心配いらないなんて言わせない
石切り場の視察を終えた私は、フォス村の村長宅の寝台で、ゆっくりと目を覚ました。
「ヴィクトリア様」
目の前にはリラの笑顔があった。
「ごめんなさい!」
私はとりあえず、あやまった。
§§§
リラが私の侍女になったのは、私が学院に通うために王都の別邸に移ったときだ。
最初の頃、彼女はとても模範的な規律に従った侍女で……要するに私的な感情を一切表に出さず、定められている仕事だけを黙々とやるタイプだった。
本妻の子とはいえ、当主である実父と公爵領の本邸にいる後妻に疎まれていた私は、公爵家では日陰の身で、配属先としてはハズレだった。
当時、リラは明らかにそのことで落胆していて、私のことを"押し付けられた貧乏くじ"として冷ややかに見ていたように思う。
私も私で、公爵領にいた頃から放置され気味だったこともあり、あまり素直で愛らしいたちではなかった。親族とも疎遠で社交の場にも出されず、貴族令嬢としての最低限の愛想笑いの教育もろくに受けていなかったので、我ながらなんとも不愛想な子供だった覚えがある。
そういうわけで、リラから私への心証はおそらく第一印象から良くなかった。
私達の関係がさらに悪化したのは、ひとえに私のせいだ。
当時の私は、そもそも令嬢としての正しい生活習慣をあまりきちんと身に着けていなかったのだが、王都の学院で学問に耽溺するようになってからは完全に生活が崩壊した。
魔導の研究のために交流を始めた他の学者や魔術師は、昼夜の別や日付単位の日課という常識は、本棚と標本棚の向こうに放り投げてよいと考えている類の者達だったからである。
決まった時間に決められた仕事だけを最低限こなして、あとは私に関わりたくなかったリラにとっては、最悪の時期だったに違いない。
私は夜が更けても就寝せず、日が昇っているさなかに気絶するように机で眠り、まともな食事はろくにとらず、使用人用の間に合わせのまかないのようなもので空腹をごまかして過ごしていた。
公爵家の王都邸はおろか学院のそばに用意された自分用の別邸にすらろくに帰らず、研究室にたびたび泊まり込む私は使用人泣かせだった。
用意を無駄にし、日程を狂わせ、好き勝手している私に、リラは無言無表情で苛立ちだけを募らせていっていたが、そのうちボソリと辛辣な言葉を呟くようになった。
「いい加減に起きてください」
「また食べないつもりですね。死にますよ」
「何様ですか。お嬢様ですね。失礼しました」
これまでの他の使用人と比べて微妙に面白かったので、私はリラに言いたいことがあったら自由に発言してもよいと許可を出した。
「何言っているんですか。そうやって気まぐれで無礼な真似を許すふりだけして、自分の気に入らないことがあったら即座に罰する気でしょう。これだから引きこもりで社交に難のあるワガママお嬢様は。私は騙されませんからね」
「無礼で罰する気があったら、今の時点で罰してるわ」
どうやらリラが私の担当という"ハズレくじ"に回されたのは、リラ本人の資質にもよるところだったらしい。
彼女は私のところに来るまでに、そのシニカルな口と態度で何度かやらかしていたのだろう。彼女の無言無表情は情緒の欠落ではなく、失敗しないための防衛策だった。
「世の中、忌憚ない言葉と汚い言葉を区別できないアホが大半ですから、沈黙しておくのが一番です」
「あなたは区別できてるの?」
「そんなわけないでしょう。私はれっきとした愚鈍な大衆側です。だから黙っているほうがいいんです」
「では、私も区別できない側ね。リラの言葉は汚いようには聞こえないわ」
「……そうですか」
「発音も発声も綺麗よ。私、あなたの声好きだわ」
「びっくりするほど箱入りで世間知らずなお嬢様発言で、びっくりしました」
「それ二回もびっくりっていう必要があるほどなの?」
タガが外れた彼女は、大変に面白い侍女になった。
私から明示的にオーダーされたわけではない慣習的な仕事は、できていなくても罰しないから、好きに過ごしていい。そう保証した上で、何も命じず放置してみたら、彼女は三日ほど本当に何もせずに過ごした。
こちらも好きにできて楽だったので、そのままにしてみたら、顔も見せなくなった。
これは見放されたようだと思っていたら、数日後の朝、突然戻ってきた彼女に起こされた。
「起きないでよろしいのですか」
「え? リラ? 何?」
「本日、ローガン名誉学士の博物学の公開講座が大講堂で開催されますよ」
「ええっ!?」
「以前、興味があるとおっしゃっていたのでは?」
