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「――本気で言ってるんですか?」
息詰まる沈黙を破ったのは悟空だった。低く静かな声音の奥には、ひたり、と滲む怒りが秘められている。
「ま、待ってくださいよ!」
涼香が答えようとするのを止めるように、八戒が両手を振り回し二人の間に割って入った。
「兄貴、謝んなよ! お師匠様も落ち着いて! さっきのも、本当に妖だったかもしれないじゃないですか!」
「たとえ妖だったとしても」
涼香は淡々と言葉を紡ぐ。
「子供や身重の女性をなんのためらいもなく殺す人と旅は出来ません」
「……本気のようですね」
はらはらと八戒や皆が見守る中、涼香ははっきりと頷く。悟空は皮肉げに笑った。
「俺がいなくても天竺に辿り着けるとでも?」
「……皆で力を合わせれば」
頑なに意志を曲げない涼香を悟空は金の目をすがめて見やり、軽く頷いた。
「わかりました。なら、破門されてあげましょう」
「兄貴!?」
「大兄、本気か?」
「おい、考え直せ!」
ぎょっと八戒達が目を剥くが、悟空はいっさい取り合わず、雲を生じた。硬く錫杖を握り締めている涼香に、不敵な笑みを向けて言い残す。
「あんたがどこまで俺なしでやれるのか、見せてもらいますよ。無理だったと泣き付いてきたら戻ってあげますからね、お師匠さん」
「泣き付いたりなんか、しません!」
噛み付くように叫ぶ涼香を笑みを浮かべたまま見つめ、悟空は雲に乗り、いずこかへと飛び去っていった。
後に残された八戒達は呆然と呟く。
「ほ、ほんまに行ってしまった……あの、兄貴が」
「信じられないな……」
「大兄がいないとなると、道中厳しくなるな」
そんな弟子達の声を聞きながら、涼香は力を込めて涙を拭う。
胸が痛んで仕方なかった。そして同時にとてつもなく不安で少しだけ寂しいと感じていたが、それを押し込めるように、錫杖を握り締める。
悟空の姿は、もうどこにも見えなかった。
*****
悟空の代わりに悟浄が先頭に立ち、一行は再び歩きだした。皆が心配する中、涼香はしっかりとした姿を見せよう、と背筋を伸ばして玉龍の背に揺られる。しかし、その表情は暗い。
「な、なあ、お師匠様。ここらで一息いれませんか? あっしが何か果物でも見つけてきますから」
「しっ、誰かがいる」
涼香を気遣い八戒が休憩を申し出たが、それを遮り、悟浄が宝杖を構えた。
茂みから姿を現したのは壮年の男で、一行を見ると安堵の表情を浮かべた。
「ああ、良かった。お坊様、どうかお助けください」
「……またか」
小さく玉龍が呟く。確かに、こうも頻繁に出会うと疑念がわく。だが、取り敢えず話を聞こうと涼香は玉龍から降りて男に近づいた。それを悟浄が止める。
「待ってください、師匠。大兄の言っていた通り、妖かもしれません」
「そ、そんなことはありません。俺……いえ、私は人間ですよ。一家で旅をしていたところを山賊に襲われて、妻や子供の安否も知れず、私自身もこうして足に怪我を負い、途方にくれています」
「まさか、あなたの名は……」
「私の名前ですか? 劉陳と申します」
やはり、あの少年の父親らしい。涼香はなんて巡り合わせだろう、と重い気分になりながら、劉陳と名乗った男に改めて近寄り、手を差し述べた。
「私の馬に乗ってください。ふもとまで送ってあげますから」
「そ、それはありがたいですが、妻と子供が……」
「あー、その二人なら知っているから、まあ、お師匠様のお言葉に甘えて馬に乗りなよ」
と、八戒も手を貸そうと近寄りながら言った。
「妻と子供のことをご存知で?」
「ええ……」
さてなんと説明したものかと悩む涼香の手を劉陳が掴む。そのとたん、劉陳の身体が崩れた。
「ひっ」
