第十一話 文緋のマネージャー、北崎梢 ①
彼女たちのぴしっとしたスーツを一目見ただけで、正体を見抜いた。たとえ僕の記憶の中に、彼女たちの容姿に関する情報が一切なかったとしても。
この若い女性たちを「命の恩人」と呼ぶべきだろうか……もし彼女たちが間に合って手助けしてくれなかったら、今日のコンサートを観ている場所は会場ではなく、刑務所の中だったはずだ。
機動隊員に対して抱く恐怖がPTSDのような永続的なトラウマだとするなら、彼女たちの颯爽としたキャリアウーマンの姿こそが、最も効果的な精神薬である。
注目すべきは、彼女たちの「リーダー」、つまり僕を危機から救ってくれた最大の恩人がここにはいないということだ。
つまり、彼女たちがわざわざ僕を阻止しに来た行為は、VIPチケット保有者に与えられる待遇ではなく、そのリーダーの指示によるものだったのだ。
「あ、先日会場で……こんにちは! あの時は本当にありがとうございました!」
「とんでもありません。私たちもただ命令に従っただけです。」
「あの……この方たちは君の友人なのか?」親父が僕の背後で小声で尋ねた。
「ご紹介しましょう。彼女たちは文……」
僕が「月隠の顔」の本名を口にする前に、その中の一人の女性が割って入った。
「安達政様、奥様、初めまして。私たちはSpotted & Sparklingエンターテインメント事務所のスタッフです。今夜、ご来場いただき、幸甚の至りに存じます。私たちも『月隠の顔』を全力でサポートし、お二方に最高のパフォーマンスをお届けいたします。」
僕の顔には驚きが丸見えだった。
彼女たちは、僕の後ろにいるこの二人の「ボディーガード」が、僕と「月隠の顔」の両親だと、どうやって見抜いたのか? 実の息子である僕ですら気づかなかったのに……
なぜか、胸の奥に名もなき怒りの炎が燃え上がったが、すぐに理性の水で消し止めた。
そうでなければ、恩知らずな愚行を犯してしまうのではないかと本気で恐れた。
「お恥ずかしい限りです。うちの娘はここ数年、御社に大変お世話になっております。今日の地位を得られたのは、すべて御社の丁寧なご指導のおかげです。本来なら私たちが直接お伺いして御礼を申し上げるべきでしたが、なかなか適切な機会が見つからず、礼儀に欠ける点がありましたら、何卒ご容赦ください。」
親父の礼儀正しい言葉遣いは全開で、その言い回しには謙虚さが溢れていた。
この姿からは、三年前、執拗に「事務所に通知書を送って文緋との契約を解除させろ」と叫んでばかりいたあの乱暴な中年男性とは、とても同じ人物とは思えなかった。
それに対し、普段は話し上手な母は、かえって言葉に詰まってしまい、ただ傍らで何度も頭を下げて感謝の意を表すばかりだった。
もしかすると僕の疑り深さが過剰なだけなのかもしれないが、おふくろのこの振る舞いは、意図的にこの社交辞令を親父に任せたように感じてならない。
「もったいないお言葉です。ご令嬢の成功は、彼女自身の才能とたゆまぬ努力の賜物であり、我々はほんの少しお手伝いをしたに過ぎません。このようなお褒めの言葉をいただき、誠に恐縮です。お二方の全面的なご支援があれば、ご令嬢はきっとさらなる高みへと登りつめることでしょう。」
「ご高配にあずかり、私から家族を代表して、御社に心より御礼申し上げます。」
双方が互いに礼を交わした後、気まずい雰囲気は遂に終止符を打った。
「それでは、これ以上お邪魔はいたしません。差し支えなければ、安達池さん、少しお時間をいただけますか?」
「え? 私に何か用ですか?」
やはり何かおかしい。あの北崎さんがわざわざ部下を派遣してまで僕を「出迎え」に来る必要なんてないはずだ。
「構わない、池、ちょっとついてきてくれ。」
「え~~~?でも親父、まだVIPエリアまで案内しなきゃいけないんだけど?」
「いいから早く行っておいで~お姉さんたちはきっと用事があるんだから~お父さんと先に中に入るからね!」
「どうして母さんまで……」
「それじゃあ、私たちはこれで失礼させていただきます。」
親父は僕の肩を軽く叩くと、母の手を引いて会館の中へ早足で入っていった。
北崎の部下たちは、親が去るのを恭しく見送ってから、ようやく僕の方を向いた。
「こちらへどうぞ、安達さん。社長が開演前にあなたとお会いしたいとのことです。長くはかかりませんから。」
同意しようとした矢先に、長い間静かだった心臓が僕にささやきかけた。
その内容は、先ほど警察に対して放った脅迫的な言葉と同じで、僕は背筋が凍るほどの恐怖を覚えた。
「ご主人様、安心して彼女たちについて行ってください。身の安全は我々が責任を持ちます。万が一、相手に不審な動きがあれば、即座に始末します!」
「おい、お前……まさか暴力的な性向があるんじゃないだろな? 彼女たちは俺と妹の恩人なんだから、無茶するな!」
「そうでしょうか? 申し訳ありません!ご主人様が少し躊躇されている様子を見かけ、この方々がご主人様に危害を加えるだろうと決めつけてしまいました……」
