第十三話 久々に妹との同居生活なのに、何と何千、何万「人」もを殺してしまった
「はいはい、全部俺のせいだから、怒らないでお姫様。ところで、今日はどうして家で歌の練習をしているんだ?事務所に行かなくていいの?」
「はあ……はあ……」
疲れ果てて息を切らしながら、文緋はしんどく答えた。
「朝……朝は……予定がなかったの。午後からスタジオに行って、曲を録音するところなんだ。」
「あ、そうだったのか。」
「な……何よ! 何も言わずに勝手に戻ってくるなんて、あんたの昼ご飯は用意してないんだから。」
「大丈夫、食べるつもりもないし、あまり食欲もないんだ……」
「ん?食欲がない?珍しいね。いつも帰ってきたら真っ先に『夕食は何?』とか『ご飯はまだ?』とか聞くのに、今日は全然あんたらしくないわね。」
文緋は微妙な目で僕をじろじろ見ている。まるで、彼女は僕が「おいしいランチを作ってください!」とキラキラした目で頼み込むという反応を期待しているといったところだ。あるいは、僕に料理をしなくて済むので手間が省けて、こっそりと喜んでいるようだ。いずれにしても、アイツが何を思っているのか、僕には見当がつかない。これこそが、「女心って知りようがないものだ」と言われているのだろう。
「やっぱり、お前っていう長髪の怪しい男は、兄貴の顔とそっくりの仮面をかぶって空き巣に入ってきたんだね! 見抜いたぞ!」
「またか……勘弁してくれよ......今日は本当に、お前のふざけ話に付き合う余裕がないんだ……」
リュックをソファに放り投げると、まるで空気が抜けたサッカーボールのように、僕もソファにぐったりと倒れ込んだ。
「冗談だよ~~~でも兄ちゃん、今回帰ってきた時の様子、本当にちょっと変だったよ。」
「わ~~か~~っ~~たよ、また俺が不良みたいな長髪にしてるって言うつもりだろ? 今すぐトイレに行って全部切るから、いい?」
「違う!」
「じゃあ、何なんだよ!」
「……何て言えばいいか分からないんだもん。つまり......なんか変な感じ。今までないような感じなんだ。」
今までない妙な感覚? こいつ、また何のでたらめなことを言っているんだ……
待てよ、もしかすると文緋はでたらめなことを言っているわけじゃないのかもしれない。まさか、俺の体に現れた「全く新しい変化」のようなものを、文緋が何らかの形で感知してしまったというのか?まさか、俺の見た目や雰囲気などに何か変化が生じたというのか?ありえない。今日、虎視島から戻る前に病室で十数回も鏡を見たが、違和感のある長い髪を除けば、顔は相変わらず人目を引かない凡顔で、以前と何か違う箇所など全然見当たらなかったのに......
これはきっと文緋の気のせいだろう。真に受ける必要はない。適当に誤魔化してやればいい。
「バカなこと言うんじゃねい……ただ今回の任務が大変で、疲れ切ってるだけだ。」
「本当にただ疲れてるだけなのか~?」
文緋は、ソファに俯せている僕のそばに来て、顔を僕の左耳のすぐそばまで近づけ、半信半疑な視線で僕の横顔を見据える。彼女の息が、僕の耳元の乱れた髪をかすめ、耳の付け根までくすぐったく感じた。
その時、ソファにうつ伏せになり、目の前が真っ暗だった僕は、左の耳元で誰かが息を吹きかけてくるような気がした。また文緋の悪戯に違いないと思い、顔を左に向けてみた。
「また何をやってるんだ……耳に息を吹きかけないで……」 と言いつつ、顔を横に向けると、僕と文緋が至近距離で視線を交わしていた。その距離は10センチにも満たなかった。
想像してみてほしい。何の心の準備もしていない時に、ふと振り返ったら、顔に張り付くほど至近距離に人の顔があったとしたら、どんな反応をするだろうか?
