第十八話 再度の帰省 仲間の初覚醒
「三年前のあの夜のことはもう二度と思い出さないって、とっくに決めていたのに……なぜこんな時に限って……」
時々、自分の強すぎる記憶力が本当に嫌になる。だって、それは、絶対に覚えていたくない悲しい過去が、僕の記憶の深層に永久に残ってしまうことを意味するからだ。しかも、口にした一言一句、目にした人や物、行った動作までもが漏らさず再現され、ざっと思い返すだけで、その場にいるみたいな立体的な臨場感さえ味わえてしまうのだ。
幻聴の症状が現れて以来、僕の病状は、頭の中の考えさえも制御できなくなるほど悪化してしまったのだろうか?長距離列車での時間潰しの方法は様々あるが、僕はあえて「空想にふける」という最も異常な方法を選んでしまった。まるで記憶を保管する脳細胞が、長年封印されていた記憶の断片を意図的に漏らし、脳内で「安達池の黒歴史公開鑑賞会」を開催し、すべての脳細胞が気ままにそれを嘲笑したり楽しんだりしているかのようだ。
「人の口に戸は立てられぬ」という諺の通り、もしこれが人間社会で起きた出来事だったなら、当事者は死んでしまいたくなるほど恥をさらしていたに違いない。
ところが今、この黒歴史の当事者の一人は、自身の経験に恥じることもなく、国民的スーパー歌姫となっている。そして僕が今なすべきことは、この黒歴史を当事者たちの人生の川から完全に蒸発させることだ。それは文緋の名声を守るためでもあり、何よりこの血の絆を守るためでもある。
「まもなく陣港駅に到着します。お降りになるお客様はお忘れ物のないようご注意ください。また、列車とホームの段差にご注意ください。千通線をご利用いただき誠にありがとうございました。またのご利用を心よりお待ちしております。」
とっくに暗記している到着アナウンスだが、聞くたびに心に異なる体験を生み出してくれる。
駅を出る前に、出口の前に設置された大型LEDスクリーンで「月隠の顔」のライブ宣伝動画がループ再生されているのが見えた。
画面が次々と切り替わるにつれ、ステージ上で活力に満ち、輝きを放つ「月隠の顔」の舞姿も、デビュー以来の軌跡に沿ってシーンごとに移り変わっていく。
バーチャルシンガーというイメージを脱却してからの初の単独公演をはじめ、デビュー1周年記念イベント、記録的な60万人のファンが集結した熱狂のライブ、そして最新の公開イベントに至るまで、数え切れないほど夢のような美しい瞬間が永遠に刻まれている。通りすがりの人であっても、「月隠の顔」のファンでなくとも、この感染力あふれる数々の瞬間に引き込まれ、思わず足を止めて見入っていた。
これは単なる広告宣伝というより、むしろ「月隠の顔」のアイドルとしてのキャリアを綴った自伝と呼ぶ方がふさわしいだろう。ただ一つ、記録されていないものがある。
それは、全世界が一目見たいと願う「月隠の顔」の本当の顔だ。
だからこそ、僕と薄いスクリーン一枚しか隔てていないこのスーパーアイドルに対して、親近感と同時に、どこか見知らぬ存在のような感覚を抱いているのだ―――彼女が我が実の妹であることを知りながらも、ライブ会場でその華やかな姿を生で目にしたことは一度もなく、壮大なステージで彼女が歌い上げる極上の歌声を、この耳で聴いたことも皆無なのだ。
両親は、この世で僕と同じ経験を持つ唯一の存在である。この方法では人生における空白を真に埋めることはできないと分かっていながらも、僕は無意識にスマホを取り出し、画面の前でなかなか離れようとしない他の見物人たちと共に、そこに映し出される映像を撮影していた。
「みんなに愛されている文緋、親父もきっと見たいはずだ……」
帰り道、親父をどう説得するかという問題について、母ちゃんの指示に従って様々な言い回しを考え、あらゆる戦略を練ってみたが、結局はどれも却下してしまった。
前回実家に帰った時、父がリチャード先生と電話で話している最中に、その神業のような話術を見せてくれたことを覚えている。そのおかげで、親父の本当の職業について疑念を禁じえなかった。
