第十七話 待ちに待った帰省 (2)
陣港市――それは僕と文緋の故郷だ。陽の国の東部にある平野に位置し、首都である上雲居から18キロメートル離れている。僕が現在住んでいる京空市や上雲居に比べれば、人口が少なく、静かで穏やかで、大都市の周辺の衛星都市みたいな小さな町だ。
父と母は二十年も前に、それぞれ上雲居市内の国立科学研究院と全国的に名高い三賢式大学学院に就職していた。結婚後、上雲居の高騰する住居費と物価を避けるため、二人は首都から逃れる多くの若い世代と同じように、生活費が上雲居より格段に安い近郊の町に定住することにした。たとえそれが、毎日の通勤時間がより長くなることを意味したとしても。
これを機に、陣港という小さな町は、その後数年の間に宇宙飛行士と超人気歌手を次々と輩出し、陽の国の人材育成に少なからず貢献を果たした。そして何より、一番大事なのはここが私たち一家が15年間共に暮らしてきた、一つ一つの思い出や絆を宿しているということだ。
京空の薄暗い雨模様に引き替え、陣港市の方は快晴に恵まれ、温かな陽光が通行人一人一人の肩に降り注いでいた。駅を出て、この町の古めかしい道を歩き、周囲の芳しい香りを嗅ぎ、目の前の閑静な環境を眺めていると、いつも故郷が両手を広げて、遠出から帰ってきた旅人を温かく抱きしめてくれているような気がした。
「やっぱり、何もかも昔と変わらないなあ~~~そうだ、両親にメールを送らなきゃ。」
母に無事だと連絡した後、駅前のバス停へ向かい、9番のバスに乗った。かれこれ15分して実家の近くのバス停に到着し、200メートルほどの上り坂を歩き、交差点を右に曲がると、20年近く前の古い建築様式の2階建ての家が視界に入ってきた。玄関先には中年の夫婦が立っている。一人は眼鏡をかけて灰色の普段着を着た、知的な雰囲気を漂わせる成熟した女性。もう一人は身長190センチぐらい、病気のせいで少し痩せこけた中年の男性。二人は交差点の方を焦った様子でキョロキョロと見渡しており、明らかに誰かの到着を待っているようだった。
そうだ、そこは僕の実家だ。あの中年の夫婦は、大文豪である母親・安達十香子と、大学者である父親・安達政だ。二人は交差点に現れた僕の姿を見ると、しきりに手を振ってくれた。母は興奮して僕の名前を叫び、その声が近所の人たちに迷惑をかけるかもしれないことなどすっかり忘れていた。もちろん、両親のもとへ駆け寄りながら大声で叫んでいた僕も同じようだ。
「お母さん!ただいま~~~!」
「池!お帰り! 早くこっちおいで!ここ数日、死ぬほど心配させてたんだから!」
僕は矢の速さの足取りで母の胸に飛び込み、10歳にも満たない子供のように甘えている。
「親父、お母さん、ごめんなさい……この間、こんなに心配をかけてしまって、どうお詫びすればいいのか本当に分からない……」
「もう、何を馬鹿なことを言ってるの?あなたが健康で無事にいてくれることこそが、お父さんにとってもあたしにとっても一番の『お詫び』じゃない?」
「お馬鹿さんだね。無事に帰ってきてくれたことが何よりも大事よ。でも、十香子には何度も言ったのよ。『池はもう大人だし、一人前の宇宙飛行士なんだから、心配することなんて何もない』って。それなのに、十香子は一日中、あなたにメールや電話を繰り返して、まるで高利貸し業者が借金を取り立ててるみたい……」
「おい、お前が送ったメールや電話があたしより少なかったみたいに言うなよ?リチャード教授に毎日電話していたのは誰だったか忘れたの?それに、毎日無理やりあたしを神社に連れて行って、池の無事を祈らせていたのは誰?この前、焦ってあたしを連れて虎視島に行って、下田司令官を問い詰めたのは誰? よくもあたしを責めるわね、この体面ばかり気にする老いぼれ!」
「私は......あなたが言ったように大げさじゃない!!私、池のことを信じてるんだから……」
「さっき、玄関先で池が帰ってくるのを待とうって言ったのは誰だったの~~~?」
「私、そんなこと言った覚えはないんだけど……」
「あたしのスマホで録音したのよ。聞かせてあげようか?」
「え~~~??? 冗談でしょ、十香子? そこまでやるなんて、私が言った、私が言ったことにしていいでしょ……?」
「嘘だよ、録音なんてしてなかったよ~正直に白状したなんて~」
「はあ……あんたって、子供の前でもう少し先生らしく振る舞えないの……」
世間体を気にして正直ではない父と、率直で口八丁な母。二人の口喧嘩は夫婦の日常生活の大部分を占めており、その都度ずっと母が勝つ。
この馴染んだ光景を見て、私は100万パーセントの確信を持って、ここが私の実家だと断言できる。
「あの……親父、お母さん、まずは家の中に入らない?親父は体調があんまり優れないし、ずっと外に立っているのもよくないでしょう……」
