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「――妖だ!」


 邑に戻った涼香は小さく悲鳴をあげた。邑は火に包まれ、逃げ惑う村人達を何匹もの妖が追い掛け回していた。


「牛鬼に羅刹鳥に……ああ、火鼠のヤツがいますね。この火はあいつらの仕業か」


 牛の頭を持った鬼、鳩に似ている人の目玉をつつく鳥、そして毛の長さだけでも五十センチはある鼠を見て悟空が呟く。


「そんな、何故いきなり」

「たまたまでしょう。あいつらは気紛れですからね」


 たまたま? ……気紛れで奪うほど、人の命は軽いのか。人の悲哀など、妖にとっては散り芥も同然なのか。

 ――人間をなんだと思っているのか。

 怒りに震える手で強く錫杖を握り締め、涼香は抑えた声で言った。


「……悟空。皆を助けてきてください」

「お師匠さんの側から離れるわけには」

「はやく!」


 渋る悟空の言葉を遮り、涼香は声を荒げた。悟空は眉をひそめて涼香を見たが、やれやれと言いたげに溜め息を吐くと頷いた。


「わかりましたよ。でも、お師匠さんも来て下さい。絶対に俺の側から離れないでくださいよ? 俺の側以上に安全なところはありませんからね」


 軽口をたたきながら悟空はどこからか赤い棒を取り出す。悟空の武器である如意金箍棒は一振りで長く伸びると、早速羅刹鳥の一羽を打ち倒した。

 そのまま妖を退治しながら邑を回っていると、村人を庇って戦っている八戒が見えた。九つの歯をもつ馬鍬で牛鬼とやり合っている。


「八戒、あ、いえ。悟能さん、上!」


 八戒を狙って羅刹鳥が急降下してくるのに気付き、涼香は叫んだ。


「うおっと」


 慌てて八戒は首をすくめてやり過ごし、羅刹鳥の首に馬鍬を叩きつけた。悲鳴のような鳴き声をあげて羅刹鳥は地面に落ちる。牛鬼の方は悟空が如意棒の一振りであっさりと倒していた。


「お坊様、それに孫の兄貴も。助かりましたよ」

「いえ。それよりも翠蘭さんは? それに、高大公も」

「それが、あっしも探してはいるんですが……」

「おい、見つけたぞ。向こうだ」


 悟空が指差した方向を見ると、高大公が翠蘭と共に火鼠から逃げているところだった。


「翠蘭! お義父さん!」

「悟能さん!」


 翠蘭が八戒の声に気付き、こちらに顔を向ける。高大公もこちらを見て、ぎょっとしたように足を止めた。


「ご、悟能!? 何故だ、お前は灰に……」

「お父様、後ろ!」

「え? うわああ!!」


 棒立ちの高大公に火鼠が襲い掛かる。


「お義父さん!!」


 悟空が動くよりも早く八戒が駆けた。見る見るうちにその身体は一回り大きくなり、頭部が豚へと変わる。怒りにより本性を現した八戒はそのままの勢いで火鼠を打ち倒した。


「悟能……」

「お義父さんは翠蘭とお坊様のところに!」

「お、お前はどうするんだ!」

「あっしはこいつらを倒します!」


 妖の本性を顕にしたまま、八戒は馬鍬を振り回し戦った。悟空も術や如意棒で妖を退治し、二人の活躍によって妖の群れは壊滅したのだった。――しかし。


「せっかく助けてやったのに、空気が悪いですね」

「……」


 村人達は離れた場所から八戒を見ている。いや、睨み付けている。

 八戒は人の姿に戻っているが、その正体を皆が知ってしまった。恐れと憎しみの視線を受けて、八戒の人の良さそうな顔が悲しげに歪んでいる。


「ご、悟能さん」

「駄目だ、翠蘭!」

「放してお父様!」


 少し離れたところでは、八戒のもとへ行こうとする翠蘭を高大公が止めていた。彼らにも、村人達は嫌悪と猜疑の視線を向けている。妖を婿にした嫌悪、そして彼らも妖の仲間なのでは、という猜疑だった。


