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第二十話 宇宙飛行士の私は配達員のアルバイトを余儀なくされた

 僕は走りながら、ケーキの箱のバランスを精一杯保っていた。移動中の揺れで二つのケーキがぶつかり合い、二つの味が混ざった「ゲテモノ」になってしまうのを防ぐためだ。素早い足取りで無事にバスに追いついたが、不運なことに車内は満員で、座る席がないばかりか、立てるスペースさえ限られていた。ケーキを守るために、僕はドアの横に寄りかかり、ケーキの箱を胸にぎゅっと抱え込み、全身の力で次々と押し寄せる慣性の衝撃に耐えた。

 そんな凝り固まった姿勢で、乗り心地ゼロのバス旅を耐え抜いた。千通線の発車時刻の約10分前、何とか無事に駅のホームに到着した。


 僕は無事だが、ケーキはどうだろうか?


 どんなに必死に守っても、車内の揺れが強すぎて肝を冷やした。あの繊細な2切れのケーキが、文緋の期待と共に、箱の中で粉々になってしまわないかと恐れたのだ。ケーキの状態を確認するために、息を凝らしながら箱を開けた。


「お願い、ぜひ無傷のままで……もし何かあったら、両親や文緋に顔向けできない……頼むよ、ケーキくんたち!」


 箱が開いたが、僕は緊張のあまり目を開けることさえできなかった。目を開ければ、最悪の光景が目に飛び込んでくるような気がして ――二つのケーキが完全に崩れ落ち、箱の中がベタベタに汚れて、まるで芸術性のかけらもない粗悪な落書きのような画面。


「なんてきれいなケーキ! 美味しそうです!」

「小洋屋のケーキですね! あそこのケーキがお好きなんですか?」


 目の前が真っ暗な僕の耳に、横から誰かが話している声が聞こえた。僕に話しかけているのか?


 声の源を確かめるために、勇気を振り絞って目を開けて横を見ると、隣で列車を待っている女子高生二人が、僕が両手に抱えて開けたケーキの箱を羨望の目で食い入っていた。彼女たちの口調や表情からすると、ケーキは無事なはずだ。せっかく目を開けたのだから、自分の目で確認してみよう。

 予想通り、2つのケーキは買った時と全く同じ状態で、箱の中にしっかりと据え置かれ、位置も全くずれていなかった。僕は安堵のため息をつき、胸に積もっていた緊張感をすっかり解き放った。この10分ほどのケーキを守る旅は苦しみの極みだったが、今の結果を見る限り、満足のいくものだった。


「そう……そうですね、小洋屋のケーキはこの辺りでは有名ですので!」

「私たちもあそこが大好きです!この2つの定番フレーバーは何度食べても飽きません!」

「あそこのケーキは見た目もきれいで美味しいし、値段も手頃ですから、うちの学校の女子の間では大好評なんです!」


 彼女たちの話を聞いて、ふと事実を訂正しておかなければと思った。第一に、僕は甘党じゃないし、第二に、一日中、見た目のきれいなケーキ屋やスイーツ店を回っているような人間だと思われたくないからだ。心の底から、それは大人の男がすべきことではないと思っているからだ。実に保守的な亭主関白らしい考えだ。


「あの……実は、これも誰かにプレゼントするために買ったんです……」

「見て分かります~きっとお付き合いの方へのプレゼントですね~~~」

「えーーーーーっ?」と、僕はこの予想外の質問に驚いた。

「彼女さんへのプレゼントなら、小洋屋のケーキはぴったりですね! こんな優しい彼氏さんがいて本当に幸せです~~~」

「そうそう、うちのクラスの男子たちなんて、この方ほど優しい人いませんね。クラスの誰かに、小洋屋のケーキをプレゼントしてくれる人がいたらいいなあ……」


 今の女子高生って、話題をゴシップや恋バナの方へ導くのは普通なの?それに、彼女たちの口調、なんだか小洋屋が雇ったセールスマンのようじゃない?とにかく、改めて事実をはっきりさせておこう。


「いえいえ、誤解です。ただの友達へのプレゼントなんです……」


 なぜか、妹へのプレゼントだとは言い出せなかった。これじゃ事実を説明したことにはならない……かえって隠蔽しているように見えるじゃないか?それに、そんなこと言うのが恥ずかしいことなのか?自分の反応がどうしても理解できなかった。


「あっ、本当に申し訳ありません!つい、聞くべきではないことを聞いてしまいました…」

「そうです!他人のプライバシーを勝手に聞くわけにはいきませんから。大変申し訳ありません!」


 この二人の女子高生は、僕が見知らぬ人にあまりプライバシーを明かしたがらないことに気づいたのか、あるいは自分たちが確かに少し馴れ馴れしいと自覚したのか、このまま続けても双方にとって気まずくなるだけだと悟り、何度も謝ってきた。


「あ……いえいえ、気にしないでください。実のところ、さっきまでこのケーキが相手の好みに合わないんじゃないかと心配していたんですが、お二人が『この2つの味は人気がある』と言ってくれたので、逆に安心しました。むしろ、感謝すべきなのはの私の方です。」


