第九話「ギルド長の警告状」
ルカ村との提携が始まってから、東街道の直売所は目覚ましい進化を遂げていた。
リツが自作した頑丈な木製スタンドは二台に増設され、街道の木陰に堂々と並んでいた。
向かって右側の棚には、リツが手塩にかけて育てた赤丸トマト、滋養キャベツ、甘小カブ、そしておまけの滋養ハーブの籠。
左側の棚には、トマスたちが早朝に荷車で運んできた、みずみずしい夏大根と大玉の玉ねぎが所狭しと並んでいた。
それぞれの野菜の前には、手書きの木札が掲げられている。
『ルカ村の朝採れ大根:一本・銅貨二枚。土と太陽の恵みです』。
生産者の名前が明記された野菜は、買いに来る人々に大きな安心感を与えていた。
早朝の東門が開くと同時に、直売所を目指す人の波は途切れることがなかった。
下町の主婦たちだけでなく、安くて新鮮な食材を求める大衆食堂の店主や、寮の料理番たちまでが台車を引いて買い付けに現れるようになっていた。
料金箱には、カラン、チリンと澄んだ鈴の音が絶え間なく響き渡る。
ルカ村の農夫たちは、夕方にずっしりと重い売上金を受け取ると、涙を流してリツの手を握りしめた。
正当な労働の対価が、初めて彼らの手のひらに戻ってきたのだ。
一方、城壁の内側にある中央青果市場は、未曾有の惨状に陥っていた。
正午を過ぎても客足はまばらで、荷受所の前には萎びた野菜の山が放置されていた。
庶民も料理人も、都市の外で安くて極上の野菜が手に入ると知ってしまえば、誰が高くて腐りかけたギルドの野菜を買うだろうか。
中央青果市場の売上は、わずか半月で半分以下にまで激減していた。
中央青果ギルドの本部ビル最上階、分厚い絨毯が敷き詰められた支部長執務室。
贅沢な絹の外套に身を包んだ男、ギルド長ガルシアが、脂ぎった顔を怒色に染めて机を叩き壊さんばかりに殴りつけた。
壁には高価な絵画が並び、棚には貴族から贈られた名酒が所狭しと飾られている。
都市中の農民と市民から吸い上げた血税のような富で築かれた贅の極み。
そのすべてが、城外の小さな木箱によって根底から揺るがされていた。
「ふざけるな! なんだこの売上台帳は! 先週のさらに三割減だと!? 貴様ら、一体何をやっている!」
「も、申し訳ございません、支部長……! 東街道のあの露店に、客が奇怪な勢いで流れておりまして……」
査定員の男が青ざめ、床に額を擦り付けて震えていた。
ガルシアは指にはめられた複数の宝石指輪を苛立たしげに擦り合わせた。
蛇のように細い瞳に、冷酷な光がギラギラと渦巻いている。
「たかが野良百姓一人の道端露店に、都市の胃袋が奪われているだと? 衛兵所は何をしている! 鑑札を持たぬ不法商人をなぜ即座に捕縛して豚箱へ叩き込まんのだ!」
「そ、それが……東街道は都市の城壁外、領主閣下の直轄緩衝地帯でして……警備騎士団のアルベルト小隊長が管轄外の私的商取引に騎士団は介入できないと、我らの要請を撥ねつけているのでございます!」
「アルベルト……あの融通の利かん堅物めが……!」
ガルシアは苦々しげに舌打ちした。
騎士団長や市政官には多額の賄賂を握らせてあるが、現場の巡回小隊が公道警備を盾に動かないとなれば、表立った公権力を行使しにくい。
だが、このまま放置すれば、ギルドが長年かけて築き上げたオルバールの青果独占体制は崩壊してしまう。
ガルシアは机の上の分厚い羊皮紙を引き寄せると、羽ペンに黒いインクをたっぷりと浸した。
「野良百姓風情が、私に歯向かったことを骨の髄まで後悔させてやる……」
翌日の昼下がり、畑の草取りを終えて直売所へ戻ったリツは、スタンドの前で足を止めた。
木製の棚板の中央、料金箱のすぐ横に、鋭利な短剣が深々と突き立てられていたのだ。
短剣の刃には、一枚の羊皮紙が突き刺さっていた。
