第二十四話 誼の証
地下鉄のホームで、2キロ以上を一気に走った文緋は、ホームのベンチにぐったりと座り込み、荒い息をついていた。まあ、宇宙飛行士並みの体力を持つ僕にとって、これくらいの運動量はウォーミングアップにもならない。少し驚いたのは、清音が疲れをほとんど見せていないことだ。呼吸がほんの少し荒い程度であり、運動後のごく普通の現象に過ぎない。
さすが全国を踏破した旅行家だ。女の子にしては、体力は間違いなくトップクラスだ。
「あの……あそこの自販機で飲み物を買って来ます。文緋と先輩も、飲み物、飲み物でもいかがですか?」
「ありがとう清音。自分で飲み物を用意してリュックに入れといたから、お気遣いなく。文緋の分も持ってるし……」
「あ、あたし、アイス、アイスコーヒー飲みたい! 頼む、頼む清音ちゃん!」
「わかった! じゃあちょっと待ってて!」
清音が飲み物を買いに行っている隙に、僕は文緋の隣に座り、彼女の背中を優しく撫でながら、乱れた呼吸を整えてあげた。
「ねえ、お前、こんなに短い距離を走っただけで、なんでそんなに喘いでるんだ? 弱すぎない?」
「うる、うるさい!だって、あたし、朝食を、食べてなくて、ちょっと、低血糖だけ!そうでなきゃ、あなただって、あたしに、追いつけないはず!」
「そうかな~~?お前、昔ケーキを俺に食べさせようと追いかけてきたけど、一度も追いつけなかったくせに~」
「そ、それは昔の話!今のあたしなら、絶対追いつける……」
言葉が終わらないうちに、僕と文緋の耳元で「グ~~~」という音がはっきりと鳴り響いた。地下鉄のホームのような騒がしい環境でも、その音をかき消すことができなかった。悔しそうな顔をした文緋は、気まずさを隠すために腹を抱えるほかなかった。それを見て、僕は呆れつつも少し気の毒に思い、焦ってリュックからパンが入った袋を取り出して文緋に手渡した。
「ほら、お腹が空いてしまったんじゃないか?とにかくこのパンを先に食べて、腹ごしらえをしておきな!後で地下鉄の中では飲食禁止だから!」
「へへ、じゃあ、遠慮なくいただくね~」
「せっかく水も持ってきてやったのに、お前はアイスコーヒーなんて飲めば、この水を持ち歩いてきたのが無駄になっちゃったじゃないか……」
「飲まない、なんて、言ってないよ。ただ、今、アイスコーヒーが、飲みたい、気分だけ。後で、水を飲むから。」
「パンを噛みながら話すのはやめてくれ……早く飲み込んで!」
「うーん~~~~~ご馳走さま〜〜〜」
「もう食べ終わったの!? もし喉に詰まったらどうするの! それに、ガツガツ食うのは消化に悪いよ! よく噛んでゆっくり食べなきゃ!」
「本当にうるさいなこのジジ! さっきは早く飲み込めって言ってたのに、今度はよく噛んでゆっくり食べろって。一体どっちなのよ!」
「はいはい、俺が矛盾してた。俺のせい、俺のせい……」
「でもね、あなたがいてくれてよかった。おかげで空腹でいることはなかったし……あの……ありがとうね、お兄ちゃん~」
文緋は少し照れくさそうに、横目で僕をちらりと見ながら、小さな声で礼を言った。僕は文緋の予想外の甘えアタックに全く太刀打ちできず、ただ視線をそらし、景色を眺めているふりをして、心のときめきを抑えようとした。たった二枚のパンで文緋がこれほどまでに感激してくれるなら、アルバムの件を片付けてあげたら、彼女はどんなお礼をしてくれるのだろう?これから先は僕の言うことを何でも聞き、二度と迷惑をかけず、素直に実家に戻って両親と仲直りし、世界一の妹になってくれるのだろうか?
