【5.高価な指輪】
それから数日は『ジェラルド・ゴルトベルク』という名前に振り回されたブラッドレイだった。
真っ先にドリーローズにその名を問うたが、ドリーローズはポカンとしている。
「知ってはいますけど、その方が何か?」
ブラッドレイは拍子抜けしてしまった。
それで次に『ジェラルド・ゴルトベルク』の周りに聞き込みを入れた。
しかし、その筋からも『ドリーローズ・エッセンフィールド』や『ドリーローズ・トレボロー』の名前は出てこない。
あれ? 『ジェラルド・ゴルトベルク』は本当にただ夜会で話しただけに過ぎないのか? 心配することは何一つないのだろうか?
しかし、ドリーローズは外に恋人を作ると宣言している。
いや、別に恋人を作るのはいいのだ、そういう約束なのだし……。
ただ、ほら、『ジェラルド・ゴルトベルク』を恋人にするなら、ちゃんと俺の方からも調べてやらんといかんということだ。
国王陛下の覚えめでたいのは結構なことだが、公爵家次男で個別に伯爵の爵位をもらうなど、どういう経緯かちゃんと調べてやらないとね。
そう、そういうことだ。
少し気持ちが落ち着いてくると、今度は、取り乱して置き去りにしてしまったナターシャへの仕打ちが恥ずかしくなって、頭を抱えるブラッドレイだった。
うーん、何を俺は焦っていたのだろう? なぜかあのときは、あのままナターシャの側にいる気になれなかったのだ。
だが、俺は王宮に名を馳せたプレイボーイ。
いかんいかん。女を抱くときは本気で抱くのだ! 邪念を捨てろ! 妻なんか関係ない。あれは同盟のための契約妻。外に恋人を作ると双方同意済み!
それなのに、俺としたことが、ナターシャにおあずけさせてしまった……。
なんてことだ。俺の腑抜けめ!
俺のプレイボーイ伝説はもうこれで終わりか?
次こそはナターシャを満足するまで抱いてやる!
そんなときドリーローズがおずおずと声をかけてきた。
「ブラッドレイ様……。次の週末はお暇ですか?」
「ん? ああ、暇だよ」
ドリーローズの方から声をかけてくれるとは!
ブラッドレイはプレイボーイ宣言はどこへやら、少しわくわくした。
ドリーローズはほっとした顔をした。
「ああ、よかったですわ! お会いしていただきたい方がいますのよ」
「私に会わせたいヤツ?」
二人っきりになれるわけじゃないのかと、ブラッドレイはがっかりしたが、ドリーローズの次の一言に愕然とした。
ドリーローズは、
「ええ、以前話した恋人候補のことですわ! 判定してくださる?」
と言ったのだ。
「こ、こいびと!? まさか“ジェラルド・ゴルトベルク”!?」
ブラッドレイは上擦った声を上げた。
「あら、何で急にジェラルド様のお名前が? 違いますよ。全然別の方。ほら、恋人候補が現れたら俺に相談しなさいと言ってくださったでしょう? ですから、ご相談をね」
「ああ、言ったな。うん、相談しなさい。いろいろ今後のために相談は大事だ! 俺がしっかりと見極めてやるから……! しかし、まさか本気で恋人候補を紹介してくるとはね」
恋人を作る宣言は本気だったのかとブラッドレイは気分がだいぶ落ち込んでいた。
なんか、やっぱり、そんな男と会いたくないな……。
ブラッドレイはうーんと頭を抱えた。
それから苦しそうに絞り出すような声で言った。
「その件なのだが、やっぱりどうも最近忙しくてね。また今度にしてくれないか?」
「さっき暇だと言ったではありませんか」
ドリーローズが呆れたように言うと、ブラッドレイは困ったように頭を掻掻いた。
「う……。分かったよ、しかたがない。で、相手はどんな人なのかね?」
「パールマン商店の方よ。レイフ・パールマンっていうの。こないだドレスを誂えたらね、凄く親身になってくださって。しかもすごく褒めてくださるのよ」
「ああそれはダメだ。商店だろう? 営業だよ、営業」
「ええそうなんですか? 私のことを美しいとか一緒にデートしたいとか。私の愛を受け入れてほしいとか」
ドリーローズが、営業じゃありませんとばかりに訴えると、ブラッドレイはムカムカしてきた。
愛を受け入れてほしい? それはちょっと商人の常套句ではないような。だが、ここは否定の一手のみ!
「それはおべっかというものだね。コホン。典型的な色恋営業というものだ。客に好きになってもらって買わせる商法だ。向こうに恋愛感情はナシ。むしろたくさんのそういった客を抱えているぞ。はい、無し。おしまい!」
わざと素っ気なく言う。
「まあ……! そういうものなの? 気づきませんでしたわ。彼の愛はてっきり深いものかと」
ドリーローズが純粋な目を見開いて言うと、ブラッドレイは吐き捨てるように言った。
「だ、だからおまえはダメなのだ。まったく世間知らずだね」
まっだくダメだよ。
そんな男! 俺と比べてそんなヤツの方がいいと思ったのか?