赤黒い封蝋には、中央青果ギルドの紋章が刻印されている。
騒ぎに気づいたミーシャと、出荷の手伝いに来ていたトマスが駆け寄ってきた。
「な、何これ……!? 刃物が刺さってる……!」
「ギルドの紋章じゃ……! ついに奴らが動き出しおった……!」
トマスが顔を青ざめさせ、膝を震わせた。
リツは冷静に短剣を引き抜き、羊皮紙を広げて声に出して読み上げた。
「『警告書。東街道における無許可の露店販売は、オルバール商事流通令および公道占有法に違反する不法行為である。直ちにすべての棚を撤去し、これまでの不法収益の全額をギルドへ賠償金として納付せよ。三日以内に従わぬ場合、ギルド査察官および治安維持部隊による強制執行を行い、当該の畑および作物を全量没収する。中央青果ギルド支部長・ガルシア』」
あまりにも傲慢で、理不尽極まりない最後通牒である。
「ひ、酷い……! 自分たちが買い叩いておいて、邪魔になったら畑ごと奪うつもりなの!?」
ミーシャが悔しさに拳を震わせた。
トマスは力なく首を振った。
「言わんこっちゃない……ガルシアは本気じゃ。あの男は市政官とも繋がっとる。三日後にはゴロツキと私兵を引き連れて、本当に畑をめちゃくちゃにしに来るぞ……! リツの若いの、もう潮時じゃ。謝罪して、畑を明け渡すしか……」
「いいえ、トマスさん。謝る必要なんてどこにもありません」
リツの声は、驚くほど静かで澄んでいる。
リツは羊皮紙を裏返し、書かれた条文を指差した。
「この警告書、よく読んでみてください。オルバール商事流通令と公道占有法を根拠にしています。ですが、オルバールの都市法が適用されるのは城壁の内側だけです。公道占有法にしても、ここは街道の敷地境界から外れた俺の私有地です。ギルドに強制執行を行う法的な権限なんて、最初から一切ありません」
「えっ……? そ、そうなのかい?」
「はい。これは法的な通告ではなく、ただのハッタリと脅迫です。自分たちに手出しできる権限がないからこそ、こうして脅して自発的にやめさせようとしているんです」
リツは警告状をきつく握り潰した。
前世でも、既得権益にしがみつく悪徳業者が、法を装った脅しで新規参入者を潰そうとする事例を何度も見聞きしてきた。
屈してしまえば、待っているのは以前よりも過酷な隷属と搾取にほかならない。
「ここで引けば、ルカ村の人たちも、下町の人たちも、またあの腐った市場に戻ることになります。作物を愛し、土を愛する農夫として、そんな横暴には絶対に屈しません」
リツの力強い瞳を見て、ミーシャが大きくうなずいた。
「そうだよね! あたしたちには、下町のみんなもついてる! 騎士団の隊長さんだって味方してくれてるもん!」
トマスもまた、震えていた拳を強く握り直した。
「……そうじゃな。ここで逃げたら、儂は一生自分を許せん。リツ、儂も腹を括ったぞ。村の連中にも声をかけて、畑を守る準備をしよう」
「ありがとうございます、トマスさん。正々堂々と受けて立ちましょう」
リツはすぐにアルベルト小隊長へも警告状の写しを届け、事態の共有を図った。
事情を聞いたアルベルトは、短剣の刺さった警告状を一瞥すると、毅然とした態度で告げた。
「法的な根拠のない私的脅迫だ。ここは領主閣下の直轄地であり、ギルドの勝手な私兵行使は明白な違法行為にあたる。騎士団として不当な暴力は一切見逃さない」
騎士小隊長の揺るぎない言葉が、仲間たちの背中を力強く支えてくれた。
仲間たちの絆は、脅迫によって砕かれるどころか、より強固な鉄の結束へと昇華していく。
東街道を吹き抜ける風が、リツたちの作業着を力強くはためかせた。
脅迫の期限まで、あと三日。
小さな直売所をめぐる戦いは、いよいよ全面対決の様相を呈している。




