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第二十三話 文緋神推しの幼馴染の来訪 後編

 その誇らしい気持ちを胸に仕舞い、居間へ戻ると、清音がソファに座ってスマホを夢中で見ていた。


 推し活中の清音だが、彼女が文緋の熱狂的なファンになったのは、2年余り前からのことだ。


 当時の文緋は、「月隠の顔」という芸名で歌い手としてデビューしたばかりで、まだ未成年であったため、プライバシー保護の権利を未成年アーティストに与えた法律のもとに、文緋は顔と正体を公開しないことにした。まさにその芸名の意味合い、つまり「隠された顔」の通り、デビュー当初はバーチャルシンガーのイメージのみで、各ネットメディアやSNSプラットフォームで活躍していた。

 奇しくも、その神秘性が逆に人々の好奇心を掻き立てて、さらに文緋の比類なき音楽的才能と心を揺さぶる歌唱力も相まって、その結果、彼女の人気を急激に爆発させ、あっという間に超人気アイドルとなった。数え切れないほどの忠実なファンが生まれたが、その中には、他のファンと同じく「月隠の顔」の正体について全く知らない長実清音も含まれている。


 清音が「どうやって文緋のファンになったのか」という具体的な経緯については、僕にはよく分からない。しかし、文緋は自分の親友である清音が、なんと「月隠の顔」のファンだったことを知った後、休暇で家で休んでいた僕に大喜びで自慢してくれた時の、まるで一飛で国際宇宙ステーションまで飛んで行けそうなほどの高揚感を、僕は死ぬまで忘れない。

 あの瞬間は間違いなく、文緋にとって生まれてこの方最も幸せな瞬間であり、僕にとっても「これからもずっと彼女の背中を押し、彼女の夢を支えてあげていきたい」という信念をさらに強めた瞬間だった。とはいえ、その後、彼女を支える過程は必ずしも思い通りにはいかず、しかも僕に山ほどの面倒を背負わせることになってしまったけれど……

 

 清音は「月隠の顔」をアイドルとして崇拝しているのは、決して単なる「推し活をする」という表面的なレベルにとどまるものではない。誇張ではなく、すぐそばにいながら手の届かないこのアイドルが、清音の人生をより明るい方向へと導いてくれたのだ。推し活の道を歩み始めてから、全国各地で開催される大小さまざまなリアルイベントに参加するため、清音は心の壁を乗り越え、多くのファンの足跡をたどり、ほぼ陽の国全土を行脚した。

 推し活による喜びを堪能する一方、幼い頃からほとんど遠出をしたことのなかった清音にとって、他のファンとの交流や社会的な見聞の蓄積を通じて、陽の国各地の風土や人文に関する知識が飛躍的に広がった。性格も次第に積極的かつ主体的になり、それによって彼女の探求心と知的好奇心が十分に刺激されたのである。

 おそらくこれが、清音が大学で考古学を専攻することにした理由でもあるのだろう――僕が当初、文緋からこの話を聞いた時も、実に驚いた。というのは、この専攻は、その響きだけでも清音のイメージやスタイルとは全く合わないように思えるからだ。具体的にどこが合わないかについては、個人的な見解を述べると考古学界の関係者の多くを不快にさせてしまう恐れがあるため、ここでは詳述しないことにする。


 いずれにせよ、清音が自分の人生の目標を明確にできたことは、どの角度から見ても「百利あって一害なし」の素晴らしいことであり、そして言うまでもなく、これは「月隠の顔」の手柄である。

 だから、僕が今日やろうとしていることは、文緋のためだけでなく、清音がその勇気の源泉と心の拠り所を今後も維持し続けられるようにするためでもある。


「わりぃわりぃ。お待たせしてしまって。文緋はすぐに降りてくるから。」


 スマホに見入っていた清音は、居間に戻ってきた僕に全く気づいておらず、僕の突然の呼びかけに驚いてしまった。


「あっ!!!申し訳ありません先輩!先ほど、先ほどぼんやりしてしまいまして……ご無礼を働き、大変、大変失礼いたしました!!!」

「それほど大したことはないよ……構わないから、気にしないで~ところで、何を見てたの? そんなに夢中になって?」

「取り、取り立てて言うようなことではございません。実は、EverybodyTubeで発売会の、会場からのライブ配信を拝見しておるのです。こうすることで、会場の、会場の混雑状況を事前に把握しておけますので。」