「ああ、そうだね。私たち、口喧嘩に夢中で、池をほったらかしにしちゃった……さあ、早く家に入って十香子。池にご馳走を作ってあげるって言ったじゃない? もう時間も遅くなってるし。」
「安心して、池に手伝ってもらえば、ご馳走なんて1時間もかからずに出来上がるんだよ! じゃ入って入って!」
玄関に入る前に、家の庭へちらりと目をやった。以前とほとんど変わっていない。庭いじりが好きな母が庭に並べた様々な鉢植えは、今もなお生き生きと咲き誇り、百花繚乱の雰囲気を醸し出している。僕のまあまあの園芸の腕前も、母に教わったものだ。
庭の反対側には、文緋と僕が子供の頃よく遊んだ滑り台と小さなトランポリンがある。驚いたことに、十数年経った今でも、これらの手入れの行き届いた遊具は新品同様の輝きを保っており、歳月の痕跡は全く見られない。仮に文緋もここにいたとしたら、アイツの性格からしてきっと登って遊ぶに決まってる。
靴を片付けた後、僕はキッチンへ向かった。料理の腕前はほぼゼロだが、手助けくらいなら何とかできる。
「じゃあ僕は厨房に行って食材の準備を手伝おう。冷蔵庫に入ってるの?」
「全部調理台の上に置いてあるわ。ちょっと洗って切っておいてね。あたしもすぐに行くから。」
池が厨房に入ると、まだ玄関にいた母が、リビングに入ろうとした父を小声で呼び止めた。
「政、ちょっと待って。話があるの。」
「ん? 何でそんなに小声で話すの? 池に聞かれたら困るから?」
「うーん……池のことなんだけど、ちょっと気になってて。でも、どう話せばいいか分からなくて。」
「珍しいね。話し上手なあなたにも言えないことがあるなんて~。さあ、何があったの、こそこそ話してるなんて。」
「今回の池は……なんていうか……どうやら別人みたいになったと思わない?」
「え?どういう意味?」
「なんか、以前の池とはちょっと違う気がするの……さっき表で彼を抱きしめた時、どこかおかしい気がしたんだけど、具体的にどこが変なのかは言えないし、強いて言えば、見知らぬ人のような感じ……」
「そんなことあるわけないだろ。さっき池を抱きしめてた時、母性愛あふれる幸せそうな顔してたじゃないか?」
「この老いぼれ!冗談言わないで、本気なのよ!」
「でもそう言われると、確かに池は少し変わった気がするな。」
「でしょ? あなたもそう思うでしょ?」
「彼……すごく痩せたように見えるんじゃない?きっと訓練しすぎのせいだろ。だからどこかおかしいと感じたわけだ。」
「はあ、あんたって本当に耄碌だね。全然同じことを考えてないなんて……まあ、後で話そう。あたしは料理に行くわ。」
十香子は厨房入っていく一方、政は玄関で一人ぼんやりと立っている。
「十香子は考えすぎなんじゃないかな……?」
厨房では、僕と母が昼食の準備でバタバタしている。母がこの食事に相当な気合を入れているのが見て取れた。なぜかというと、普段なかなか食べる機会のない高級食材を山ほど用意したからだ。例えば、完全野生のマグロの大トロ、旬の松茸、最高級の駿和産牛肉、京空産の青ロブスターなど……値段をざっと見積もるだけでも法外な程度で、僕の一ヶ月分の給料でもぎりぎりだ。これほど贅沢なものを食べたのは、虎視島への入隊祝いの時以来だ。それは京空市の都心にある、ニシュランの二つ星を獲得した高級レストランでのことだった。僕は厨房での雑用なら何とかこなせるが、こうした高級食材を扱うとなると、うっかりすると食材を無駄にしてしまう恐れがある。母の指示通り、調理前の下ごしらえを慎重に行うしかなかい。
「お母さん、ちょっとやりすぎじゃない?こんなにバカ高いものをたくさん買う必要なんてないよ……以前、歓迎会をしてくれた時も、こんなに贅沢じゃなかったんじゃ?」
「今回は違うの。この1ヶ月間の厳しい特訓へのささやかなご褒美だと思ってね。」
「でも、これじゃ痛み入るんだ……」
「バカね、痛み入ることなんじゃない。親にそんな他人行儀な言い方をやめようよ。君が健康で無事に暮らしてくれれば、私たちが喜んで何でもしてあげるよ。昼ご飯を食べたいだけ食べてね、わかった?」
「じゃあ、ご飯を三杯食べるよ!」
「もう、ご飯を食べ過ぎたら、こんなにたくさんの料理も食べられなくなるんじゃない?」
「そうだね……」
母は手際よく、僕が下ごしらえした食材を鍋に入れた。あっという間に、次々と豪華で美味しそうな料理が厨房から食卓へと運ばれた。食事の支度の時間は、母と息子の間の和やかな雰囲気の中で過ぎていった。ひっきりなしに続く雑談や笑い声が厨房中に響き渡り、普段家に帰って母の手伝いをしている時と何ら変わりのない光景だった。
料理をしている最中、ある小さな出来事が気になり始めた。それは、母が僕を見る目つきだ。なんとなくその視線が……意味深というか?それとも鋭いというか?ご飯を作っている間、何度か母がそんな異様な目つきで僕を見つめてきて、少し居心地が悪くなった。久しぶりに会ったから、母が自分の息子をじっくり見たいだけなんだろうか?
