第七話「夜の泥棒と常連客」
新月の夜、東街道は濃密な漆黒の暗闇に沈んでいた。
オルバールの東門が日没とともに重々しい音を立てて固く閉ざされ、街道を行き交う旅人や荷馬車の気配が途絶えた真夜中。
冷たい夜風が街道沿いの草木を揺らすざわめきに紛れて、二つの不穏な足音が湿った砂利を踏みしめて近づいてきた。
擦り切れたフードを目深に被り、粗末な布で鼻先まで覆い隠した二人の男。
手には重厚な鉄のバールと、獲物を詰め込むための大ぶりの麻袋が握りしめられていた。
都市の裏路地を根城にする、青果ギルドお抱えのゴロツキ崩れの泥棒たちだった。
昼間の市場で青果ギルドの手代たちが、街道の直売所に客を奪われて売上が激減していると苛立ちを募らせていたのを、男たちは聞きつけていた。
見張りもいない露店なら、夜中に押し入って料金箱をへし折り、並んでいる野菜を根こそぎ奪い去ることなど赤子の手をひねるより容易い。
そう踏んでの犯行だった。
「へへっ、噂通り本当に誰もいねえな。店番も置かねえで商売なんざ、いい気になりやがって」
「街道の脇に金を置き去りにしてるようなもんだ。あの料金箱ごとへし折って持ち帰れば、銀貨数枚分にはなるぜ」
男たちは忍び足で、街道脇に佇む直売所のスタンドへと忍び寄った。
昼間は多くの客で賑わう木製の棚も、今は静まり返っている。
男の一人がバールの先端を、樫の木の料金箱と太い支柱の隙間へとねじ込んだ。
ギギッ、と鉄の軋む嫌な音が闇に響く。
もう一人が棚にわずかに残されていたカブの籠へ手を伸ばした、その瞬間だった。
「――そこまでだよ、泥棒さん!」
凛とした少女の声が、夜の静寂を鋭く切り裂いた。
闇の中から、小柄な影が風のように躍り出た。
ミーシャだった。
彼女は使い古した革鎧を身につけ、鞘に収まったままの小太刀を鋭く突き出した。
バールを持っていた男の鳩尾へ、柄頭が正確無比に突き刺さる。
「ぐへっ……!?」
男が呼吸を詰まらせてその場に崩れ落ちた。
もう一人の男が狼狽え、隠し持っていた短剣を抜こうと身構えた。
「な、なんだこのガキは……!? 待ち伏せしてやがったのか!」
「あたし一人だと思うなよ!」
ミーシャが口笛を鋭く吹き鳴らすと、直売所を取り囲む木陰や麦畑のあぜ道から、次々と松明の灯りが立ち上った。
現れたのは、ミーシャだけではなかった。
長屋の鍛冶屋の親方、怪我で引退した元冒険者の大男、さらには日頃から直売所で野菜を買っている下町の若い職人たち、総勢七名。
彼らの手には棍棒や鋤が握りしめられ、その顔には泥棒に対する激しい怒りが燃え盛っていた。
「てめえら、俺たちの直売所に何の手出しをしてやがる!」
「ひっ……!?」
鍛冶屋の親方が丸太のような太い腕で男の首根っこを締め上げ、あっさりと地面に組み伏せた。
二人の泥棒は手足を太い麻縄で固く縛り上げられ、転がされる。
騒ぎを聞きつけたリツが、畑の奥の納屋からランプを手に駆けつけてきたのは、ちょうどその時だった。
街道に集まった松明の群れと、捕縛された泥棒たちを見て、リツは驚きのあまり立ち尽くした。
「ミーシャ……? それに、皆さん……一体これは?」
ミーシャは小太刀を腰に戻し、得意げに胸を張って笑顔を見せる。
「リツさん! あたしたち、直売所の自警団を作ったの! あんなに繁盛してたら、絶対に夜中に金箱や野菜を狙う悪い奴が出るって、下町のみんなで話しててさ。だから、あたしが声をかけて、毎晩交代で見張りをすることにしたんだよ!」
「見張りを……毎晩?」
鍛冶屋の親方が白い歯を見せて豪快に笑った。
「当たり前だろ、リツの旦那! 旦那が丹精込めて作った安くて美味い野菜のおかげで、うちの女房も子どもたちも、毎日腹いっぱい美味いもん食えてるんだ! この店を潰されてたまるかってんだよ! 恩返しをさせてもらうのは、こっちの番だ!」