「考えすぎ。ただ、彼女たちのリーダーが今さら俺に何の用があるのか気になっているだけだ。せいぜいついていくくらいのこと、何の問題もないと思う。」
「承知いたしました。私は常に相手の挙動を監視しております。」
「言ったんじゃ、そんな必要はないって……」
現実の世界に戻り、すぐに彼女たちの要請に二つ返事で応じた。
「では、案内をお願いします。」
「かしこまりました。こちらへどうぞ。」
――――――――
そうして僕は彼女たちに続いて、分厚い防火扉の中へ入った。扉の脇に貼られた標識には、「舞台裏エリア、関係者以外立入禁止」と書いてある。
このコンサートの企画者として、開演前にバックステージに陣取って指揮を執るのはごく当然のことだが、40時間以上も会っていない文緋に会えるかもしれないと思うと、つい足取りが速くなってしまい、何度か先頭を歩く女性スタッフを追い越しそうになった。
そのせいで、他のスタッフたちがこっそり笑う声が聞こえたような気もした。
「北崎様の言う通りですね……この安達さんって本当に……」
その後の言葉は聞き取れなかったし、最初の部分も僕の幻聴だったのかもしれない。
舞台裏では誰もがコンサートの準備に追われているが、その中には「関係者ではない」僕に対して警戒心を抱くスタッフも少なくない。
何しろ、花束を抱えた僕の外見は、舞台裏に無断で侵入したヤラカシのように見えたからだ。
幸い、女性スタッフの方々が護衛をしてくれたおかげで、僕に詰め寄って来る者はいなかった。
道中、私たちは照明、音響、衣装、メイク、バックダンサーの控え室など、多くの専門エリアを通り抜けた。
その明確な役割分担には驚かされ、一瞬、虎視島宇宙センターに帰った錯覚に襲われた。
さっき通った防火扉の外側から見れば、舞台裏がこれほど広大だとは夢にも思わなかった。
案内役がいなければ、迷宮に迷い込んだハムスターのように、あちこちで壁にぶつかり、滑稽な姿をさらしていたに違いない。
長い道のりを経て、私たちは不気味なほど静かな廊下にたどり着いた。
両側の部屋のドアには「控え室」と書かれた表札が掛かっており、そこから北崎さん(と文緋)の居場所はそう遠くないと推測できた。
控え室は密会の場所としてこれ以上ないほど適しているからだ。いや、「密会」という言葉には、どこか背徳的なニュアンスがあるような……
やはり「面会」と言ったほうが良さそうだ。何しろ文緋が関わっている可能性もあるのだから。
「社長は廊下の突き当たりの部屋にいらっしゃいます。」
「お疲れ様です。ところで、北崎さんが私を呼び出されたのは、一体何のご用でしょうか?」
僕はふと、親父の折り目正しい話し方を真似てみた。この面会に向けたウォーミングアップといったところだろうか。
「申し訳ございませんが、私たちにもその件については全く存じ上げません。」
僕の聞き出し方が拙すぎたのか、それとも彼女たちが本当に事情を知らないのか、役立つ情報はこれ以上得られなかった。どうやら臨機応変に対応するしかないようだ。
不思議なのは、虎視島であの要人たちを拝謁した時のような状況でもないのに、なぜこの緊張感がますます強まっているのかということだ。
廊下の突き当たりにある部屋のドアの前で、案内役の女性職員が軽くノックした。その音は、僕の胸の奥にも響いた。
「社長、安達さんがお見えになりました。」
「あ~~ご苦労様~~~さあ、お入りください~~」
部屋の中から聞こえてきた艶めかしい許可の声。薄っぺらなドアでは、防音効果ゼロらしい。
「承知いたしました。安達さん、どうぞお入りください。ご持参のブーケは、こちらでお預かりいたします。」
「ありがとうございます。お手数をおかけしますので、私が持っていて構いません。」
女性スタッフはうなずき、ドアを開けてくれた。そして同僚たちと共にドアの両脇に並び、少し腰を屈め、片手で僕を部屋へと迎え入れる仕草を見せた。
期待と不安が入り混じった複雑な気持ちで、部屋に入る前に中をちらりと覗いてみると、広い部屋の中に、銀白色のコートをまとった背の高い人物の後ろ姿がぽつんと見えた。
その人物はだるそうに、一つの机にもたれかかり、右手を机の上に垂らし、指を机の上で上下に躍らせている。リズミカルで心地よい拍子に合わせて未知の楽曲を演奏しているような音もしている。
机の前には、高級感たっぷりの本革ソファと、上質なティーセットが置かれたテーブルがある。その一つのティーカップには淹れたての熱い紅茶。その芳醇な香りは入り口に立っている僕にも届いていた。
ざっと見回してみると、部屋には他の人の気配は全くないことが確認できた。
そのため、僕の複雑な心境も一変し、期待の要素は完全に消え去り、残ったのは動転と落胆が入り混じった感情だけだった。
「まだぼーっとしてるのか、超能力くん~~~遠慮しないで、早く中においで~~~」
マジかよ、この人、後頭部に目でも生えてるのか?でなきゃ、僕がドアの前で躊躇している姿なんて、見えないはずだろう?