冗談じゃない。俺の方がよっぽどいい男だぞ!?
そこまで思って自分で自分に狼狽する。
あ、いや、夫としてという意味だ。俺は夫なのだから。恋人をあえて作るなら、せめて俺以上でないとという、そう、そういう意味だよ、うん。
するとドリーローズは残念そうに呟いた。
「まあ、私ったら騙されていましたのね。好意を勘違いしちゃって恥ずかしいわ」
あんまりドリーローズががっかりしている様子だったので、ブラッドレイはなんとなく気まずくなって、一つ提案した。
「よし、一つその商人から指輪でも買ってやろう。俺からおまえへのプレゼントってことで。俺たちの仲の良さを見ればその商人も自分の営業方針が間違っていたことに気付くだろうよ」
「まあまあ、そんな変な小芝居のためにあの商人を儲けさす必要はありませんわ。この話はナシってことでけっこうです」
「い、いや、俺がそういう、なあ。プレゼントとかを買ってやらないから、隙があるように見えてしまうんだろう。だから悪い奴が寄って来る。うん、そうだ。だから、俺がおまえにプレゼントでもしてやろう。変な男に騙されては家の名誉にもかかわるしな。うん、名案だ」
腑に落ちない顔のドリーローズを無視して、ブラッドレイは次の日曜にその例の商人を迎えた。
ドリーローズの話からてっきり交際を認めてもらえるとばかり思っていた商人は、妙に明るく馴れ馴れしい態度で妻へのプレゼントを買おうとするブラッドレイに、何か違うといった顔をした。
ブラッドレイの方も、『違う』ことをしっかり分からせるために、何でもない日に嫁に高価なプレゼントをする仲の良い夫を 最大限に演出しようとしていた。
「ドリーローズ様、これはいったいどううことですか? 夫君はドリーローズ様に興味がないから、交際を認めてもらえるはずでは? 話が違うではないですか。どういうことなんですか」
商人は不快そうにドリーローズにネチネチと言う。
「そうね、私もなぜ夫がこんなにテンション高く指輪を選んでいるかは謎だわ」
とドリーローズが困惑の表情で言うと、その困惑を吹き飛ばそうとするようにブラッドレイがはしゃぎながら指輪をあれこれ摘まみ上げた。
「うん、これはどうだろう、これも似合うな、あれはどうだ? 二人でおそろいというのもいいな!」
商人はうんざりした顔でブラッドレイを見ている。
ブラッドレイはそのじとっとした視線に気づいていたが、気付かないフリをした。
「どうだい君? これなら妻も安心して毎日つけられるデザインだとは思わないかい?」
「はあ……」
商人がまったく気持ちのこもっていない声で曖昧に返事をすると、いいかげん窘めるようにドリーローズが言った。
「旦那様、何をつまらない茶番なんかやっているのです。私たちは契約結婚の、形だけの夫婦でしょう!」
すると、商人もようやく本題に入ったとばかりに身を乗り出した。
「そうです、そうです。そのように奥様から聞いておりますよ!」
しかし、ブラッドレイはとぼけた顔をして首を傾げた。
「はて、そんなんだったかな?」
そして、ついに、ブラッドレイは並べられた指輪の中で最高額の値段の物をつまみあげると、
「これを買う。俺から妻へのプレゼントだ。そして妻と君の手切れ金だ!」
と低い声で言い渡した。
商人はハッとした顔をする。
顔にはほんのりと恐怖の色が浮かんでいた。
ドリーローズの言うことを真に受けて恋人ごっこをするつもりでいたが、どうやらそういった状況にないらしい。
この夫ははっきりと拒否している。なんなら怒っている。
まあ、変だと思っていた。妻の恋人など許可する夫が普通どこにいる?
戸惑った様子でドリーローズが口を挟んだ。
「手切れ金って、ブラッドレイ様ったら」
しかしブラッドレイは一歩も譲る気はなかった。
「商店の者として、うちの妻に尽くしてくれたことには感謝する。しかしそれ以上はダメだ。色恋営業でうちの妻を騙そうったってそうはいかない。手を引け」
「商売と愛は別でございます!」
慌てて商人は言った。
恋人ごっこはあきらめるが、色恋営業というレッテルを貼られるのだけは勘弁してもらいたい。そんな評判が立てば、どこの金持ちも今後取引をしてくれなくなる。
そんな商人の心内をブラッドレイはすっかり見抜いているように「ふん」と一蹴した。
「どうだかね。だがまあ、はっきりと言わせてもらう。領主としてな。今後、ドリーローズに近づくことは禁止とする。いや、それでは生ぬるいな、うちの領内で商売禁止だ」
「えええっ! そんなっ」
商人は悲鳴を上げた。
ドリーローズも、やり過ぎだとばかりに声を荒げた。
「ブラッドレイ様、そこまでおっしゃらなくても!」
「ふん、だめだだめだ。ではそういういことだ。さあ、帰れ」
ブラッドレイは、最高額の指輪一つ買うと、その商人を邸から追い払った。




