第二十三話 舞台裏侵入作戦 情けない兄の覚悟
僕はすぐさまスマホを取り出し、北崎さんに連絡しようとしたが、電波マークに「圏外」と表示されていた。
電源を切って再起動しても電波は回復せず、通信機能が完全に失われ、ネットにも接続できなかった。
「何だよ!こんな時に限って壊れるなんて!このクソスマホ……」
「先輩、ライブでは、スマホでの通信は……禁止されていますよ?」
清音は、スマホを手にして当惑した様子の僕を見て、自ら説明してくれた。
「え──────? そ、そんなルールってあるの?」
「はい、現行の陽の国著作権法に基づき、主催者の許可なく、コンサート会場におけるスマホの通信や撮影機能などの使用は禁止されています。また、イベント運営チームによる規定にも明記されていますが、コンサート開催中は会場内および周辺エリアで、スマホの通信を遮断し、カメラ機能を遠隔ロックする特殊装置が作動します。スマホを使用したい場合は、会場から一旦退出しなければならず、会場外でのみ機能が回復するということです。」
スマホのカメラ機能を試してみると、やはり清音の言う通り、撮影画面は真っ暗で、何も撮れなかった。
以前、どこかで似たような状況に遭遇したような気がする。
思いもよらなかった。気ままに、思う存分楽しめるはずのコンサートで、虎視島の隔離病棟で過ごした、思い返したくもない苦痛に満ちた日々を思い出させられるとは。
「なるほど、だからスマホを使っている人が全くいないわけだ……」
「先輩、まさか……その規定をご存じなかったのですか?」
まずい、これで「よくライブを見に行く」という見せかけがバレてしまう……
どうせろくな言い訳も思いつかないし、最初に心臓が教えてくれたように、「自然かつ素直に」白状した方が、思いがけない効果があるかもしれない。
「笑わないでほしいんだけど、実はその規定を全然知らなくて……情けないだろ?」
「別に、別に恥じることじゃありませーん! 公式の規則ってそもそもかなり複雑ですし、分からないところがあるのも当然です。私、私だって、全条項を完璧に覚えているとは限りませんから! どうか先輩、あまり気にしないでください!」
案の定、「アイドルに全く興味がないと思っていた先輩が、まさかライブを見に来るなんて」といった、パラドックスに近いほど不合理な状況でない限り、普段は僕を100%信頼してくれている清音は、理由もなく僕を疑ったりはしない。
必死に言い訳を捻り出すことに慣れていた僕は、率直に話した時に感じる爽快感に、まだ少し馴染めないでいる。
「そう言ってくれて安心した~お前が、このダサい先輩を嫌がるんじゃないかと心配してたんだ!」
「まさかそんなこと、ありえないです――!」
清音の頬は咄嗟に真っ赤になり、止まることなく左右に首を振った。
赤い回転灯の中身に似ているところがあったが、光は出ず、振れる角度も180度に限られていたので、本物の回転灯とは少し違っていた。
「つかぬ事をお聞きしますが、先輩は……スマホを使われるのですか?」
「うん、実は友達にメッセージを送ろうと思っていたんだけど、どうやら会館の外に出ないといけなさそうだ。でも心配しないで、第3段階が始まる前には必ず戻ってくるから!」
「は、はい! ここで先輩の帰りを待っています!」
僕は振り返り、VIPエリアから最も近い出口に向かって走り出した。数歩も走らないうちに、心臓からの声が聞こえてきた。
「ご主人様、ちょっとお待ちください。大事なところを一つ抜かしているようです。」
「大事なところって?」
「先ほど長実さんがおっしゃっていた、コンサート期間中、会場全体でスマホの電波を遮断する装置が作動しているという件です。考えてみてください。この環境下では、スタッフたちのスマホも同様に使えないはずです。つまり、北崎さんのスマホも今はメッセージを受け取ったり電話に出たりできない状態にあるので、たとえ外に出ても先方と連絡は取れないのではないでしょうか。」
「なるほど……そんな肝心なところを忘れてたなんて! じゃあ、今どうすればいい?」
