かつて辿った道、いま拓かれる道
昨夜、黒騎士は一晩中、私のそばにいてくれた。私は彼がそこにいるというだけで嬉しかった。
その日の出来事の報告が終わっても彼にもう少し一緒にいて欲しかったので、私は身を守るおまじないをかけると言って彼の手をとり、鎧全体にとても面倒で詠唱に時間のかかる強化術式を施した。結局、彼は私が眠るまでずっと手を握ってくれていた。
朝、黒騎士がタキリに行ってしまった後、私はなんだか淋しくなってしまって、ベッドで彼の形代人形を手にボンヤリとしていた。
不意にざわりと悪寒がした。彼の身に何かあった。
私は意識を集中した。
……ゴーンゴーンと鐘の音が聞こえる。
視界は暗くて灰色……なのはフィヨの羽毛か。私はフィヨと一緒に鎧の隙間から顔を出した。
正面にはガラ大山脈を背にした大きな鐘楼があった。タキリの大通りだ。
左の脇道から大勢の男達が逃げて来る。タキリは河の南岸。何か起きたのは下流側か……?
走る人々の後ろに、私はありえないものを見た。
家並みの向こうから突き出ていたのは、獅子ともトカゲともつかぬ異様に巨大な銀色の頭部だった。
牙のある裂けた口吻。瞼のない銀色の丸い眼。鱗に覆われた太くて長い首。
"鱗のある獣"。
『状況確認。フィヨ、飛んで!』
フィヨ!
黒騎士の鎧の隙間から、雛は私(の形代人形)を乗せて飛び立った。この体形ではどう考えても飛べるわけがないのだが、そこは霊鳥。フィヨはたちまち町の鐘楼より高く昇った。
怪物は、町のすぐ下流の水路工事現場付近にいた。
大きくもたげた首と、反らせた上半身を支えているのは、ヒレではなく力強い前脚だ。その後ろには背びれのついた太い胴体が長く伸びている。
大きい。体長は20ヒロ以上、ヘタをすると30ヒロ近くありそうだった。
あんなものが暴れたら町は壊滅する。
巨体を包む濃い魔力の気配が高まる。
それはただの生き物ではあり得ない水撃をこちらに向けて放った。
化け物め。威嚇のつもりか。
フィヨの真横で鐘楼が崩れ落ちていく。いくら鳳雷鳥でも小さな雛のフィヨでは、あんなものが直撃したら無事では済まないだろう。
だが連射はできないらしい。
今のうちにと下を見ると、ちょうど私のすぐ目の前にある大屋根の上に虹色の揺らぎが発生して、その中から月魄に騎乗した黒騎士が現れた。
よし!
私とフィヨは黒騎士が差し出した手の上に舞い降りた。
鳳雷鳥由来の魔力がきらりと金色の閃光を放つ。そこから波紋が広がるように、黒騎士の全身に金色の不壊の強化魔導紋が浮かんだ。
『撃退せよ。タキリは我らが町。魔獣ごときに荒らさせはしない!』
威勢よく啖呵を切ったところで、私ははっとした。
しまった。黒騎士は丸腰だ。
黒い柄の槍は穂先を付け直すからと館の工房に預けてしまったし、私のグレイブは渡していない。
その時、河岸から声がかかった。
「旦那! あんたの武器だ」
さすがサムソン! あなた、最高の武器職人だわ!!
黒騎士が手綱を操ると、月魄は立ち並ぶ家々の屋根から屋根へと軽々と駆け降りた。
「受け取れ!」
サムソンが力いっぱい投げた武器を、黒騎士は空中で掴んだ。
それは一見、剣のようだったが、刃がついていない鉄棍らしい。
だがそれで十分!
私はそちらにも術式を展開した。黒騎士の手を伝って鉄棍に金色の魔導紋の輝きが奔る。
鱗のある獣がたてた大波が迫る。
『戒めの儀に従いて、我、統御せり』
詠唱に伴い形代人形越しに私の力が理を書き換えて、水の支配権を水妖から奪い取る。
『集まれ、鎮まれ、定まれ。そは我が礎。不動定置』
波頭の形を保ったまま真っ白に凍結した波を力強く蹴って、月魄は河の中央に座す怪物に迫った。
月魄の接近を嫌った怪物はもたげた鎌首を大きく振り、前脚と尾鰭で水を跳ね上げた。
だが弧を描いて飛んだ飛沫と波は私の支配下に入る。鱗のある獣の巨体のぐるりを巡るように、白い路が螺旋を描いて延びる。黒騎士を乗せた月魄は、渦巻く白い靄を切り裂いて、恐れげもなく氷の空中回廊を駆け上がった。
巨大な怪物の裂けた口が開き、その牙の間で青白い魔力光が渦を巻いた。
水撃だ! だが魔力収束が甘い。あれなら先ほどのような威力はない。
案の定、放たれた水撃は先ほど鐘楼を崩したほどの威力はなかった。しかしそれは比較の話に過ぎない。すさまじい水流は、私達を狙って怪物の頭部が旋回するのに合わせて河岸をえぐり、作業現場の作りかけの堤を打ち砕いた。
のたうつ腹と尾が起こした大波が崩れた堤と関を壊し、作り始めたばかりでろくに掘ってもいない水路に水が流れ込んで、組まれていた足場を押し流す。
町に被害が出ない内に、こいつをなんとかせねば!
