ほっとすぷりんぐ
大騒動のあと、私が現地入りしてから数日。
現地で直接指揮が必要な緊急性が高い案件はひと通り片付けたかな? というタイミングで、私は面白い報告を耳にした。
「あ、いたいた」
黒騎士を探して、対策本部にした村の寄り合い所に顔を出すと、彼は他の者達と一緒に大きな砂箱を囲んでいた。
馬小屋をどこに建てるかを再検討しているところらしい。すっかり変貌した地形を考慮するためだろう。箱に浅く敷いた砂は、新しくできた湖や川の様子を表しているようだ。そこに小石を置いて、ここならどうだ、それよりはこっちの方が、と意見を出し合っている。
黒騎士用の暫定筆記箱のつもりで持ってきた砂箱が意外な役立ち方をしていて面白い。
頭の中で地形をイメージして話すのに慣れていない人が多いので、現物ベースで話ができるのはとても重要だ。状況が刻々と変わるので、新しい報告で全員の認識を同じように更新しないと話が食い違ってしまうからである。大きな紙など調達できない状況なので、こういうやり方は、洗練されてはいないがなかなか便利だ。
私は砂箱の脇に行って、湖の縁を書き換えた。
「ここは、今はもう少し水が引いていて、最終的にはこれぐらいになりそうよ」
さっきフィヨに乗せた人形の目で上空から見てきた最新情報で、砂箱をアップデートする。
フィヨは私の肩から黒騎士の方にパタパタ飛んで、彼の肩装甲にちょこんと乗った。
棟梁も村長も目を丸くしている。
霊鳥の雛なのにも関わらず、フィヨの体型は飛ぶのが不思議なぐらいまん丸いので、この反応は致し方ない。
「鳥瞰……でしたか? 魔導の技というのは便利なものですな」
「フィヨが偉いのよ。魔導師が誰でもこんなことができたら、戦争の情勢は一変しちゃうわ」
「そう……でしょうな」
「ヴィクトリア様が、わしらのご領主で良かったっちゅうことだて」
「領主代理よ」と素朴な信頼に水を差すような訂正をする無粋はやめた。
「ありがとう。私もあなた達みたいに頼りになる人達がいて良かったと思っているわ」
ついでに、水はけを良くするために溝を切っておいたほうがよさそうな箇所や、後々、船着き場にするために今から地盤を整備しておくところも検討しておいてと頼むと、その場の者たちは顔を見合わせた。
「船着き場ですか?」
「土壌が硬くなりすぎる前に、掘るところを掘って、固めるところを固めて、水深があって重い荷車が横付けできるところを作っておいたほうがいいわ。全部浅瀬の波打ち際では水運が使いづらいもの」
「なるほど」
皆は、これはまいったと嘆息した。
「わしら年寄りが三日先のことしか考えておらんのに、ヴィクトリア様は十年先のことを考えておいでだ」
「俺達も目先のことばかりでなく、ちょっとは先のことも見据えて考え直すか」
「ううむ。たしかに後々のことを考えると家畜小屋の位置はここではないなぁ」
「耕作地をどう広げるかから見直したほうがいいか」
「ローガン先生をお呼びして相談しよう」
勝手にいい感じに働いてくれるのは実に頼もしくありがたい。
お任せするからよろしくねと頼むと、私は黒騎士の手を引いてその場から離れた。
山羊の囲いの近くまで来たところで、私は足を止めて振り向いた。ここなら人けもなく、二人で落ち着いて話ができそうだ。
戸惑い気味についてきてくれた黒騎士は、もの問いたげに首を傾げた。
これは彼が質問をしたいときによくするジェスチャーだ。言葉にするとしたら「なあに?」……いや、それでは五歳児だから、もう少し年相応に解釈するなら「なんだい?」だろうか。
最近、だんだんこういう細かいことがわかってきて、言葉がなくてもそれなりに意思の疎通ができるようになってきた気がする。
私は機嫌よく本題に入った。
「ほら、前にあなたの身体を取り戻すための検証をしたいっていう話をしたでしょう?」
黒騎士は少し考えてから、急に勢いよく頷いた。
夜明け前に少しの間だけだが彼の右手が人の手らしくなった件は、彼もよく覚えているようだ。あのときは右手だけだったが、条件を特定して再現できれば、全身を取り戻せる可能性がある。
「バタバタしていて棚上げにしていたけれど、今夜あたりどうかと思って」
ガタリ!