 場を和ませるため、僕は再び覚悟を決めて嘘をつかざるを得なかった。良い子たちは絶対に僕を見習ってはいけない。


「とんでもないです、私たちの方が失礼でした……」


 その時、千通線の列車がホームの前を疾走して通り過ぎ、会話の声は列車が入線する轟音に完全に飲み込まれてしまった。まさにこの気まずい会話を切る絶好のタイミングだ。二人の女子高生は僕に軽くお辞儀をしてから、女性専用車両へと入っていった。僕は、辛うじてほっとしたばかりだった神経を再び引き締め、ケーキの箱をしっかり閉めて恐る恐る抱え込みながら、人波に混じって普通車両へと流れ込んでいった。


 車内にやっと乗り込んだ途端、僕は絶望的な気分になった――車内は相変わらず大勢の人で押し合いへし合いの状態だ。視界に入るすべての座席が、スマホを覗き込む虚しい魂たちで埋め尽くされていた。つまり、先程のバスの中と同じように、人混みの押し合いや揺れに耐えながら、必死にケーキを守らなければならないということだ。

  問題は、今回はたったの7、8分の乗車時間なら少し我慢して済む話ではなく、およそ1時間半かかる距離だということだ……僕自身は構わないが、ケーキに何かアクシデントが起きてしまわないか、神のみぞ知る。ここまで来たのだから、絶対に最後の最後で失敗するわけにはいかない!


 人混みの隙間をくぐり抜け、ようやく車内の奥にまだ埋まっていない座席の列を見つけた。そこにはお年寄りが二人座っているだけで、空席も結構あった。嬉々としてその空席の列に駆け出し、思いがけない幸運だと思ったら、残酷な事実が目の前に現れた――座席の横に「優先席」と書いてあるのだ。

  見ての通り、この列の座席は妊婦、高齢者、そして身体の不自由な方々のために用意されたものだ。条件に当てはまらない乗客たちは皆、自発的にこの優先席を避け、上記の必要とする人々に譲っている。しかし、高等教育を受け、優れた道徳心を持ち、しかも体も頑丈な若者である僕は、今この瞬間に規則や社会道徳に背いて優先席を占用するつもり?


 列車が発車した。発車時の強い慣性で、僕をはじめ、立っている乗客全員がよろめき、優柔不断だった僕もついに思い切った――文緋のケーキのためなら、規則や社会道徳なんてどうでもいい!それに、ケーキを抱えている僕も、ある程度の「身体の不自由」な人じゃないのか? それなら、道徳に反することにはならない!


 そんな自己欺瞞的な考えを抱きながら、平然と優先席に座った。予想通り、周りの乗客たちは皆、僕を訝しげな目で睨み、優先席に座っている二人のご年配は特に、軽蔑の眼差しを僕に向けてきた。誰も僕を制止することはなかったが、人々に嫌われているこの圧迫感によって、僕は恥ずかしくていたたまれなくなってきた。


 もうダメだ、この人たちには完全にクズ扱いされてしまった……幸いにも、誰も僕がかつて大々的に報道された「史上最年少の22歳の宇宙飛行士」だと気づかず、ただの品行方正でない一般人として見なしてくれた。存在感がないのも、必ずしも悪いことばかりだとは限らないようだ。少なくとも、こんな些細なことで名誉が失われることはないのだから。


 針のむしろに座っているような1時間半の間、車内は何度も揺れたが、しっかりと正座している僕と、僕の腕に抱かれたケーキの箱には何の影響も及ばなかった。列車が京空中央駅に到着すると、僕はバネのように席から飛び上がり、人々の批判と軽蔑に満ちた視線から一刻も早く逃れたいとばかりに走り出した。ホームに上がるとすぐにケーキの状態を確認したが、何の問題もなく、相変わらず食欲をそそる姿だ。結局、優先席を占用するという厚かましい行為は、完全に正しい選択だったと証明された。


 あとは駅から家までの最後の道のりだけだ。念のため、そして文緋が楽しみにしている小洋屋のケーキを早めに食べさせてあげたいという思惑から、僕はいつものようにバスを待たず、その代わりに奮発してタクシーに乗った。京空市のタクシー代は上雲居に匹敵するほど高額だということは周知の事実だが……普段は節約家である僕でも、この時はいかにも「金に糸目を付けず」というふうに、惜しむことなくタクシー代を支払った。降りた瞬間、タクシーの運転手の口元に満足げな笑みがこぼれているのをちらりと見た。


 夕方6時頃、数々の試練を耐え抜き、無数の障害を切り抜け、ようやくこの2切れの重たいケーキを無事に京空の家まで持ち帰った。今朝、文緋をあんなに不機嫌にさせてしまったから、今こそこの機会を利用して彼女にしっかり補償しよう。アイツはどんな表情を見せるだろうか? もしかすると僕の誠意に心を動かされ、普段よりもしおらしくなるか?それとも、愛想の良い顔で甘えて「ありがとう」と言ってくれるか?