「スタッフに専用の連絡手段があるとは思いますが、ご主人様はよそ者ですから、それを利用する権限はないでしょう。まずは現場のスタッフに相談してみてはいかがでしょうか。貴賓として、彼らに連絡を代行してもらえるかどうか確認してみてください。」
「いいアイデアだね。スタッフを探してみよう……あそこに二人いる!」
貴賓席の近くには待機中のスタッフが何人かいて、たぶんこのエリアの観客専用のサービス担当だろうから、手伝ってくれる人を見つけるのは難しくないわけだ。
「すみません! 急用で、主催者の北崎梢さんとお話ししなければならないんです! 代わりに彼女に連絡を取っていただけませんか?」
「お客様、お席はどちらですか?」
「VIPエリアの最前列、150番席です! 手にはあの、何でしたっけ…VIPのスタンプも付いています。スキャンすれば見えますから!」
スタッフの一人が、慣れた手つきで身につけている腕時計で僕の右手の手の甲をスキャンしてから、僕がもう見飽きた営業スマイルを浮かべた。
「ご本人であることを確認いたしました。安達池様でいらっしゃいますか?」
「そうです! 北崎梢さんに連絡を取っていただけませんか?」
「大変申し訳ございませんが、そのご要望にはお応えいたしかねます。」
そのスタッフの顔から営業用の笑顔が消え、申し訳なさそうな表情に変わった。
「なぜだ? お前たちはVIPエリアの客にサービスを提供するべきじゃないのか?」
やきもきした僕は、会話の礼儀などそっちのけで、VIPの威光を笠に着て、命令的な口調で二人に問い返した。
「お客様をはじめ、VIPの皆様にはできる限り最高のサービスをご提供いたしますが、残念ながら、ご依頼いただいた内容はサービス範囲外のため、ご対応いたしかねます。何卒ご理解いただけますようお願い申し上げます。」
「違う! あなたたちは知らないかも、私はあなたたちのボスの北崎さんと知り合いなんだ! 何とかしてくれないか?」
僕の態度が、単なる「VIP」から「コネ持ち」へと格上げされた。二人の態度に、わずかながら動揺が見受けられる様子。
「正直に申し上げますと、私たち現場の勤務クラスには、北崎様に直接連絡を取る権限がありません。もし至急のご用件であれば、上司に確認を取らせていただくことは可能です。如何でしょうか?」
「ああ、いいよ! なら頼む!」
二人はワイヤレスイヤホンで上司に連絡を取ったが、彼らの会話から、僕の要求が再び拒否されたことがわかった。
どうやらこの上司は、北崎さんの数人の側近秘書や付き人の一人ではないようだ。
だから、「安達池」という得体の知れない人が、これほど理不尽で、かつ馴れ馴れしい要求を出すのを聞けば、情け容赦なく、きっぱりと断るのが最も自然な反応だろう。
例えば内閣総理大臣官邸の門前に、突然「総理大臣の知人だ」と名乗る男が現れて総理大臣に会いたいと言い出したとする。そんな奴を、どの警備員も安易に中に入れる勇気などあろうはずがないだろう?
「申し訳ございません。ご要望にお応えする許可が得られませんでした。心よりお詫び申し上げます。」
「やっぱりダメだったか……しょうがない。まあ、あなたたちのせいじゃありません。ご迷惑をかけてすみません。」
僕はため息をつき、そそくさと出口へと小走りに向かった。
「まさかあの北崎様の配下にも、これほど厳しい階級制度があるとは。拙者の見誤りでした。」
「お前が悪いわけじゃない、心臓さん。俺がこの財閥令嬢を舐めすぎたんだ。開演前に知り合いっぽく会ったばかりなのに、あっという間に高嶺の花みたいになってしまったなんて、信じられない。」
「人間の社会階級とは、実に研究の価値があるものですね……さて、ご主人様、これからどうなさるおつもりですか?」
「あらゆる通信手段が使えないのなら、最も原始的な方法でこの空間的な隔たりを乗り越えてやる!」
「もしかして……駅で拙者が提案したあのやり方なのでしょうか?」
「その通り。直接楽屋へ行って、北崎に……いや、『月隠の顔』に会いに行くんだ!」
この前、アルバム発売会場での騒動の後、文緋と連絡が取れず、徒歩で家まで戻った時と同じように、今回も人間が生まれながらに持つ「自由に移動する能力」を使って、彼女の元へ駆けつけるつもりだ。