黒騎士は食い気味に頷いた。やはり人の姿を取り戻したい思いは強いのだろう。私は真面目に検証に取り組む意欲を新たにした。
「それでね。全身を温める温度管理検証にちょうどいい案件の報告があったのよ」
カタ? (なんだい?)
「ホットスプリングって知ってる?」
首を傾げたままの黒騎士の後ろで山羊がメェ~と鳴いた。
§§§
ホットスプリングというのは、地下から熱い水が湧き出すところだ。その名の通り熱泉である。
伏鉢山の跡地はえぐれて、山からの水が流れ込んで、色々と大変なことになっているのだが、全部が水没したわけではなくうち一部は盛り上がって土手や島のようになっている。
どうやら幻獣エレバスの切り落とされた首や零れた血肉が土と化したものらしい。
あらためて思うと、何ともバカバカしいほど神代の伝承な怪物を相手にしたものである。この魔導が進んだ時代に扱うには途方もなさすぎる話だが、実際にいたのだから仕方がない。
この目でじかに見たわけでないので正確な魔導特性の解析はできなかったが、総合的に判断するとあの亀の幻獣は、火ではなく大地の属性持ちだと推測される。火炎は地中の熱のシンボリックな顕現だ。口腔内や傷から覗く内部は、土中の岩鉄を溶かした様子と酷似していた。
だからだろう。幻獣エレバスの遺骸は肉としては残らず、すべて土となった。
「でね、湖の中にある島の一つにホットスプリングがあるのよ」
エレバスが大地と繋がっていた部分の名残か、エレバス自身の体内の熱が残っているのかは不明だが、熱せられた水があるようで、その島からは湯けむりが立っていた。時間がたてばただの泉になるか水自体も湧かなくなるのだろう。だが今は、熱湯と言えるレベルかどうかはともかく、湯気が立つ程度の湯が滾々と湧き出ているらしい。
「さっきフィヨにちょっとそこまで飛んでもらって"視て"来たんだけれど、なかなかいい感じなの」
調査と準備に人を出し、問題がなかったので、早速その夜、私は必要なものを揃えて小島へと舟を出した。
§§§
空には満天の星。緩やかに立ち昇る湯けむりがバロールの風で流されていく。
岩の上に置かれた三つ足の篝火台の薪は時折パチパチと爆ぜて火の粉を上げている。
篝火の灯りが揺らめく水面からはゆらゆらと湯気が昇っていて、昏い水の中の己の身体は見えない。
黒騎士は白い岩を背に、一人湯につかってぼんやりしていた。
たしかに温かいがこれでいいのだろうか?
どうも思っていた展開と様子が違った。
たしかにヴィクトリアは、”全身を温めてみたらどうか検証する”と言っていた。温度検証だと。
だがしかし!
こんなところでポツンと一人、延々と湯に浸かっているというのはどうなのだろう?
これで体が戻ったのだとしたら、むしろそれはどういう理屈なのか知りたくなると思う。
ずっと離れていたので気づかなかったが、こうして話をして一緒にいる時間が増えてくるとだんだんとわかってくるところもある。彼女は非常に賢くて、聡いところはものすごく聡いのだが、どこかその……致命的に何か一歩間違えているところがたまにある。主に男女の機微のようなところで。
自分が鎧の怪異だからこのような扱いなのだろうか?
だとしたら悲しい。
黒騎士はずるずるとずり下がって湯の中に沈んだ。
水底だ。
温かく、たしかな感触がなく、包みこまれているような重い浮遊感。
簡単に現実味が溶けていく。
己はいつも水底にいて息一つできない。それが……。
さみしい。
その言葉に行きあたって、ああ、自分は寂しかったのかと気づいた。
なんだ。自分は寂しいと思える程度には人だったのだと安堵する。あるいは寂しがり屋の怪異なのかもしれないが、それは怪異としては上等な部類なのではないだろうか。
ぼんやりととりとめのないことを考えていると揺らぐ水面の向こうに白い影が見えた。
「えええっ、なんで頭まで潜っているの?!」
黒騎士は慌ててザブリと起き上がって座り直した。
兜の隙間から湯がざばあと落ちる。
しまった……いや、むしろこれはしまらない。などと、なんともばつの悪い思いをグルグルとめぐらせながら、黒騎士は泉の傍に立つヴィクトリアを見上げた。
黒い髪を軽く結い上げた彼女はいつもの黒ではなく、白いローブを羽織っていた。
まるで神話の女神のようだ。
具体的に該当する神話も女性の神も思いつかないけれど、なんとなく。
頭からホカホカ湯気を上げている黒騎士の様子を、ヴィクトリアは心配そうに伺った。
「大丈夫?」
カタリ(はい)。
肯いたら、また少し兜から湯がこぼれた。
「どんな感じ?」
ヴィクトリアは泉の縁を周って、黒騎士の方にやってきた。
素足だ!
