第57話 反撃への布石。
本日の更新です。
スラムを抜け、総督府へ戻るため、人通りの多い領都のメインストリートを三人で歩く。
すると、それまで背後で周囲を警戒していたアルドリックが、足を止めずに私へ問いかけた。
「アリシア様。一つ、伺ってもよろしいでしょうか」
「なに?」
「なぜ、総督府の名を伏せたのでしょう。エルミナ殿の調査の段階で、警備隊として正式に捜査へ入ることもできたはずです。その方が話が早かったのでは?」
やっぱりそこが気になったか。
今回の計画を話した時、いまいち納得してなかったものね。
「——今回の話、元はと言えば総督府がスラムに干渉しなくなったことから始まってるでしょう」
「はい。だからこそ、この機会に総督府の名で捜査すべきではないでしょうか」
アルドリックは、少しだけ熱量のある声色で続ける。
「新たな総督府はこれまでとは違う。そう内外へ示す機会にもなります。新総督府の名においてスラムの混乱を解決し、襲撃の首謀者を突き止めれば、ユージン様にとっても政治的な成果となるでしょう」
「——その結果、フェルムの立場はどうなると思う?」
私が尋ねると、アルドリックは一瞬だけ言葉を止めた。
「……総督府が事件を解決すれば、フェルムは領民を守る力を失ったと見られるでしょう。組織が弱体化しているという認識も、さらに広がるかと」
「そうね。それで?」
「フェルムは総督府の傘下に入るべきだという声が強まります。少なくとも、ユージン様にとって不利な結果にはなりません」
淡々と述べる彼の言葉は、為政者の判断として間違ってはいない。
フェルムの弱みを利用し、こちらの成果に変える。
短期的な利益だけを考えるなら、合理的な方法だ。
「ユージンが今までの総督とは違うというアピールは私も賛成よ。でも、そのやり方ではフェルムの面目を潰すことになるわ」
「……承知しています」
「彼らはここの領民でもあるのよ。総督府内でのやらかしが原因なのに、それを棚に上げて、これから立ち直ろうとしている相手の功績を奪う。そんなやり方で、今後フェルムの人達と良い関係を続けられると思う?」
私の質問にアルドリックは答えない。
いや、答えられないのだろう。
「目先の利益のために、一度は信頼関係を結んだ相手の弱みにつけ込む。私はその方法を選びたくないし、ユージンにも、それを良しとする人になって欲しくないの」
——前世の私は、周囲を顧みなかったことで失敗した。
ユージンに、同じ過ちを繰り返させるわけにはいかない。
私の言葉を聞いていたエルミナが、横からフォローのように発言する。
「アルドリック隊長。アリシア様はフェルムだけじゃなく、貴方の面目も潰さないようにしてると思うっすよ」
「……」
「彼らとの繋ぎ役として、その方が隊長も動きやすいんじゃないっすか?」
少しの沈黙の後、低音で抑揚を抑えた声が私の耳に届く。
「……それが分かってるからこそ、敢えて申し上げているのです」
「あなたらしい言い草ね」
私たちにとって、有利な選択をするための足枷にはなりたくない。
そう、思ってるのでしょう。
その考え方は立派なものだし、そんなあなただから心から信頼できるのよ、アル。
——でもね。
「アルドリック。私は欲張りなのよ」
「欲張り、ですか」
「ええ。フェルムとの信頼関係は崩したくない。ユージンには成果をもたらしたい。そして、あなたにも不名誉な疑いをかけられたくない」
私は振り返り、彼を見る。
「すべてを叶えられる方法があるのに、みすみす手放すなどという選択肢を私は持っていないの」
アルドリックと目が合う。
少しの間の後、私は微笑む。
「アルドリック、私の願いに協力してもらえないかしら」
彼は、わずかに目を伏せた。
「……なるほど、やはり貴方は——いや」
彼は何かを言いかけて、止めた。
「——寛容でありながら合理的な判断、見事なもんだ。その期待に応えましょう」
「ふふ、じゃあ早速動いてもらうわよ」
「はい、なんなりと」
「今回の計画、マルティナ団長から承諾をもらえるように説得して頂戴。相手を欺くためとはいえ、フェルムを一時的にだけど悪者に仕立ててしまったから」
「マルティナにこの計画を伝えてないんですか?」
「それはそうよ。あなたにフェルムとの橋渡し役を任せた以上、私が直接伝えてしまっては、あなたの立場を軽視することになるでしょう?」