普通の人なら、きっと飛び上がるほど驚くだろう。自分では普通だと思っている僕も、もちろん例外ではない。だが、文緋のこの女神以上の美しさに驚かされたら、それはそれで悪くない気がする。
「うわっ! 何してるの! 急に顔をそんなに近づけるなんて!」
僕はソファから飛び起き、じたばたソファにもたれかかり、頬が少し赤くなった。女の子にこれほど近く寄り添われると、たとえ自分の妹であっても、照れてしまうのは当然のことだ。一方、文緋は全く動じない様子で、女の子らしい照れや淑やかさなど微塵もなく、まるで兄妹の性別が逆転したかのようだった。
「ちゃんと確かめておかないとから。あんたが本当に仮面を被っているかどうか。」
「もういい加減にしてくれ……お前に付き合う暇がない。このヤクザみたいな髪型を処分しに行くんだ。終わったら部屋に戻って休むから、昼ご飯は残しておいてくれなくていいよ。」
適当に応答してから、僕はこの一ヶ月間酷使されたボロボロの体を引きずり、のろのろと洗面所へと向かっていった。
「お兄ちゃん、本当に大丈夫?」
文緋が突然、僕の背後から声をかけ、歌っている時と同じくらい美しい声で僕を呼び止めた。振り返ってみると、彼女の表情には少し心配と不安が浮かんでいた。子供の頃から、アイツがそんな表情を見せることはめったになかった。しかもここ3年近く我が家に居候している間、彼女は僕の前ではいつも大雑把な態度で、僕に指示したり、僕を使い走りに扱ったりもしていた。でも、今回は本当に僕のことを心配してくれるという気持ちが確かに伝わってくる。
僕は彼女に温かい微笑みを返した。
「大丈夫だよ。俺は何でもできるスーパー宇宙飛行士なんだから! 安心して!」
火星での出来事を彼女に話すことはできなかったし、いつかこの不幸な出来事が原因で、どこででも苦しみながら死んでしまうかもしれないということも、電話で母にそう伝えることができないのと同じように、彼女に伝えることはできなかった。
「大……大丈夫ならよかった。もしお兄ちゃんに何かあったら、家の光熱費を誰が払うの~?」
「お前、もう少し優しい言葉をかけてくれないの……」
文緋の毒舌で、僕の温かい微笑みは咄嗟に消え去り、ただ呆れたような苦笑いが残った。
「もういいから、早く髪を切りに行って! あたしご飯を作るから!」
文緋はそう言い終えると、僕に背を向けてキッチンへと向かい、昼食の準備を始めた。彼女が顔を背けたその瞬間、アイツの口元にほっとした微笑みが浮かんでいるのをはっきり見た。視力がかなり良い僕には、絶対に間違えるはずがない。少なくとも、仮面を被っているかどうかくらいは見分けられるはずだ。
本当に困った妹だ。僕にはどんな「全く新しい変化」が起こっても、文緋は相変わらずだ。いつか、お前にも「全く新しい変化」が起こって、元の自分に戻ってくれるように、心から願っている。
僕は軽く首を振り、洗面所へ入った。洗面台の前に立ち、鏡のキャビネットからハサミと電気シェーバーを取り出し、後頭部を確認するための全身鏡をセットして、自分で髪を切る準備をした。
宇宙に数ヶ月も滞在することが多いため、僕は高級美容室の美容師にも引けを取らないほどの卓越した理容技術を身につけており、広大な宇宙空間で、いつでも自分で髪を切ることができるのだ。
宇宙ステーションにしろ宇宙船にしろ、浮遊物回収室が設けられている。そこで髪を切れば、切り落ちた髪の毛はすべて自動的に吸い込まれることから、無重力状態で髪の毛が機器に混入して故障を引き起こす心配はない。まるで宇宙飛行士が宇宙で髪を切るために特別に設計された空間らしい。そうでなかったら、なぜそこに鏡があるのだろう。
もちろん僕だけではない。多くの同僚も自分で髪を切ることができ、これはもはや現代の宇宙飛行士にとって必須の生活スキルとなっている。
