第六話「澄んだ鈴とおまけ」
街道の無人直売所の噂は、日を追うごとに都市オルバール中に浸透していった。
早朝の東門が開くと同時に、直売所を目指して歩く人々の列は日に日に長くなっていく。
客が増えることは農夫として無上の喜びだったが、同時にリツは新たな課題にも直面していた。
多くの人が集まれば、どうしても良からぬ考えを起こす者が混ざり込むのが世の常だ。
ある日の夕方、料金箱を回収したリツは、硬貨の中に丸く削った鉛の板や、平たい川原の小石が二枚ほど紛れ込んでいるのを見つけたのだ。
青銅片の共鳴音を鳴らすほどの重さがあり、巧妙に投入されたものに違いない。
本物の銅貨と大きさを似せ、意図的に騙し取ろうとした痕跡だった。
(やっぱり、人が増えればこういう手口も出てくるか……)
リツは怒るよりも先に、前世の知恵を総動員して対策を講じることにした。
性善説を維持するためには、悪意を寄せ付けない強固な仕組みが必要なのだ。
リツは料金箱の投入口を外し、内部に二重の選別スリットを組み込んだ。
本物の銅貨の厚みと直径にミリ単位で合わせ、規格外の鉛板や小石は投入口の手前で引っかかり、下に落ちずに横の隙間から滑り落ちて手元に戻る仕掛けだ。
さらに、硬貨が落ちる底板には魔導鉱石の小さな破片を取り付けた。
銅や銀などの特定の金属が触れた時だけ、チリンとより澄んだ快い音色が周囲に響き渡る構造である。
周囲に人がいれば、小石を入れてごまかそうとしても音が鳴らないため、一発で不正が露見する。
農作業の合間を縫って、ノミとヤスリを器用に使い、樫の木箱の内側を滑らかに削り込んでいく。
投入されたコインがスムーズに滑り落ち、美しい音色を奏でる角度を何度も微調整した。
硬貨が落ちるたびに、まるでオルゴールのような優しい音が鳴り響く。
これなら、お金を入れる行為そのものが、客にとっても楽しい体験になるはずだ。
「よし、これで機械的な選別は整ったな」
作業台を片付けながら、リツは小さくつぶやいた。
次にリツが取り掛かるのは、人の心を動かすための前向きな工夫である。
前世の実家近くの直売所でも、常連客に愛されていた店には必ず共通点があった。
ほんの少しの心遣い、作り手の温もりが伝わるおまけの存在。
リツが目をつけたのは、畑の隅でコンパニオンプランツとして育てていた野性の滋養ハーブだった。
ミントのような清涼感のある香りと、カモミールのような甘い芳香を併せ持ち、胃腸の調子を整える薬効の高い野草だ。
害虫を遠ざける役割を果たすだけでなく、葉そのものも極めて上質である。
【土壌感応】で根元の水分を調整し、太陽の光をたっぷりと浴びて育ったハーブは、触れるだけで指先に心地よい爽快な香りを残す。
リツは朝露に濡れたハーブを丁寧に手摘みし、麻紐で可愛らしく小さな束に束ねていった。
そして直売所の棚の脇に小さな編み籠を置き、ハーブの束を十数個並べた。
木札にはこう書き添えた。
『お買い上げいただいた方へ。日頃の感謝を込めて、胃腸に優しい滋養ハーブをおひとつどうぞ。お茶やスープに浮かべてお召し上がりください』。
おまけの存在は、単なる無料サービスにとどまらない。
正規の代金を払った者だけが堂々と手に取れる特権とすることで、正しく買うことへの誇りと満足感を醸成する。
そして、この小さな籠を見守る常連客たちの目が、そのまま直売所を守る自然な防犯の砦となるのだ。
その日の昼下がり、東街道に一台の白馬と、銀の胸当てを身につけた一団が通りかかった。
都市オルバールの治安を守る都市警備騎士団の第三巡回隊。
その先頭に立つ小隊長アルベルトは、端正だが苦み走った顔を歪め、胸当ての上から自らの腹部を強く押さえていた。
キリキリと、胃の奥を針で刺されるような激痛が波のように押し寄せてくる。
