第二十三話 翌朝 忘れられない味わい
一晩を通して、宇宙飛行士として必要な「8時間」という理想的な睡眠時間には達しなかったものの、睡眠の質は間違いなく保証されていた。というのは、この眠りは何とも「甘い」もので、味覚で実際にその甘さを味わえるほどだったからだ……
「おいしい……この味……味覚中枢からのフィードバックによると……多分……とある栗のクリームみたい……」
うるさいな。朝っぱらから耳元でぺちゃくちゃ喋ってやがる……あ、そうだ。毎朝きっちり起こしてくれる、あのうるさい目覚まし時計だな。確かにそろそろ起きる時間だ。
でも、今日の「目覚まし」は何だかおかしいような……「おいしい」だの「栗のクリーム」だの、とんでもないことを言ってやがる…… 僕を起こしているというより、こっそり何かを摘み食いしてると言った方が適切だろう?
うとうとしている中、舌先に何とも言えない複雑な味が広がった。濃厚なナッツの香りに、砂糖を加えた生クリームの甘みが混ざっているようだ。おそらく「小洋屋」の栗ケーキ特有の風味だと断定できるが、そこにあまり心地よくない口の匂いが重なると……
総じて言えば、以上の組み合わせの味は一言では説明しづらいものだ。まあ、昨夜歯を磨かずに寝てしまったのだから、口の匂いが芳しくないのも無理はない。
それにしても、あの「変な音の目覚まし」が言っていた味って、もしかしてこれのことだろうか?こいつは間違いなく、碌なものを食ったことのない田舎者だ。僕の口の匂いが混ざった味を「美味しい」って思うなんて、僕自身でも吐き気がする……
待てよ、昨夜は確かに歯を磨かなかったけど、ケーキも食べていないはずだ。なぜ口の中に栗のケーキの味がするんだ?
この疑問が、閉じられていた僕のまぶたを一瞬で開かせ、「変な音の目覚まし」に起こされるよりもやけに異常な方法で、意識を取り戻させた。
天井としばらく見つめ合った後、首を傾けて壁の時計を見た。時針と分針は、案の定、8時ちょうどを指している。次にソファから体を起こし、リビングの掃き出し窓から差し込む朝日を浴びた。なんと神聖な光景なんだろう……窓辺のあの殺風景なオーディオ機器と、口の中に広がる違和感満載の味がなければ完璧だっただろうに。
唇を手のひらで拭うと、指に少量のクリームの跡が見えた。
「きっと文緋の仕業だ……」
呆れと苦笑いが混じった声でつぶやいた。
同時に、ふと察した。文緋がこんな悪戯をするということは、彼女が帰ってきて、僕の用意したものを全部目にしたということだ。ひいては、僕がこっそり実家に帰っていたことも知ってしまったということだ。
では、文緋は僕の行動をどう受け止めているのだろうか? 僕の口にケーキを塗りたくるという行為は、彼女が僕に腹を立てている証拠なのか? だから前回と同じように、抗議の意を込めて無理やりケーキを押し付けてきたのだろうか?
寝起きで乙女の気持ちを推測しろなんて、ちょっと無理があるだろう。
「はあ~…とにかく、まずは起きよう……」
伸びをして、ソファから降りようとした途端、自分の体に元々なかったあるものが腰から床に滑り落ちていくことに気づいた。
「布団?そういえば、夕べはここでそのまま寝落ちしたけど、布団をかけていなかったはず……ってことは……」
可能性は一つしかない。文緋が布団をかけてくれたのだ。それだけでなく、左側のソファにも布団が敷いてある。僕の記憶が正しければ、あれは文緋が普段使っている布団だ。
実家にいた時期よりやや多いとはいえ、文緋の部屋に入った回数はごく限られていた。抜群の記憶力のおかげで、限られた回数の中でも彼女の部屋のこうした些細なことはかなりよく覚えている。
文緋の布団がなぜここにあるか、その理由は言うまでもない。
「夜遅くまで面倒を見てくれて、ご苦労様、俺のバカな妹。」
僕はだだっ広いビングに向かって、文緋への感謝の気持ちを心置きなく声に出して伝えた。誰に聞かれることもない独り言だと分かっていたからだ。
目が覚めた瞬間から、一日中、空っぽの家での一人暮らしが始まった。彼女の立場に立って考えれば、僕は今、文緋がこの3年の大部分を、この家で一人で過ごしてきた体験を身をもって味わっているのだ。
文緋の布団を彼女のベッドに戻すには、彼女の部屋に入らなければならない。
文緋は僕が勝手に彼女の部屋に入ることを明確に禁じたことは一度も無いが、普段なら、自ら入ることは絶対にない。逆に、僕が家にいない時、僕の部屋は文緋にとって入り放題だ。
とにかく、今日は特別な場合として扱おう。
布団を抱えて文緋の寝室に足を踏み入れると、すぐに部屋のレイアウトに変化があることに気づいた―― ―以前と比べて、あるデカイ電子機器が一つ増えている。
「やるじゃないか……アイツ一人で電子ピアノをここに運び込んだなんて……俺ですら、あれはちょっと重いと思うのに……まさか、文緋には本当にとんでもない怪力が隠されているのか?あの日、俺が虎視島から帰ってきた時にアイツがあのスピーカーを軽々と持ち上げていたのも納得だ……」