怪物の頭より高く達した氷の回廊の最上部を蹴って月魄が跳躍した。
水撃が途切れた口を開けたまま怪物がこちらを仰ぐ。
怪物の真上で月魄は虹色の揺らぎに消え、虚空に身を躍らせた黒騎士は両手で鉄棍を振り上げた。
フィィィィィ!
黒騎士の肩から舞い上がった鳳雷鳥の雛の飾り羽が揺れ、大気に雷の気が満ちた。
『撃て!』
天からまっすぐに落ちた雷撃をまとった鉄棍による黒騎士の渾身の一撃が、怪物の眉間を強打した。
§§§
「奥様、薬草入りのイラ湯をお持ちしました」
「……いただくわ」
私はベッドにいる自分に意識を戻し、花鳥紋の入った白いカップを受け取って、熱くて青臭いトロリとした薬を大人しく飲んだ。
§§§
「いや~あ、さすが黒騎士様だ。あんな化け物を一撃で追い払っちまうとは、てぇしたもんだ」
黒騎士は、河から上がってきたところで、岸でハラハラと見守っていた男達に歓呼の声で迎えられた。
「スカッとしたぜ。化け魚のやつ、大慌てで逃げていきやがった!」
「奴め、あんまりびっくりしたせいで、俺達の掘った水路を帰り道と間違えて行っちまった」
「バカな奴だ。あの先は水のない荒れ野だ。いくら化け物でもそう長くは持つまいて」
人々は怪物の去っていった南東の方を見た。
堤と関を壊した怪物は、割れた根付きの大岩を押しのけて、作りかけの水路の方に入り込み、そのまま前脚で這いながら大きく体をくねらせて逃げて行った。その巨体がもたらす破壊はすさまじく、ケトゥスが通った後の大地は大きくえぐれ、土砂は左右に押しのけられて、もともとタキリで作ろうとしていた水路よりずっと幅の広い溝がえんえんと刻まれていた。
「用水路を作ろうとしていたら、運河ができちゃったな」
「いやいや、こんなでかい支流ができてもナジェールの流れと逆方向じゃないか、水は登らないよ」
「まっすぐ南に行ってくれりゃ、結構いい感じに使えたのになぁ」
「そこが畜生の浅ましさよ」
「知ったような口を利くなよ」
助かった安堵で、わいわいと軽口を叩く男達の真ん中で、黒騎士はケトゥスが去った南東の方角を見つめていた。
「ああっ、居た居た。黒騎士殿!」
「すみません。通してください。先生、こちらへ」
人をかき分けてやってきたのは、ラリーに護衛されたローガンだった。
ローガンは黒騎士のところまでやってくると、彼の腕の装甲をつかんだ。
「黒騎士殿、まだです。奴は逃げたのではありません」
§§§
「まだよ。まだ終わっていないわ」
私は薬湯を飲み下し、膝の上に広げた紙を睨んだ。
散らばった紙に書かれている本やタペストリーから抜き書きした絵や伝承の文言が一つの可能性を示している。
§§§
「"命の源の谷で生まれた白銀の魚は雫のように山を下り湖水で育ち、海に至ったのち長い年を経てまた戻ってくる"……フォス村近隣に伝わる伝承です」
ローガンは真剣な眼差しで黒騎士を見上げた。
「鱗のある獣……ルス湖の怪魚ケトゥスは、その昔、枯れ底がまだ湖だった頃にそこで育ち、海に追われたんです」
ローガンは断言した。
「ケトゥスは故郷に帰ろうとしています」
物語の舞台は再びフォスへ。
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現在地は⑤。フォスは④
-[簡易地図]----------------------------------
^^^^^^^^^^ガラ大山脈^^^^^^^^^^^^^^^ ↑北
~~^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
~ルス湖==⑤=ナジェール河=====
~L_____」^ ↓ |ルオ^^^
~| デボン^ 魚→ -------- i △ Lボ川^^^
~L 山地^ 荒野 ④^トールス
~L^^^ ③#^^^山系
~L^^^ ①領主館 ▲②▲▲▲▲^^
~~L^^▲ ギリ峠 ▲▲エンデミール大森林▲
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~:海、^:山、▲:森、#:沼、△:伏鉢山
i :杖岩(枯れ底)、--:古い川の痕跡
②貯木場、③トリル村、④フェス村、⑤タキリの町




