第56話 行商人アリシアの策謀。
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鍛冶屋の中に入ると、そこは外よりもさらにジメッとした空気が漂う暗い雰囲気で、点在している蝋燭の火が部屋の中を照らす質素な部屋だった。
目を凝らすと、客を迎えるためのカウンターがあり、さらにその奥には作業場らしき空間が確認できる。
しかし現在は稼働していないのか、音もなく静まりかえっていた。
カウンターの向かい側には、やる気のなさそうな若い男性が暇そうに爪を研いでいたが、私たちがドアを開けた音に反応したのか、怪訝そうな顔でこちらに目を向ける。
「……何の用だ」
その男性は、何しに来たと言わんばかりの表情で私たちを出迎える。
「何の用、とはご挨拶ね」
私がカウンターに近づくと、エルミナが脇、アルドリックが背後から付いてくる。
「人づてに、こちらと組めば良い商売ができると伺ったのだけど」
「……誰に聞いた?つーか、お前ら何者だ?」
私はエルミナに目配せをする。
彼女は、例の金属の札を一枚カウンターに置いた。
それを見た男の表情が変わる。
「こちらの件について商談をしたいのだけど」
「……ちょっと待ってろ」
彼は金属札を手にしたままそう言い残し、彼の背中越しにあるドアを開け、奥へと入っていく。
やがて、微かな物音がした後、その男は別の男を連れてやって来た。
「この札を持ってきたのは、あんたか」
現れたのは、煤で汚れた前掛けを身につけた中年の男だった。
太い腕にはいくつもの火傷の跡がある。
おそらく、ここの鍛冶屋の主人だろう。
「ええ。あなたがここの主?」
「そうだ。どこでこれを手に入れた」
主は金属札を手にし、探るような目を私に向けながら声を上げる。
私はそれを彼の手から抜き取り、そのまま男の目の前へ差し出す。
「これと同じ物を、いくつか作ってほしいのよ」
「断る」
彼は札から視線を外しながら、即座に答えた。
……まだ条件も話していないのに、ずいぶんと頑なね。
しかし、それだけこの金属札の扱いには慎重になっているという証明でもある。
「——最近、フェルムが随分と荒っぽくなったという噂を聞いているの」
私の言葉に、主の眉がわずかに動いた。
「街道を通る商人を襲って資金源にしているそうよ。奴らは一般人には手を出さないって聞いてたけど、噂とは大違い。私たちのような店舗を持たない行商人にとって、これは死活問題だわ」
「……だから、その札が欲しいってのか」
「これを持って仲間だと言えば、多少でも襲われる心配は減るでしょう?私たちのような行商人だけでは無く、この地方を通る旅人にも高く売れるわよ」
——もちろん、噂は私たちが適当に創作したもの。
フェルムがそんなことする訳がない。
だけど、この鍛冶屋が黒縄会の支配下にあるのなら、私の言葉を聞き流すことはできないはず。
フェルムの悪評が、商人の間にまで広がり始めている。
それは彼らにとって、自分たちの策が成功しているという証明になるからだ。
「本来、フェルムからの許可がなければ偽造となり、バレれば報復があることも承知している。だから、報酬なら相場より多めに払うわ」
「……そこまで知ってるんだったら、なおさら無理だってのも分かるだろう」
「でも、ここなら作れると聞いたのよ」
主の顔から表情が消える。
「……誰から聞いた」
「教えるわけないでしょう」
私はわざと呆れたように肩をすくめた。
「情報源の素性を明かすような真似は、商売人として恥ずべき行為だと思わない?」
「ふざけるな。誰がそんなデタラメを言ったか知らねえが、ウチじゃあ作らねえ」
「そう。それなら、フェルムの人に直接確認してみようかしら」
主の目が細くなる。
「ああ、好きにしろ」
「……気にならないの?フェルムのお膝元にいるのに」
「あいつらには、もう昔ほどの力はねえさ。今さら何ができる」
やはり。
この男は、フェルムに露見することを恐れていない。
それは、フェルムよりも強い後ろ盾を持っているという証左でもある。
私は表情を変えず、金属札を懐へ戻した。
「……せっかく新しい取引先を見つけられると思ったのに」
「話は終わりだ。帰れ」