私は足を止め、アルドリックに顔を近づける。
「局面はすでに、フェルムと黒縄会の権力争いが領民を巻き込んでいる状態よ。急を要するこの期に及んで、万が一でも説得に時間がかかるような真似はしたくなかったの」
「……そりゃあ、分かりますがね」
「だからお願いね、アルドリック。事後報告でも、あなたの言葉ならマルティナ団長も聞くでしょうから」
私の言葉に一瞬絶句したあと、呆れたように応える。
「ひでえ無茶振りだ……。人の良い姫様かと思ったら、とんだ策士ときたもんだ」
そして、彼は片眉を上げながらニヤリと笑う。
「だが、悪くない」
その彼の仕草に、その言葉に、私の中の時間が止まる。
頼もしさと同時に懐かしい感情が湧き上がっていく。
かつてのアルドリックが、ここに——。
「……急ぐわよ。ユージンに報告しないと」
私は、彼からの視線を避けるように顔を背け、帰路へ向かうべく足を速めた。
◇
総督府に着くと、マルティナへ会いに向かったアルドリックと入れ替わるように、ユージンがフェルム本部から帰ってきたところだった。
エルミナは、彼女に任されている数々の仕事をこなすため、持ち場へと戻っていく。
「想像以上に、状況はフェルムにとって良くないみたいだ」
私とユージンは執務室で、お互いの情報をすり合わせる。
「ここ、領都セレスティアもそうだけど、特に地方の街や集落でフェルムから離脱する者が相次いでいる」
ユージンは、マルティナから聞いた現状について話す。
「各地方の拠点の維持や再編に追われて、スラム内にまで手が回らなかったというのがマルティナ団長の話だったよ」
「——スラムを放棄した訳ではなく、良くも悪くも黒縄会の影響で治安が保たれているから、苦渋の選択として後回しにならざるを得なかった、って所かしら」
「……正規の警備隊が入っていないから、こんなことになるんだ」
スラム内でのことを思い出しているのだろう。
ユージンが歯がみをしながら呟くように言葉を吐き出す。
「マルティナ団長は承諾してくれたんでしょ?総督府からの警備隊がスラムに入ること」
「うん。やっぱり昨日のリナの言葉が大きかったようだよ。リナはさっきも団長のそばで、僕にも分かるよう話を整理してくれたんだ」
「彼女は補佐役としても優秀そうね」
「そうなんだよ。地名とか人の名前とか、まだ把握してないなって反省した。……正直リナがいてくれて助かったよ」
心からホッとした表情で話すユージンに、私は思わず苦笑いをしてしまう。
「マルティナ団長も、それが分かってリナさんを同席させたのかもね」
……他にも理由があったりして。
「うん。団長はこの困難な状況の中でよく頑張ってると思う」
ユージンの言葉に頷く。
実際のところ、現状で彼女が取れる策は少ない。
いや、そういう状況にさせられていると見た方がいい。
地方での団員の離脱が相次いでいるというのも、きっとその一端だ。
やはり、黒縄会だけですべてを行っているとは思えない。
領都やスラム内だけならともかく、リオーネ領全体にそのような影響を及ぼせる存在と言えば——。
と、私が思考を巡らせていると、ユージンから声がかかる。
「——僕の方から、スラムの巡回を再開するよう総督府内の皆に指示を出しておいたよ」
「まずはスラム内の、治安の回復が喫緊の課題だものね」
「……僕自身が巡回できないのは残念だけど」
この子は自分が先頭に立ってスラムを警備したいと思っている。
そう思った私は今回の計画をユージンに話した時、今の段階でこの子が表に出ることに反対していた。
総督自らスラム警備に携わることで、黒縄会に余計な憶測を抱かせたくなかったから。
それに、無用な混乱も避けたいというのもある。
ユージンは素直に承諾してくれた。
リナのこともあるし、もっと反発するかと思ったけど。
今回の計画を理解しているようで助かったわ。
この子も総督として成長してる。
——そして黒縄会の者は、当然ながら巡回する警備隊を目にするだろう。
言わば、縄張り争いに総督府が入り込んだ形になる。
さっきの鍛冶屋での件と合わせて、奴らは絶対にこちらへ接触を図ってくる。
それも近いうちに。
その数日後、予想通り黒縄会を名乗る者が総督府へやって来た。
……前総督ヴァルケンを紹介者として。




