20
涼香は檻に入れられていた。
その姿は人ではなく、黄色に黒の縞模様のある大きな虎であった。
狭い檻の中をうろつき、時折思い出したように唸る。もはや人としての意識も朦朧としており、自分がなぜこんな有様になっているのかも、よくよく集中しないと思い出せない状態である。
はたして、なぜ涼香がこんな有様になっているのか。それを語るには、時間を数日巻き戻さなければならない。
*****
天竺を目指して旅する涼香達一行は、またもや高山にぶつかった。襲い掛かってくる山賊や妖らを倒しながらしばらく進み、山中の半ばほどに辿り着いた時には、すでに日が暮れてしまっていた。
「お師匠さん、俺はちょっとこの辺りを調べてきますから、食事でもしていてください。八戒、悟浄、玉龍。お師匠さんを頼んだぞ」
「ええ、気をつけて」
「任せといてくださいよ、兄貴」
「うむ、承知した」
「わかった」
涼香や八戒達が言葉を返すと、悟空は雲にのり、天高く登っていった。それを見送り、涼香達は夕食の支度に入る。
火をおこし、鍋をかけて食事を作りはじめる。辺りにいい匂いが漂いだした時だ。
――がさり
小さく茂みが揺れる音が聞こえた。
「何者だ」
とっさに宝杖を構え、悟浄が探りに行く。涼香を庇い、八戒と玉龍が警戒する中、悟浄が連れてきたのは幼い少年だった。
「……涼太!」
少年を見て涼香は驚き、駆け寄った。そんなわけはない、別人だとわかっていても少年は前世の弟によく似ていた。
「りょうた? 師匠の知り合いか?」
「リョータなら知ってるけど、あれは馬だったし、竜の坊っちゃんに食われてしまったしなあ」
「……あのことは深く反省している」
などという外野の言葉も耳に入らず、涼香は少年の前にしゃがみこむと手を伸ばした。びくり、と怯える少年にそれ以上動くことはせず、優しく微笑む。
「大丈夫、怖くないよ。きみは誰? どうしてこんなところにいるの?」
「ぼ、僕……」
「うん」
「僕は劉晃。あのね、皆で旅をしていたのに、怖い人達がたくさん襲ってきて……お母さんが逃げなさいって言って、僕、頑張って走ったんだ。でも、いつまで待っても皆迎えに来てくれないの……」
少年、劉晃の話を聞いて涼香達は複雑な顔を見合わせた。おそらく、少年の家族は、もう……。
「……師匠、ふもとの邑に連れていきましょう。頼めば引き受けてくれる家もあるでしょうから」
「僕、どこにも行かないよ。お母さん達を待っているんだもん」
悟浄の言葉に劉晃は両足を踏ん張り、てこでも動かないと示す。そんな少年に諭すように話かけたのは八戒だった。
「坊、あのなあ。坊の母さん達ももしかしたらふもとにおりたかもしれないだろう? そうじゃなかったとしても、こんなところで待つより邑で待っていたほうがいいに決まってる。な? そうしような?」
「……でも」
うなだれる劉晃の頭を撫でて、涼香は微笑みかける。
「私もそのほうが安心するから、そうしてほしいな。ね?」
「……お母さん達、僕がここにいなくても迎えに来てくれるかなあ」
「うん、きっと来てくれるよ」
もし無事だったら、という言葉は飲み込んで頷くと、劉晃はようやく小さく頷いた。
「さあ、そうと決まったらまずは腹ごしらえだ。あっしの作る雑炊はうまいぞー」
八戒の言葉に反応したのか、劉晃のお腹が盛大に鳴り、真っ赤になる少年を囲んで皆で笑った。
涼香は笑みを浮かべたまま劉晃に手を差し出し、おずおずと少年はその手をとろうとする。
その次の瞬間だった。
ひゅっと風がうなりをあげたかと思うと、劉晃の小さな頭が爆発したように弾けとんだ。
「え」
涼香の頬に生暖かい液体が付着する。頬だけではない、頭にも体にも赤い液体がついていた。
くらり、と劉晃だったものが傾いだ。頭を失った少年は糸の切れた人形のように軽い音をたてて地面に転がる。
恐ろしいほどの静寂が満ちた。まるで動いてしまったら悪夢に飲み込まれてしまうかのように、涼香達は青ざめたまま固まっていた。
そこへ、飄々とした声が落ちる。
「ちょっと目を離しているとこれか。お前達、頼むと言っただろうが」
呆れたように溜め息をつくのは、見回りに行った筈の悟空で、涼香は信じられない思いで如意棒を持つ彼を見上げる。
「ご、悟空……」
「ああ、お師匠さん、ご無事ですか? 汚れちまいましたね、すみません」