鏡に映った自分の顔を見て、髪の毛を弄びながら、シェーバーのスイッチを入れた。シェーバーは持続的に動き、ブーンと捻り声を上げているが、僕はどうしてもそれを手に取ろうとはしなかった。というのは、今までで一番長く伸ばしたこの髪が人生で最も辛い時期を共に過ごしてくれたのだ。それらを切り落とすのは、やはり名残惜しい。
まあいいや、文緋が短髪にしたほうがいいと言うなら、そうすれば良い。丸刈りにしても構わない。
「ごめんね、俺のなめらかで美しい髪たち!」
僕は両手を合わせて、自分の髪に誠心誠意許しを請い、それから決意を固めてシェーバーを取り、慣れた手つきで頭頂部へと滑らせた。シェーバーは、長い間飢えていた虎が獲物を見つけたかの如く、凶暴かつ残忍に、僕の弱々しくて無力な髪一本一本を噛みちぎり、むさぼり食った。あっという間に、床に敷かれた布巾の上には茶色の髪の毛が散らばり、視界を遮っていた黒い影は完全に消えた。頭頂部の重さが随分軽くなったように感じる。
散髪の流れは大体こんな感じだ。最後にハサミで各部分の毛先を少し整え、揃いになるなら完了だ。
かかった時間はただ10分ほどだった。これこそ自分で髪を切るメリットだ。床屋に行って時間を無駄にする必要がないし、散髪代も節約できて、経済的かつお得だ。
鏡に映る角刈りの頭を見て、やはりこれこそが見慣れた安達池だと感じる。あの「通行人に振り返られる確率ゼロ」で、天真爛漫で真面目な自分がやっと戻ってきた。これで文緋も、僕の虚ろで生気のない目をはっきりと見ることができるだろう。もう僕を不審者だとは見なさないし、僕に「何か変な感じ」があるなんて思わなくなるはずだ。
理髪用品を片付けた後、僕はしゃがみ込み、散らばった髪の毛だらけの布巾を持ち上げて掃除しようとした。今回切った髪の毛の量は白い布のほぼ全体が茶色く染まったほど多い。
しかし、その布を丸ごと持ち上げ、その上の千切られた髪を間近で見たとき、突然、心の奥底から極めて強烈な罪悪感が湧き上がってきた。その感覚はあまりにも強烈で、正常に呼吸することさえできず、さながら溺れて死にかけるかのようだ。耳には悲鳴や苦痛の叫びが絶え間なく響き渡り、胸は無数の手が狂ったように引っ掻かれたりして、引き裂こうとするのだ。全身の隅々へと突き刺すような痛みが伝わり、やがて全身に激しい共鳴を引き起こした。
「つらい……なぜこんな気持ちになるんだろう……一体どうしたんだろう? まるで……人を殺しているような気分だ......」
そう、この突然僕を包み込んだ巨大な罪悪感は、まさに人を殺した時に感じるあの感覚そのものだ。しかし、それは冷血な殺人鬼が抱くような感覚ではない。彼らは人を殺してもびくともしないからだ。それに引き替え、これは良心を持つ普通の人間が、自分の過失によって他人の命を奪ってしまったことへの、取り返しのつかない後悔と自責の念だ。
さらに悪いことに、僕が殺したのはたった一つの生きた命だけではなく、数千、いや数万もの命であるということを、はっきりと感じ取っている。戦時中にしか起こり得ない、ジェノサイドのような、血の川が流れる凄惨な光景だと言っても言い過ぎではない。
それでも、なぜ自分の中にこんな不可解な罪悪感が湧き上がるのか、まだよく分かっていない。
手にした布巾をよくよく観察すると、ふとした瞬間に、何かが分かったような気がした。布の上には、ただびっしりと散らばった髪の毛があるだけなのに、僕の目にはジェノサイドの直後に山積みになった人間の死体のように映る。そのジェノサイドを主導した元凶こそが、他ならぬ僕自身だったのだ。
ちょっと大げさすぎないか?ただ髪を切っただけなのに、どうして殺人のみならず大規模な虐殺に至るまでの支離滅裂なことを連想してしまうのか? 生まれて以来、切り落とした髪の量は恐らく千万本を超えているだろうが、以前こんな馬鹿げた罪悪感を抱いたことは一度もなかった。もし散髪が殺人に等しいなら、世界中の人間は皆、連続殺人犯になってしまうのではないか?