「そうか、なぜ僕は思いつかなかったんだろう? 我ながら愚かだ……やはり清音のほうは思慮深いね!」

「先輩、お褒め、お褒めにあずかり光栄です。これは、先輩が普段、普段お仕事に追われていて、各種ライブ配信をあまりご覧にならないゆえのことで、決して、決して先輩の落ち度ではなく、私の手柄でもございません……」

「謙遜しないでよ。その点に関しては、確かに僕が古臭いのは認める……で、会場は今どうなってる? 列に並んでる人は、間違いなくすごい数だろね?」

「ご、ご覧ください。」

「やっぱり予想通りだな……主催者は会場で雑踏事故が起きないって確信してるのか? この人数、あり得ないほど多すぎるぞ……それに、どうして車椅子や担架に乗った人、七十代や八十代の高齢者まで並んでいるんだ???」

 

 ライブ配信の映像が示す通り、本来なら約3万平方メートルの広さがある晴海広場は、ドローンの空撮映像を見る限り、待ち構える人々で埋め尽くされ、目に入るのはひしめく人混みと、はためく様々な応援横断幕や旗ばかりであり、広場の地面の舗装ブロックが少しでも見える余地すらない。この未曾有の大盛況は、元日の年越しイベントでも首相候補者の公開演説でも匹敵できないほどだ。

 現場は人波で混雑極まりないが、無秩序というわけではなく、主催者は事前に準備を整え、晴海広場のスペースを最大限に活用した列のルートを計画していたらしい。そのルートは発売エリアから広場の果てまで、うねるように続いている。

 安全面はさておき、空間計画の視点から見れば、この列のルートを設計した人は間違いなく天才だ。


「この人混みの密度、少なくとも10万人はいるんじゃないか? 文緋の人気って、本当に恐ろしい……」

「先輩、その、どういった意味でしょうか?文緋とはどの、どのような関係でしょうか?」

「違う違う――!聞き間違いだよ!文緋がこの映像を見たら絶対に怖がるって意味だ!考えてみて、アイツは普段あまり外出しないし、いきなりこんなに大勢の人が集まっているのを見たら、ひょっとして怖がって足が震えちゃうかもしれないじゃないか!ハッハッハ…」

「誰、が、怖がって、足が、震え、る、って、言っ、た、の~~~?」


 後ろから、背筋が凍るほど不気味な低い唸り声が突然聞こえてきた。真昼間に幽霊が出るはずがない。それなら可能性は一つしかない――いつの間にか僕と清音の後ろに忍び寄り、僕の間抜けな発言に激怒した文緋だ。幽霊より文緋のほうが千万倍以上も恐ろしい。