それは人間として当たり前のことだと、僕は疑いようもなく信じていた。だから深く考えず、むしろ昼食は何杯のご飯を食べるか考えたほうが良さそうだと思った。
僕が厨房で手伝えば、母の言う通り、1時間もかからずに、高級レストランと大差ない贅沢な食事が完成した。
「親父!ご飯できたよ!」
「おっ!いい匂いだな!本当に腹ペコだ!池のおかげで、私がこんな極上の料理を味わえるんだ~普段、十香子は私にこんなに良くしてくれないんだ……毎日毎日粗末な食事ばっかり……」
「このジジ、粗末な食事にしてやるのは医者の指示通りなんだから! 今は療養中で、食事はあっさりしたものにしなきゃって医者に何度も言われた。毎食の摂取カロリーも厳密に計算しなきゃいけないのよ。もし医者が『何でも食べていい』って言ったら、毎日ご馳走を作ってあげるから、そうすれば文句は言わないでしょ?」
「いや、やっぱりやめておこう。毎日こんな食事してたら、遅かれ早かれ家財を食い潰しちゃうぞ……」
「ほら、これがお父さんの分!残りはあたしと池二人で全部食べ切るから~~~」
「えーーーーっ?これだけか?ウサギに餌をやるみたい......これじゃ少なすぎじゃない?」
「仕方ないよ、これも医者の指示だから~~~」
「親父本当に大変だね……一日も早く回復するために、ちょっと我慢してね~」
「はあ……他の医者を探したほうがいいかな……」
「お母さん、こんなに美味しいものを作ってくれてありがとう! いただきます!」
父は少し落ち込んだ様子で、栄養満点で無味無臭な病人食を食べていた。一方、僕と母は、黄金色の輝きを放つこの極上の料理を味わい始めた。母の作る料理は、味では言わずもがな申し分ない。それに上質な食材の良さと相まって、一口ごとに口の中で至高の饗宴が繰り広げられるようだった。ちなみに、文緋は母から口八丁な能力だけでなく、並外れた料理の腕前も受け継いでいて、「青は藍より出でて藍より青し」と言っても過言ではない。文緋がここにいたら、彼女の出した料理は母のよりも美味しいかもしれない。彼女なら絶対にできると確信している。
文緋のことを考えると、アイツは今日の昼食どうしているのだろうと心配し始めた。昨日の昼から今日の朝にかけて、碌な食事を一度も取っていない。彼女を飢えさせた張本人である僕がここで暴食しているなんて……。
テーブルいっぱいの料理を前にして、僕は突然、それまで旺盛だった食欲を失い、口の中で咀嚼している料理さえも、すっかり無味になってしまった。
「どうしたんだ、池? 食べながらぼーっとしてるけど、どこか具合が悪いの?」と、親父に僕の茫然とした顔を見られた。
「あ……大、大丈夫だ。お母さんの料理が美味しすぎて、つい早食いしちゃって、喉に詰まりそうになっただけ……」
「ほら、いくら美味しくても、そんなにがっついて食べるもんじゃないよ。十香子、早く水を持ってきて。」
母は一言も言わず、コップ一杯の水を持ってきてくれた。僕が顔を上げて母の手からコップを受け取った瞬間、またあの意味深な疑いの視線を見た。僕は母の目を見返す勇気などちっともなく、ただ気まずそうに目をそらし、コップを受け取って一口で飲み干した。
「だいぶ良くなった……お母さん、ありがとう。」
「ならよかった。もっと食べてちょうだい、もっともっと! 食べ残したら、お父さんが心配してたまらなくなるわよ!」
「そうなのよ、この食事だけでうちの2ヶ月分の食費が吹っ飛んちゃったんだから。もし食べきれなかったら、私の夕飯に回してもいいんだけど……」
「医者に『好き勝手に食べてる』って報告させてもらうの?」
「いやいやいや、冗談だよ。次にお医者さんに会った時に、叱られたくないから……」
「池の戦闘力はそんなに弱くないわよ。これくらい、彼にとっては朝飯前でしょ、池?」
「お母さん、僕の食欲を相撲取りみたいに大げさに言わないでよ……」
母は僕の皿にひたすら料理を盛ってくれて、少しこわばった笑みを湛えていた。母さんの反応は本当に怪しい……というか、何となくデジャヴを覚える……
そうそう、昨日の昼に家に帰った時、文緋も僕に同じような反応を見せてくれた。ひょっとして、母も文緋と同じように、僕の「変な感じ」などに気を付けたのか?