どろり、と頭から血を流した姿になった劉陳に抱えこまれ、涼香が目を見開く。悲鳴を上げる暇もなく、そのまま担ぎ上げられた。
「おのれ、やはり大兄の言葉通り、妖だったか」
悟浄が宝杖を繰り出すも、死体に戻った劉陳の身体を脱ぎ捨てた妖は飛ぶように早く駆け、涼香を連れ去ってしまった。
「ど、どうしよう! お師匠様が攫われちまったよう!」
「落ち着け、八戒。悟浄、追えるか?」
「やってみよう」
悟浄は妖の気配を追い、松林まで来たところ、その外れに夕日に照らされて金色に輝く宝塔を発見した。
「やあ、寺だ。ここでお師匠様を見かけていないか、妖の情報はないか、話を聞いてみよう」
と、塔に近寄りかける八戒を悟浄は制した。
「待ってくれ、兄者。ほら、門の横に《碗子山波月洞》と彫られている。これは寺ではない、妖の洞府だ」
「三蔵はこの中だろうか」
玉龍も人の姿になると、顎に手をあてて、さてどうしたものか、と悩み、三人はあれこれと相談した。
まずは涼香がいるかどうかを調べなくては、と話がまとまり、早速八戒が忍び込むこととなった。
*****
涼香は縄で縛られ貯蔵庫らしき場所に転がされていた。
(……悟空の言った通り、妖だった。でも、たとえ妖でも悟空が躊躇わずに子供や身重の女性を攻撃したのは事実。私は……やはり、許せない……)
瞼を閉じれば浮かぶのは涼太によく似た少年、そしてその母親である。
つらつらと床に横たわったまま考えていると、靴音が響き、年の頃三十過ぎの女性が姿を現した。
「あなたは?」
と、尋ねる涼香の身体を起こし、座らせてから、女は優雅な所作で挨拶をした。
「はじめまして。わたくしの名は百花羞。ここから西に三百里ほど進んだ先にある、宝象国の三の姫ですが、十三年前、妖に攫われ、無理強いで妻にされてしまったのです。お坊様はいずこからおいでですか?」
「私は東にある大唐国から西天へ経を取りに旅をしている者です」
「まあ。西天を目指しているのなら、宝象国を通ります。……もしあなたがわたくしの手紙を両親に届けてくださるのでしたら、ここから逃がして差し上げます」
「手紙を? 構いませんが……よろしいのですか?」
「はい。いつか両親にわたくしの無事を伝えることが出来れば、といつも持ち歩いていましたの」
百花羞は懐から手紙を取り出すと、涼香の縄を解き、その手に託した。
「さあ、先ほどから門でなにやら騒ぎが起こっているみたいですから、今のうちです。裏口から出ましょう」
「ええ。ありがとうございます」
涼香は百花羞の手引きで裏口からこっそりと抜け出ることが出来た。そうして耳を澄ませると、確かに正門の辺りが騒がしい。
戦いの音も聞こえ、もしや、と様子を見てみることにした。
さて正門では、八戒ら三人が妖と戦っていた。
「兄者。入ってすぐに見つかるとは情けない」
「い、いやあ、あっしの腹が鳴っちまって……面目ない」
「おい、悟浄に八戒、喋ってないで戦え!」
嘆く悟浄と頭を掻く八戒を叱りとばし、玉龍は一人奮戦していた。その手には、どこから拾ったのか一振りの長剣が握られている。
木立の隙間からその様子を見た涼香は、三人が相手をしている妖が実に強い妖気を発していることに気付いた。この妖は名を黄袍怪といい、波月洞の主だった。
「皆、私はここです! 退いてください!」
「あっ、お師匠様だ。なんだ、あんなところにいる!」
「なに、あいつは縛っておいた筈だ。どうやって逃げ出したのだ」
涼香の姿に八戒達は戦いの手を止めて喜び、黄袍怪は驚いた。黄袍怪の隙をつき、三人は後ろに下がると、涼香を守って逃げ出す。黄袍怪は追ってきたが、涼香達は一昼夜駆け通し、なんとか逃れることができた。
そうして涼香は助けてくれた百花羞との約束を果たすために宝象国へ向かったのだった。