「……妖は出てけ」


 誰かがぼそりと呟いた。拒否に満ちたそれはすぐに村人達に広がった。


「そうだ、妖は出ていけ!」

「よくも人間のふりをして騙してくれたな!」

「ずっと妖と気付かなかったなんて……おお、嫌だ。早く出ていっておくれ!」

「そうだ、そうだ!」


 村人達の非難の声を浴びて八戒はいっそう悲しげに顔を伏せる。一人が石を投げつけると、皆もそれに倣った。

 容赦なく礫(つぶて)を受ける八戒の姿に、我慢できず庇おうとした涼香だが、悟空に止めらてしまう。


「待ってくださいよ。お師匠さんが出ていって何が出来るっていうんですか」

「それは……でも!」

「まあまあ。無策で出ていくのが良くないって言ってるんですよ。――こうしたらどうですか?」


 と、耳打ちされた涼香は強く頷いた。

 しゃらん、と錫杖を鳴らして人々の視線を集める。


「皆さん。私は旅の僧です。実は私は昨日高大公さんに相談を受け、ここにいる猪悟能を弟子にしました」

「え、お坊様、なにを」


 驚く八戒を目配せして黙らせ、涼香はさらに続ける。


「猪悟能は確かに妖ですが、仏の教えを受けて善行を積もうとしています。それは、先ほどの行いからもわかると思います」

「それは……」

「確かに……だが……」

「お坊様の弟子に……」


 戸惑い、ざわめく村人達はどうしたらよいかとお互いの顔を見合わせる。涼香はそんな彼らに真っ直ぐな目を向けた。


「私達はすぐにここから離れます。皆さんを騙していた猪悟能を許せない気持ちはわかりますが、このまま行かせてくれませんか」

「それは……しかし」

「いいんじゃねえか? 出ていくならよう」

「そうだね……でも」


 そこで村人達が次に目を向けたのは高大公と翠蘭だった。特に八戒を婿にしていた翠蘭に向ける目は厳しい。


「ちょっとお待ちください、お師匠様」

「悟能さ……悟能?」


 その時、八戒が前に進み出た。そのまま彼は翠蘭を背に庇う高大公の元にむかい、おもむろに膝を折った。


「人間のふりをして婿に入り、申し訳ありません。翠蘭も、あっしが妖だなんて知らなくて、怖い思いをさせちまったな。本当にすまない」

「悟能さん、なにを……」

「……まったくだ、この妖め!」

「お父様!?」


 高大公は落ちていた棒切れを拾うと、それで八戒の肩を打った。鈍い音が響き、涼香は息を呑む。


「な、なにを」

「駄目ですよ、お師匠さん」

「何故止めるのですか、悟空!」

「高大公のあの顔を見てください」

「え……」


 悟空に言われた通り高大公を見た涼香は動きを止めた。八戒を棒切れで打据える高大公の顔は苦しみに歪み、目には涙すら浮かんでいた。


「あいつは、猪悟能の気持ちを酌んでああやってるんですよ」

「悟能さんの、気持ち」

「ええ。このままだとあの父娘はこの邑に居れなくなっちまう。それをなんとかしたくて打った悟能の芝居に付き合っているんですよ」


 悟空が話す間にも、棒切れは二度、三度と八戒を打つ。翠蘭は涙をながしながらそれを見ている。彼女も八戒の気持ちをわかっているのだろう。


「……このくらいにしといてやる! もう二度と顔を見せるな!」


 息を切らし高大公はそっぽを向いた。村人達に気付かれぬようそっと涙を拭う高大公に翠蘭が寄り添う。

 八戒は最後に深々と頭を下げて邑を後にした。



   *****



「やあ、お二人にはずいぶんと助けてもらっちゃいましたねえ」


 邑からだいぶ離れたところで八戒はにこやかに言った。


「それはかまいませんが……その。大丈夫ですか?」

「なにがですかい?」

「なにがって……さっきの事ですよ」

「ああ。筋書きはちょっと違ってしまいましたね」

「筋書き?」

「いやですね、忘れたんですか? あっしが高老荘を一旦離れる話ですよ。まあ、こうして無事に旅に出れましたし、後はほとぼりが冷めるのを待つだけですねえ」

「……つ、強いですね」


 なんと、八戒は当初の予定通りにほとぼりが冷めたら邑に帰るつもりであるらしい。頬を引きつらせる涼香に向かって八戒は頭を下げた。


「と、いうわけでこれからよろしく頼みますね、お師匠様。孫の兄貴」

「え」

「はあ? なに言ってやがんだ、この豚」


 目を丸くする涼香と顔をしかめる悟空に、八戒はからからと笑ってみせる。


「やだなあ、弟子に取ったと言ってくれたじゃないですか」

「あ、あれは方便というもので」

「ああ、そうそう。弟子になった記念に、呼び名をつけてくれませんか? お師匠様に悟能と呼ばれると翠蘭を思い出しちまうもんで」

「聞けよ、豚」


 精神的に強い八戒は何を言われようとにこにこと受け流し、結局、嘘から出たまことで弟子になった。

 涼香に八戒の呼び名をもらい、新しい弟子は嬉しげに馬鍬を振り上げる。


「八戒。八つの忌みものをしていたあっしにぴったりの名前ですね。お師匠様、孫の兄貴。これから天竺まで、頑張りましょうね!」

「……ちっ」

「……あ、はは。ええ、そうですね」


 舌打ちする悟空を横目に、涼香は苦笑まじりで頷く。


 こうして弟子に八戒を加え、一行はさらに西へと向かうのであった。

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