「そうね。ここに長居して、総督府の捜査に巻き込まれても困るし」
私の言葉に、男が反応する。
「……捜査だと?」
——かかった。
私は、何でもない噂話をするように答えた。
「知らないの?新しい総督がフェルムに襲われたって話」
「そんな話、この辺りじゃ誰でも知ってる」
「結果、フェルムを殲滅させるって息巻いているらしいわ。そのためなら、他の勢力と手を組むことも厭わないんだって」
私の言葉に対し、主は黙っている。
けれど、先ほどまで店番をしていた若い男が、落ち着かない様子で彼に顔を向ける。
「いま、総督府の内部にいる人間は、その素性を問わずフェルムとの関係について徹底的に調べられているそうよ」
「……ただの噂だろ」
「ええ、もちろん風の噂。私たちは総督府に商品を納めている商人から聞いただけ」
私は他人事のように軽く答える。
事実、クロイツ司教の一件で、総督府の内部では実際に情報統制が始まっている。
氷冠聖会が黒縄会との繋がりで情報を渡しているなら、この話が事実と一致していることも分かるだろう。
だから、彼らはこの話を無視できない。
「だからこれを造った人も、造らせた人も、気をつけた方がいいと思う。フェルムの仲間と見なされたら、総督府から目を付けられるのは明白だもの」
「……なぜ、俺にそんな話をする」
私は彼の言葉に、とびっきりの笑顔を向ける。
「まずは、商売相手に私と関わるのは得だと思ってもらう。——これは商売人の基本だと思ってるの」
「……何度も言わせるな」
「分かってるわよ。——今日のところは、ね」
私は主を見つめながら、言葉を乗せる。
「——それに加えて、新総督はフェルムについての情報を外部に広く求めているらしいわ」
「情報?」
「役に立つ話を持っていけば、総督と直接話せるかもしれないって。領都内ではもっぱらの噂よ」
主は、私の言葉の真意を探るように見つめてくる。
私はそれに気づかないふりをして、話を続ける。
「だから、もし心当たりのある人がいるなら伝えてあげて。今が新しい総督へ話を持ち込む好機らしいって」
そこで初めて、男は答えに詰まった。
彼の目が微かに泳いでいるのを見逃さない。
私たちが帰った後、この男はおそらく報告する。
フェルムの悪評が広がっていること。
総督府がフェルムを敵と見なしていること。
そして、新総督が情報提供者や、味方になる勢力を求めていることを。
この男が報告する相手は、おそらく黒縄会。
そしてその先に氷冠聖会があるのなら、いずれそちらにも伝わる。
フェルムを潰し、総督府へ取り入りたいと考えているなら、これ以上分かりやすい誘いはないでしょう。
「——さて、今日のところは引き下がるけど、次回は違う返事を期待しているわ。よく考えて頂戴ね」
「……」
男の返事を待たず、私が踵を返すとエルミナが続く。
アルドリックも黙って後ろについたが、ドアを開ける直前、主に鋭い視線を向けた。
「……何を見てやがる」
「いや。随分と威勢の良い鍛冶屋だと思っただけだ」
アルドリックは穏やかに答えているつもりなのだろう。
けれど、主は明らかに怯えた顔で一歩後ずさっていた。
——もう。
威圧しないように言ったばかりなのに。
◇
店の外へ出ると、エルミナが囁くように私へ問いかける。
「アリシア様。よろしかったんすか? 結局、黒縄会の名前は聞けなかったっすけど」
「必要ないわよ、それは」
私は足を止めずに答えた。
「あの男は、フェルムに告げると言っても全く動じなかった。でも、総督府の調査について話した途端、態度を変えた」
「つまり、フェルムより強い後ろ盾があり、その組織は総督府からの評価を気にしていると」
アルドリックの言葉に頷く。
「そして、スラムの中でもこの一帯は黒縄会の力が強い。エルミナの調べた通り、あの鍛冶屋の主はすでに彼らの手先だと見て間違いないわ」
「では、この話を黒縄会へ伝えさせるために?」
「ええ。今回はこちらから黒縄会へ出向く必要なんてないもの。それに、ユージンにお願いしてることもあるし」
私は振り返り、閉ざされた鍛冶屋の扉を見つめた。
「向こうから、総督府に来てもらいましょう」
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