……きっと僕の考えすぎだろう。親父はそんな反応なんてしなかったし。つまり、文緋と母が神経質になっているだけで、気にすることはない。余計なことは考えず、自然に振る舞い、久しぶりに会う両親とゆっくり食事を楽しむべきだ。それが今一番大切なことなのだ。
食事が終わる直前、父がいつものように聞き慣れた話を切り出した。
「そういえば……池、昨日京空に戻った後、彼女に会っただろ。」
「え? 彼女って誰?」
「とぼけるんじゃない。お前の家に居候してるあの小娘だよ。」
やっぱり文緋の話は回避できないのか……だが、僕はとっくに心の準備はできていた。
「あ、文緋のこと? 昨日の昼、ちょうど家にいたよ。」
「あの子……最近どうなの?」
「元気だよ。昨日家に帰ったら、まだ元気いっぱいに歌の練習をしてたし。親父とお母さんは最近……彼女に連絡したりしてないの?」
「知ってるだろう、あの子は絶対に返信してくれないし、電話も出てくれない。私たちなんて、彼女にとってはこの世に存在しないようなものなんだ。とにかく、あの子が無事であれば、それでいい。」
父の口調は少し冷ややかで、母は傍らで仕方なさそうにため息をついた。
「完全に無事とは言えないけど……アイツは仕事が忙しくて、常に食事の時間がバラバラで、大食いしたり空腹だったりすることもよくあるんだ。」と、僕はあえてこの話題を持ち出して、父の反応や態度を探ろうとした。
「そうか。今の若者はみんなそんな感じだし、別に珍しいことでもないな。」
親父の態度は意外に冷淡だった……僕が家にいなかったこの間、やはり二人の関係には何の進展もなかったらしい。僕も母の真似をして、仕方なく軽くため息をついた。
「……君が京空に戻ったら、彼女にちゃんと食事をとるように伝えてくれ。ご馳走さま。」
僕にそう冷たく言いつけると、親父は立ち上がって食器を持ちながら厨房へ歩いていった。それに対して、僕は父のこの突然の気遣いによって、少し戸惑った。
「親父.......それってどういう意味?」
「はっきり言っただろ?『お前』が彼女にしっかり食べるように言い聞かせるんだ。それが兄として果たすべき義務だ、分かるかい?」
親父はそう言い終えると、振り返りもせずにリビングに入り、文緋についての話題を意図的に切り上げた。
「まったく、親父って、僕を伝言係扱いするなんて……本来なら、親父自身が文緋に直接言うべきじゃないの?」
「あなた、父さんを少しは理解してあげて。彼ってそういう人なのよ。意地を張って苦しむタイプなんだ。もともと文緋に謝って済む話なのに、彼は頑として自分の娘と長年の冷戦を続け、母親のあたしまであの冷戦に巻き込まれて、文緋に恨まれる羽目になっちゃったの……」
「安心して母さん。僕が全力で文緋と親が早く仲直りできるようにする!任せて!」
「頼むわ、池。私たちが頼れるのはあなただけなんだから。」
当初はすごく楽しみにしていたこの両親との会食は、右肩下がりの結末を迎えた。とはいえ、全くの収穫なしだったわけじゃない。少なくとも一つ確信できたことがある。それは、父は言い方はきついけど、心は優しい人だということ。