 ……玄関先であれこれと空想にふけるより、さっさと中に入って、この突飛な考えが現実になるかどうか確かめたほうがよいだろう。玄関先にたどり着いた僕は、周囲がやけに静かであることに気づいた。昨日帰宅した時は、まだ家に入ってもいないのに文緋の澄んだ響きのある歌声が聞こえてきたが、今日はそうではない。かえって違和感を覚えてしまう。


 思わず文緋の部屋の窓を見上げた。窓はわずかに開いており、カーテンはきっちりと閉められていて、部屋の中の様子は全く見えない。突然、カーテンがふわりと揺れたように見えたが、おそらく僕の気のせいで、あるいは風が吹いたのかもしれない。彼女の習慣を踏まえると、まだ部屋の中にいることは間違いない――まさか朝からずっと一歩も部屋から出ていないなんてことはないだろう?


 無意識に緊張してきた僕はそそくさとドアの顔認証端末に目をやり、文緋の具合を確かめようとした。久しく僕の顔をスキャンしていなかったせいか、端末の反応が鈍かった。仕方なく顔を近づけてレンズを直視した瞬間、まさか顔面毀損になりそうなほどの痛烈な一撃を食らうことになるとは―― ドアが突然手動で開いたのだ。

  全く油断していた僕は、そのドアに額と鼻を直撃された。この不意の一撃で数歩よろけながら後ずさりし、耐え難い痛みで反射的に目を固く閉じた。脳内は一瞬で真っ白になったが、唯一消えなかった無意識の衝動は、手に持ったケーキを守り抜くことだった。このような状況でも体のバランスを保てたのは、僕の宇宙飛行士の体質が役に立ったと言えるだろう。


「痛い!!!! な、何事だ……なぜドアが勝手に開いたんだ?」


 赤くなった額を揉みながら、その痛みを懸命にこらえて目を開けると、 目の前にはパジャマ姿の文緋が息を切らしながら玄関に立っており、何とも言えない表情で僕を凝視していた。「何とも言えない」というのは、彼女が僕の帰りを心から喜んでいるようだと同時に、その喜びと興奮を隠そうと必死に努めているようにも見えたからだ。その結果、彼女の表情はねじれた雑巾のように、複雑で入り組んだものになっていた。

 もちろん以上のすべては僕の主観的な推測に過ぎないが、一つだけ百パーセント、いや一万パーセント確信できることがある。それは、このドアを開けたのが間違いなくこの小娘だということだ。


「お……お兄ちゃん……まだ……まだ帰ってくる気があるの? あっちで夢中になって、帰りたくなくて居座ってるのかと思ったよ。」

「何してるのよ! ドアを開ける前に、まず外の様子を確認するくらいはしろ! お前のおかげで顔をめちゃくちゃにされそうだった!」

「あたし……せっかくドアを開けてあげたのに、感謝の言葉も一つないの!」

「感謝って……それどころじゃない! むしろお前のほうが俺にかんかんに叱られないで済んだことをありがたく思え!俺じゃなく他の人だったら、治療費を請求されてたかもしれん……」

「わかってるって、今回は……あたしのせいだ、ご……ごめんなさい、お兄ちゃん。これでいい?」


 ずっと文緋に謝り続けていた僕が、突然逆にアイツに謝られるなんて、意外にもなかなか気持ちがいいもので、顔の痛みさえもパッと緩和された。


「そうでなくっちゃ……ところで、どうして俺が帰ってきたってわかったんだ?」

「部屋の中にいたんだけど、玄関の外で物音がして、きっとお兄ちゃんが帰ってきたんだと思って、駆け下りてドアを開けようとしたの。そしたら、お兄ちゃんがのぞき魔みたいに顔をドアに押し付けてるなんて……」


 なるほど、文緋が息を切らしていたのは、部屋から玄関まで走ってきてドアを開けてくれたからか……こんな距離を走っただけで息切れするなんて、やっぱり普段から運動不足はダメだな。


「そんなに俺だと確信してたの?認証装置の監視画面も見てないのに。万が一、不良やらヤクザやらが『空き巣』に入ってきたらどうするつもり?」

「確信してたわよ!文句あるの?それに、あんなに高いタクシーで来て空き巣に入ってくる人なんているわけないでしょ、バカ!」


 先ほど文緋の部屋のカーテンがふわりと揺れた原因は大体わかった。


「文句なんてないよ~でもわざわざ降りてきてドアを開けてくれる必要なんてないだろ。自分で開けられないわけじゃないし……もしかして、わざわざ僕を迎えに来てくれたの~~~」

「そんな……そんなことない!あたしは……ケーキを迎えに来たんだ! あんたがこんなに遅く帰ってくるせいで、ケーキを待っててお腹がペコペコになっちゃったから……だから……だから急いでドアを開けに来ただけ!勘違いしないでね!」


 顔を真っ赤にして、しどろもどろに弁解する文緋は、親父が母さんに面目を潰された時の姿とそっくりだ。こいつは本当に不誠実だ。本音を吐いたって減るもんじゃないのに。さすが親父の娘、意地っ張りなところはまさに血筋そのものだ。


「よしよし、俺の自意識過剰だったってことでいいか~? 先に上がらせてくれないか? ケーキが食べたくてたまらないんだろ?」

「上がって、テーブルまで運んでね~」

「承知しました、文緋様~」

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