いや、そんな可能性ゼロの結果を妄想するのはやめよう。でも率直に言って、たとえ文緋が本当に僕の望み通り、理想の「いい妹」になったとしても、それが僕が丸一日を費やして文緋を助ける理由にはならない。結果はどうなるにせよ、僕は命がけで文緋の窮地を救うつもりだ。なぜなら、それが兄としての義務だから。
「そんなに気を使うなよ……今日の件が済んでから感謝してくれればいいさ。こんなちっぽけなことは、今日の開会式だと思うといい~」
「うん!お兄ちゃんを連れてきたおかげで、少しは役に立ったみたいね~」
「俺を道具扱いするな。それにしても、お前の謎のスタミナは本当に不可解だ。歌の練習やライブなんかで、何時間も歌って踊り続けても息一つ切らさないというのに、この程度の距離を走るだけで、まるで気絶しそうなくらい疲れてるなんて……」
「どなた様、どなた様のライブなんですか?」
「うわー!!!!!!」
後ろから伝わってきた清音の問いかけにより、僕と文緋は度肝を抜き、二人とも同時に取り乱した絶叫を上げたため、乗車を待っている周囲の人々を驚かせてしまった。
「清音!いつからそこにいたの?人の後ろに音も立てずに隠れてないでくれ!すごく怖いんだから!」
「ご、誤解です……ついさっき戻って、戻ってまいったところで、偶然にも先輩、先輩のお話を耳にしてしまいましただけで、決して、決して殊更にお話を盗み聞きしたわけではございません!どうか、どうか私の不注意をお許しください!本当に申し訳ございません!」
「はあ……いいよ、いいよ。そんなに自分を責めないで。私たちはただ雑談してただけだし、あなたに聞かれても問題ない話でしょ、文緋?」
「うん、そうそう! あたしは清音には何でも教えてあげるんだから~!隠し事なんてないよ~」
「よかった……怒ってないなら……もしよろしければ、先ほどのお話に私もご一緒してよろしいでしょうか?『月隠の顔』のライブについてのお話でしたか?」
「えっと……あの……清音ちゃんがあんたに聞いてるよ!」
文緋がこっそり僕の足を蹴った。その意味は明らかだった。僕が招いたこの厄介な事態の後始末を、張本人にさせるということだ。
「そうそう!さっき『月隠の顔』のライブについて話してたの。毎回こんなに長い時間、歌ったり踊ったりしても、全然疲れてないみたいだし、体力は本当に桁外れだよね~そうだよね、文緋?」
「うん、そうそう!そのこと話してたんだ!」
「まさか先輩が、先輩が『月隠の顔』のライブにそこまで、そこまでお詳しいとは思いませんでした。先輩も普段から、彼女のことにご関心をお持ちでいらっしゃるのですか?」
「いやいや、これ全部、文緋が教えてくれたんだよ。僕はこの陽の国のトップスターのことなんて、全然~~~~~知らないんだ! そうだろう、文緋?」と、僕は少しからかうような口調で彼女に尋ねた。
「そうそう! 兄貴みたいな田舎者には、こんな流行りものなんて分からないもん~全部あたしが教えてあげたんだから!」
文緋がそう言うやいなや、もう一度こっそりと僕の足を蹴った。今回の意味は言わずもがな、きっと僕が余計なことを言ったと苛立っているに違いない。
「そうなんですか? それでは、本当に、本当に残念です。先輩と、共通の話題が、できると期待しておりましたのに……」
「だからね、こういう話題はやっぱりあたしたち女子同士で話そうよ~あいつはほっといても大丈夫、どうせ理解できないし~それより、アイスコーヒーが飲みたいなあ~」
「あ、飲み物を渡すのを忘れそうだった。はい、頼んでたアイスコーヒー~」
「ありがとう、清音ちゃん~おごってもらっちゃったね。昼ご飯はおごってあげる!」
「飲み物一本くらい、そんなこと気にすることないよ~あ、そうだ!自販機のお釣りを取り忘れた!ちょっと失礼!」
清音はジタバタと自販機の方へ走っていった。 偶然というか神様の仕業というか、モバイル決済が普及した現代社会においても、その自動販売機は現金を受ける機能を維持している。さらに清音は現金で支払ったうえに、途方もなく不思議な巡り合わせでお釣りを取り忘れてしまった。この一連の偶然の助けにより、僕と文緋は、兄妹二人だけの「雑談」をする機会をまた一つ手に入れた。
