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悟空が八戒と波月洞に来ると、門の近くで百花羞が二人の子供を遊ばせているところだった。
「あれが百花羞か。なら、あのガキどもは黄袍怪との子供だな。ちょうどいい。あのガキどもを攫って黄袍怪をおびきだそう」
「えっ」
雲に乗ったまま物騒なことを言い出した悟空に八戒は驚き、慌てて止めた。
「ちょっと待ってよ、兄貴! 子供を利用するのはよそうよ!」
「子供だからいいんだろ。怒らせたほうが手っ取り早い」
「でもかわいそうじゃないか。それに、そんなひどいことをしたらお師匠様が怒るよ。いや、また泣くよ!」
「……そうか?」
「大泣きするよ、きっと。兄貴がお師匠さんの事を大事にしてるのはわかるけど、それならもっと気持ちの方も考えてやらなきゃ」
「……そうか。そうだな」
悟空は腕を組んで考え込み、深く頷く。
「たまにはいいことをいうな、八戒」
「そ、そうかなあ。兄貴に褒められるなんて、槍でも降らなきゃいいけど」
「ちっ。ちょっと褒めればこれだ。よし、ならこうするか」
悟空は雲から降りて二人の子供の前に立ち、子供達が着ている服の上着を奪い取った。
「なっ、あ、あなたは何者です!」
いきなり現れて子供の上着を取った悟空に、百花羞は子供を抱き寄せて警戒の目を向ける。
「俺は白翼三蔵法師の一番弟子、孫悟空だ。あんたは宝象国の百花姫だな。あんたには、子供と一緒に少しの間身を隠してもらう」
「あのお坊様のお弟子の方でしたか……ですが、身を隠すとはいったい?」
「詳しくは言わないが、あの黄袍怪を退治するためだ」
と、悟空が説得すると百花羞も納得して、子供達と近くの寺に身を隠した。
悟空は子供達の上着を八戒に渡し、
「おい。そこらでなにか動物でも狩って、この服に血糊をつけてくれ。それから黄袍怪の奴に服を見せ、お前の子供は俺が殺したと言ってくれ。あいつは事の真偽を確かめるためにここに来るだろうから、俺はここで待つ」
「わかった。兄貴なら大丈夫だろうけど、気をつけて!」
「おう」
八戒は兎を狩り、その血をべったりと服につけると宝象国の城に向かった。
*****
宝象国では、未だに涼香は虎のまま捕らわれいた。黄袍怪は国王の手厚いもてなしに味をしめ、贅沢をしたり、こっそりと女官を食ったりしていて、なかなか帰ろうとしなかったのである。
八戒がいない間、悟浄が脱獄して涼香を探したり、玉龍が女官に化けて黄袍怪を討とうとしたりしたが、結局試みは失敗に終わって二人も捕らわれたままだった。
そこへ現れた八戒が黄袍怪に子供の上着を見せ、悟空の言ったことを口にすると、黄袍怪は驚いてすぐさま風に乗り波月洞へと戻った。
波月洞では百花羞が一人でしくしくと泣き伏していた。
「おまえ、どうしたのだ」
「ああ、あなた。わたくしが目を離した隙に猿の妖が子供達を……」
「なに。ではやはりあの服は子供らの……くそっ」
黄袍怪は怒りにまかせて近くにあった椅子をたたき割ると、まだ泣き伏したままの百花羞を優しく抱き起こした。
「おまえ、そんなに泣くんじゃない。あいつはきっとこの俺が殺してやるからな」
「あなた。わたくし、泣きすぎて胸が痛くなりましたわ」
「そうか。では少し待っていろ。俺が持っている宝物でひとなですればすぐ治るだろう。だが、決して指で弾いては駄目だぞ。俺の本相があらわれてしまうからな」
そう言って黄袍怪が持ち出してきたのは、鶏の卵くらいの大きさの仙丹だった。百花羞はそれを受け取るとにこりと笑って指で弾いた。
「なっ、なにをする!」
驚いた黄袍怪が取り返そうとするのをするりと躱し、百花羞は身を翻した。すると、そこにいるのは赤い髪、金の瞳の青年。悟空であった。
悟空は百花羞に化けて黄袍怪の弱点を探っていたのだ。
「貴様の顔には見覚えがあるぞ……孫悟空だな!」
「そうだ、俺は孫悟空。白翼三蔵法師の一番弟子だ。俺のお師匠さんがずいぶん世話になったようだな」
悟空はにやりと笑うと如意棒を手に黄袍怪に打ちかかった。
「あの僧侶の弟子がまだいたのか!」
「俺がいなくなった隙を狙ってお師匠さんを攫ったくせに、知らぬふりをするのか」
「知らぬものは知らぬ。あの僧侶は近くの妖精が食べようとしていたので奪い取っただけだ」
二人は武器を打ち合いながら怒鳴るように言葉を交わし合う。
「お師匠さんをどこへやった!」
