13
天竺を目指して西へ進む涼香達一行は、蕩々と水が流れる深い山河の淵に辿り着いた。
「やあ、いい眺めですねえ、お師匠様」
「そうですね、八戒。ここらで少し休みましょうか」
「いいですねえ。なら、お湯でも沸かして飲みましょうか」
「――いや、駄目だ」
さっそく行李を降ろそうとしていた八戒を止め、悟空は馬上の涼香を見上げた。
「お師匠さん。俺はどうも嫌な感じがします。早いとこ、ここから離れましょう」
「嫌な感じ?」
涼香は周囲を見渡し首をひねった。
水は清らかに流れ、空は青く澄み渡り、涼やかな風が吹いている。どこにも怪しげな気配はしないが、しかし、悟空の言う事である。
涼香は頷いて馬を先に進ませようとした。しかし少しばかり遅く、すでに異変は生じていた。
水底より大量の気泡が浮き出たかと思うと、激しい水飛沫をあげて河から何かが出てきたのである。
「お師匠さん、危ない!」
悟空が涼香を抱き上げてその場から離れた。次の瞬間、河から出てきた何者かは涼香がいた場所を目がけて襲い掛かる。
「ああっ、リョータ!」
涼香は叫んだ。出てきたのは、巨大な竜だった。
青に輝く鱗を持つ竜は、涼香がそこにいないと見るや、残されていたリョータを丸呑みにしたのである。
それを見た涼香の目から涙がこぼれた。前世の弟の名前をつけ、可愛がっていた馬を食われて、涼香はとめどなく涙を流した。
「……ここにいてください、お師匠さん」
悟空が怒りを抑えた声音で言い、涼香を十分に離れた場所に避難させると、如意棒を取り出した。
そして八戒とやり合っていた水竜へと如意棒を向けた。
「お師匠さんを攫おうとしたばかりか、馬を食べて泣かせるなんて、ふざけた野郎め。その鱗をひっぺがして逆さに吊してやる! 覚悟しやがれ!」
悟空は金の瞳を怒りで燃え上がらせ、水竜に戦いを仕掛けた。如意棒を打ち付け、術を放ち、水竜を追い詰める。それを見て八戒は自分の出番は無いと考え、涼香の側に行くと、まだ泣いていた彼女を慰めた。
「お師匠様、しっかり。リョータの事は残念でしたけど、すぐに兄貴が仇を討ってくれますよ」
「……仇を」
「ええ、だから泣き止んでくださいよ。ほら、お師匠様が泣くものだから、兄貴が怒り狂ってる」
涼香は涙を拭いながら悟空と戦っている水竜を見た。
(私は、仇を討ってもらいたいの? ……ううん、違う。たんに悲しいだけ。仇なんて討ってもらいたくない)
リョータのかわりに水竜を殺してなんになるというのだろう。怒りはあるが、だからといって水竜を殺して欲しいとは思えない。
涼香は錫杖を頼りに立ち上がり、声を張り上げた。
「悟空。懲らしめるだけで十分です。命までは取らないでください」
「……お師匠さんはそれで気がすむんですか?」
「わかりません。でも、リョータのかわりに水竜の命をもらっても、嬉しいと思えません」
涼香の言葉に悟空は納得いかない、というような表情を浮かべたが、一旦攻撃の手を止めて水竜から距離を取った。
「おい、くそ竜め。お師匠さんは優しいから命までは取らないと言っている。お師匠さんの優しさに感謝するんだな!」
「ぐ……が……」
「ん?」
「ぐる、る……ぐ……」
「お前、ひょっとして……」
悟空は何事かに気付いた様子で辺りを見渡した。そして一点を見た後、八戒の側へ降り立ち、耳打ちした。
「えっ、そりゃ本当かい。兄貴」
「ああ、おそらくだが、間違いは無いだろう。俺があいつを抑えている間に頼むぞ」
「あいよ。任された!」
悟空は八戒になにかを頼むと再び水竜のもとへ行き、暴れる水竜をあしらうように戦い出した。それを確認し、八戒は涼香に向かって言った。
「いいですか? あっしはちょっとここを離れますが、くれぐれもここを動いちゃいけませんからね」
「え、ええ。わかりました」
いったいなにを頼まれたのだろうか、と気になったが、八戒はさっさと藪をかき分けどこかへ行ってしまい、涼香は一人取り残された。