理性的思考で自分を納得させようとしたが、どこからともなく湧き上がる罪悪感と、それに伴う一連の身体的な不調は、依然として消え去っていない。
これを振り払うには、ただ一つの方法よりほかない。
心身の激しい不快感を必死に抑え込み、深く息を吸い込んだ後に、バランスを保ちながら布巾を両手に抱え、手綱を解かれた野馬のように、一気に洗面所から飛び出し、屋外に置かれたゴミ箱に向かって突進した。その速さは、近眼の人だったら僕の後ろに残像が見えるほどだった。ゴミを捨てに行くには台所の勝手口を通らなければならないため、必然的に台所で料理をしている文緋のそばを通り過ぎることになる。
案の定、僕の颯爽とした姿は疾風のようにコンロの前に立つ文緋の背後を吹き抜け、彼女のポニーテールと腰にまとったエプロンを吹き飛ばしてしまった。
「あれ?さっき、何かが後ろを飛んでいったような……気のせいかな?」
文緋が背後の不明現象について思案している時、僕は台所の裏口の前で足を止めた――両手で布巾を抱えていて、ドアを開けることができないのだ……仕方なく、妹に助けを求めないと。
「あの、文緋、ちょっとドアを開けてくれない……?」
「お兄ちゃん? いつ来たの? うん……髪を切ったんだね。やっぱりこの髪型が一番似合ってるよ!」
文緋は僕のごく質素な角刈りをつくづくと見ながら、目を輝かせ、満足げな顔をしている。だが、今こそ文緋に僕を動物園のパンダみたいに眺めてもらう時ではない。
「僕の髪型ってどうでもいいから、早く……早くドアを開けてくれ!もう……もう限界だ!」
僕は文緋に必死に懇願した。その時の僕の顔には冷や汗が流れ、全身が止まらないほど震えていた。この謎めいた罪悪感による心身の二重の苦痛に、耐え忍ぶ力は限界に達していた。この千切られた髪の毛をもう一瞥するだけで、僕は心身ともに完全に崩壊してしまうかもしれない。
「なんでそんなどこかが痛そうな顔してるの?お腹が痛い?それならトイレに行くじゃないの?外で勝手に用を足しちゃダメだよ。」
「誰が腹痛だって言ったんだ……お願いだから早くドアを開けてくれ!これが俺の一生の願いなんだ!」
「いいからいいから、そんなに大げさに言わなかったって......開けてあげるから。」
文緋はドアのそばまで歩き、何かを思案するように僕に目をやると、ドアを開けてくれた。ドアが完全に開くのを待たず、僕は人間の限界に近いスピードでドアの隙間から外へ駆け出した。後ろには白い煙と、呆然とした表情でその場に立ち尽くす妹が残された。この状態で100メートル走に出場すれば、世界記録を塗り替えることだってできるかもしれない。
瞬く間に、僕はゴミ箱の前に着き、あっという間に可燃ゴミ用のゴミ箱の蓋を開け、布巾ごと放り込み、素早く蓋を閉めた。その一連の動作は5秒もかからなかった。そういえば、髪の毛って可燃ゴミに分類されるのかな?