「貴様こそ、俺の妻と子供をどこに隠したのだ!」
二人はそろって必殺の一撃を繰り出したが、悟空の方が上手で、黄袍怪は頭を潰されかけて姿を消した。
「どこへ逃げた?」
悟空はすぐさま雲に乗り上空から周囲を見回したが、影も形もない。
もしや、と悟空は天上へと向かった。四大天師にわけを話して天上の神々を調べてもらうと、やはり一人欠けていた。
「あいつは俺の顔に見覚えがあると言っていたからな、やはりか」
黄袍怪は二十八宿の星官の一人、奎木狼だったのである。
四大天師達が玉帝に一連のことを報告すると、玉帝はすぐに奎木狼を天界に召しのぼすよう命じた。
玉帝の命により天界に連れてこられた黄袍怪、いや、奎木狼は観念して腰から辞令の札を解くと殿下に平伏し、なぜ地上に降りていたのかを話した。
実は、百花羞は生前天上の玉女(香をたく侍女)で、奎木狼の妻でもあった。奎木狼は妻が生まれ変わったのでその後を追い地上に降り、妖魔と化して百花羞を妻とし、十三年間暮らしていたのだった。
玉帝はその話を聞いて彼を太上老君の丹炉の火たきに命じ、功があればまたもとの職に戻すことにされた。
悟空はまだ少し納得がいかなかったが、一件が落着したと見て、玉帝に感謝すると再び雲に乗り、波月洞近くの寺に行った。そこで待っていた百花羞と子供達を連れて宝象国に帰ると、国王と妃は大喜び。歓迎してくれたのだった。
*****
牢に入れられていた悟浄と玉龍も無事に助けだし、さて残るは涼香のみとなった。
虎に変えられた、と話を聞いて猛獣が集められた部屋に行くと、数匹の虎がいた。
「あやや。これじゃあどれがお師匠様かわからないなあ」
八戒達が頭をひねる中、悟空だけは一匹の虎が入れられている檻にためらいなく近寄り、
「お久し振りです、お師匠さん」
と声をかけた。ぐるる、と唸る虎にはもはや人間としての意識はなく、そんな涼香を見て悟空は皮肉を口にする。
「ずいぶんと似合わない姿になってますね。だから言ったでしょう。俺なしで天竺に行けるとでも? って」
「大兄、そんな事を言っていないで早く助けてあげてください」
「わかってるよ、悟浄。水をくれ。それと、お前達は部屋の外に出ていってくれないか」
「なぜだ?」
「竜の坊っちゃん、野暮は言いっこなしですよ。そんじゃ、ごゆっくり」
八戒達が部屋の外に出ていったのを確認すると、悟空は片手を伸ばし、虎に触れた。警戒し、唸っていた虎も、優しい手付きに目を細めて喉を鳴らす。
「……お待たせしちまいましたね。今、戻してあげますよ」
悟空が水を振り掛けると、虎は人間の娘に――涼香に変わった。
「……え?」
意識がぼんやりとしている。涼香が辺りを見回すと、すぐそばに金の瞳があり、目が合うとにこりと微笑まれた。
「無事に戻りましたね。気分はどうですか、お師匠さん」
「悟空……あれ? 私は虎になったはずで……」
涼香はそこでうっすらとこれまでの事を思い出し、また悟空に助けられたのだと悟った。
涼香は俯いた。本当は、今すぐありがとうと言いたい。帰ってきて欲しいと言いたい。だけどやっぱり許せない気持ちもあって、口に出せない。
そんな思いから押し黙っていると、悟空が呟くように言った。
「……すみませんでした」
「!」
涼香は驚いて悟空を見た。悟空はそっぽを向いたままで続けて言った。
「お師匠さんの気持ちを汲まず、ひどい真似をしちまいました。……謝ります」
「わ、私のほうこそ」
焦って舌を噛みそうになりながら涼香も言う。
「いきなり叩いて、すみませんでした。ちゃんと話し合うべきだったのに、すぐに破門だなんて……短慮でした。申し訳ありません」
「これからは、もう少し手加減しますよ」
「私も、もっと気をつけます」
悟空がようやく涼香を見る。涼香が微笑むと、柔らかい笑みを返してくれた。
涼香の心に空いていた穴が埋められていく。
「ああ、そうだ」
微笑み合っていると、ふいに悟空が呟いた。そして片手で涼香の首の後ろを掴み、きょとん、とする彼女を引き寄せると。
「――っ!?」
その黒髪の上から、額に唇を落とした。
唖然と見上げる涼香を見下ろして、悟空はにっこりと笑う。
「今回の事は、これで貸し借りなしでいいですよ」
軽いもんですよね、と嘯く悟空を涼香は目を見開いたまま見つめるのだった。
かくして事件も落着し、宝象国を後にして一行は再び旅立つ。
西へ、西へ。
天竺は遥かに遠い。