「行く! 聴く! 絶対出席する」
「では、お支度を。みっともなくて臭い学生が最前列中央にいてはご迷惑になります」
「あああ、支度手伝ってぇえぇ」
その後、ログ先生と愛称で呼べるほど親しくなってから、先生に明かされたのだが、その日、最前列中央にいた私は大講堂中で一番清楚で凛としていて賢そうに見えたのだそうだ。
頭は良くても身なりに気を使わない研究者と魔導師見習いの成人男性の真ん中に、十代半ばの小娘がいたらそれは目立っただろう。だるだるのオーバーサイズの黒ローブではなく、濃紺のシンプルなシルエットのドレスに白いレースの襟というリラのチョイスは、見事に当たった。
ローガン先生は講義の後、質問に行った私を子供だからと侮らず、大変丁寧に遇してくれた。
ここぞというときに、きちんとした装いをすると、実力以上の好感度が稼げて得をするということを、私はこのとき学習した。
リラはどういうわけか私のためになることを見つけ出してきては、私をせっついてあれこれやらせ、私はリラに任せておくとなんとなくいい感じになるという経験を重ねた。
「それが信頼の積み重ねというものなのよね」
「なんですか。急に」
「お願いがあるの」
「またですか」
「……リラは私からお願いされるの好きよね?」
「そういう無関係な話は不要ですから用件をお願いします」
こうして、口うるさくて頼りになるリラの存在は私にとって欠かせないものとなった。
§§§
「まったく、ヴィクトリア様も困ったお方だわ」
「なんだ、リラ。昼間っから不機嫌な顔をしていると幸せが逃げるぞ」
水汲みに向かおうとしていたリラは、彼女の水桶をひょいと取り上げたサムソンを見上げて眉根を寄せた。
「逃げるほど元気な幸せは飼ってないけれど……それ、夜なら逃げないの?」
「恋人の腕の中で弱音を吐くのは許される」
「よくもまぁ、毎度毎度そういうキザな言葉を真顔で言えるわね。あなた武器職人で、芸人ではないでしょう?」
「芝居じゃない。君が相手だから言っているだけだ」
「水桶を返して」
「飲用なら川まで降りた方がいい。一緒に行こう」
サムソンは太い腕で大きめの木桶を軽々と持って、リラと並んで歩き始めた。
「また、ヴィクトリア様か」
「お休みくださいと言っておいたのに、性懲りもなくまた魔導人形を使ってたのよ」
強行軍で遠征してきてからの復興指揮で少しは休まないと体がもたないのに隙があると働こうとするから困る、とリラは憤懣やるかたなしといった様子で愚痴をこぼした。
「そういえば、昨日はヴィクトリア様に強制休憩の罰を与えてくれてありがとう。あれで半日大人しくしてくれていたわ」
「いやぁ、鎧を磨かせたのはそういう意図ではなかったんだが、君からありがとうと言ってもらえるなら甲斐があったな」
「ありがとうと言って損したわ」
「口から出たありがとうが損になることなんてないから、どんどん言った方がいいぞ。主に俺に」
なに言ってんだコイツ、という顔をあからさまにしているリラの隣でサムソンは陽気に笑った。
「それにしても、本当にリラはヴィクトリア様が好きだなぁ」
「当たり前でしょ。あんなに綺麗で賢くてカッコいいのにポンコツ可愛くてマヌケに愛らしいのよ。好きにならない方がどうかしていると思うけれど……そうね、それがわかるほどあの方を知っているのは私だけだから私が特別あの方を好きということでいいわ。他の有象無象は別に普通にしていればいいのよ。あなたもよ、サムソン。ヴィクトリア様に私に言うみたいな胡乱な言葉を掛けたらあなたの道具箱のハンマーで頭を勝ち割ってやるから」
「あいかわらずというかなんというか」
リラの舌鋒に苦笑しながら、サムソンは一部が崩れている台地の端の降り道で、彼女に手を貸した。
「俺が屋敷に呼ばれたときはもうそんな感じだったけれど、最初っからずっとそうなのか?」
リラはサムソンの手を取って足場の悪い坂道を下りながら、ぽつりぽつりと返事をした。
「最初からと言えば最初からだけど……そりゃ一目見た時からありえないほど可愛いとは思ったし……思わない? 思うのが普通よね? ベースがあの顔で14歳なのよ! しかも歳に似合わずクールで達観したご様子で、そりゃもう、この世のすべての民が崇拝してよいレベルに神秘的なご令嬢だったわ」
「うーん。あまり想像がつかないなぁ」
「こっちは一応一つ年上とはいえ、平凡で欠陥だらけの小娘でしたからね。そりゃもう恐れ多くて最初の内は決められたことをひたすら型どおりやるのに一生懸命だったわ」
