすると、カモる相手に法則を気付かれにくいとか、色々ためになることを教えていただきました」
組織ぐるみだった。
「それでも、お嬢様は素晴らしく強くて、自分ごときではかなわないと隊長が言ってましたよ」
「うちのお嬢様は悪辣な駆け引きが得意ですものね」
「リラ?」
どこまで誉め言葉のつもりかわからないが、"悪辣"は年若い貴族女性にとって嬉しい言葉ではないことぐらいは知っておいてほしい。
「それにしても、お早いお帰りでしたですね。調べ物は順調に終わったんですか」
「調べられる範囲が思ったより制約されていて本題に手が付けられないということはわかったわ」
動植物に関する博物学はまだなんとか閲覧を許可されたが、歴史が絡んでくると棚ごと不可だった。
知識の塔の美しい大図書室は、膨大な書架の大半に忌々しいロープが張られていた。許しがたいことに棚の中身がごっそりなくなっているものさえあり、オブライトも嘆いていた。
聞けば、学院が神聖帝国の監視下に入ったときに、残っていた学士で団結して知識の保存に当たったのだが、すべては守り切れなかったのだという。何人もの学士が投獄されたり国外に出ざるを得ない状況だったと知り、胸が痛んだ。
そんな状況で苦労しつつも、オブライトは一定の信頼を得るのに成功したらしい。彼の口利きのおかげで私は知識の塔に入れてもらえた。直接、知識の塔に行って単に入門証と推薦状を見せただけでは、一見のよそ者である私では、あの塔の入り口の鎖は解いてはもらえなかっただろう。
塔の中に入ってからも帝国兵の監視付きで、閲覧文書はいちいちチェックされた。それだけならまだしも、こちらが若い女とみて、あれこれつまらない雑談をしてくるのには閉口した。そういうことをされるとリラが気色ばむので本当にやめて欲しい。
結局、我慢の限界になったリラが兵士にくどくどと小言を言い始めたときに、脇の標本室の棚の間に逃げ込んだわずかの間ぐらいしか、私が一人になれる時間はなかった。
魔導関係の資料は歴史書以上に厳重に封印されていて、まったく参照できなかった。
オブライトによると、神聖帝国の司教だか勇者だかが、魔導書は忌まわしい悪魔の書だからと、すべて焼こうとしたので、ここの魔導師が書を守るために総出で結界を張ったらしい。帝国兵は自分達が手が出せない事実を粉飾し、体面を取り繕うために、表面上は鎖や板釘で封鎖した。
結果的に物理と魔導の二重封印となったのは面倒なことこの上ない。
「自然博物誌架も面白いから読みたい本はいくらでもあったのだけれど、早めに切り上げてきたの」
「では僕も王都の見分を早めに終えて、この時間にお迎えに上がっていて正解でしたね」
馬車はその先だと植込みの角を曲がるラリーに、観光していたのかと尋ねたら、彼は二輪馬車を雇うついでに市内を回ってもらったのだと答えた。
「いちいち空いている馬車を探して声をかけるのも面倒なので、一日の稼ぎを聞いて、その倍額で一台貸し切ったんです。なかなか気のいい御者さんで昼食に名物料理の店に連れて行ってもらえました」
などと言いながら、この金髪の好青年は、馬車を停めて休んでいた御者に気安く声をかけて親しげに話し始めた。なんだろうこの誰とでも即座に親しくなれる特殊能力は? 人間もう少し人見知りというものをするのではないだろうか。しないのか、しないのだろうな。うらやましい。
「宿にお戻りになりますか? 女性が男性の同伴者なしでも気楽に行ける流行りの店もいくつか教えてもらいましたから、お時間があるならご案内しますよ」
訂正。計算か天然かわからないが、うらやましいを通り越した。
「ありがとう。気が利くわね。お任せするわ」
私は次の一手を考えることに集中することにした。
§§§
夕食に庶民的だが素晴らしい鴨のコンフィを頂いた後、私は宿の寝台の脇で黒騎士の人形を取り出した。
想いを込めて祈ると、それに応えるように部屋の中に虹色の揺らぎが出現する。
「お待たせしていたかしら。会いたかったわ」
私は現れた黒騎士の手を取った。
「早速で悪いけれど、この後すぐに出かけて欲しいの。大まかな手順はこれから説明するわね」
カタリ。
言葉が話せない黒騎士だが、兜の口元を一度鳴らすのは了承の合図だ。
私は今夜のプランを手短に説明した。
黒騎士は私がいる場所か、本人が行ったことのある場所にならば、この虹色の揺らぎで移動できる。
今日、知識の塔に行ったときに、私は監視の目がなくなったタイミングで黒騎士を呼び出した。
「ここからあの標本室には行けそう?」
カタリ。
「念のため置いてきたフィヨに乗っている私の形代人形を通じて、向こうにひと気がないことを確認してから合図します。向こうについたらフィヨと合流して」
カタリ。
フィヨは霊鳥である鳳雷鳥の雛だ。黒騎士に懐いていて普段は彼と一緒にいるが、私のお願いも多少は聞いてくれる。小さいが保有魔力は桁違いに大きいので、フィヨの背に乗せた私の形代人形を通じてなら、私はその周囲の様子を見聞きすることもできるし、少しなら人形を動かすこともできる。そして、ある程度は魔導術式を解析したり、実行したりすることも可能だ。
つまり、書庫の魔導封印は解ける。
「それからこれ。持って行ってくださいな」
私は黒騎士に釘抜きと金槌を渡した。
「サムソンに借りたものだから、なくさないで大事に使ってね。そうそう! 今日、革具店でこんな小物入れを買ったの。あなたにちょうどいいと思って。ほら、ベルトに着けられるのよ。色々入れられて便利でしょう? これはここに挿せばちょうどいいわね」
黒騎士のベルトにポーチを付けて、脇の工具差しに釘抜きと金槌を入れてあげる。黒騎士は私が矢継ぎ早にしゃべりすぎたために驚いたのか、少しわたわたしていた。それでもポーチを気に入ったらしく、蓋や金具の具合を確認して、満足そうにうなずいてくれる。
「では気を付けて。慎重に。かつ大胆に行きましょう」
私は、我が夫の鎧の頬にいってらっしゃいのキスをして寝台に横たわると、知識の塔内に意識を集中した。
さぁ、夫の鎧がバロールに帰ってきてからの、この一連の怪異にまつわる謎を解く手がかり……必ず見つけてみせるわよ。