日ごろ素足の女性など見ることがなく育った記憶を持つ黒騎士はどぎまぎした。
足の爪があんなに小さくて可愛らしいなんてあり得るのだろうか。いや、それを言ったら足自体がほっそりしていて自分とは全然違う。……そりゃ、そういえば今の自分の足は鉄靴だけれどもっ。
思わず湯の中で無骨な真っ黒の甲冑の足をもじもじさせていると、チャプンと水音がした。
もしかして彼女が入ってきたのかと、はっと顔を上げた黒騎士だったが、残念ながらヴィクトリアは泉の傍に座って手を軽く湯に浸けただけだった。
「それほど熱くはないのね。熱すぎて具合を悪くしたのではないかと思って心配したのよ」
心配させるようなことは何もないことを示すために、黒騎士はしゃきりと姿勢を正して座り直し、湯気の向こうをまっすぐ涼やかに見通すフリをした。全身鎧の姿であるというのは何かと不便ではあるのだが、表情を取り繕う必要がないという点では、こういうとき本当に都合がよい。
鎧の基本の造形が良いので、変なことさえしなければいくらでもカッコがつけられるのだ。
だが、そのカッコつけは長くは続かなかった。
隣で衣擦れの音がして、白いローブが岩の上に落ちた。
彼女の白い足が自分の隣に入ってくるのを感じて、黒騎士は激しく狼狽した。
これは! こういうのは大丈夫なんだろうか? いいよな? 彼女は妻なわけだし。
いいのか? 彼女は領主の妻だが、今の俺の妻ではないぞ? 妻ということにしておきたいが。
この場合、なんと言えばいいんだ? あっ、何も言えないのか。それは助かる……助からない?!
混乱して硬直したまま、黒騎士はゆっくりとヴィクトリアの方に、兜をギシギシと回した。
ヴィクトリアは白い薄手の衣を着ていた。装飾のないシンプルなものだが、とにかく着ているし裾も長い。
ほっとしたような残念なような心持ちで、黒騎士は湯に入ってくる彼女が転ばないように手を差し出した。「思ったより深いのね」と、ゆっくり歩を進めてきたヴィクトリアは、黒騎士が手を取って自分の方に引き寄せるより前に、浅いところで座ってしまった。
残念なようなほっとしたような心持ちで、手を離そうとすると、彼女がその手を握り直した。
「ねえ、思うんだけれど、やっぱり前よりも手が手らしくなっているわよね」
こちらの手のひらを両側から両手で挟んで握ると、揉んだり擦ったりしてくる。手を引かれる形になった黒騎士は、仕方がないのでもう少し彼女の近くに寄った。
小さな篝火の灯りに照らされた彼女は美しかった。
「エレバスと戦った後から、だと思うのだけれど」
こちらを見上げているきらめく瞳、艷やかな黒髪に縁取られた白く滑らかな頬はほんのり上気している。
そしてその唇。
どうしてこんなに惹きつけられるのだろう。
「なにか思い当たることはある?」
カタカタ(いいえ)。
答えてから、質問をよく聞いていなかった気がして焦ったが、幸い彼女はこちらが上の空だったことには気づかなかったようだ。そのまま、魔導理論に基づいた難しい推論を滔々と語り始めた。
認識による事象の確定だの、意識体と物質の意味的連動だの、極めて専門的な話は、鎧兜のスリットの隙間から右から左に抜けていってしまって、まったく理解できなかった。でも、彼女が夫であるバロール領主の人の姿を取り戻すことに、本当に真剣に取り組んでいるのだということはよくわかった。
この彼女の気持ちに自分は誠意を持って応えねば。
そして、それはそれとして、”ありがとう”と"そんなに頑張らなくてもいいよ"のハンドサインは早急に取り決めたほうが良さそうだ。筆記できない環境でそれを伝えられないと……彼女が止まらない。
「そうそう。その解析と応用のついでに灯りの術式も創ってるのよ。あると便利でしょ」
カタリ(そうだね)。
でも、今は肯くだけでもいいな、と黒騎士はいつになく饒舌な彼女を見つめた。
可愛いな。もう少し近寄っても怒られないかな。
怒らなくても驚かせてしまうかもしれない。それは嫌だな。
そんなことを考えていたら、彼女がふと思い出したように唐突に違う話を始めた。
「それからね。私、あなたが魔物かどうかなんて悩むのはやめにしたの」
カタ? (え?)