今さら言葉の駆け引きで父に勝とうとするなんて、まさに「釈迦に説法」というところだ。そもそも家族と話すのに「戦略」なんて必要あるだろうか?そんな手口は、下田のようなクズを相手にする時に取っておこう。
気楽な気持ちで、古い家の玄関の扉を開けた。一見すると、これはただの普通の帰省に過ぎない。
「親父、母さん~~~~~ただいま!」
声を聞いた母が真っ先に迎えてきてくれた。今回の作戦は無謀に近いもので、勝敗は基本的に僕の対応次第だが、念のため、母ちゃんを応援役かつ援軍として配置しておいた。いざという時に大いに役立つかもしれないからだ。
「お帰り~~~数日会わなかっただけなのに、なんだかすごく痩せた気がするけど?ちゃんとご飯食べてるの?」
実は毎日体重を測っている。「自分の子供はいつだってお腹が空いて痩せているように見える」という視覚的な錯覚は、おそらく世界中の親に共通する悩みなのだろう。
「最近は確かに結構忙しいんだ。休暇中だけど、やらなきゃいけないことが山ほどあって……でも大丈夫、文緋がいるから、絶対に空腹でいることはないよ!」
「そっか~よかったわ。あのね、お父さんは上の書斎にいるの。君の声が聞こえていないはずだから、上がってお父さんに挨拶してきてね~。政を文緋のライブに誘う話は、今はまだ言わないでおいて。タイミングが良さそうな時に話せばいいんだから。」
「わかった、じゃあ先に上がってくるね。」
階段を上る時、わざと足音を最小限に抑え、親父にちょっとしたサプライズを仕掛けようと思った。そこで、思い切って礼儀なんて無視して、ノックもせずに勝手に書斎のドアを開けた。
「親父~~~ただいま!」
まさかドアを開けた途端、親父と目が合ってしまうとは。
目に映った親父は、僕が想像していたように机に顔を伏せて論文を書いたり資料を調べたりしているわけではなく、椅子に座ってドアの方を向いており、わずかにうつむいて、僕に見えない何かを見ているようだった。
この「招かれざる客」である僕を見て、親父は嬉しさのあまり慌てて姿勢を変え、まるで何かを隠そうとしているような印象を与えた。例えば、僕が入ってくる前に親父がしていたことなど。
どうやら、来たタイミングは確かに悪かったようだ。
「池……? お前、入ってくる時もまずノックくらいしろよ……ところで、なんで急に帰ってきたんだ? 事前に言ってくれれば、十香子が美味しいご飯を用意してやれたのに。」
「へへ~まあ、今日は特にやることもないし、一人でいるのも退屈だし、せっかくだから会いに帰ってきたんだ~ところで、親父、何見てるの?ドアのあたりに何か面白いものでもあったの?」
「見てない!私……ただ仕事のことを考えていただけさ。」
「へえ?俺の見間違いか……」
実のところ、親父の本当の気持ちはだいたい推測できた。何しろこの書斎は、家族全体が壊れかけた悲劇が起きた場所なんだ。ここに居るだけでも、古い記憶が蘇り、当時の人物や出来事を思い出すのはごく自然な反応だ。この点では、僕と親父の間には、言葉にしなくても理解し合っている合意が成立していた。それは、二人ともこの共有する傷跡を再び抉り出したくない、ということだった。
「さっき『一人でいる』って言ったけど、どうしたの?あそこの家には君一人しかいないの?」
「そうなんだ……しかも、一日や二日じゃないんだ。最近はほとんどの時間を一人で過ごしている。文緋がライブの準備で忙しくて、毎日朝っぱらから夜遅くまで仕事だから、会う機会すらほとんどなくて……」
「ふん、毎日こんな無意味な事に時間を無駄にしているなんて……」
この前母ちゃんが言ったことを思い出した。目の前にいるこの安達政さんもこっそりと、こういう「無意味な事」に関心を寄せているそうだ……しかも、その期間は一朝一夕じゃなく、年単位で続いているらしい。
やはり、母ちゃんがスマホで文字で説明してくれるよりも、実際に体験するほうが実感が湧くものだ。
