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西に向かって旅をする一行は、険しい高山にぶつかった。馬に乗っていてもゆるゆるとしか進めず、やがて日が暮れ、大きな岩の影で野宿することになった。
「はい、お師匠様。孫の兄貴もたくさん食べてくださいよ」
屑野菜と干し肉を入れた雑炊を木の椀に注ぎ、八戒はそれを涼香と悟空に差し出す。意外なことに八戒は料理上手で旅の食事づくりを引き受けてくれていた。
「ありがとうございます」
涼香は礼を述べて椀を受け取ると木匙で雑炊をすくい、口にいれた。とろりとした米がじんわりと口の中いっぱいに広がり、滑り落ちた胃から身体中が温かくなる。
「美味しい」
「そりゃあ良かった」
思わず呟いた涼香の言葉に八戒は破顔して喜んだ。
悟空も無言で匙を動かしており、少し離れたところではリョータが草を食んでいる。
のんびりと食事を楽しんでいた一行だったが、ふいに一陣の風が吹いて焚き火を揺らし、食事の手を止めさせた。
「……なんだか嫌な風でしたね」
涼香は言い様のない寒気にぶるりと肩を震わせ、辺りを見回した。
悟空は無言のまま椀を地面に置くと立ち上がり、油断なく周囲を見やる。
「八戒。お前はお師匠さんを守ってろ」
「えっ、なにかいるのかい?」
「わからん。だが、妙な気配がする」
悟空の言葉に涼香も椀を置いて立ち上がり、八戒は彼女を庇って馬鍬を構えた。
もう一度風が吹き、つむじ風となる。
「妖か」
悟空が呟き、如意棒を構える。つむじ風から現れたのは巨大な虎だった。虎が吠えると風が巻き起こり、鋭い刃となって悟空を襲った。
「ちっ」
如意棒の一振りで風を散らし、悟空は反撃に転じる。右へ左へと目まぐるしく動きながらの戦いは十数分にも及び、とうとう悟空は虎を追い詰めた。これで仕舞いだとばかりに如意棒を振り上げたが、しかし。
突如目を開けてもいられぬ風が巻き起こった。
「うおあっ!?」
「八戒! ――うわあっ!」
「お師匠さん!?」
なんと形勢不利とみた虎は豪風をおこして悟空の隙をつき、八戒に体当たりすると、その背に涼香を乗せ、そのまま風にのって行方をくらませたのだった。
慌てて跡を追った悟空だが、気配は風に溶けてしまっていて、どこへ行ったのかつかめない。
「――くそっ」
怒りのあまり大岩を如意棒の一撃で粉微塵にし、悟空は苦々しく舌打ちしたのだった。
*****
涼香は洞窟の中にいた。洞窟と言っても中は絨毯や洒落た調度品で整えられており、殺風景というわけではない。
そこに、涼香ともう一人、若い男が椅子に腰掛け向かい合っていた。
「ふーん」
男は片手で虎を撫でながら無遠慮に涼香を眺めている。
淡い金髪は肩にかかる長さで、瞳は黄色。華美な衣装を着こなしていて、首にも手首にもたくさんの装身具を身につけている。顔立ちも装いに負けぬ美形で、悟空とはまた違った色男だった。
男はしげしげと涼香を眺めながら口を開く。
「唐僧の格好してるけど、君、女の子だよねえ。やせっぽちでよくよく見ないとわかんないけどさ」
「…………」
悟空や八戒もだったが、妖というのは変装していても男女を見分けるのか。涼香は内心驚いたが、表情には出さなかった。そんな涼香に笑みを向け、男は両の手を打つ。
「まあ、話は後でいいや。――誰ぞ茶をもて」
男が呼び掛けると奥の方から三人の女妖が手に盆を持ってしずしずと現れ、卓にお茶や茶菓子、軽食の類いをのせて戻っていった。
「さあ、遠慮なく食べていいよ。そんなやせっぽちじゃ、食欲もわかないしね」
さらりと男は物騒なことを口にし、涼香はぎょっと目を見開いた。男はにこやかに微笑んだまま続ける。
「ああ、そうそう。自己紹介がまだだったよね。僕は黄風大王と呼ばれている。ここ、黄風領を統べる妖さ」
「黄風大王……」
あまりにも陽気な妖、黄風大王。しかしその妖気は強大で、涼香はごくりと唾を飲み込む。
(悟空……八戒……)
