↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕の仲間は60,000,000,000,000(60兆)人もいる。  作者: キヨ
第三章 60,000,001,000,000『人』に達した動員数のライブ
66/95

第十二話 文緋のマネージャー、北崎梢 ②

「そんなにがっかりした顔をするんじゃないよ~すぐに妹と再会させてあげるから~」

「え? いや、別にそうじゃなくて……」


 僕が深呼吸した様子はため息をついているように見えたのだろうか?


 まあ、北崎さんが勘違いしたのも無理はない。この二つの動作は、もともと混同されやすいものだから。


「あら? じゃあ、妹と再会したくないってこと? あの花束はてっきり彼女へのプレゼントだって思ってたのに~」

「いえいえ、これが彼女へのプレゼントなんです……」

「へえ? 本当にそうなんだ~自分の妹にバラを贈るなんて~~~」

「誤解しないでください! 絶対に他の意味なんてありません! ただ、ただバラが、バラが綺麗だと思っただけなんです……」


 北崎さんのからかいは次から次へと続き、翻弄される僕は取り留めのないことを言い始めてしまった。


「まあまあ~別にそういうこと言ってないから~そこまで緊張しなくていいよ~さあ、お茶どうぞ~冷めちゃうから~~~」


 北崎さんは机を回り込んで向かいに座り、僕とはたった一つのテーブル隔てた距離になった。


 彼女からほのかに漂う淡い香りが、まるで空気中の酸素分子をすべて置き換えたかのようで、息を吸うたびにその香りが鼻腔にしっかり捉えられる。


 窒息するほどではないが、人の心を乱し、惑わせるには十分だった。


 僕に一番近いティーカップの中身は香ばしい紅茶ではなく、もはやただの白湯となった。


「それでは、遠慮なくいただきます。」


 僕は平静を装い、ティーカップを手に取ってひと口啜り、それから丁寧な眼差しで、まっすぐ僕を見つめるその色気たっぷりな瞳を見つめ返した。


「先日の件は、おかげで無事に済みました。心から感謝申し上げます。その後、少しばかり埋め合わせはいたしましたが、恩返しとして全く足りません。今後、何かお役に立てることがありましたら、どうぞ仰せつけください。必ずや全力で……」

「そんなに気を使うことないわよ、安達くん~~~。本当に埋め合わせをしたいなら、その超能力で空に飛び上がって、月を摘んできてちょうだい~~~」


 僕の社交辞令にうんざりしたのか、北崎さんは僕が言い終わるのを待たずに口を開いた。


 一聴して冗談だと分かる言葉だったが、北崎さんの真剣な表情に僕はどう対応していいか分からなくなってしまった。


 つまり、彼女は冗談を口実に、「あなたの弱みを握っているから、これからは私の言う通りにしなさい」という意味を遠回しに伝えているのだろうか ?会場での騒動の映像、彼女はまだ削除していないに決まってんだろう?


「えっと……それは本当に私の能力の範囲外です……」

「あなたったら、本気になっちゃうの~~~お可愛いこと~~~」


 お茶を飲むことで恥ずかしさと気まずさを隠そうとしたが、もう少しでカップの中のお茶を一気に飲み干してしまいかけた。


「でもね、安達くん、私が全部冗談を言っているわけじゃないのよ~だって、あなたはとっくに私に『月』をくれたじゃない~」

「とおっしゃいますと?」

「そこまで言っても分からないの?その『月』って、あなたが大切にしている妹のことよ~~~お兄さんの励ましと支えがなければ、今日の『月隠の顔』は存在しなかったし、私も今の知名度や業界での地位を得ることはできなかったでしょ~~~」


 この女、本当に正直すぎる……


 文緋に関する部分については否定しないが、お前自身の知名度と地位がもともと十分高かっただろ。京空市の機動隊隊長さえも手なずけていたんだぞ。これは『月隠の顔』がくれた恩恵じゃないと思うけど。


「とんでもないです。うちの妹はご指導の賜物で今日の成果を収めたのです。ここ数年、私は彼女のために何もしていません。何もかもがお引き立てのおかげで、文緋の夢が叶ったのです……」