「アイツはああいう性分だ。だが、兄として、妹と同じ屋根の下で暮らしているのなら、会う機会が少ないからといって、自分が果たすべき義務を怠ってはいけない、分かるかい?」
父の口調が急に厳しくなり、真剣な態度で僕に説教を始めた。
「えーと……よく分からないんだけど……」
「言うまでもないことだ。兄として、君は適切なタイミングで妹の悪い生活習慣を、健康的で規則正しい方向へ導くべきだ。会えないからといって妹のことを気にかけず、妹が無意味なことに追われて、このまま体を壊していくのを放っておいてはいけない。これで十分分かっているだろう?」
父がこれほどまでに率直に言ってくれた以上、もし僕がまだ「分からない」と言い張るなら、間違いなく知らんぷりをしていることになる。
要するに、僕の本職――つまり親父の伝言役に専念しろということだ。帰省するたびに、親父にこの欠かせない手順を必ず課される。いつの間にか、「帰省」という行為自体が、とあるRPGゲームで冒険者ギルドのような場所を訪れてクエストを受注する設定に、ますます似てきている。
正直なところ、自分が兄としての義務を全うしているのか、それとも父の代理人として動いているのか、自分でも分からなくなっている。
兄であり、父親でもある。
もしこの言葉を他人に聞かれたら、間違いなく恐ろしい誤解を招くだろうが、これがまさに今の僕の置かれた状況だ。この仲の悪い父娘が和解するまでは、僕には選択の余地がなく、ただ素直に「代理の父親」という役割を演じ続けるしかない。これは、近頃流行っている「ロールプレイングゲーム」とは、まったく別物だろう。
「ってことは、兄貴の名義で妹に『体を大事にして、無理しすぎないように』と注意するよう、ってことだよね、親父?」
「そんなことは言ってないが、そう解釈しても構わない。」
親父が知らないことが一つある。今回彼が僕に任せた任務は、たまたま僕がとっくに完遂していたものだってこと。同じクエストを二度受けてクリアしたところで、経験値は増えない。
「はいはい~ちゃんと彼女に伝えておく~」
「言葉遣いに気をつけなさい。それは『伝える』ことではなく、兄としての君が彼女に対して示すべき態度なんだ。」
「わかったわかった~言葉遣いが悪かったってことでいいだろ~」
「二人とも、ご飯できたよ~!早く下がってきて~!」
「十香子が呼んでるよ。さあ行こう。今日はちゃんとしたご馳走は用意してないけど。」
「なんで母ちゃんも親父も、俺がただ飯目当てで帰ってきたと思ってるんだ……」
「ハハ~だって、君が帰ってくるたびに、いつも美味しい料理が山盛りあるじゃない~」
親父の機嫌は想像以上に良さそうだ。どうやら、親父を説得してライブに付き合ってもらうのは、それほど難しくないようだ。
今日の昼食は、親が繰り返し強調していた通り、食材は質素で家庭的なものだった。前回、高級食材が盛りだくさんで、うちの2ヶ月分の生活費を食い尽くしたような豪勢なごちそうと比べると、雲泥の差だった。
幸い、母ちゃんの料理の腕前のおかげで、どんなに普通の食材でも、独特な風味を持つ美味しい料理に仕上がるのだ。
「おふくろの味」という表現がよく使われるが、この味覚的な効果は僕にも当てはまる。母の料理であれ、文緋の料理であれ、僕は食材そのものにこだわることはない。なぜなら、そこから味わうのは食材の質や高級さではなく、そこに込められた温かい気持ちだからだ。
よく考えてみると、「この料理には妹の味がする」なんて言う人はいないだろう。将来、誰かと食事をしている時に、冷やかな目で見られかねないような感嘆を口にしないよう、これを禁句として心に刻んでおく必要がありそうだ。
食事の最中、僕は今日の本題とは全く関係のないことを考えながら、親父に用件を打ち明ける適切なタイミングを伺っていた。母ちゃんは協力しようとしてはいたものの、僕が先に口を開くまでは、彼女もなかなか介入しづらい様子だった。「家族との会話に戦略なんて必要ない」と断言していたのは、一体誰だったっけ?