「ふぅ……危なかった、危なかった。バレなくてよかった……」
「よくもそんなこと言えるわね、バカお兄ちゃん。全部、お前の口が軽かったせいじゃないの。役に立つって褒めたばかりなのに、危うくあたしを大変な目にあわせそうになったなんて。これからは、安易にお前のことを褒めちゃいけないみたいね~」
「清音がちょうど後ろにいたって知らなかったんだ……で、それってお前の得意技じゃないの?もしかして、いつかお前の『気配ゼロの背後暗殺術』を彼女に伝授したんじゃないの?」
「これ以上でたらめを言ったら、家に帰ってからお兄ちゃんを暗殺しちゃうからね~」
「もう言わない、言わないから。命だけはご容赦を、文緋様……」
清音が戻ってきてほどなく、晴海広場行きの丸久保線地下鉄が到着した。乗車する前に見えたのは、各車両が色とりどりの応援服を着た熱狂的なファンたちと、掲げられたバラエティ豊かな応援旗や横断幕でびっしり埋め尽くされた光景だ。先ほど会場から中継されていた映像と比べれば桁違いに小規模ではあるが、それでも実際に目の当たりにすると、文緋の影響力の大きさに驚かされる。
会場に着く前に、既にこれほど多くのファンがいるのなら、今頃の会場は一体どんな様子なのだろうか…… 想像するだけでゾットする。もし会場でのアルバム発売イベントを、急遽「月隠の顔」の総理大臣選挙の投票所に変えたとしたら、当選なんて造作ないだろう。自分の妹が一国の元首になるなんて、アニメや漫画の世界ですらあり得ない絵空事のような展開が、ひょっとしたら我が家では現実になるかもしれない……そうなれば、文緋を後ろ盾にして、あのクソ野郎・下田に復讐できるんだ!
「おい〜〜〜、ぼーっとしてるんじゃない!早く乗りなよ、バカ兄貴!」
遠くの車両のドアから聞こえてきた文緋の声が、僕を白昼夢から引き戻した。
「おっと……すまんすまん、すぐ行く!」
「あたしと清音ちゃんはこの先の女性専用車両にいるから、後で晴海駅で待ち合わせね!」
「わかった! 車内は混んでるから、気をつけて!」
地下鉄は晴海駅へと急行し、ぎゅうぎゅう詰めの車内で十数分間、大勢の熱狂的なファンに囲まれて押しつぶされそうな窮屈さに耐えた後、この列車はついに目的地ーー天首区にある晴海駅に到着した。晴海広場まではわずか600メートル余りの距離だ。ドアが開いた瞬間、僕の周りのマニアックらは、まるで檻から解き放たれた野獣のように、一斉に車外へ飛び出し、駅の出口へと殺到した。誰もが普段保っている礼儀正しさや秩序を守る姿勢を完全に忘れ去り、一瞬にして駅全体が混乱と騒音に包まれ、無秩序な状態となった。
この獣の群れの中で、比較的まともな人間のように見えた僕は、降りる際に足を一歩も動かす必要さえなかった。なぜなら、後ろの人混みに押し出されるままでホームに降りることができるからだ。実に労力を節約できる降り方。このがっしりとした体格を頼りに、混雑した人混みの中で何とかバランスを保ちながら身を動き回らせ、文緋と清音の姿を必死に探した。
「おい―――! こっちだよ―――!」
鈴の音よりも澄み渡り、清らかな文緋の声は極めて特徴的だった。声のする方向へ目を向けると、僕は咄嗟に人混みの中から彼女たちの位置を正確に特定した。二人はホームの隅に身を縮めて身動きが取れず、清音が自分の体で文緋を庇い、背中で人波の衝撃を受けている。僕と彼女たちの距離は十数メートルしかないが、一歩も進めないこの状況下では、その距離は越えられない大きな隔たりとなっていた。駅を出る人々がほぼいなくなった頃、ようやく彼女たちと合流することができた。
「二人とも大丈夫か!怪我はないか?」
「清音ちゃんのおかげで、あたしは大丈夫だけど、清音ちゃんは……」
その時の清音は、髪が乱れ、文緋を抱きしめていた。肩にかけていたショルダーバッグのベルトが1本切れており、靴が踏まれて片方脱げてしまい、すっかり不様な姿になっていた。
