第60話 統治者の判断として。
本日の更新です。
応接室の扉が閉じられ、しばらく二人の間に沈黙が流れる。
先ほどまでヴァルケンが座っていた場所には、未だ彼の残した不穏な余韻が漂っているようにも見えた。
その脇に座る男、黒縄会のトップであるガルヴィス。
彼は、閉じられた扉へ視線を向けたまま動かない。
心中はわからないが、表向きは平静を保っている。
「……いきなりのことで、驚かれましたか?」
ユージンが静かに話し始める。
ガルヴィスはそこでようやく視線をユージンへと向けた。
「それは当然でしょう。貴方様との橋渡しをなさるはずだった前総督閣下が、その貴方様の命令で突然拘束されたのですから」
「…………」
ユージンは、わずかに頷く。
「ガルヴィスさん。あなたを筆頭にした黒縄会が、ヴァルケン前総督と強い繋がりを持っていることは、先ほどの話でよく分かりました」
ガルヴィスの表情が、微かに強張る。
「ですが、今の段階であなた方が襲撃事件に関与したと断定することはできません」
「……前総督閣下が何をなさったかなど、俺は知りませんよ」
ガルヴィスが肩をすくめる。
先ほどまでの丁寧な物腰は残っているものの、言葉遣いに明らかな苛立ちが表れている。
「俺は、あくまでスラムの治安維持についての相談をするために来ただけです。何も心配はいらないという彼の言葉を信じたらこの有様だ。こっちだって迷惑を被ってる立場なんですよ」
自分も被害者であるといわんばかりの言葉に、それでもユージンは笑顔を見せる。
「それは、災難でしたね」
「——まったくだ」
ガルヴィスはため息交じりに応えると、ソファから立ち上がった。
「どうやら今日は、これ以上お話する雰囲気でもなさそうですね。これで失礼させてもらいますよ」
取り繕うように言葉遣いを戻した彼は、ちらりとユージンに目をやる。
「分かりました」
ユージンは止めなかった。
その言葉に、今度はガルヴィスの方が僅かに目を見開く。
しかしすぐに、到着時の柔和な表情へと戻った。
「では、いずれ改めてご挨拶に伺うことにします」
「ああ、一つだけ」
頭を軽く下げ、退出しようとするガルヴィスに、ユージンが声を掛ける。
「……まだ、何か?」
「貴方もご存じでしょうが、スラムについては既に総督府の名のもと、警備活動を再開してます」
「ああ、そのようですね。だから私たちが——」
「これまで人員不足を理由に、十分な警備が行われていなかった。これは総督府の怠慢と受け取られても仕方ありません」
ガルヴィスの言葉を遮るように、ユージンは続ける。
「当然ながらスラムも領地内。治安維持の責任を放棄して良い訳がない。……それは重々承知しています」
ユージンの発言に、ガルヴィスの表情が徐々に訝しげなものに変わっていく。
「そのため、何故今まで総督府がスラムから手を引いていたのか。この経緯についても、ヴァルケン前総督に詳しく事情を聞くつもりです」
「……」
ガルヴィスは怪訝な表情を崩さぬまま沈黙している。
「——更に我々は、今後フェルムと協力し、ともにスラム警備にあたるという契約を取り交わしました」
「ちょっと待ってくれ。フェルムと協力だって!?」
ユージンの宣言に彼は驚いた表情へ変わり、叫ぶように声を上げる。
——彼の態度は当然ね。
そもそも黒縄会がスラムで自由に振る舞えた最大の理由は、総督府がそこから手を引いていたから。
いわば、上からの『お目こぼし』を受けていたと言える。
……前総督、ヴァルケンへの賄賂によって。
だけど、ユージンが総督になったことで、再び総督府がスラムの治安維持に介入し始めた。
今日彼がここに来たのは、その話をしたかったのだろう。
改めて、自らが有用であると示し、何ならユージンもヴァルケンのように——。
しかしユージンは、彼の目の前でヴァルケンを拘束した。
結果的に、ではあるけど、まるでガルヴィスに見せつけるような形で。
更にフェルムと総督府が、既に手を組んでいたことを知る。
——とても、穏やかな気持ちではいられないでしょうね。
「……それは、我々の活動が邪魔だと仰っているのでしょうか?」
「いえ、これまで黒縄会が担ってきた役割を否定するつもりはありませんよ」
掴みかからんばかりの勢いで迫るガルヴィスに、ユージンは続ける。
「できれば黒縄会にも、今後のスラムの警備について協力して欲しいと思っています」
ガルヴィスは、しばらくの間ユージンの顔を睨むように見つめていた。
その態度には、カタギではない者特有の雰囲気が纏わりついている。
——本性が出始めたわね。
まあ、一皮むけばこんなものでしょう。
やがて。
「……勿論ですよ」
そうガルヴィスは言い残し、一礼のあと応接室を後にした。
◇
「……このまま帰しちゃって良かったのかな」
ユージンが大きく息を吐いた。
さっきまでの総督らしい態度はどこへやら。