「でも、彼女の最大の夢はまだ叶っていないわよ~~~私の言いたいこと、わかるかしら~」

「もちろんです。今夜、私がここに来たのはまさにそのためです。」


 迷いもためらいも一切なく、簡潔かつ断固とした返答で北崎に自分の態度を伝えた。


 北崎は一瞬呆気にとられたが、すぐに元の真面目な表情に戻った。しかし、彼女が固まったその一瞬を、確実にこの目で捉えていた。


「やっぱり私の目に狂いはないわね~じゃあ、安達さんに手伝ってもらって『月隠の顔』の願いを完全に叶わせるには、これが必要になるわね~~~」


 北崎さんはそう言いながら、上着のポケットからVRメガネのようなものを三つ取り出し、僕の前に差し出した。


 一見した限りでは特に変わったところはないが、フレームにダイヤルと二つの小さなボタンが付いているのが目についた。


「これは……何でしょうか?」

「これさえあれば、『月隠の顔』の本当の姿をはっきりと見ることができるんだ~これは私が特別に与えてあげる特権だわ~名誉会員ですら受けられないサービスよ~~~私に感謝しなさい~~~」


 はっと気づいた。北崎さんが僕に会う本当の目的は、僕の形のない「特権」を、目に見える形に変えることだったのだ。


 それなのに、僕は陰謀論的な目で彼女の好意を誤解してばかりいた……


 まともな感謝の言葉を捻り出そうとしたが、脳内で急速に膨れ上がる喜びに思考の主導権を奪われてしまった。


 仮に口を開くとしたら、そこから溢れ出る言葉はただ一つ、声を限りに歓声を上げるだけだ。


 少なくとも行動面では、かろうじて自制心を保つことができた。


 そこで、今にも震え出しそうな両手で、北崎さんが僕に授けてくれた二つ目の好意を敬虔に受け取った。


 そして彼女が受け入れるかどうかに関わらず、その喜びを北崎さんと強引に分かち合った。


「つまり……このメガネをかければ、文緋の顔が見えるってことですよね───!」

「ほら~~~そんなに興奮するんじゃないよ~使い方をまだ教えてないのに~」


 言うが早いか、北崎は僕の隣に座り、この特製サングラスの使い方を手取り足取り教えてくれた。


 二人の距離は大幅に縮まったが、香水の香りの濃さは変わらず、爽やかで心地よい。


 ふわりと流れるような柔らかな髪が僕の右肩をくすぐり、服の生地越しでも肌に微かなこそばゆい感触が伝わってきた。


 しかし、嗅覚や触覚がどれほど刺激されても、ロックオンモードに入ったかの如き視覚は揺らぐことはなかった。


 今、僕の視野に焼き付いているのはただ一つ、それ以外は何も存在しない。


「覚えておいてね~まずメガネをかけて、それからこの灰色のボタンを押してレンズの虹彩認証プログラムを起動して。レンズに表示される手順通りに進めればいいわ~認証が完了したら、このつまみで距離と解像度を調整して。どれくらい近く、どれくらい鮮明に見たいかは、お好みで自由に選んでね~~~見飽きたら、そのままメガネを外せばいいよ。透視機能は自動的に解除されるから~どう? 難しくないでしょ? 自分で試してみてね~~~」



 ――――――――



 北崎さんの指示に従ってメガネをかけて操作してみたが、まさか最初のステップで重大なトラブルが発生するとは思いもよらなかった───


「虹彩認証に失敗しました。再度認証してください。」


 レンズに表示されたメッセージは短く見えるが、実際には膨大な情報が隠されている。


 しかし、僕は単に自分の操作に問題があるだけだと思い込み、深くは考えなかった。


 何度も試みたがすべて失敗に終わり、顔には焦りの色が浮かび始めた。


 そして、母に引けを取らない洞察力を持つ北崎さんも、僕の表情の変化を即座に察知した。


「どうしたの?何か問題でもあったの~?わからないことがあったら、遠慮なく聞いてね~」

「な、何でもないよ、すぐ、すぐ直るから!」


 認証が失敗した原因は、おおよそ見当がついていた――基本的には、僕の目の細胞たちと無関係ではない。


「ねえ、目よ、これ一体どういうことなのか説明してくれない?俺の虹彩、もしかして以前と違ってしまったの?」

「了解です~~~さっき姿を変えた時にうっかり虹彩の構造を変えてしまって、元の状態に戻す過程でちょっとミスがあったんじゃないかしら~だって虹彩の構造はすごく繊細ですから、寸分違わず元に戻すのはそう簡単じゃありませんからね~」