「大、大丈夫よ。こういうことよくあるし、もう慣れたから~ 早く駅を出よう!」
「ちょっと待って、清音、靴が片方脱げてるみたいだけど……」
「え? 本当です!先輩のおっしゃった通り、確かに、確かにそうでした!」
「あそこだ! ちょっと待って、取りに行ってくる!」
「ご無理なさらず、その、そのようなことを先輩に……」
「気にしなくていい。文緋をしっかり守ってくれたんだから、感謝してもしきれないくらいだから~ほら~取ってきたよ……」
清音へ靴を手渡そうとした僕は、彼女の素足に視線を移した途端、言葉を飲み込んだ。その時に至って、彼女の足の甲には踏みつけられて赤く腫れた箇所がいくつもあり、ハイヒールの踵のような尖った物で擦りむかれて血を滲ませている傷も多数あることに気づいた。それを見ただけで、痛みのあまり耐え難いほどだった。
しかし、清音の強さは僕の想像をはるかに超えていた。激痛をこらえて文緋を捨て身で守っただけでなく、事後も至って平静で、苦しみの表情を一切浮かべなかった。こんなこと、僕のような「世界一の頼もしい兄貴」にしかできないと思い上がっていたのに、しかし清音は僕とは違う。彼女は単なる考えの域にとどまるのではなく、真に行動に移すのだ。これは、心の中で空論を並べるだけの僕よりも、何倍も優れている。
「清音ちゃん!足が血まみれだ!!!気づいてないの!!!」
「大丈夫、こんなちょっとした傷は大したことないから。昔、イベントに参加してた時はよくこうだったの。歩きすぎたり、誰かに踏まれたりして、足が青あざだらけになるのはもう日常茶飯事だったから~」
「とにかく、早く手当てしなきゃ!でも絆創膏とかないから、薬局で買わなきゃ。この辺にどこにあるか分からないけど……」
「私のバッグに入ってるんだけど……ほら、傷口の消毒液と絆創膏。いざという時のために常備してるの。滅多に使わないけど、やっと役に立つね。」
「じゃあ、あそこのベンチに座って。あたし絆創膏貼ってあげる!」
「本当にいいのよ、文緋。私たち、急いでるでしょ? 私の足なんて気にしないで、靴を履き直せばすぐに出発できるから……」
「俺に任せて!」
「え―――っ!? 先輩、一体、一体どういったおつもりですか???」
長い間黙っていた僕は、勢い良く清音に駆け寄り、片手で清音の両足を支え、もう片方の手で清音の肩を抱き寄せ、何も言わずにお姫様抱っこで清音を抱き上げ、ホームのベンチへと向かった。動転して何が何だか分からなくなっている清音は、火照って煙が出そうなほど赤くなった顔を両手でしっかりと覆い、僕と目を合わせる勇気すらなく、敬語ばかりの口調も緊張のせいで濁った嗚咽のような声に変わり、まるで僕が喃語を話す赤ん坊を抱いているような気分になった。
僕は清音をそっとベンチに下ろし、傷だらけの足を支えて、手当てをする準備をした。清音と同じく僕の行動に驚いていた文緋も、落ち着くとすぐに進んで手伝いに来て、薬液を染み込ませたハンカチを僕に手渡した。傷口にハンカチが触れた瞬間、清音が歯を食いしばって漏らす微かな呻き声がはっきりと聞こえた。
「痛い? ちょっとだけ我慢して、すぐ終わるから。」
「い、いいんです。ただ、先輩が、先輩がここまで、ここまでしてくださる必要は、本当に、本当にありません。私のために、私のために心配をかけ、お手、お手を、この、この不浄な足に触っていただいて、申し訳なくて……」
「馬鹿なこと言うな。本当に申し訳ないのは私の方だ。あなたは文緋のために自分の安危も顧みなかった。それだけでも、私たち兄妹があなたのために何かをするのは当然のことだ。文緋、そう思わないか?」
「うん! 清音ちゃんのためなら何でもするわ! だって私たちは一生の親友なんだから~」
僕と文緋は優しい笑顔で互いにちらりと見交わし、迷うことなく無言の合意に達した。それは、このかけがえのない宝物のような友情を、必ず大切に守り抜こうということだった。
「文緋のその言葉と、先輩、先輩の心遣いのおかげで、怪我をしたのも……必ずしも悪い、悪いことばかりではないみたいです……」