今思えば、自分が今こうして生きていること自体が、紛れもない奇跡だ…… ガンマ線バーストと文緋の投擲攻撃が相次いで襲来しても何とかそれらを乗り越えて生還した人間は、間違いなく前代未聞、後世にも類を見ない存在だ。
単に一階から運び上げただけでなく、文緋は電子ピアノを窓際のピアノスタンドにきちんと設置していた。それまでずっと空いていたそのスタンドは、まるでこの日の到来を待っていたかのようだった。この電子ピアノの帰還を、彼女もずっと、ずっと待ち望んでいたに違いない。
文緋のベッドに布団を敷き、日差しにきらめく電子ピアノを心温まる思いで見つめ、それから振り返って一階へ降りた。いつの日か、さぞこの家でもかつてと同じ音色が響き渡り、かつてと同じ思い出が紡がれることだろう。「心の居場所が我が家なり」という名言があるそうだ。僕と文緋にとって、ピアノの音が響く場所こそが、私たちの「心の居場所」なのだ。
身支度を整え、いつものように食卓へ向かうと、文緋が作ってくれた朝食がすでにテーブルに並んでいた。少し冷めてはいたが、美味しさはそのままだった。
文緋が毎日早朝から夜遅くまで働き、特に昨夜はいつ帰宅したのか、何時まで忙しくして寝たのか分からない上に、今朝も早起きして朝食を作ってくれたことを思うと、食欲が急になくなってしまった。こんな状況で平然と大食いできる人間がいるとしたら、そいつは本当に無神経で図太いクソ野郎に決まっている。
「このまま無理を続けたら、体が持たなくなる……このライブのためだけに、そこまで苦労する必要が本当にあるのか?」
もちろんある。文緋に代わって、僕は僕自身が持ち出した疑問に答えることもできる。無条件に文緋を信頼し、仕事と生活の完璧なバランスを彼女自身で見つけ出せると信じることこそが、文緋への最大限のサポートなのだ。ここ数日、僕はずっとこの特別な応援の仕方を貫いてきたし、その正しさを疑ったことは一度もない。
あと数日間、文緋も僕も辛抱すれば、ライブが終わった後は、また以前のような平穏な生活に戻れる。すべての努力は、いずれ相応の報いをもたらしてくれるはずだ。
だから今、大切なのは感謝の気持ちを込めてこの朝食を味わい、ここ数日間と同じ生活リズムを保つことだ。ただ、朝食には欠かせないものが一つ欠けていた――熱いコーヒーだ。
僕の習慣を知り尽くしている文緋が、こんな手落ちをするはずがない。いや、むしろ僕の習慣を熟知してこそ、あえてこうしたのかもしれない。これもまた、この特別な時期にしか起こり得ない現象だ。
「しょうがない、今日も自分でコーヒーを淹れなきゃな。どうやらアイスコーヒーを飲む習慣を身につけなきゃいけなさそうだ。」
典型的な怠け者らしい発言だ。
台所のコーヒーメーカーへと歩き出したが、食洗機の前で足が止まった。上の表示灯がまだ点灯しているということは、洗った食器を入れっぱなしにしているということだ。おそらく文緋が忙しすぎて忘れてしまったのだろう。
食洗機を開けてみると、中には小さな小皿一枚とフォーク一本しかなく、普段文緋がケーキを食べる時に使う食器の組み合わせと一致していた。
「これって、文緋がケーキを食べる時の専用フォーク? まさか……」
ある考えが僕の確認を求めており、そのため僕はすぐに冷蔵庫を開けた。最初に目に入ったのは、チルド室にそびえ立つケーキの箱だった。箱の中のケーキはあと2切れだけ残っており、バニラと栗がそれぞれ1切れずつだった。
僕はすぐに台所のゴミ箱や、屋外にある分別用の大きなゴミ箱を漏れなく確認したが、行方不明のケーキ2切れはどこにも見つからなかった。ケーキが捨てられたわけがないのなら、眠っていた僕が食べたわけもないのなら、残る可能は文緋がそれらを腹の中に埋葬したということだけだ。
この推測は論理的に完璧だ。つまり、文緋は一晩置いたケーキを受け入れただけでなく、僕の好意までも受け入れてくれたということだ! さっきの心配は、単なる思い過ごしだったのだ! 彼女が僕の唇にクリームを塗りつけたのは、怒っていたからではないのだ!
では、一体何のためだったのか?しかもフォークは一本だけ、それも彼女専用のフォーク……
たとえこの惑星の流行りにどれほど疎くても、乙女の気持ちがどれほど分からなくても、このような親密な行為が何を意味するかは僕にも分かる。
「間……間……間接……間接キ……」
胸がときめくこの四文字の言葉を思い浮かべると、頬は火照り始め、次第に焼けつくほど熱くなり、耳たぶは熱さで落ちそうに感じられた。頭頂部はまるで古い蒸気機関車の煙突のように、止めどなく熱気をもくもくと立ち昇らせていた。
その朝食で何を食べたのか、全く覚えていない。ただ、唯一心に残っているのは、あの何とも言えない「複雑な味」だけだった。
ガキの頃は全然平気だったのに、なんで今はこんなに気になるようになったのかな……これも体の「全く新しい変化」によるものか?