悟空と水竜の攻防を見守っていると、ふいに日差しが陰り、見上げると頭上になにやら巨大な烏が飛んでいるのに気付く。
「あっ」
しかも、脚が三本もあるその烏は涼香を狙い、急降下してきた。避けようとして足がもつれ、涼香はその場で尻餅をつく。
もはやこれまでか、と涼香が覚悟を決めたその時。
「えいやっ!」
藪の中から八戒が飛び出てきたかと思うと、手に持つ馬鍬を全力で烏に叩きつけた。キエエ、と烏はぞっとする鳴き声をあげて地に落ちる。
「は、八戒……」
「大丈夫ですか、お師匠様。ほら、立ってください」
「え、ええ。それにしても、この烏はいったい……」
と、涼香が言葉を続けようとしたその矢先、水竜が巨体を揺らし岸に倒れこんだ。
もしや悟空が言い付けを破り打ち倒したのだろうか。一瞬そう考えたが、どうやら息はあるようで、涼香は安堵に胸を撫で下ろす。
そこへ雲から降りた悟空がやってきて、涼香の様子を調べた。
「お師匠さん、ご無事ですね? すみません、こいつを誘きだすのに使ったりしちまって」
「誘きだす? この烏をですか?」
「ええ、こいつは名を操死鳥と言って、本当なら死人を操るんですがね。どうやってか、そこの水竜を操っていたようです」
「水竜を……では、あの水竜は操られて私を襲ったのでしょうか」
「――その通りだ」
涼香の疑問に答えたのは、意識を取り戻し身体をおこした水竜だった。
「すまなかったな、旅の者よ。私は西海竜王の息子で玉龍と申す。ついこの間まで蛇盤山の谷川にいたのだが、観音菩薩様に命じられた使命を果たすためにとある僧を探していたのだ。しかし、その途中少しばかり休んでいた間にそこの妖に操られ、このような真似をしてしまった。許してくれ」
「……操られていたというなら、あなたを責めることは出来ません。リョータは……私の馬は、やはり?」
「……すまない」
「そう、ですか」
丸呑みにされたのだ。わかってはいたが、もしや、という希望も消え去り、涼香は再び目に涙を浮かべる。
そんな涼香を気遣いつつも、悟空は玉龍に問い掛けた。
「お前、さっき観音がどうとか言ってたな。もしや、天竺へ取経の旅をしている僧のお供をしろ、とかいう使命なのか?」
「そうだ。なぜわかったのだ」
「なんだ、それならあっしらと同じだ。この人がその僧侶で、白翼三蔵法師様だよ」
「なんだと!」
玉龍は目を見開いて驚き、涼香を凝視した。
「天竺へ取経の旅をするなど、どれほど徳高き僧かと思えば、単なる小娘ではないか! この者の供になれとは、観音菩薩様も酷な事を言う!」
「……口に気をつけろよ。この人はれっきとした三蔵法師で、てめえがそれを襲った事に変わりはないんだからな」
悟空が睨み付けると、玉龍は確かに、と狼狽えた。
「いくら単なる小娘と言えど、観音菩薩様に仕えるよう命じられた僧を襲い、その馬を食べたなど、この玉龍一生の不覚! かくなる上はこの命をもって……!」
「ええっ! いいです、止めてください!」
「やりたいというならやらしてやったらどうですか、お師匠さん。なんなら俺が手を貸してやってもいいですよ」
「笑顔で如意棒を構えるのは止めましょうよ、兄貴」
などと、多少の騒ぎはあったものの、玉龍が馬の代わりになるということで話は収まった。
馬に変化した玉龍は雪のように白く、まさしく駿馬と呼ぶにふさわしい風格であった。
「さあ、私の背にのるがよい」
「おい。偉そうにすんじゃねえよ、馬。今度は手加減無しで潰すぞ?」
「……お乗りください、三蔵様」
「あああ。申し訳ありません、玉龍。止めなさい、悟空!」
「やだなあ、お師匠さん。新参者に礼儀を教えてやっただけじゃあないですか」
「……兄貴、おっかねえや」
一行はさらに西へと進む。リョータを失い、悲しみを抱えたままではあるが、涼香は新しい仲間を受け入れ、西を目指す。そんな彼女の支えとなるべく、仲間達はそれぞれに頑張るのだった。




