明かせない再会
失敗した。
王都で自由に好きなことができるという解放感で少し羽目を外しすぎていた。
神聖帝国の勇者だと思われる若い男は、男にしては半端に長く伸ばした赤茶色の髪を指先でキザに払い、顎をしゃくり上げるようにして、値踏みする目つきでこちらをじろじろ見た。
私は霧で身を包むようにブルーグレーのケープを閉ざし、顔を伏せてフードを深くかぶり直した。
にやにやしながら近づいてきた勇者と私の間に、ラリーがスッと入ってくれる。
「なんだ、お前。どけよ」
「これは失礼いたしました。お嬢様、往来の邪魔になっております。あちらに参りましょう」
朗らかと言ってよい口調のまま、ラリーは私を背にかばい、片手を上げて通りの先を指した。ラリーの腕が相手の進路を妨害してくれている隙に、リラが立ち位置を入れ替えながら、私を逃がそうとしてくれる。
「おい、待て」
私を見逃がす気がないのか、勇者は苛立たし気にラリーを突き飛ばそうとした。
が、どうやら勇者の手が肩に当たるタイミングでラリーは半身を引いたらしい。手が空振り、勇者は体勢を崩した。
「おっと。大丈夫ですか」
特に転ぶほどよろけたわけでもないのに、ラリーは勇者の身体を支える体裁を装って、その胴にがっしりと腕を回した。そのまま一歩押し返す形で勇者を私から遠ざける。私はその間にリラとその場を離れようとした。
「離せ! こら」
「お怪我はありませんか?」
「ふざけるなコイツ」
視野の端で、勇者の拳が空を切ったのが見えた。
「足元も、どうもないようです」
屈んで勇者の靴と石畳を見るフリをしていたラリーは、顔を上げてニッコリ笑った。
「なにもない場所でよろけるとは、お疲れなのではないですか? 早めにお帰りになって休まれた方が良いですよ」
彼はどこでこんな喧嘩の売り方を覚えてきたのだろう?
顔を真っ赤にした勇者は腰の剣に手をかけた。
「おやめなさい! スチュワート・ペンドルトン」
ピンとあたりの空気を引き締めるような高い声が響いた。
この声は……。
「なにをやっているのです。往来で民間人相手に抜刀しようなどとは! 勇者の剣はそんなことのためにあるのではありません」
ちょうど私達の後ろから靴音高く近づいてくる相手が誰だか思い当たり、私はそっと隣のリラにスカーフを渡した。リラは黙ってスカーフを被る。彼女もやってきたのが誰か気づいたのだろう。
「ちっ、うるせぇガキだ」
「ガキとは何ですか。たしかに私はあなたより年下ですが、勇者という身分としては同格です。適正な敬意と品格をもって遇してください」
「もう三年……いや、その胸の具合ならあと五年ほど後なら女として見てやってもいいぜ」
「私に向かってもう一度そんな口の利き方をしたら、三年後と言わず、二度と私を見られないようにしてやります!」
「イラーナ様、往来での勇者同士の口喧嘩はおやめください」
「なによう、ディーノ。あんた私の従者なら、私が侮辱されたらかばいなさいよ。この役たたず」
相変わらずすぎてほほえましいが、あの勘のいい従者がいるのなら見とがめられるわけにはいかない。
勇者らがもめているうちに、私達はこっそりその場を立ち去った。
§§§
王立学院は魔導王国随一の学術研究機関である。
行政や法務の公文書は王宮の書記局の管轄だし、詩や音楽、哲学の分野は宮廷のサロンの方が先端の議論が活発に行われていたが、こと魔導に関しては王立学院での研究が質、量ともにずば抜けていた。
大きな敷地内に壮麗な建築が並ぶ王城区。王立学院施設群はその西側の一角を占める。
私はいかにも急ごしらえな馬留の手前で、流しの二輪馬車を下り、王立学院のある一角を隔離するように作られた柵に沿って歩いた。このあたりは通い慣れた道だが、こんな物々しい柵は昔はなかった。
私は、魔導王と同種の角を持つ"有角の公女"として生まれてしまったので、いささかいびつな育ち方をした。宮廷サロンで詩を朗読する代わりに王立学院で魔導書に耽溺する少女時代を過ごしたのだ。
私の頭にある小さな角は、社交と美容と家族愛に対しては最悪の効果しかもたらさなかったが、素晴らしく優秀な魔法制御器官であることは間違いない。知性に関しては早熟だった私は、学院で魔導の深淵を存分に学ぶことができた。だから学院には良い思い出が沢山ある。
「物々しい警備ね」
いかめしい帝国兵士が立つ検問に苦笑する。
結婚後も学院に准学士としての籍は残してあるのだが、これでは公爵家の娘ヴィクトリアとしては学院に入ることは無理だっただろう。仮の身分を用意してくれたヴァンには感謝せねばなるまい。
「コスタリオールのオリヴィア・バルディ。ルス湖沿岸の自然史と古代民間伝承の文書閲覧希望ですの。こちらはここの元客員学士だったドライドのローガン先生の紹介状です」
整えてきた必要書類を見せながら微笑む。