「お願いだから何とかして! 虹彩認証に通らなきゃ、ライブ中の妹の顔が見られなくなっちゃうんだ!」

「まさか、そんなに深刻な事態ですか~~~? ご主人様が見られないってことは、私たちも見られなくなるってことですよね? そんなのダメです! みんな~もしご主人様の妹さんの美貌を見たいなら、今すぐ行動しましょう! ご主人様の脳内から、ご主人様の虹彩に関連するあらゆる遺伝情報を探し出してください! 絶対に100%ご主人様の虹彩を再現しましょう~~~!」

「おぉ―――!」


 精神空間でスローガンを叫んだ後、目の細胞たちは素早く「虹彩修復プロジェクト」に取り掛かった。


 北崎に僕の目の異変に気づかれないように、僕はぎこちなく顔を背け、わざと北崎の視線を避けたが、避けようとすればするほど、かえって不自然になってしまった。


「メガネをかけてるだけじゃないの~なんでそんなに恥ずかしがるの~ここには他に誰もいないし~こっちを見ても大丈夫よ~」

「違うんです、私、ただレンズを調整、調整しています……」


 このまま彼女にからかわれ続けたら、いずれバレてしまう……


「おい! お前たち、まだ終わってないの? このままじゃ持ちこたえられないんだ! 」

「もうすぐですよ~ご主人様、もう少しだけ頑張ってください~」

「簡単に言うな!あの女がどんだけ手強い相手か、お前たちも見てただろ……」


 心を喰らうような視線が両側からゆっくりと迫り、僕の虚ろな瞳を狙っている気がする。


 額から冷たい液体が滲み出し、今にも真新しいレンズの上に滴り落ちそうだ。


 どうしてもダメなら、目を閉じて、虹彩が元に戻るまで耐えるしかない……


「完了しましたご主人様~~~! 認証をクリアできるか試してみてください~」


 僕ははっと目を見開き、その視線は刃のように鋭くなってレンズを貫きそうだった。


 虹彩認証プログラムも、僕の炎のように燃える視線に怯えたのか、すんなりと認証をクリアさせてくれた。


 安堵すると同時に、僕の姿勢も自然になった。少なくとも、北崎の視線をわざと避ける必要はなくなった。


 考えてみれば、もし虹彩さえも自由に変化させられるなら、虹彩認証に基づくあらゆるセキュリティ防御措置を簡単に突破できるのではないか?


 それに、先ほどの変化術と組み合わせれば、まさに完璧な犯罪コンビネーションだ……


 僕の心の中にある「道徳と良心」という柵が、徐々に緩み始めているようだった。


 残りの手順は極めて順調だったが、対象となる物体がなかったため、サングラスの機能を発揮する機会もなく、視覚的には裸眼と大差ない。


「これで使い方は分かったかな、お利口さん~~~」

「はい! もう覚えました!」

「OK~~~じゃあ、その使い方をお父さんとお母さんにも教えてあげてね~」

「承知しました―――! 会場に入ったらすぐに……えっ??? どうして北崎さんまで、今日うちの両親がコンサートに来るってご存知なんですか?」


 北崎は左腕を僕の右肩に直接かけ、少し軽蔑した口調で耳元で囁いた。


「『お利口さん』って褒めたばかりなのに~そんなバカな質問をするなんて~~~じゃあ、ちょっと教えてあげようか~このコンサートのチケットは、1枚残らず私のチームが取り扱っているのよ。『政』と『十香子』と書かれたあの2枚のチケットが、私の目から逃れられると思う? 同名の可能性を完全に排除できないとはいえ、購入者が安達くんの親友であり、高貴なファンクラブの終身名誉会員である長実清音さんだと分かれば、この2枚のチケットが誰宛かすぐ分かるでしょ~~~」


 北崎の指摘は痛いほど正しかった。僕は確かに、小賢しいだけのアホだった。


 名字を伏せるなんて小手先は、真相を知らない清音を騙す程度にしか使えない。北崎のような古参の前で隠し通そうなんて、まさに夢物語。


「なるほど、だからさっき入場した時、両親の正体がバレてしまったんだ……じゃあ、この二つのメガネは、私の両親のために用意されたものですね。」

「当たり前じゃん~さて、ここはもうあなたの居場所じゃないわ~早く入場していきなさい~もう時間がなくなってるわよ~~~」


 北崎は僕の肩に置いていた手で、僕の体を軽く押し、まるで使い捨ての品物のように僕を扱い、用が済むと一瞬たりとも僕のそばにいたくないとばかりに、さっと立ち上がってデスクの方へ戻っていった。