二人の弟子はどうしているだろう。助けにきてくれるだろうか。
涼香は妖の根城で一人きり、心細さと戦っていた。
*****
一夜明けて翌日。涼香はどこかに抜け道はないだろうかと部屋を探っていた。しかし、窓はなく、出口は一つだけ。その出口には牛鬼が見張りに立っていて、とうてい出れそうにない。
どうしたものかと思案に暮れていると、一匹のやぶ蚊がぶーんと音をたてて部屋に入ってきた。涼香がやぶ蚊を見ると、どこからか声が聞こえてくる。
「ご無事でしたか、お師匠さん。良かった……」
「悟空? どこにいるのです? まさか……」
「そのまさかですよ、お師匠さん」
言うが早いか悟空は変化の術を解き、やぶ蚊から人の姿に戻る。そして涼香を抱き締めた。
「ちょ、ちょっと……」
「すみません、お師匠さん。俺がついていながら攫われてしまうなんて」
悟空の悔恨に満ちた声音に涼香はもがくのを止めて顔を上げた。間近にある悟空の端正な顔は、苦し気に歪んでいる。
「大丈夫でしたか? 痛い思いをしませんでしたか? 怖い目に遭いませんでしたか?」
「……大丈夫ですよ。ここの主、黄風大王は私を太らせてから食べるつもりらしく、美味しい食事を頂いただけです」
「そうですか。お師匠さんを食べるつもりなんて、黄風大王は許せませんが、怖い思いをしていなくて本当に良かった」
そう言って悟空は心から安堵したように息を吐くものだから、涼香はどうしたらいいかわからず、おずおずと手を伸ばしてその背を軽く叩いてみた。ぽんぽん、とまるで子供をあやすように叩くと、悟空はくすくすと笑う。
「慰めるつもりが慰められちまいましたね。さあ、ここから出ましょうか、お師匠さん」
「出るって……どうやってですか?」
「そりゃ、正面突破に決まってるでしょう。しっかり着いてきてくださいよ」
「ええ!?」
黄風洞には黄風大王を始めとしてたくさんの妖がいる。
だが、その事を伝えても悟空は不敵に笑うだけで一向に取り合わない。如意棒を取出し、無造作に入り口に向かって歩きだした。
「さ、行きますよ。俺の後ろに着いてきてください」
「……はい」
悟空を説得することを諦めた涼香は、溜め息を吐きつつ彼に続いた。
*****
悟空は強かった。自信満々なだけはあり、わらわらと出てくる妖達を次々打ち倒しものともしない。
目の前で繰り広げられる戦いに身を竦ませながらも、これなら無事に脱出出来るかもしれない、と涼香が思い始めたころ、彼が現れた。
「あーあ。人ん家で好き勝手やってくれちゃって……いくら温厚な僕でも怒るよ?」
顔をしかめて辺りの惨状を見回すのは、黄風洞の主、黄風大王だった。
「てめえがお師匠さんを攫って、食おうとしてるとかいう黄風大王か。覚悟しろ。ぶっ殺してやる」
「野蛮だね。返り討ちにしてあげるよ」
二人はそれぞれ武器を構えると戦い始めた。
攻防は一進一退で、涼香ははらはらと見守る。黄風大王の武器は三つ又の刺叉で、かなりの使い手だった。
打ち合うこと三十余合。なかなか決着がつかず、焦れた悟空は《身外身の法》を使った。髪の毛を一掴み掴んで息を吹き掛ける。すると何十人もの悟空の分身が現れ、黄風大王を取り囲んだ。
「これでしまいだな」
「それはどうかな?」
黄風大王は言って片手を上げた。すると凄まじい風が吹き、悟空の分身を蹴散らした。
「うわっ」
しかも、悟空の本体に向け、怪しい風を吹き掛けたのだ。悟空は目を押さえて蹲る。
「悟空!」
「来ちゃいけません、お師匠さん」
涼香は悟空に駆け寄ると、黄風大王から彼を庇った。
「お願いします、悟空を……私の弟子を助けてください」
「んー、そうだなあ。まあ、今すぐ殺さなくてもいいかな。――連れていけ」
黄風大王は部下に命じて悟空を涼香と同じ部屋に入れた。
「これで君も話し相手が出来てさびしくないね」
「……ありがとうございます」
にこにこと笑い掛けられ、涼香は固い表情で礼を述べる。
かくして、助けにきた悟空は涼香とともに捕らわれてしまったのだった。