戦後の学術機関への立ち入りは政治的な問題も大きいため、敗戦国の貴族籍の者はほぼ不可能だ。特に神聖帝国に白眼視されている魔導関係の名目ではまず許可は出ない。だが、戦争に中立だった第三国で戦後の領土的利害関係も薄い沿海州の都市国家の外国人、かつ政治的要素のない分野ならば、現地の衛兵の気分次第で検問を通れる。この分野では高名なローガン先生の真筆の紹介状をこの兵士がどれだけ理解したかはわからないが、少なくとも、同行するリラが「こちらよろしければ……」と渡した"薬用気付け薬"のラベルが張られたボトルの効果はあったらしい。
笑顔の兵士は、赤い筋が一本入った入場者用の木札を渡し、日没までに戻ってきて、それを返すようにと言っただけで、私達を通してくれた。
「まったくもうあの兵士ときたらお嬢様を見てデレデレと。いやになりますわね。あの鼻の下の伸ばしっぷり!」
「私ではなくてリラにではないの? あるいは単純にお酒が好きとか。あなたがボトルを渡したときに一番ニコニコしていたわ」
「なんにしてもラリーは置いてきて正解でしたね。あの手の男達はラリーみたいな顔のいい若いのがいるといじめにかかります」
「そうなの? 女同士以外に男でも容姿でそういうことがあるとは思ったことがなかったわ」
「お嬢様は人の容姿とその手の卑俗な感情の機微に疎いですからね……」
「あら、そんな風に私を美醜もわからない無粋者みたいに言わないで。今日、リラがしてくれたお化粧は素晴らしいできだとわかっているし、リラはお化粧をしてもしていなくても美人だと思っているわよ」
いつもより頬がふっくら見える明るめのチークに、淡い色の口紅。眉も弱い感じで、今日の私は全体的にソフトな印象の普段と全然違う仕上がりだ。角隠し用に着けた沿海州風の布製のヘアバンドからサイドに流した黒髪は、リボンと一緒にゆるく編んで、胸元に垂らしている。
リラも今日は私に合わせて沿海州風の……こちらはもっとずっと異国情緒が強い化粧で、赤いアイラインが素敵だ。
「それにそのスカーフもよく似合っている」
「あっ、すみません。せっかくお嬢様がお求めになった物をお借りしたままでした」
「あら、あなたのために買ったのよ。そのまま使って」
「!……ありがとう……ございます」
立派な柱が並ぶ大理石造りの大きな身廊を抜けて、回廊に囲まれた中庭を横切る。魔法陣を模した幾何学文様のタイルが張られた八角形の噴水は水が留まっていて、落ち葉が溜まっている。
封鎖された魔導学棟を横目に、こちらも閑散としている自然哲学棟にまず向かう。
「コスタリオールのオリヴィア・バルディ。ルス湖沿岸の植生と汽水域生物の調査で文書閲覧希望です」
「ようこそオリヴィアさん。初めましてかな? 必要な手伝いがあれば言ってくれ。こんな状況だけれども、あなたに良い学びがあらんことを」
学院の研修生の間では親切な万年准学士として有名だったオブライト氏は、相変わらずのくたびれた笑顔で、学院の学士が行う"学びの祈りの印"を切った。昔からパッとしない風貌の人だったが記憶より一回り痩せてやつれている。従軍もせず、追い出されもしなかったようだが、それだけに戦中、戦後に人の減り続ける学院で苦労したのだろう。
私は机を割り当ててもらい、一刻ほど自然哲学棟の書架の資料と標本を閲覧してから、司書役をやっているらしいオブライトに、より専門的な古書の閲覧をしたいと相談した。
「ええっと、それはあるとすれば、知識の塔だけれども……困ったな。紹介状もない初見の人を案内していいのかわからないよ」
「紹介状はあります。門の衛兵さんに閲覧許可もいただきましたわ」
一本筋の入場証と紹介状を見せると、オブライトは驚いて、見開いてもさほど大きくはならない目を丸くした。
「えっ、これ、かの高名なローガン先生からの紹介状じゃないか! すごい。しかも直筆? ご無事だったのか。良かった。お会いしたのかい?」
「いえ、あの……これは叔父が以前に仕事先で偶然先生にお会いした折に、私が女なのにこういう研究に熱心だという話をして貰ってくださったものなので、今、どこでどうしていらっしゃるかは存じ上げないのです」
「そうか。それは残念だ」
オブライトは肩を落とした。しかし、すぐに司書用の棚から用紙を取ってくると、さらさらと慣れた手つきでサインを入れた。
「でも、あのローガン先生が話を聞いただけでここの紹介状を書いたということは、あなたはよほど筋のいい優秀な研究者なんだろう。ほら、これは知識の塔への閲覧申請書だ。ここにサインして。案内するよ」
私は偽の名前を事前に練習したとおりの筆跡で記し、若干の罪悪感を覚えながら、素知らぬ顔でオブライトについて塔に向かった。
黒々と聳え立つ知識の塔の正面入り口には太い鉄の鎖が掛けられ、その両脇には神聖帝国の歩哨が立っていた。
2章で大活躍(?)だったローガン先生は、実はその分野では有名なけっこう偉い学者です。
田舎の農村で農業指導しているとか聞いたら学院の研究者は多分ひっくり返る。