――――――――
両親が座っている3列目の席の外側まで走り着いた時、突然、その列から飛び出してきた人影と真っ向からぶつかってしまった。
その衝撃はあまりにも激しく、僕たちは二人で反対方向に、尻餅をついた。
「痛い……ごめんなさい!ごめんなさい!怪我はしていませんか……えっ ―――?なんで親父が???」
実は相手の顔ははっきり見ていなかったが、それでも相手が誰かはすぐに分かった。だって、あのスパイっぽい格好は、あまりにも特徴的だったからだ。
「なんだ、お前か?まったく、私の体をバラバラに壊すつもりか……」
「ごめん! 急ぎすぎて道を見てなかったんだ! 大丈夫か親父? すぐ助け起こすから!」
僕は素早く立ち上がり、親父を助け起こそうとしたその時、女性の呼び声が聞こえてきた。
振り返ると、もう一人の小柄な「スパイ」が座席前の通路から慌てて駆け寄ってきて、僕と親父の目の前で足を止めた。
「もう、あんたったら、そんなに急いで走るなって言ったのに。ほら、転んじゃったじゃない! えっ? 池、どうして君もここにいるの?」
「母さん、今はそんなこと言ってる場合じゃない!早く親父を助け起こそう!」
親父を起こした後、僕たちはこの小さな交通事故が起きた原因について話し合い始めた。
「お前、そんなにバタバタしてどこへ行くつもりだ? 」
「ごめん、親父。ちょっと焦っちゃって……」
「あなた、池にそんなこと言えるのか? あんただって同じくらいせっかちじゃないか!文緋の具合を聞きに行くために、いきなり外へ駆け出すなんて、命知らずでも程がある。自分の体のことを考えないのか? 若者みたいに走り回れると思う? 本当に参った……」
答えは、おふくろが親父を叱る声の中に隠されていた。どうやら親子の目的地は同じだったらしい。
「やっぱり、親父も気づいてたんだね、文緋の様子がおかしいって……」
「もちろん、あの顔色を見れば一目でわかるじゃない! 池、君も気づいただろう?」
「う、うん……」
曖昧な返事、曖昧な言葉――それらはすべて、僕の心の中の不安を裏付けていた。
かつて自分の娘と反目した父、この三年間一度も娘と顔を合わせなかった父が、再会した瞬間に、娘が自身の弱さを隠すために装った仮面を一目で見抜いてしまったのだ。
それに対して、兄である僕を見てごらん。妹の異変に気づくのに精神的に未熟な微小生物たちの助けが必要だったなんて。
こんな情けない僕が自信を持って親父に答えられるものか。本当にそう答えたら、僕は兄失格ばかりか、人間失格だということになる。
「そうだろう!アイツの様子は明らかに無理に踏ん張ってるんだ。そんなのを放っておけるわけないだろ!」
「そうは言っても、まずどこで聞くか考えなきゃダメじゃない!こんな風にむやみに暴れ回って問題解決できると思うか?それに、お父さん、今日私たちが文緋に内緒でライブを見に来たってことを忘れないで頂戴。もし騒ぎすぎて文緋に気づかれたら、どう収拾をつけるつもりなんだ!」
「分かるか! あれも無理、これもダメって言うなら、十香子、いい案を出してみろよ!」
「俺が行く! 直接楽屋で文緋や北崎さんたちに話を聞いてくる!」
僕が今やっていたことを親に説明すると、彼らは僕がここに現れ、親父とぶつかった理由をすぐに理解した。
「なるほど、君もそんなに急いでいたわけか……確かに、池が家族として調べに行くのが一番適切な選択だ。文緋の疑いも招かないだろう。よし、任せたぞ、池! 早く行ってこい!何か聞いたら、誰かを伝えに来させるって北崎さんに頼んで!」
「了解! すぐ行くよ! 母さんと先に席に帰って待ってて。ここに長く立っててはよくないから!」
「頼むよ、池! 文緋を無理させないでね!」
「安心してくれ、母さん!」
斯くして、「思い立ったが吉日」ということわざの通りに、舞台裏探検の旅が始まった。
ライブ開幕前とは違い、今回は僕のそばに護衛役の案内人は誰一人いない。
「関係者以外立入禁止」の舞台裏に一人で踏み込んだらどうなるか、同じ考えを持つファンの方々に、まもなく僕の実体験を通じてお伝えしよう。