「だって、あなたはあんなに途方もない相手に、私と一緒に立ち向かってくれたのですもの」
チラチラ揺れる篝火に照らされながら、黒髪の美女は焔のような強い眼差しをふっと細めた。
「悪い怪異ならバロールのためにあんなことまでする必要はないし、できるとも思えない」
だから信じてもいいと思った……と彼女は続けた。
「たとえ最後に私の期待が裏切られることになったとしても、それはきっとあなたの本意ではないはずだから」
三つ脚の台座の上の篝火の薪が崩れて火の粉がパッと散り、灯りがすっかり落ちてしまった。
「あら」
いつも通りの抑制された落ち着いた声。何事にも動じない優秀なヴィクトリア。
だが今なら少しわかる。ずっと自分の手を握っていた彼女の指に微かに力がこもった。
彼女は鎧も兜も着ていないけれど、その分とても上手に見栄を張る。
黒騎士は暗がりの中で引かれた手を握り返し、彼女をぐっと抱き寄せた。
「あ……」
風がふわりと水面を舞った。
降るような星が輝きを増した。
でも、貴女が居れば、星も風もない闇の底でも構わない。
熱く火照った彼女の身体を両腕の間に収め、黒騎士と呼ばれる存在は、自分が昏い淵と繋がっているのを感じた。
「暗いのは嫌い?」
胸のすぐ前に、白いほのかな明かりが灯った。
灯火の術式。いや、これは純粋な光で火ではない。
「綺麗でしょ?」
カタリ(そうだね)。
白い光は、彼女と自分の胸の間で呼吸をしているみたいに緩やかに明滅した。
黒騎士の意識は否応なく白い明かり……が照らし出しているものに吸い寄せられた。
「これは火属性ではないのよ。火の属性を備えなくても火のように輝くことはあると気づいたの。ほら、火属性って贄を消耗するから術式として長時間使うものには向かないのよね」
ヴィクトリアは楽し気に白い光を降下させ、湯の中に沈めた。
光は水中でも消えることはなく、キラキラと輝きながら暗かった泉の中を照らした。
水中でゆらゆらたなびいている白い衣の裾や、その下の肉感的な太ももまでくっきりと。
喉もないのに首元の装甲が鳴った。
§§§
バカもたいがいにしろ!
「……と怒鳴りつけられないとわからない方ではないですよね」
存分に怒鳴りつけても、一応表面的な体裁は取り繕ってくるあたりが、一流の武具職人のサムソンの偉いところだった。
「これを、ああしたら、こうなる。一つ先のことをちゃんと道理を考えて行動を決めるのが職人仕事では大事だといつも言っているでしょうが」
鎧仕事に関しては師匠と仰ぐ名職人から、朝一番にきついお説教を喰らって、ヴィクトリアは徒弟の子供のようにキュッと身を縮めて「ごめんなさい」と素直に謝った。
「なにが含まれているかわからない鉱物泉に鎧を長時間浸けるなんて狂気の沙汰だ。今回はたまたま影響が出にくい泉質だったからよかったようなものの、これが硫黄や塩が多い水だったらボロボロになってますよ」
「ううう。反省しています」
とにかく、まずは徹底乾燥!
柔らかい布で水分をふき取って、風通しの良い場所で自然乾燥!!
元が黒いので黒錆だか何だか判りづらいが、やばそうなところは丁寧に磨き布で整える。
乾燥後は薄く薄く油を塗って保護膜を作る。
魔法は禁止。手作業で! 丁寧に!! 己のしでかしたことを反省しつつ全部品やれ!!!
「それが終わったあとの最後の可動部の動作確認と革製品の確認と補充は俺がやる」
そう言い残して去っていったサムソンの厳つい後ろ姿を見送って、ヴィクトリアはしょんぼりと、天日干しされている黒騎士のところに向かった。
その日、黒騎士は、”ありがとう”と"そんなに頑張らなくてもいいよ"のハンドサインは早急に取り決めようと、あらためて決意した。
ほっとする温かさの心弾む春がバロールにやってくる。