とにかく、まずは遠回しに打診してみよう――僕はそう考えていた。しかし、口を開こうとした矢先に、脳の片隅から、あの荒くて、つっかえつっかえした幻聴が再び聞こえてきた。
「ご……ご主人様……どうやら……お困りのようですね……何なら……お手伝いしては……いかがでしょうか?」
待てよ、これって神経系の乱れによる幻聴の症状じゃないのか?なぜ「症状」が自ら進んで助けを申し出るんだ?医学的には全く理にかなっていないはずだ。
「池、また前回みたいに、食事中にボーッとし始めたのか?」
その時、父の問いかけは幻聴の声よりもはるかに大きく響いた。
「え?前回そんなことあったっけ?えっと、その……母さんが昔よく作った料理を久しぶりに食べたから、ちょっと……感無量で……」
「でも、ご飯一口食べただけだろう?そこまで大げさな反応をする必要ある?」
咄嗟にでっち上げた嘘は、親父にあっさりと見抜かれてしまった。いっそ前回使った言い訳をそのまま使えばよかった……
「あなた、その言い方、聞いていられないわ!ここ数年、池が家に帰ってきたのは何回?あたしが作ったご飯を食べてくれたのは何回?特にあんなに危険な訓練を経験した後なら、子供の頃から食べてきた料理の味が恋しくなるに決まってるわ。たとえ白ご飯一膳だけでも、夢中になって食べるのは当然のことよ! 池、そうじゃない?」
今の話題は文緋とは関係ないのに、母ちゃんはやはりタイミングよく助け舟をを出して、僕を窮地から救ってくれた。あらかじめ母ちゃんを援軍として配置しておいて正解だった。
「ああ、そ、そうだ~~~このご飯、なんだか子供の頃の味がするなあ! 懐かしい! さすが母さんの腕前だ!」
たかが茶碗一杯のご飯なのに、いくら持ち上げたり褒めちぎったりしても、白トリュフや熟成キャビアの丼のような豪華な味にはならないだろう……どうせ親父が僕のでたらめを信じるわけがないから、やめとく。
「まあ、十香子の言うことも一理あるな。」
親父は冷静に短い感想を述べると、食事を続けた。この様子を見る限り、親父は僕の不自然な反応をあまり怪しんでいないようだ。
ほっと一息つき、うまくごまかせたと思いきや、親父は僕の心を見透かしたような態度でこう付け加えた。
「せっかく家に帰ってきたんだから、何か悩み事があるなら、一人で抱え込まず、私たちに相談してね。」
「な、ないよ?俺に悩みなんてあるわけないじゃん~」
「そうか、何もないならそれでいい。早く食べて、さもないと料理が冷めてしまうよ。」
これで僕ですら、訳がわからなくなってしまった。親父はいったい僕を疑っているのか、いないのか?
助けを求めて母ちゃんの方をちらりと見たが、なんと母ちゃんもまた、さっぱりわからないような表情で僕をじっと見つめていた。文緋のまばたきのように母ちゃんの表情を正確に読み取ることはできないけれど、推測するだけでもほぼ見当はつく。
「あたしにもこれ以上の手助けはできないわ。あんなに変な様子だったんだから!」
だいたい以上の意味だろう。他人に頼るより自分で解決するしかない。まずは幻聴の症状を抑えて、それから冷静に、どうやって親父にライブの話を切り出そうか考えよう……
「どうやら……ご主人様は……窮地に陥っているようですね……」
この得体の知れない怪しい声がまた現れた。ただの雑音だと思って、無視しておけばいい。
「お父さんは……確かにかなり手強い人物ですね……」
怪しい声は、僕の頭の中で延々と喋り続けている。なぜこの「症状」は、僕の父についてそんな結論を出したのだろう?もしかすると、この「症状」自体にも外界を観察する能力があり、さっきの僕と親父のやり取りを分析して、そう判断したのだろうか?
