【7.指輪の噂②】
さて、ドリーローズのほうも、この指輪の噂で注目を浴びていた。
ドリーローズは、あんな女たらしのブラッドレイを夫にしている妻ということで、だいたいの貴族のご婦人たちからは同情的な目で見られていたのだが、あんな女たらしの夫から店一番の高額な指輪を贈られたというのは、一体どんな事情があるのだろうと好奇な目で見られていたのである。
指輪をやるから浮気を許せ、という免罪符?
逆に、ドリーローズの方から浮気の見返りに要求した? おとなしそうな顔をして?
……それとも、まさか本当に妻を大事にする気になった?
とはいえ、そんな噂の渦中にいるドリーローズだったが、最初に『おまえを愛することはない』と宣言されているので、自分自身に愛される価値を見出してはいなかった。
だから、あの指輪は色恋営業マンへの『手切れ金』だということを信じて疑わなかった。夫は、ただその場にあった一番高額な指輪を買い、それをもって詐欺師の営業を終わらせただけだ、と。ドリーローズとしては、指輪に、それ以上の理由は何も見出せなかったのである。
……まさか夫が、商人に対して「自分の妻を誘惑するなどけしからん」とこっそり思っていたとは、露にも思っていないドリーローズなのだった。
だから、お茶会などに出席すると、周囲のご婦人たちから、なぜそんなに夫からの指輪のことについて興味津々に聞かれるのか、不思議でたまらなかった。
ドリーローズは、人に自慢するような話でもないので、いたってつつましやか返答するだけだった。
「ちょっと商人から高額な指輪を買ってやる必要があっただけですわ。間違っても、愛情の印なんかではありませんの。そんな高価な指輪、私には似合いませんしね」
しかし、そんなセリフに周囲は納得するはずもない。
「いやー、だって、あのブラッドレイ様ですよ? あっちこっちで美女たちと浮き名を流していた方よ。妻とはいえ、急にあなたみたいな――失礼ですけど――地味な方に、プレゼントする気になるなんて、何か心変わりがあったんじゃないかと勘ぐってしまいますわ。ついに年貢を納める気になったのか、とか」
「まさかあ」
ドリーローズは笑った。
それで、素直に言った。
「私がね、商人の色恋営業に騙されそうになっただけなんですのよ。それに気づいた聡明なブラッドレイ様が詐欺師を撃退するために、そんな芝居を一つ打ってみただけなんです」
「いやだから、そんな自ら詐欺師を撃退するような方ではなかったから言っているのです。妻が詐欺に遭っていても、笑い飛ばすような方ではありませんか」
噂好きの太っちょなご婦人がそう言ってくるので、ドリーローズとしては、逆に不安になった。
そんな状況、笑い飛ばすような方がちょっとおかしい。だって、私が家のお金を散財するようなら、夫として止めなくちゃいけないわ。
「さすがに妻が詐欺に会うのを未然に防ぐという点では、良識ある夫だったんじゃないでしょうか」
ドリーローズは柔らかく反論した。
しかし、ドリーローズに詰め寄る周囲のご婦人たちは、追求の手をなかなか緩めない。
「まぁ指輪の事はそれでいいわ。他には何かプレゼントされたものはあるんですの?」
「というか、ブラッドレイ様の浮気については、やっぱり目を瞑っていらっしゃるの?」
「結婚後はどんな頻度で女遊びをしているの?」
「浮気されると、やっぱりたいへん?」
ドリーローズは苦笑した。
「それがね。最初に堂々と浮気宣言をされましたから、私もけっこう覚悟していたんですけれども、今のところあんまり苦しむことはないんですの。初めからあきらめてるからというのもあるんですけど。ブラッドレイ様が生活には女の影をあまり持ち込まないようにしてくださるので。けっこう平穏に毎日暮らせています」
「ブラッドレイ様が女の影を持ち込まない!?」
ご婦人方はありえないという顔をした。
「でも、最近確かにあんまり他の女性と一緒にいるところを見ない気がするわ。昔は女性に取り囲まれているくらいの勢いだったのに」
「それはやっぱり奥さんに遠慮してるということかしら」
「新婚だから?」
みんな首をひねっている。
それから、胡散臭そうな目でドリーローズを見た。
「あなた、もしかして、愛されてるんではなくて?」
「まさかあり得ません。『おまえのことは愛さない』とはっきり言われましたからね」
ドリーローズがはっきりと否定すると、それにはご婦人たちみんなが納得顔になった。
「うわっ! 最低な夫ですね。でも、確かに、それくらいのことは平気で言いそうな方よね、ブラッドレイ様って。ってことは、いつものブラッドレイ様ってことか……」
「そんなに夫は変わったのですか? 以前の夫をほとんど知らないので見当がつかないのです」
とドリーローズが言うと、ご婦人たちは困ったようにうーんと唸った。
