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悟空は毒の風を受けて目が見えなくなってしまっていた。しかも半日が過ぎてもまだひどく痛むらしい。
涼香は渋る見張りに頼み込んで綺麗な水を貰うと、手拭いを濡らし、それで悟空の目を拭った。
「どうですか? 少しは良くなりましたか?」
「いえ、全然駄目ですね……すみません、お師匠さん。助けに来たというのに、こんな有様で」
悟空は珍しく意気消沈しているようである。いつもの自信家な悟空からは考えられないが、叱られてしょんぼりしている子供のように思えて涼香は微笑みを浮かべた。
「助けに来てくれて嬉しいですよ。早く目を治して、一緒にここから出ましょう」
「お師匠さん……」
悟空が手を上げる。その手を涼香がとると、悟空は柔らかく微笑んだ。
「こうしてお師匠さんに看病してもらえるなら、目をやられたのもそう悪くないですね」
「何を言ってるんですか。悪いに決まっているでしょう」
涼香が苦笑したその時、一匹の鼠がチョロチョロと部屋に入りこんできた。
「鼠?」
こんな洞窟にも鼠がいるのか、と涼香が見つめていると、鼠は立ち止まり後ろ足で立ち上がった。
「もし。そなたが三蔵とかいう僧侶かね?」
「ええっ! ね、鼠が喋った!?」
「しっ。黙ってください、お師匠さん。この気配、こいつはただの鼠じゃないようです」
「ほっほっほ。そこの行者は目を悪くしてるようだが、なかなかどうして、聡いのう」
悟空の言葉に鼠は身体を揺らし、次の瞬間には長い髭をたくわえた老人の姿になった。
「儂の名は霊吉という。猪八戒という者に助力を請われてそなたらに力を貸しにきた」
「おお。あなたは霊吉菩薩でしたか。お師匠さんをどうか助けてください」
と、悟空は丁寧に頭を下げる。これに涼香は驚いた。
(あの悟空がこんなに素直に頼み事をするなんて)
しかも、目を毒にやられた己の事ではなく、涼香を助けて欲しいと訴えたのだ。涼香はなんともいえぬ心地になり、自分も霊吉菩薩に頭を下げた。
「霊吉菩薩様。私よりもこの悟空を助けてやってくださいませ。この者は黄風大王の毒風にやられ、目が見えなくなっているのです」
「うむ。ここに天神達から託された薬がある。これを目にさしなさい」
霊吉菩薩は懐から軟膏を取り出し、涼香に渡した。涼香は感謝して受け取ると、さっそく悟空の目にさしてやった。
「どうですか?」
「うーん……」
悟空は何度か目を瞬き、涼香をじっと見つめた。金の双眸が徐々に力を取り戻し、炎を思わせる強さになる。
「ああ、痛みがすっと消えました。見えます。見えますよ。お師匠さん、心配かけましたね」
「治ったんですね、良かった……」
涼香は胸を撫で下ろした。普段なら悟空の視線は強過ぎて恐怖を感じるのに、今は安堵しか感じない。
涼香と悟空が喜び合っていると、霊吉菩薩が言った。
「さあ、喜ぶのはここを出てからにしなさい。悟空よ、儂が出ていっては黄風大王は姿をくらますだろう。儂は鼠の姿で隠れているから、まずは黄風大王をおびき出してくれ」
「わかりました」
悟空は頷き、さっそく如意棒を取り出した。
「悟空。どうするつもりなんですか?」
「なに、またひと暴れしてやるだけですよ。お師匠さんは霊吉菩薩と一緒に隠れていてください」
「ええ、そうします。気をつけてくださいね」
「お師匠さんも」
涼香が鼠に変化した霊吉菩薩を両手に持って下がると、悟空は如意棒を構えて外に出ていった。すぐに戦いの音が響き始めて、騒然としだした。
「さて、儂らもこっそり跡を追うとするかの」
「はい」
涼香は霊吉菩薩を持ったまま、嵐のように暴れ狂う悟空の跡を追った。
*****
悟空がしばらく暴れ回っていると、再び黄風大王が現れた。辺りの様子に溜め息を吐いた黄風大王は刺叉を構え悟空を睨んだ。
「また君か。今度は許さないからね」
「ぬかせ。今度は俺が勝つ」
悟空はぎらりと目を光らせ、黄風大王に襲い掛かった。
「ああ、悟空は怒りのあまり霊吉菩薩様のお言葉を忘れているようです」
「仕方ないのう。どれ、黄風大王も気付いておらぬし、今のうちかの」
霊吉菩薩は鼠の変化を解くと、一本の杖を取り出し、なにやら呪を唱えた。
すると杖は八つもの爪を持つ金竜に変わり、黄風大王に飛び掛かった。
「しまった、霊吉菩薩か!」
金竜を見て黄風大王は逃げようとしたが、悟空がそれを許さない。とうとう黄風大王は金竜に捕まり、二度、三度と岩壁にぶつけられて本性を現した。それは、一匹の黄色いテンであった。
「ほっほ。黄風大王よ。また悪さをしておったな」
「ちぇっ、あんたがここに来たとわかっていれば、すぐに逃げたのにさ。そこの女の子も食べそこなったし、残念だよ」
「こいつ」
カッとなった悟空はテンの頭に如意棒を振り下ろそうとしたが、霊吉菩薩がそれを止めた。
「待て、悟空よ。こやつは儂が責任持って如来のもとに連れて行き、その罪をただすことにする。だから命を奪うのはよしなさい」
霊吉菩薩に諭され、悟空は難しい顔で涼香を見た。
「……お師匠さんはどうですか。許しますか?」
「ええ。私は結局美味しい食事を振る舞って貰っただけですし。悟空の目の事は許せませんけど、霊吉菩薩様がきちんと裁かれると仰るなら、お任せしたいと思います」
「……わかりました。お師匠さんがいいなら、俺もかまいませんよ」
涼香と悟空の言葉を聞き、霊吉菩薩はテンとなったままの黄風大王を連れて雲に乗り、そのまま西天へと飛び去った。
その姿を見送り、悟空と涼香は洞窟を出たのである。
*****
「ああ、お師匠様! それに孫の兄貴も! 心配してたんだよ!!」
ふもとでは八戒がリョータと共にやきもきしながら二人を待っていた。
「すみません、八戒。心配かけましたね」
「まったくですよ。お師匠様は行方知れずだし、探しにいった兄貴は帰ってこないし。あっしも探しに行きたかったけど、馬を置いては行けないし」
「悪かったな。だが、お前が霊吉菩薩に頼んでくれたおかげで助かった。ありがとな」
「あ、兄貴があっしに礼を!? お師匠様、早くこっちに来てください! その兄貴は偽物ですよ!!」
「……この豚が」
「あ、あはは……」
ぎゃあぎゃあと喚く八戒に悟空が舌打ちし、涼香は乾いた笑いを浮かべる。
またいつもの騒がしい日常が戻ってきた事を三人はひそかに喜んでいた。
そんな三人を、少し離れたところでリョータが草を食みながら眺めているのだった。