「そうだぜ! 昼間はリツさんが畑で頑張ってくれてるんだから、夜は俺たちが店を守る! 当たり前のことだ!」
若い職人たちもうなずき、リツに温かい視線を向ける。
ミーシャは照れくさそうに頭を掻きながら、言葉を続けた。
弟のルカが救われたあの日から、ミーシャは下町の長屋を一軒一軒回り、直売所の野菜がいかに素晴らしいかを熱心に語り歩いていた。
下町の人々もまた、ギルドの搾取に何年も苦しめられてきた者たちばかりだった。
誰かが善意と勇気を持って踏み出してくれたなら、今度は自分たちがそれを守らなければならない。
そうした想いが、自然とこの自警の輪を結成させたのだ。
リツは胸が熱くなり、思わず目頭を熱くした。
誰かに頼んだわけでも、金を払って雇ったわけでもない。
ただ誠心誠意、良質な作物を適正な価格で届け続けた結果、客たちが自発的に立ち上がり、自分たちの手で直売所を守る盾になってくれたのだ。
性善説は、単なる受け身の理想論ではない。
誠意が人々の心に火をつけ、悪意を跳ね返す本物の絆へと育っていたのだ。
「……ありがとう、みんな。本当に……ありがとう」
リツは深々と頭を下げた。
目頭を潤ませる熱い想いを、心地よい夜風が優しく冷ましてくれる。
冷え込む夜の中、リツは納屋から温かいハーブ茶の壺と、採れたてのトマトを差し入れた。
松明の火を囲みながら、職人たちと笑い合い、土作りの話や下町の暮らしについて語り合った。
人と人とが純粋な信頼で結ばれる温もりが、冷たい夜の空気を確かに溶かしていく。
東の空が白み始めた頃、街道の先から規則正しい馬蹄の音が近づいてきた。
早朝の巡回に出発した、アルベルト小隊長率いる都市警備騎士団の部隊である。
街道脇に集まる人だかりと、縄で縛られた泥棒たちを見たアルベルトは、馬を寄せて眉を上げた。
「これは何の騒ぎだ?」
ミーシャと親方が事情を説明すると、アルベルトは縛られた男たちの顔を改め、冷徹に鼻を鳴らした。
「ギルドお抱えのチンピラどもだな。不法侵入および窃盗未遂の現行犯か。見事な連携だ」
アルベルトは馬から下り、リツの前に歩み寄った。
その表情には、数日前の重苦しい疲労や胃痛の陰りは微塵も見られない。
肌の色艶は良く、瞳には精悍な光が宿っていた。
「リツ殿、先日のキャベツと滋養ハーブ、実に見事なものだった。長年私を苦しめていた胃痛が、あの一杯で劇的に改善したのだ。心から感謝申し上げる」
「お役に立てて良かったです、隊長さん」
リツが穏やかに微笑むと、アルベルトは小さく口元を緩め、真摯にうなずいた。
「この泥棒どもは、私が責任を持って騎士団本部へ連行し、厳罰に処そう。……それと、領主閣下直轄の公道における治安維持は、我ら警備騎士団の正式な任務だ。今後はこの直売所の周辺を、重点巡回区域に指定する。不審者が近づけば、我々が即座に対処しよう」
「本当ですか、騎士様!?」
ミーシャが歓声を上げ、常連たちからも歓喜の声が湧き上がった。
騎士団が公認でパトロールしてくれるとなれば、これ以上の後ろ盾はない。
直売所の信頼と安全は、市民と騎士団の結束によって、より強固なものとなったのだ。
アルベルトは部下に命じて泥棒たちを連行させると、馬に跨がる直前、リツに耳打ちした。
「ギルド長ガルシアが、騎士団上層部へこの露店の強制撤去を働きかけている。だが、ここは領主直轄地だ。法の正義がある限り、私が不当な介入を許しはしない。……励みたまえ、農夫殿」
力強い激励を残し、騎士団は東門へと戻っていった。
朝日が東街道を燦々と照らし出していた。
リツは畑を見渡し、大きく息を吸い込んだ。
自分はもう、たった一人で荒れ地と戦う孤独な農夫ではない。
この直売所を愛し、支えてくれる大勢の仲間たちがいる。
だが、事態が好転すればするほど、背後に潜む怪物の焦燥と怒りは極限へと高まろうとしていた。