一気にいつものユージンに戻っている姿を見て、私は思わず笑みをこぼす。
エルミナと一緒に部屋を出て、応接室に入る。
すると、ユージンがこちらを振り返った。
「お疲れ様、ユージン。見事な総督ぶりだったわね。あの堂々とした態度、見惚れてしまったわ」
「あ、ありがとう、アリシア」
私の軽口に、ユージンは顔を赤くする。
「そんなに恥ずかしがることないのに。立派だったわよ、ユージン」
「……多分、そういう意味で恥ずかしがってる訳じゃないと思うっすよ」
私はエルミナの言葉に首を傾げる。
そういう意味じゃないって……。
と、少し考えてやっと気づく。
——ああ、そっちの方。
「……あ、いや。総督として、ね」
「わ、分かってるよ。——いきなりでちょっとびっくりしただけ」
ユージンはそう言うと、うつむいたまま黙り込んでしまう。
「……鈍感系淑女」
エルミナがボソッと囁く。
なんでよ。
……話を変えよう。
「ガルヴィスについては、今はこれでいいわ。拘束できるだけの証拠が不十分というのもあるけど——」
「けど?」
もちろん、総督特権でガルヴィスをヴァルケンと共に拘束することは可能だった。
むしろ、今までの総督府ではそれが普通だと聞いた。
自白を強要し、罪をでっち上げたって不思議なことではない。
だけど、そのようなやり方はしたくないのだ。
「——彼はこのまま帰した方が、むしろこれからやりやすいと思ったの」
もちろん、ユージンのやり方としてふさわしくないというのもある。
ヴァルケンを拘束できたことで、複数の問題が明らかにできるというのも大きい。
でも一番は。
ユージン総督下での統治が今までと変わらないのではないか、と世間に見られてしまうことを私は恐れている。
そうした見方が広がってしまうと、私が何より大切にしている『周囲からの自発的な協力』を得られなくなってしまうから。
これは、ガルヴィスを帰すリスクとは比較にならない程の大きな損失といえるだろう。
だから、決定的な証拠が新たに出なければ、ガルヴィスは拘束しないようにと事前にユージンへ伝えていた。
私はアリシア・レオニエルとして、レオニエル公爵領の統治を長い間任されている。
その経験上、統治者からの強権的な命令よりも、そこに住む人達が自ら考え、動く方が、結果的に効率が良いことを実感している。
前世の記憶が無かったにせよ、アリシアとして生きてきた私は、ともすれば独善になりがちだったセレナとは別の価値観にたどり着いていたのだ。
——まあ、時には必要だけどね。
強引なのも。
でも、今じゃない。
私は、ユージンに微笑みながら応える。
「今回の対応は、ユージン総督が今までの人達とは違うと周囲に納得してもらう絶好の機会なのよ。だからユージン、私たちの判断に間違いはないわ」
とは言え、このまま野放しにしておく訳にもいかない、と思っていると。
「——ガルヴィスは、ヴァルケンが拘束されたことで、予定が大きく狂ったはず、だよね」
ユージンの方から問いかけられる。
「というと?」
敢えて私が質問で返すと、ユージンは続ける。
「彼はヴァルケンを使って、僕たちに近づこうとしていた。これはフェルムと敵対している噂を聞いたのと、実際にスラムへ僕たちが介入し始めたから」
私が頷くと、ユージンは一つ一つの言葉を確認するように自らの考えを話していく。
「ガルヴィスは僕らと協力してフェルムを排除し、黒縄会の立場を強化しようと画策した。だけど紹介者のヴァルケンは捕まり、総督府はフェルムと手を組んでいたことを知った。問題は、ここからガルヴィス率いる黒縄会がどう動くか。——こんな感じでいい?」
ユージンも、私と同じ点を問題だと考えたようだ。
考え方の筋道が同じだったことに、私は改めて安堵する。
「——うん。だから黒縄会はもちろん、ガルヴィス個人に対しても不穏な動きにすぐ対応できるよう、監視の目が必要ね」
私の言葉に、エルミナが手を挙げる。
「その辺はもちろん、私に任せてくださるとゆー話で」
「エルミナ、これ以上仕事を任せても大丈夫?」
心配そうな声で私が聞くと、エルミナは少しだけ不本意そうな表情を浮かべる。
「アリシア様。そこは任せる、と仰って欲しいところっすよ」
「……お願いね、エルミナ」
「了解っすー」
彼女は、飄々としたような笑顔で応えた。
ガルヴィス率いる黒縄会を泳がせ、襲撃犯であるという明確な証拠を掴み、ひいては氷冠聖会との関係を暴く。
……この判断が、思いもよらない形につながることを、この時の私は想像していなかった。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。
今後の構成を練り直すため、しばらく更新をお休みいたします。
更新再開は11月2日(月)を予定しておりますので、もしよろしければ、ブックマークを残したままお待ちいただけますと幸いです。




