18
倉に閉じ込められてから一日が経った翌日の早朝。壁にもたれてうつらうつらしていた涼香は、騒がしい人の声で目を覚ました。
なんだろう、と堅く閉ざされた扉を見ると、隣に座っている悟空が目ざとくその視線に気付き、いつもの飄々とした調子で言った。
「おはようございます、お師匠さん。どうやらここの主人のお帰りのようですね」
「そうですか……いよいよなのですね」
涼香は壁に立て掛けておいた錫杖を手に取ると、震えを誤魔化すように握りしめた。
扉が開けられ、涼香達が正殿へ連れて行かれたのはそのすぐ後のことだった。
*****
縄で縛られた涼香達を待っていたのは、多くの弟子を伴った鎮元大仙だった。
柔和に微笑めば誰をも安らいだ心地になるだろう優しげな顔を怒りに険しくしている大仙を見て、八戒は青ざめて震えだし、涼香も心臓が嫌な感じに脈打った。
鎮元大仙は鋭く涼香を見て口を開いた。
「きみが白翼か。玄奘の意志を継いで三蔵法師として励んでいると聞く。私は前生で玄奘の知人であったため、彼の志を継いだきみのことを歓待しようとしたのに、酷い真似をしてくれたものだ」
「申し訳ありません。弟子のしでかしたことを深くお詫びいたします」
「木を元通りに出来ないのならば、口で詫びられても収まりがつかぬ。罰として鞭で打つことにいたす」
と、鎮元大仙は弟子に命じて涼香を鞭で打たせようとした。鞭を振りかぶられ、涼香は悲鳴をあげそうになり、目を瞑り歯を食い縛って痛みに備える。そこへ、悟空が制止の声を発した。
「ちょっと待った。先生、それはおかしい。お師匠さんには何の罪もないのにどうして鞭で打とうとするのか」
「きみはその昔天地をおおいに騒がした孫の行者だな。弟子の罪は師匠の罪。三蔵が教訓よろしきをえないから、弟子が悪さをするのだ」
「それは違う。また、たとえ罪があるしても弟子が代わりに受けるのが当然だ。どうしてもお師匠さんを打つというなら、俺が代わりに引き受けよう」
「ほう。悪さばかりの猿だと思っていたが、言うことはけなげだの」
涼香は大仙と悟空の会話を聞き、縄で縛られたまま、首だけを動かして悟空を見た。
「悟空……私なら構いません。確かに弟子の罪は師匠の罪。たとえ鞭打たれても仕方ありません……」
「いいえ、それはいけません。あの鞭は七星鞭といって、竜の皮で作られた物。俺ならともかく、お師匠さんでは命が危ない」
「ううう……あっしのせいで……兄貴、すまない」
八戒は己のしでかしたことを深く反省して、しくしくと泣き出し、それを見た悟空は不敵な笑みを浮かべた。
「なんの。これしきのこと、なんでもないさ」
話がまとまったとみて、大仙は弟子に悟空を鞭打つようにと命じた。
「まずは人参果の数、三十鞭打つべし」
「三十も!」
涼香は数を聞いて叫んだ。しかし、無情にも門弟は悟空めがけて七星鞭を振り下ろす。耳に痛い音が響いて、涼香はとっさに顔を背けた。
二度、三度と音が響き、涼香は震えているだけではいけない、と意を決して悟空を見る。さぞや無惨な有様となっているかと思いきや、鞭打たれながらも悟空はけろりとしていた。
(何かの術を使っているのだろうか……ああ、でも良かった)
そうは思っても自分の代わりに鞭打たれる姿を見るのは辛く、三十を数えるまでずっと涼香は唇を噛み締めていた。
「ううむ……次は釜をもてい」
三十の鞭打ちをくらっても平然としている悟空を見て、大仙は弟子達に大きな釜を持ってこさせた。釜の中には油がたっぷりと入れられ、火でぐつぐつに熱せられる。
八戒はそれを見てガタガタと震えた。
「ひいい。あっしは確かに豚の妖だけど、油で揚げちまうなんてひどいよ!」
「お前はまだいいではないか。私など竜だぞ。竜の揚げ物などいい笑い者だ」
玉龍が憮然として言うと、悟浄も然り、と頷く。
「私も水妖のはしくれとして、油で揚げられて死ぬのはごめんこうむる」
そんな三人の心配は外れた。大仙は今度こそ、と涼香を釜に入れようとしたのだ。
釜の中の油は煮えたぎっている。涼香が青ざめたまま引き摺られていると、またしても悟空が止めた。
「待った。師匠を入れるなら、この俺が先に入ろう」
「ご、悟空……ですが」
「心配しなくても大丈夫ですよ、お師匠さん。さあ、俺を先に入れろ」
「ううむ。よし、彼から先に入れろ」
大仙の弟子は悟空を持ち上げて釜に入れようとした。しかし、二人がかりでも持ち上らない。
「なんて重いやつだ。おおい、皆も力を貸してくれ」
「わかった。ようし、いちに、でいくぞ」
「いちに、えいっ」
弟子達は五人がかりで悟空を持ち上げると、釜の中に放り込んだ。
「悟空!」
「ひええ……兄貴、勘弁。勘弁なあ」
じゅわああ、と油が煮立つ。しかし、ふと見ると、釜の中には悟空の姿はなく、代わりにすぐそこにあったはずの獅子の石像が入れられていた。
涼香達はそれを見てホッと胸を撫で下ろし、大仙は眉根を寄せて唸った。
「術を使って逃げおったか。よし、今度こそ三蔵を釜に放り込めい」
弟子達は新しい釜を用意すると、涼香を持ち上げた。八戒はそれを見ると勇気を奮いたたせて声を上げた。
「待ってください! 今回のことはあっしが悪いんです! 油で揚げるのはあっし一人で許してくださいませ!」
「八戒……」
「弟子に慕われているようだな、三蔵。しかし、もうその手にはのらないぞ。さあ、三蔵よ。罪を償うのだ」
「……はい」
涼香は目を堅く閉じ、もはやここまで、と覚悟を決めた。思い返すと様々な出来事が胸を打つ。
(ああ、もっと皆で旅がしたかった)
と、自然と思えてきて涙が浮かんだ。
三蔵がいよいよ釜に放り投げられた時だ。一陣の風が吹いたと思うと、釜に入れられたはずの涼香を抱き上げた悟空が大仙の前に立っていた。
「先生、どうあっても罪を償えと言うのなら、一つ提案があるのですが」
「なにかな」
大仙は悟空の術に内心感心していたので話を聞くことにした。悟空はまず涼香を地面に降ろしてから、丁寧な口調で言った。
「罰を受けるかわりに、木を元通りにする方法を天地を巡って探してきますから、どうかお師匠さんだけでも助けてはくれませんか?」
「なに。それはまことか?」
「はい。三日貰えれば、必ず」
「……いいだろう。きみにもしそんな神通があって木を元通りにしてくれるなら、三蔵だけじゃなく全員を許して、さらに、八拝の礼を交わして兄弟分になろうじゃないか」
そう言って鎮元大仙は涼香達の縄を解いてやるように弟子に命じた。
「悟空……」
涼香が心配の面持ちで悟空を見つめると、悟空は笑みを浮かべ、大丈夫ですよ、と請け負った。
「三日待っていてくださいね、お師匠さん。すぐに木を元通りにする方法を探してきますから」
「……気をつけて。無茶をしないでくださいね」
「はは。そうですね、注意しますよ」
そうして悟空は雲に乗り、いずこかへと飛び去ったのであった。