「許して……! 陰口を叩くべきじゃなかった……痛い!」


 文緋に謝ろうと振り返る間もなく、右耳に文緋の指の温もりと、それに伴う痛みが伝わってきた。

 自業自得の僕は抵抗する気など毛頭なく、ただ屠られるのを待つ子羊のように、文緋の仕置きを大人しく受け入れていた。


「文緋―――! ずいぶん会っていなかったね! 朝っぱらあたしに起こされちゃったけど、怒ってないよね?」

「清音ちゃん―――!こんな些細なことで怒るわけないじゃん~それより、この前ずっと遊びに来てくれなかったこと、それには本当に怒るわよ!」

「だから今日遊びに来たんだ~怒らないでね!」

「冗談だってば!来てくれただけで嬉しくてたまらないもん、怒るわけないでしょ~」

「そ、それならよかった~あの、安達先輩を許してあげてくれない? 先輩、なんだか可哀想で……」

「あ、そうだった。あたしの悪口を陰で言ってるこのクソ兄貴のことを、すっかり忘れてたわ~」


 清音の一言で、文緋はついに自分が未だに僕の右耳をつまんだままのことを思い出した。


「清音ちゃんに免じて、今回は見逃してあげるわ~二度とないからね!」

「二度とやるなんてありえないよ……もう準備できたの?」

「あんたが急がなきゃって言ったんでしょ? 何が驚きなの。それにあたしいつも超スピードだし、身支度とかに時間をかける必要もないし。」


 安っぽい衣装、化粧気のない素顔、きちんと結われた大きなポニーテール、そして目立つ傷跡――これらすべてが織りなすその姿は、少し野暮ったく、ファッションとは程遠く、「月隠の顔」を連想させる要素は欠片もない。何しろ、ステージ上の「月隠の顔」は常に眩いばかりの姿で人々を魅了し、華やかで洗練された衣装を身にまとい、品格を際立たせる様々なおしゃれなアクセサリーや、入念に整えられた多彩なヘアスタイルを見せるのだから。今でも隠されているその顔を除けば、外見上、僕の目の前にいるこの極めて質素な18歳の少女とは何の共通点もない。

 

「実は文緋、そんなに急ぐ必要はないんだよ。さっき先輩とライブ配信を見てたんだけど、もう広場は人でごった返してて、今並んだってアルバムは多分買えないし、行っても意味がないみたい……今回は諦めて、他の場所へ遊びに行かない?」

「何言ってるの、清音ちゃん!夕べ約束したじゃない?男に……あ、違う、美少女に二言はない!言ったことは必ずやるから~~~安心していいよ~」

「文緋、本当に……方法があるの?」

「うん―――!任せて!」


 清音に向かって胸を叩いて断言した文緋は、振り返って僕にいたずらっぽく二回まばたきをした。僕の脳内に設定された「文緋ボディランゲージ翻訳ソフト」で陽の国の言語に翻訳すると、その意味は――


「この件はあなたにお任せね!」


「この小娘、手伝うって言っただけで、必ずできるとは言ってないのに。しかも清音の前で見せびらかすな!」


「さあ、時間を無駄にしないで、出発~~~」


 文緋は清音の手を引いて玄関へと駆け出した。


「おいおい、せめて何か食べなよ。ちゃんとご飯を食べるって約束したのを忘れたの?」

「今そんな暇あるわけないでしょ!パンを2枚持っていって、途中で食べるから。早く早く!」

「それってちゃんと食事って言うの……まあ、空腹でいるよりはマシか。」

「先輩も……ご一緒、ご一緒にいらっしゃるのですか?」


 その質問に、僕と文緋は面食らった。清音は文緋の作戦計画について全く知らず、僕が急遽参加することにも少し驚いている様子だ。僕と文緋は顔を見合わせ、どう答えればいいのか分からない文緋が、また焦ったように僕に向かって二度まばたきをした。


「どうしよう? 清音はあんたも一緒に行くことを知らないから、代わりに彼女をなんとかしてくれない?」


 僕も自分の「安達池ボディランゲージ送信機」(つまり文緋と同じようにまばたきをすること)で文緋に応えた。


「もう、いつもこんな面倒なことを俺に押し付けないでよ……」


「そ、そうだね。会場は人が多すぎるし、女の子二人だけじゃ危ないかもしれないから、やっぱり一緒に行ったほうがいい。そうすれば互いに助け合えるし、文緋のことも心配だし……もしや、命知らずの誰かに誘拐されたらどうする……長実さん、僕がお二人の邪魔になると思います?」

「先輩、な、なぜそうおっしゃるのですか? 先輩に同行していただけるとは、光、光栄の至りと存じます! それでは、出発しよう、文緋!」

「お兄ちゃんって、余計なことばかり言う……」

「どうしたの、文緋? 顔がすごく赤くなっているけど、体調が悪いの?」

「い、いいえ! さあ、行こうよ~」


 各々自分の持ち物を揃えてから、午前9時12分、私たち3人は家を出て地下鉄の駅へ向かった。この出たとこ勝負で遂行する「アルバムの限定盤争奪戦」が、こうして幕を開けた。