 開演まで20分を切っている。休憩エリアから座席まで移動する時間を考えれば、確かに時間が厳しい。


 しかし、僕にはどうしても北崎さんに聞き出さなければならない極めて重要な質問がある。


 どれほど時間がかかろうとも、彼女に明確に答えを出してもらう必要がある。


 もっとも、彼女が自ら口を割らない限り、その口から真実を引き出す確率は、僕の「振り返られる確率」に限りなく近いことも分かっているが。


 3つのメガネを片付けた後、ソファから立ち上がり、単刀直入に疑問を投げかけた。


「北崎さん、最後に一つだけ質問してもいいですか?」

「それは質問次第だね~もし企業秘密に関わるものなら、答えるのを拒否する権利があるわ~あっ、それと私のプライバシーについても~そう簡単に教えるわけにはいかないね~もっとロマンチックな場所に居たら、教えてあげるかも~」

「文緋のことなのですが、もしよろしければ教えてください。今夜、私の両親がコンサートを見に来るということについて、文緋は……彼女は知っているのでしょうか?」


「文緋に、今夜私の両親がコンサートに来ることをお伝えになりましたか?」と直接聞かなかったのは、僕が彼女を密告者扱いしていると思わせたくなかったからだ。


 なんとなく、他人と接する時に限って、僕の気遣いはこんなに細やかになってしまうのだ……


「うーん~~~ あなたに教えて何になるの? うちの事務所の株価が急騰するってわけ~?」


 北崎さんの冗談めいた答えには、全く驚かなかった。むしろ、それが彼女らしい。


 まともな答えが得られる見込みがないと確信すると、僕は花束を手に取り、お礼を言う義務を全うしようとする。


「わかりました。話しにくいのであれば、これ以上は尋ねません。お世辞は好まれないことも、今私が何を言っても行動で誠意を示すことには及ばないことも承知していますが、それでも安達家を代表して、心から深く御礼申し上げます!」


 僕はドアの前に立ち、安達家の恩人である北崎に向かって深く一礼した。


 現時点で僕ができる恩返しといえば、この形式的な行為だけであり、実質的な利益には何ら換えることはできない。


 いわゆる「超能力」を身につけていても、人間関係や人情が絡む場面では、やはり役に立たない。


 結局のところ、僕はこの重荷を文緋に託し、「月隠の顔」と銘打って、僕と両親の借りを返してもらうしかないのだろうか?


 家族全員がこの恩恵を受けた以上、それに伴う債務も同様に、家族全員で分担すべきだ。両親の分はさておき、少なくとも僕の分は自分で返済しなければならない。


「自分のことは自分でやる」という、子供の頃から身についていたこの基本的ルールは、人生のどの段階においても通用するものだ。


 だから心の中で密かに誓った。北崎さんが僕に何かを求めるなら、どんなことでも喜んで引き受ける。たとえ超能力で空を飛び、月を採ってこいと言われても、死なない限り、成功するまで挑戦し続ける。


 背筋を伸ばすと、僕に背を向けた北崎がただ手を振って、早く出て行けと合図してくれるのが見えた。口を開くことさえ面倒くさそうだった様子。


 僕は振り返ってドアを開け、部屋を出ると、ドアの外で再び北崎に一礼し、静かにドアを閉めてから、会場の中へと駆け出した。



 ――――――――



 まだ控え室に残っている北崎は、スマホを取り出してアルバムを開き、安達家の家族写真を探し出した。


 それは安達池の宇宙飛行士手帳の表紙の裏に挟まれている写真とほとんど同じだが、一つ明らかな違いがある。


 この兄妹の後ろに立っていた大人の男女の顔が非常に鮮明で、塗りつぶされた痕跡が全くないことだ。


「本当に厄介な兄妹だね~~~。とにかく、3年前に私に頼んだ用事は、ちゃんと片付けておいたわよ~。あとはあなた次第ね~。彼らにあなたの最高の姿を見せてあげて~」

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。