「変わったのよ、雰囲気が。どこがどうとは言えないのだけど。なんか前はもうちょっと女性にアグレッシブだったような? いや今も女性にはよく話しかけてらっしゃるんですけど、うーん、何か違うのよねえ……? それで、妻に高額の指輪でしょ? 何か変化があったのかなあって……」
それを聞くとドリーローズも一緒になって考え出した。
私は普段家の中ではブラッドレイ様にほとんど絡まないから、そんな変化、いったい何のせいなのかは見当がつかないわ。
そのときドリーローズはピンときた。
「あ! ハンプシャー公爵夫人と旅行に行くと言っていましたわ! さすがに妻のいる身ですから気が咎めたのかもしれませんわね」
ドリーローズは、昨晩ブラッドレイから告げられた様子を思い出しながら言った。
ブラッドレイは、いつもはどことなく自信満々なのに、昨日はひどく打ちひしがれた様子でドリーローズの前に現れた。そして、バツが悪そうに項垂れながら小声で言ったのだ。
「ハンプシャー公爵夫人の強い希望で、彼女の旅行に帯同することになった……。正直気は進まないが、いろいろあって拒否するわけにもいかないから……」
もごもごしていて語尾は聞き取れないほどだ。
ブラッドレイとしては、妻が恋人候補をつれてきたりとか、せっかくあげた指輪を身に着けてくれないとか、細々とした心労があったので旅行など勘弁してほしいところだったのだが、夫の悩みなどまるで気付かないドリーローズはこの旅行も『浮気宣言』の延長に捉え、「ああそうですか」といった感じだった。
「お家の評判が落ちるようなことだけはなさいませんように」
とドリーローズが淡々と答えると、ブラッドレイはその突き放した言い方に情けない顔をしたが、ドリーローズは意にも介さなかったのだが。
ドリーローズが、その『夫の旅行』のことをその場のご婦人に告げると、
「え?」
とご婦人たちは驚いた顔をした。
「ハンプシャー公爵夫人……? それって……」
何やら皆、気まずそうな顔になっている。
ドリーローズはきょとんとした顔になった。
「どうしたのですか、皆様? 私は結婚当初から浮気宣言されていますから、別にそんなに気にしていませんけど」
「あー……」
ご婦人の一人が困ったように宙に目を泳がせた。
「ハンプシャー公爵夫人が相手でしたら……ちょっとその浮気、長引くかもしれませんわね?」
ドリーローズはそれを聞いてもう少し説明が欲しくなった。
「あの、それってどういうことですか? ハンプシャー公爵夫人ってどんな方なんです? 私、田舎暮らしが長くって社交界の噂には疎いものですから」
ご婦人たちは居心地悪そうにそわそわしながら、互いの顔をちらちら見ている。
誰か代表して、この不都合な内容を説明してくれないかなといった様子だ。
一人のご婦人がきまり悪そうに口を開いた。
「ハンプシャー公爵夫人はたいへん美人な方よ。背も高くってすらっとしてて、豊かな金髪はどなたにも負けないわ。教養も素晴らしくって、どんな殿方とも対等にお話になるし。そうね、国王陛下もよく話しかけてらっしゃるわ。国王陛下はまだ独身のとき、ハンプシャー公爵夫人と付き合っていたと噂よ」
「あら、そんなすごい貴婦人と、うちの夫がなさぬ仲に?」
夫に興味のないドリーローズが感心して言うと、まわりのご婦人はシーンと押し黙った。
それから、一人が遠慮がちに聞いた。
「不快ではないの? あなたはそんな貴婦人と比べられているのよ」
「別に! それよりも、長引きそう、と皆さんが心配してくださるのに驚いているのよ。ただの浮気で済まないってことですか?」
ドリーローズが聞くと、ご婦人の一人が言った。
「ハンプシャー公爵夫人はモテますけど、恋仲になった男性とはちょっとエグイ感じになりますの。少し前はイケメン貴公子のジェラルド・ゴルトベルク伯爵と恋仲だったんですけど、外国に駆け落ちみたいな感じになって、そこで2年ほど一緒に暮らしていらっしゃったわ。お二人的には社交界で忘れ去られるのを待っていたのかもしれませんけど、最終的に家の名を気にした旦那様のハンプシャー公爵が迎えに行って、駆け落ちは終了したみたいですけどね」
「ああ、それは……」
ドリーローズもさすがに駆け落ちまでは視野に入れていなかったので、驚いた。
「それに、ハンプシャー公爵夫人って、社交的な方ではあるんだけど、気の強い方でいらっしゃるから、私はちょっと苦手なのよね……」
別のご婦人が言いにくそうに付け加えた。
ドリーローズもまわりのご婦人たちも、なんだか不穏な感じになって黙ってしまった。
そのうち、一人がぼそっと、
「……。ハンプシャー公爵夫人と特別な関係になったのなら、確かにブラッドレイ様の様子が変わってもおかしくないか……」
と言うと、まわりのご婦人たちは同意するように大きく頷いたのだった。