「あっ、はい、そっ、それじゃあ、お邪魔します……」
驚きながらも、僕は急いで部屋に入り、まるで職員室に呼ばれた小学生のように緊張した様子で突っ立ち、向かいのこの「先生」との面会を待った。
「それでは、私たちは開演の準備を手伝いに戻ります。何か必要なことがあれば、いつでもお呼びください。」
え? スタッフの皆さんは待ってくれないの? ちょっと、僕をここに置き去りにしないでよ……
「OK~~~みんな、自分の仕事に戻っていいよ~~~」
僕の心の願いは現実にはならなかった。スタッフたちは立ち去る際、ついでに部屋のドアを閉め、音ひとつ立てなかった。
部屋の中の静寂がしばらく続いた後、その銀白色の後ろ姿に破られた。
「突っ立ってるんじゃない~座って座って~私の大切なゲストなんだから~~ほら、お茶も淹れておいたわよ~」
そのお茶は本当に僕のために用意してくれたんだな……けどよ、せめて振り返って顔を見せろ。ゲストを後頭部だけで接待するなんてありえないだろう。
「は、はい、お気遣いありがとうございます……」
今度は僕の心の願いが叶った。なぜかというと、座って間もなく、あの後ろ姿がついに振り返り、魅惑的な微笑みを浮かべて僕に向き直ったからだ。
――――――――
北崎梢、今年31歳。父は陽の国六大財閥の一つ――北崎氏財団の当主。
娘の本人は現在、Spotted & Sparkling芸能事務所の筆頭株主であり、「月隠の顔」のマネージャー、そして安達池の命の恩人でもある。
ある周知されない理由から、名門の家系に生まれ、高貴な出自を持つ北崎さんは、6~7年ほど前からスカウト業界に足を踏み入れ、その後この業界で急速に名を馳せた。
わずか数年で、彼女はその優れた眼力で数え切れないほどの将来有望な新人を発掘し、その中でも最も有名な人物については、改めて説明するまでもないだろう。
さらに、多くの男性諸君にとって朗報となるのが、彼女が未だ未婚であり、名門への婿入りという道が閉ざされていないということだ。
以上が北崎さんに関する公開情報である。
一方、未公開の極秘情報については、親しい関係者だけが知るところだが、僕の妹である安達文緋もその一人だ。
文緋から得た情報によると、現在の北崎さんは仕事の重心をすべて「月隠の顔」に置いているという。
その理由は、「月隠の顔」の記録的な人気と、凄まじい金を稼ぐ能力に他ならない。
そう考えると、北崎さんが「月隠の顔」を過度に保護しているのも納得がいく。
僕と北崎さんの極めて限られた対話の機会の中で、最も印象に残っているのは、主に二つの点だ。
一つは、彼女ならではの個性的な行動様式であり、もう一つは、人の心を惑わす色っぽい目元と、性的に挑発的な口調。
そのため、彼女の言動にどれほど真実があり、どれほど虚偽が含まれているのか、見極めるのが難しいのだ。
僕の浅はかな経験から言えば、異性だろうと同性だろうと、これほど美しく魅惑的な女性を前にして、その攻めに抗える人はほとんどおらず、結果として彼女が露わにする感情を真に受けてしまうものだ。
ただ、僕は例外と言えるだろう。
前回の発売会の件を例に挙げれば、 北崎さんが身を挺してくれたのは、決して僕自身に協力に値するメリットがあったからではなく、単に「月隠の顔」に免じて、僕に多大な恩を売ってくれたに過ぎない。
だからこそ、彼女が当時会場で語った言葉は、間違いなく「真実100%、嘘0%」だったのだ。
それゆえ、今日の面会も疑いようなく「月隠の顔」に関連したものであり、本当に僕を何らかの賓客として扱っているわけではない。
まあ、とりあえず彼女の言いたいことには耳を傾けてみよう――
そう考えるのは簡単だが、実行するのはそう簡単ではない。
何しろ男女が二人きりで同じ部屋にいれば、顔が赤くなり、心臓がドキドキするのは避けられない生理現象だからだ。
しかも、今の北崎さんは防毒マスクを着用していない。仕方なく、僕は深呼吸をして、胸の高鳴りを抑える試みをした。