 家を出て間もなく、手をつないだ清音と文緋が、女子同士の秘密話をしているのが見えた。


「それにしても、お兄さんは本当に文緋のことを気遣ってるんだね~」

「そ……そんなことないよ!だってあいつの姿を見て!脳筋でぶっきらぼうで、そんな……そんなの気遣いなんてちっとも感じられないんだから!」

「だって、先輩は文緋のことを心配してるんじゃない?しかも『文緋』のことだけ心配してるんだ~」

「そりゃあ当然でしょ、だってあたしはあいつの妹なんだから。彼があたしのことを心配するのも当然だし~お兄ちゃんとしての義務だし~」

「そうかもね、ちょっと羨ましいわ。私にもあんな風に気にかけてくれるお兄ちゃんがいたらいいなあ……」

「清音ちゃん~~~まさか嫉妬してるんじゃないよね?」

「違う、違う!そういう意味じゃないの!」

「ほら、またあの緊張する癖が出てきたね~~~まあ、お兄ちゃんにはなれないけど、その代わりにあたしがあなたのお姉ちゃんになって、その淋しくて空っぽな心を癒してあげるわ~~~」

「私、あなたより1歳年上だってこと、忘れてない?」

「そんなのどうでもいいわ~本物の愛の前では、年齢なんて障害にならないもの!」

「よしなさいよ、そんな言い方……で、先輩は最近宇宙に行く予定はないの?」

「あいつね、つい先日戻ってきたばかりなんだ。長期休暇だそうだ。珍しいことだね。」

「なるほど……それじゃあ、今回の長期休暇は、お兄さんが宇宙で何かあったからなの?」

「え? どうしてそう思うの?」

「気づいてないかもしれないけど、さっきお宅に来てお兄さんと顔を合わせた時から、先輩が以前と少し違うような気がして。でも、具体的にどこが違うのかは言えない……たぶん私の気のせいかな? だって、お兄さんに会うのも久しぶりだし、単に疎遠になっただけだろうし。」

「……そうそう! ただ久しぶりに会ったから少しよそよそしくなっただけだ。だからそういう錯覚が生まれたの! あいつが宇宙から戻ってくるたびに、あたしはいつもそう感じるの。何ともないんだから! 清音、余計な心配は無用だね!」

「そうだったの……でも、先輩が以前と違う点を挙げるとすれば、一つだけ気づくことがあるわ。」

「何? じらさないでよ、清音!」

「お兄さんが、文緋にもっと気遣うようになったんじゃない? わざわざあなたのボディーガードまで務めてるし。以前なら、先輩はこういうことにはあまり興味がなかったはず。私の記憶が正しければね~」

「うっせー! からかわないでちょうだい? 早く行かないと、会場がもっと激混みになっちゃうんだから!

「わかってるって、そんなに引っ張って走らなくてもいいじゃん……」

「後ろの! 早くついてきて! さもないと、このお嬢様のあたしが置いていくわよ!」

「誰のことを『後ろの』って呼んでるの……ていうか、あんたたち、なんで急に走り出したの? そんなに急ぐ必要ある?」


 こうして、文緋は清音の手を引きながら先を小走りに進み、後ろの僕は彼女たちを一気に追い越さないように、速度を調節しながら追いかけるしかなかった。通りすがりの人から見れば、二人の若い乙女が、ある図々しい変質者のナンパから逃げているように見えるか、あるいは元カレに復縁を迫られて困っている女の子を、親友が助けに来たような恋愛ドラマの風に見えるか。

 もし僕が今、まだあの長い髪を切らないままでいたら、通行人はとっくに通報したかもしれないな。


 向かい風を当たりながら疾走する文緋の心には、さっき清音が言った言葉がまだ引っかかっていた。


「まさか清音まで、お兄ちゃんの異変に気づいていたなんて?それなら、あたしが感じたことは間違いなく錯覚じゃなかったってことよね?」

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