アルベルトを苛んでいるのは、過酷な軍務だけではなかった。
青果ギルド長ガルシアが騎士団上層部に多額の賄賂をばら撒き、市場の不当な取り締まりや農民の弾圧に騎士団の権力を使わせようとしている現実だ。
市民を守るべき騎士の誇りを汚されながら、軍規と命令には逆らえない板挟みの苦悩。
その激しい精神的ストレスが、彼の胃を毎日のように激痛で苛んでいた。
軍医から処方される苦い胃薬も、気休め程度にしかならない。
部下たちに心配をかけまいと痛みに耐えながら馬を進めていたアルベルトの目に、街道脇の木造スタンドが留まった。
「小隊長、あれが今、下町で評判の東街道の直売所でありますな」
副官の若い騎士が指差した。
「無鑑札の露店か。ギルドが目の敵にして撤去を騒ぎ立てている場所だな」
アルベルトは手綱を引き、馬を止めた。
都市の外である東街道は領主直轄地であり、都市法の販売規制は及ばない。
ギルドからの不法露店撤去要請を、アルベルトは法的な管轄外を理由に突っぱね続けていたのだ。
一体どんな怪しげな密売所かと思えば、そこにあったのは驚くほど清潔で、手入れの行き届いた素朴な木製の棚だった。
並んでいるのは、みずみずしい緑のキャベツと、深紅のトマト。
そして、風に揺れる小さなハーブの籠だった。
アルベルトは馬から下り、棚へと近づいた。
漂ってくるハーブの清々しい香りを吸い込んだ瞬間、キリキリと痛んでいた胃の奥が、わずかに緩むのを感じた。
木札の文字に目を留める。
『胃腸に優しい滋養ハーブをおひとつどうぞ』。
(胃腸に優しい、だと……?)
藁にもすがる思いだった。
アルベルトは財布から銅貨を二枚取り出し、樫の木の料金箱の投入口へと落とした。
カラン、チリン――
驚くほど澄み切った、美しい共鳴音が街道の木陰に響き渡った。
アルベルトは思わず目を瞠った。
ただの木箱ではない。
職人の確かな技術と、計算された細工が施されている。
アルベルトはずっしりと重いキャベツを一玉手に取り、おまけのハーブの小束を一つ、胸元へと収めた。
部下たちも物珍しそうにトマトを買い、料金箱に澄んだ鈴の音を響かせた。
その夜、警備兵舎の自室に戻ったアルベルトは、当番兵に頼んで湯を沸かさせ、持ち帰ったハーブを陶器のカップに浸した。
立ち上る湯気とともに、爽やかで優しい薬草の香りが部屋いっぱいに満ちていく。
さらに、リツのキャベツをちぎって塩少々とともに煮込んだ簡素なスープを用意した。
恐る恐る、ハーブティーを一口すする。
喉を通った瞬間、清涼感のある温かさが食道を伝い、荒れ狂っていた胃の粘膜を優しく包み込んでいくのが分かった。
キャベツを口に含むと、驚くほど柔らかく、噛むほどに大地の澄んだ甘みがあふれ出す。
油気のない優しい滋養が、弱り切っていた胃の奥にすっと染み渡っていった。
「……美味いな」
気づけば、アルベルトはスープを最後の一滴まで飲み干していた。
あんなに苦しめられていた胃の激痛が、嘘のように引いていく。
重苦しかった身体が軽くなり、何週間ぶりかに深い安らぎが訪れていた。
翌朝、目を覚ましたアルベルトは、自らの身体の軽さに驚嘆した。
長年彼を苦しめていた鉛のような重苦しさが消え去り、胃の不快感は跡形もなく消え失せている。
朝の訓練場に出たアルベルトの晴れやかな顔を見て、副官が驚愕の声を漏らして駆け寄ってきたほどだった。
騎士団の詰所の窓から、アルベルトは遠くの東街道を見つめる。
夜明けの光を浴びるあの街道に、市民の胃袋と健康を支える真の良心が存在している。
あそこには、ただの農夫ではない、本物の誇りと信念を持った何者かがいる。
市民を搾取するギルドの理不尽な圧力から、あの直売所を何としても守らなければならない。
生真面目な騎士の胸に、静かで揺るぎない正義の炎が灯ったのだった。