この声の元とコミュニケーションを取りたいという衝動が僕の意識の中に芽生えた。しかし、それは好奇心などによるものではなく、たとえ相手が何者かも分からずとも、たとえ僕一人しか感知できない幻想空間の中であっても、親父の名誉を守る必要があると自覚したからだ。
「誰がお前に、俺の父親を批判する許可を与えたんだ?お前が何者であろうと構わないが、とにかく節度をわきまえておけ!」
頭の中で、目に見えず、触れることもできないこの「相手」を叱り飛ばしながら、自分自身がますます統合失調症の傾向を強めているように感じた。
「す……すみません……ご主人様……私が失言いたしました……ご主人様のお父さんに対して……敵意はありません……ただ、ご主人様が困っておられるのを感じて……お助けしたかっただけです……」
「なら教えろ、どうやって俺を助けようというんだ?俺の目的が何なのか、分かっているつもりか?」
「正直に申し上げますと……お考えのことはすべて、私にはお分かりしております……」
「お前は一体何者なんだ……?俺のもう一つの人格とかか?」
「その件については……すぐにははっきりとお答えできません……それに現時点では……まだご主人様と長時間つながり続けることはできません…… ですから……時間を稼がなければなりません……とにかく、私に任せてください、ご主人様……」
この途切れ途切れの声から、幾分かの懇願のニュアンスを感じ取った。この「ご主人様」と口癖のように呼んでくれる奴に対して、少し厳しすぎたかも?
「どうでもいいさ、どうせ今、他に良い手もないし……言ってみろ、どうするつもりだ?」
「簡単です……ただ、私に権限を委譲して……ご主人様の発声器官を制御させて……くれれば……それで十分です……他の部位は……成熟するまであと数日かかるので……当面は私が代行します……」
「お前の言っていること、全然理解できない。何を委譲するんだ? どうやって委譲するんだ?」
「詳しく説明する余裕があありませんので……『頼む』と一言言ってくれれば十分です……」
「それだけ?じゃあ『頼む』よ──────!これでいい?」
一体全体、何という滅茶苦茶な会話なんだ。酔いどれ同士の戯言か?
「畏まりました……あとは、お体をゆっくりお寛ぎください……」
精神世界での騒ぎは外界に微塵の影響も及ぼさず、私たち家族三人の日常的で温かな食事の光景は相変わらずだった。約束通り、僕は食事や会話といった自然な行動に意識を集中させ、何事もなかったかのように貴重な家族の時間を楽しんでいた。
しかし、自分でも思いがけず、この瞬間、脳内である暗流が湧き上がり、喉や舌といった発声に関わる身体の部位へと流れ込んできた。
「準備完了……始めよう……」
口の中の食べ物を飲み込んで間もなく、言葉では言い表せないような拘束感が口腔の筋肉群に広がり、喉や声帯の付近へと伝わり、この「ご主人様」である僕がこれらの身体部位を制御する能力を少しずつ蝕んでいった。
次第に、僕の口、舌、そして喉は、まるで外科医にメスでくり抜かれたかのように、何も感じられなくなっていった。
「池! 様子がおかしいよ、一体どうしたの? どこか具合が悪い?」
「池、怖がらせないでよ!!! どうしてそんなに顔色が悪いんだ! またむせたの?」
え……?今の僕の顔色、そんなに異常なのか?両親の心配に言葉で応えたかったが、すぐに口さえ開けられないことに気づいた。いわんや普通に話すことをや。
パニック状態の僕にできる唯一のことは、精神空間に戻り、僕を口がきけない状態にしたあの奴を問い詰めることだけだった。
「なんで俺が話せなくなったんだ!!!てめえ、俺に一体何をしたんだ──────!!!」
「申し訳ありません、ご主人様……どうかお怒りをお鎮めください……もう少しだけお待ちください……もうすぐ治りますから……」
今回、「変な声くん」は嘘をついていなかった。ちょうどその時、開く力さえなかった僕の口が、何の予兆もなく動き出したのだ。
それは、僕という主人の意志とは全く無関係に、まるで別の自我を持つかのように、口自体が決定した行動をとっていた……
いや、口だけでなく、感覚を失っていた他の部位も同様だった。喉の声帯が空気の流れの影響を受けて自発的に共鳴し、発せられた音を口腔内に送り込み、舌と唇もまた自我意識に駆られて蠢き、開いたり閉じたりしながら、口の中の音を加工し、最後には歯切れのよい陽の国語へと変化させ、唇の隙間から飛び出した──
「安達政!!! 俺様の話をよく聞け!!!来週の水曜、この女と一緒に文緋のデビュー記念ライブに行け!!!!!!!」
ご感想とご評価を頂けましたら、幸甚の至りでございます。何卒ご協力をお願い致します。