「それでは、あの方相手は務まらないだろう」
「そうなのよ!」
リラは我が意を得たりと肯いて、当時のヴィクトリアは今以上に滅茶苦茶だったと嘆いた。
これは嫌がらせをされているのではないかと一時は勘ぐったし、他の公爵家の使用人の冷淡さも、公爵令嬢相手にしては不自然な感じだったから、きっとこの令嬢は底意地が悪いのだろうと当初は思ったと、リラはサムソンに打ち明けた。
「それは違うだろう。ヴィクトリア様は性格は悪いが、意地悪ではない……いや、たまに怪しいか?」
リラは繋いでいたサムソンの手をひっぱたいた。
「ヴィクトリア様のあれは思考が明後日の方角に向いているから、外から観測すると曲がっているように見えるだけで、実際はとても素直で子供っぽいほどまっすぐなのよ」
たまに理詰めのユーモアが最悪な嵌め技なのは女の愛嬌だと、ヴィクトリア贔屓の侍女は言い切った。
「とにかく、あの方は私の恩人よ」
「ふーん」
リラはサムソンが持っていた水桶を取ると、川の丸石の一つに片足をかけて、数日前と比べるとずいぶん落ち着いた流れの清水を汲んだ。
「生まれや性別による理不尽な制約の下でも、鬱屈して己を殺すのではなく、己の才を磨いて、自分の"好き"を実行できるだけの力を身につけ、自分が何を"やりたい"かを見つけて生きることの大切さを教わったわ」
サムソンは水の入った重い桶を受け取り、リラの腰に手を回すと、軽く持ち上げるようにして彼女を足場の良い川岸に戻した。
「それで今はそういう生き方ができているのか?」
リラは自分を心配そうに上から覗き込んでいる長身の男を見上げてにやりと笑った。
「おかげさまで、全力であの方にお仕えできているわよ」
「なるほど。俺にはよくわからんが、まぁ、わかった」
「それは良かったな」といわれて、リラは嬉しそうにくしゃっと相好を崩した。
「お、何だ何だ、逢引き中か?」
川の上流の方から無神経に現れたのは、髭だらけの山賊顔の男……ワルドだった。
「よお、誰かと思ったら、お前らか。悪い悪い、邪魔したな。どうぞ続けてくれ」
取り返しがつかなく台無しになった空気を手刀でチョンチョンと刻みながら、ワルドはリラとサムソンの脇を通り抜けようとした。
「ワルド……あなた、こんなところで何をしているのよ」
「ああん? ヴィクトリア様を石切り場にご案内してきたかえりだよ。いやぁ、あれもこれもなんやかんやと煩い煩い。大変だよ、まったく。そんなになにもかも気になるなら自分で全部やれ! って言ったら、それもそうね、だとさ。イカれてるぜ」
ワルドは笑いながら、やれやれと気楽に肩をすくめた。
サムソンは隣にいるリラの堪忍袋の緒がつくろう隙もなく切れたのを感じた。
「あんたみたいなのがいるからヴィクトリア様の仕事が増える一方なのよ!!」
「ひょえっ」とわざとらしく悲鳴を上げて跳び上がったワルドは、「こりゃヤバイ、退散退散」と、あまり真剣味のない様子でひょいひょいと逃げ出した。
「待ちなさい! そういえばギリ峠の件でも、あなたには言っておきたいことが山ほどあるのよ、このろくでなしの外道オヤジ!」
「聴こえねぇな。んじゃ、お先に~」
がははと笑いながら去っていこうとするワルドに、怒り心頭のリラは右手を突き出した。
「待ちなさい!」
リラの右手首からジャリジャリジャリっと黒い鎖がまっすぐ伸びて、ワルドを捕縛した。
「え?」
「は?」
何が起こったのか理解できず、目を丸くした男達の前で、リラは鎖の端を掴んでワルドを引き倒し「小娘だと思って侮ってんじゃないわよ」と啖呵を切った。
§§§
フォス村の村長宅の客間で、ヴィクトリアはこめかみを揉んだ。
「それで、その鎖は一体どういうことなの? リラ」
目の前に座っているリラは若干、目を泳がせながら、それでも笑顔で答えた。
「はい。最近使えるようになりました。この間、ちょっと飲み込んでた勇者の呪物の効果かもしれないですね。……えーっと、自在に伸縮できて意外に力も強いので、なかなか便利ですよ」
ヴィクトリアは黙ったまま、その魔力を見通す冷徹な高位魔導師の眼で、手から出した鎖をゆらゆら動かしているリラを、上から下まで三周視た。
「ごめんなさい!」
リラは鎖を引っ込めて、とりあえず、あやまった。
ヴィクトリアは深々とため息をついた。
「勇者の聖珠とそれに封じられた怪異に関する術式の早急な解明が必要です」
ヴィクトリアは参考文献をあたるため王都の学院に行くことを決めた。
次回から、第3章開始。お楽しみに。