と、伸ばしてくる手がなにやらとてつもなく恐ろしく感じられ、涼香は身を引きながら尋ねた。
「今のは、あなたが……?」
「今の? ああ、こいつを殺したのは、って事ですか。ええ、俺ですよ」
「……っ」
やはり、と呻く涼香の隣で、八戒が焦った声をだす。
「ちょっと待ってください、兄貴。あんな子供をいったいどうして」
「妖だ。子供の死体に乗り移っていただけだ」
「妖って……信じられないですよ。腹減らしとったし……」
「信じられなくても妖だ。もっと注意していろ。お師匠さんになにかあったらどうするつもりだ」
悟空と八戒の会話を聞きながら、涼香は劉晃の亡骸を前に静かに涙をこぼしていた。妖だと言われても信じられないのは涼香も一緒で、あんなに感情豊かな子供がまさか、と思う。だけど一方で悟空への信頼もあり、心の中はぐちゃぐちゃに掻き乱されていた。
「……師匠。墓を作って弔ってやりましょう」
「そうだな、そのほうがいい」
「悟浄、玉龍……」
「あ、あっしも手伝いますよ」
悟空がなにか言いたげに見つめているのに気付いていたが、涼香は悟浄達の手を借りて黙々と劉晃の墓を作り、手厚く弔った。
少年が妖であったかどうかはわからない。悟空の言葉を疑うわけではないが、それ以外の証拠はないのだ。
旅に出てこれほどに重苦しい夜はなかった。
しかし、いつでも朝はやってくる。
一夜明け、少しは気分を持ちなおした涼香は元気を奮い立たせ、朝早くから出発した。
「ふもとの邑についたら、あの坊のことを聞いてみましょうか。たとえ妖に乗り移られていたとしても、もし両親がいたらかわいそうですしねえ」
「……ええ」
両親。その言葉に再び涼香の顔がくもる。思い出すのは、今生で幼い頃に死に別れた両親と、前世の優しい両親だ。
あの少年の両親はどうしているだろうか。はたして無事なのだろうか。
つらつらと考えながら進んでいると、前を歩いている悟空が片手を上げ、皆を制止した。
「そこに隠れているやつ。出てこい」
少し離れた木立の影から出てきたのは、大きな腹を抱えた女で、こちらを見ると涙をためた目で懇願してきた。
「ああ、良かった、山賊じゃないのですね。お願いします、私の息子を探してはくれませんか?」
「む、息子? というか、あんさんは?」
八戒の問いかけに女はハッとして居住まいをただし、落ち着いて話しだした。
「申し訳ありません、気が急いてしまって……私の名は劉高麗。一家そろって旅をしていたところ、賊に遭い散り散りに逃げて、私はこうして無事でしたが、夫と息子はどうなったことか……特に幼い息子が心配で」
「む、息子って、もしかして……」
と、八戒がちらちらと悟空を見ながら尋ねると、やはり女は頷き、
「息子の名は劉晃。十になったばかりです」
と答えた。
ああ、と涼香の口から呻きがもれる。
(なんてことだろう)
あの少年が妖に取り付かれていたかどうか、それは今でもわからない。しかし、一つだけ確かなことはある。どちらにせよあの子はもう死んでいる、ということだ。
「……劉晃は、昨日私と会いました」
「あの子を知っているんですか? あの子はどこに?」
「……その」
なんといえばいいのか。悩む涼香に高麗が近づき、服の裾を掴もうとしてなのか、その手を伸ばす。
「動くな」
瞬間、悟空が動いた。高麗の喉に如意棒を突き付け、眼光鋭く睨み付ける。
「悟空!? なにをするのです」
「お師匠さん。こいつも死体です。妖が乗り移っているだけですよ」
妖と言われた高麗はガタガタと震えながら涙をこぼした。
「そんな。私は人間です。信じてください、お坊様」
「しつこいな」
あっさりと――実にあっさりと、悟空は如意棒を高麗の喉に突き立てた。断末魔の悲鳴を上げて、高麗はどさりと崩れ落ちる。じわり、と地面に血が滲んだ。
「あ、兄貴……」
「大兄……」
「……なんてことを」
八戒、悟浄、玉龍がそれぞれ顔色を失い、悟空を見る。悟空は平然と高麗の死体を検分していたが、ふいに涼香が近づいてくるのに気付いて顔を上げた。
その頬を、涼香は平手で打った。
「……お師匠さん?」
見れば涼香は涙をはらはらとこぼして怒りを湛えた瞳で悟空を睨んでいる。感情を抑えた声音で彼女は言った。
「悟空。あなたを破門いたします」
緊張をはらんだ沈黙が落ちる。どこかで名もしれぬ鳥が甲高い鳴き声を上げて飛び立つ音がした。




