第50話 裏切りの理由。
本日の更新です。
「前任のヴァルケン総督が俺の元を訪ねてきました。ユージン様が、次期リオーネ領総督になると。そして俺に、フェルムを辞め、総督府の警備隊長になるよう打診してきました」
——ヴァルケンが!?
意外な名に、思わず私はアルドリックを見やる。
彼の表情は硬い。
「――セレナ様の御子に仕え、お支えする。そこに、自分の本懐を感じたのは確かです」
「……アルドリックは、その話に乗り、僕の側につくことを選んだってこと?」
ユージンの言葉に、しかしアルドリックはかぶりを振る。
「先ほどから申し上げていることは、あくまでも俺の個人的な話。私情でフェルムを抜けるなど、許されることではない。――そもそも、セレナ様がそのような振る舞いをお許しになる訳がない。当然、断りました」
「それじゃあ、どうしてこんなことになったんだ?アルドリックは断ったんだろ?」
マルティナの言葉に彼は振り向くが、そのまま沈黙する。
汗が、彼の額から流れていく。
アルドリック、あなた――
「誰かに、脅されたりしたの?」
私が問いかけると、アルドリックが驚いたような表情でこちらを向く。
その様子を見て、私は確信した。
「ヴァルケンに、何か言われたのね」
彼の瞳にある動揺の光を見ながら、私は言葉を待つ。
「……もし俺が引き受けないのなら、ユージン様の命の保証はない、と」
その言葉が、部屋中に緊張を走らせた。
「視察中の事故でも、暴徒による襲撃でも、総督府内ですらも。領地に入ったばかりのコネもない若い総督を消す方法など、いくらでもある。――そう言われたのです」
不穏な空気が部屋を包もうとする中、私はアルドリックに問いかける。
「ヴァルケンは、あなたのユージンへの忠誠心を知っていたのね。だからユージンの生命を引き換えに、あなたをコントロールしようと考えた」
アルドリックは少し間を開けた後、ぽつぽつと呟くように語り始める。
「――これは今の立場になってから知ったことです。彼は黒縄会から賄賂を受け取ることで、スラムにおける奴らの活動を黙認していました。もちろんその事実が公になれば、総督を辞任した後も罪が及ぶでしょう」
ここでアルドリックは、醜悪なものを見たような表情になる。
「だから彼は、自身の後任であるユージン様が、この件へ踏み込まないようにしたかった。その間に汚職の証拠を消し、自分への追及を防ぐための時間を稼ごうとしたのでしょう」
彼は憔悴した様子で続ける。
「――結果俺は、フェルムを離れ、いわば敵組織である総督府の警備隊長になることを選択し、ヴァルケンのスラムへの対応を受け入れてしまった」
アルドリックは、マルティナへ目をやる。
「これが真相なんだ、マルティナ」
「……だからあれほど早く、あいつらはスラム内で勢力を拡大できたのか」
マルティナの呟きに、彼は頷く。
「すべては俺のせいだ。ヴァルケンを止められなかった、俺の――」
アルドリックが最後まで言い終える前にマルティナは立ち上がり、彼の前に立つ。
「後悔しているのか?アルドリック」
マルティナの言葉に、アルドリックは顔をしかめる。
「……自分でも分からん。ユージン様をお守りするためだったと言えば確かに聞こえは良い。だがどんな理由であれ、お前達を裏切り、見捨てたことも事実だ」
「全部、許せたわけじゃないよ」
マルティナはアルドリックに目を合わせ、それを外さない。
そして、しばらくの沈黙が続いた後、彼女は小さく息を吐いた。
「本当なら、誇りをもってあなたを送り出したかったんだ。私達は、あなたに捨てられたと思ってたから」
「……そう思われても仕方ない」
彼の言葉から滲み出る苦悩を感じたのか、マルティナは困ったように微笑んだ。
その表情は、未だ消えない痛みと、それでも彼を責め続けたくないという思いが交錯しているように見えた。
「あなたが何か大きいものを抱えてるのは、初めて会った時からなんとなく分かっていたよ。まだ完全に納得できた訳じゃないけど、今日はそれを知れて良かった」
「マルティナ、俺は……」
「あなたはあなたの信じる道ができたんだ。なら、私はその道を応援するよ。ただし——」
アルドリックの言葉を遮ったマルティナは、そのまま言葉を続ける。
「今の立場で、この地に残る沢山の虐げられている人達を救うことが条件だ」
「……そう、言ってくれるか」
アルドリックの絞り出すような言葉に、彼女はやれやれとばかりに息をつく。
「やっぱり、心根は昔のままだな。今のあなたの上司なら、その力を正しく使ってくれるんじゃないかと思うよ」
彼女は、ユージンの方へ振り向く。
しかし、ユージンの態度を見た瞬間、首をかしげる。
「……どうしたんだい?」
彼女が問いかけると、ユージンは夢から覚めたような表情で応えた。
「あ、ああ。聞いているよ」
ユージンは笑顔を取り繕う。
「もう、総督なんだからしっかりしてくれなきゃ。――大丈夫なんだろ、アンタが総督になったからには」
「それは、もちろんだよ」
彼女に応えるユージン。
彼は視線を落とし、何かを噛みしめるように黙り込んだ。
短い沈黙が、応接室に落ちた。
やがて、ユージンはアルドリックに向き直る。
「――貴方を誤解していたよ、アルドリック。母上を支え、僕を守ろうとしてくれた貴方に、酷い態度を取ってしまった。本当にごめんなさい」
そう言うと、ユージンはアルドリックに深々と頭を下げる。
「お止めください、ユージン様。配下に詫びる必要はありません。すべては、俺の勝手な判断と行動の結果です」
ユージンに頭を下げられるなんて、想像もしていなかったのだろう。
狼狽えた様子で、アルドリックはユージンに応える。
「アルドリック。僕は貴方という人と出会えて、本当に良かったと思う。かつての王の子として期待に応えられるかは分からないけど、僕は僕の責任を果たすよ。それは約束する」
「……ユージン様」
少しだけうつむき、肩をわずかに震わせ始めるアルドリック。
その右肩に、ユージンは手を置いた。
――かつて私の右腕だった男の肩に、息子の手が置かれている。
私はその光景を前に、過去と現在が一つの糸で結ばれたような気がして、胸が一杯になるのを感じていた。
アルドリックの過去が、ユージンによって認められました。
彼もこれでやっと、前に進めるでしょう。
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