清音は小さな声で呟き、その声は少し震えていた。顔を覆う両手の指の隙間から、瞳が涙で潤んでいるのがうっすらと見えた。視力の良い僕ならともかく、僕が人の顔の仮面を被っているかどうかさえ見分けられない文緋でも、見間違えるはずはないだろう。
「そんな不吉なこと言わないでよ、清音ちゃん! 次はちゃんと自分の身を守ってね! あなたが怪我をするのを見ると胸が痛むんだ。あたしが傷つくのを見ていられないのに、清音ちゃんが傷つくのを見ると平気でいられると思うの?」
「ごめんなさい、ごめんなさい! そういう意味じゃなかったの……もう心配させないって約束する!」
「まったく、お前たち、本当に手が掛かるんだな…… よし、これでひとまず大丈夫。ただ、足に絆創膏をベタベタ貼ってしまって、ちょっと見た目が悪いけど、我慢してね清音。」
「先輩、そういうこと、そういうことおっしゃらないでください。先輩にお世話になるのは、幸甚の至りです。我慢などしたら、先輩には失礼です……」
「ならいい。どう?清音、歩ける?」
「大丈夫です、もう全然、全然痛くないですから。靴を履いたらすぐに、すぐに出発しましょう! あれ?さっき先輩が……先輩がくれた靴はどこ……?」
「そうだね、さっきまで持っていたのに、いつの間にかなくなっちゃった……」
「ここにあるよ~お兄ちゃんはさっき天手古舞だったから、清音の靴が落ちたことにも気づかなかったんだね。今度はあたしが恩返しする番だよ~足を出して、靴を履かせてあげるから~」
「え―――?いいよ文緋、その気持ちだけで十分嬉しいから、自分で履くから……」
「不公平だよ!隣のあいつに負けるわけにはいかない!清音ちゃんのために何かしないと、罪悪感で死にそう!」
「おいおい、お前、これって競争じゃないんだから、清音を戦利品みたいに扱わないで……」
「そんなことじゃない!どうしてもあたし傍観なんてできないもん。お兄ちゃんだけに恩返ししてもらえない!手伝わせてよ、いい?清音ちゃん?お願い~~~~~」
「アイツには本当にお手上げだ。清音、ちょっと手伝わせてやれよ。そうしないと、延々としつこく言い続けるからな。」
「そ、それならお言葉に甘えさせてもらうわ……」
「へへ、ハイブランド店ならではの、飛びっきりの試着サービスをご提供させていただきますね~」
文緋は清音の怪我をした足をそっと抱え、ゆっくりと靴を履かせた。靴の内側と怪我をした部位が余計に擦れないように、細心の注意を払っていた。普段は大雑把な文緋に、こんなにも気配りのある一面があるとは思いもしなかった。
「はい~ちょっと歩いてみて。大丈夫なら、それから出発しても遅くないわよ~」
「うん……問題なし。行こう~」
「清音、本当に大丈夫?これからかなり長く歩くかもしれないから、もしどうしても無理なら絶対に言ってね。無理して我慢しちゃダメだよ!」
「先輩のご忠告を、しっかり、しっかりお受けいたします。どうか、どうかご安心ください。無理は、無理はしませんから。」
「ならよかった。今日は絶対に限定版アルバムを買って、清音にプレゼントしなきゃ~あっ、もうこんな時間!あと15分もすれば開始だ!
「やばい、地下鉄の駅から広場まで歩いて10分以上かかる……文緋、ついてきて!」
「え……えっ??? ちょっと待って……」
清音は文緋の手を握りつつ地下鉄の出口へと早足で向かった。その軽やかで素早い足取りからは、足に怪我をしている様子は少しも見えず、まるでさっきの出来事がなかったかのように走っている。むしろ文緋の方が怪我をして歩けない人のように見えた……
「先輩も、早く付いてきてください~~~」
「はい!来るぞ!あんまり走らないで清音!また痛くなっちゃったら大変だ!」
先を歩く清音は振り返り、僕には理解できない何らかの感情を込めた視線で僕を一目見て、こっそりと微笑んだ。そしてまた顔を前に向け、文緋の手を握ったまま早足で歩き続けた。
ただ急いでいた僕は、清音の振り返り笑顔にあまり気を留めず、その深い意味を考える余裕もなかった。ただそれを清音からの感謝の印だと受け止め、黙々と受け入れた。