それらの「死体」が僕の目の前から完全に消え去ることによって、僕を飲み込みそうだったあの罪悪感も、身体の不調もことごとく搔き消えた。その即効性は、科学では到底説明できないほどだった。
肩の荷が下りた僕は、壁にもたれかかって深呼吸を数回繰り返し、この数分間に起きたすべてのことについて、理解に苦しんだ。この由来不明の罪悪感がどこから生まれたのかは分からないが、一つだけ確かなのは、これから長い間、僕はもう髪を切る勇気がないようになっていくということだ。
体が正常に戻ったことを再三確認した後、僕は気持ちの整理をつけ、部屋に戻ろうとした。振り返った途端、文緋がすでに僕の後に立っていることに気づいた。
今回は、帰宅したばかりの時みたいに、ソファで不意に文緋の美しい顔と至近距離で見つめ合うことになるわけではないが、振り返った瞬間に誰かが無言で背後に立っているのを見つけたら、きっと驚いてしまうものだ。二度も僕を驚かせた文緋には、ひょっとして忍者の素質があるのかもしれない。
「うわっ!いつからそこにいたの!びっくりしたよ!せめて一声かけてよ。そうしないと、いつかお前に暗殺されるかも……」
「さっき何を捨てたの?」
やはり、さっき起きたことはすべて文緋の目から逃れなかった。
「別に~さっき切った髪だけだ。大、大したことじゃないよ、アハハ……」
「ならさっきはなんであんなに辛そうな顔してたの? 髪を捨てただけじゃないの?お腹を壊したのかと思いきや。」
どう答えればいいかすぐには思いつかず、僕は呆然と立ちっぱなしで、少し心もとなく感じながら、文緋の疑いの視線から目をそらした。
「それとも、こっそり誰にも見られたくないものを捨てたとか~~~例えば、エロ本とか、18禁の写真集とかね~~~」
「ったく、足の指で考えても、俺がそんなものを持っているはずがないってわかるだろ…… 俺が家にいない時、俺の部屋はお前のものだし、中に何があるか俺よりよく知ってるんじゃない。だから俺がこっそりそんなものを隠せると思う?」
「今回って、こそこそ変なものを持ち帰ってきたかどうか、誰にも分からないだろう?それに、あのヤクザみたいな髪型してるし、もしかすると風俗店から帰ってきたばかりで、ある風俗嬢の名刺さえ持ってるかもしれないし、だからそんな風にこそこそ捨てようとしてたんじゃないの……」
このガキ、意外と物知りだな……一体どこでそんなことを覚えたんだ? 言うまでもなく、全国を旅して回り、陽の国の美しい山河を熟知しているあの親友や、若くして各界の名士たちと付き合い、人生経験が豊富なマネージャー以外には、アイツに大人の世界ならではの知識を教えてあげる第三者はいないはずだ。
目の前で悪戯っぽい笑みで僕の顔を見つめてにやにやしている文緋を見ると、僕は感慨深くなってきた。妹はさっきの出来事をすべて目撃していたが、実際には僕のことについては何も知らないのだ。多分そのほうがむしろ好都合のかもしれない。
「ふざけるなよ……俺みたいな、一生独身でいそうな真面目な男が風俗店に行っても、相手にしてくれないだろうし……」と、自嘲気味に言った。自分ではよく分かっているつもりだったが、口に出してこの冷たく残酷な事実を認めるのはやはり辛かった。まるで自分の脆い心がガラスみたいに粉々に砕け散る音が聞こえるようだった。
「そんな悲しげな顔しないでよ~風俗店が相手にしてくれなくても、あたしがいるじゃない~~~」
文緋のこの大胆で、かつ超危険な発言に、僕は顔面を真っ赤にしてしまい、涙は一瞬で蒸発して跡形もなくなった。彼女は本当に自分が何を言っているのか分かっているのだろうか?
「お、お、お……お前なんて馬鹿げたことを言ってるんだ!人に聞かれたらとんでもない誤解を招くようなこと言うな!!!」
「冗談だよ~~~~~どうせ誰も聞いてないしね。ほら、緊張して顔がトマトみたいに真っ赤になってるじゃない~~~」
まったく、僕と文緋、一体どっちが兄でどっちが妹なんだ……
「あ……もういいから、冗談はやめてよ。もう十分疲れたし……部屋に戻って休むから。それでもまだ俺の言うことを信じないなら、ゴミ箱を開けてみるがいい。俺が捨てたのが本当に髪の毛かどうか、手を汚すのが嫌じゃなければね。」
「わかったわかった、早く休んでいってね~~~」
言うが早いか、僕は再びへとへとした体を引きずり、台所の裏口から家の中へと入った。文緋は僕が二階へ上がっていく後ろ姿を見送って、自分の姿が僕の視界から完全に外れたことを確認してから、台所の戸棚に備わっている使い捨て手袋をはめて、そしてゴミ箱の前まで歩いて半信半疑で蓋を開けた。
どうやら、どうしても自分の兄を信用できないようだ。まあ、文緋が疑うのも無理はない。ただ単に髪の毛を捨てるだけなら、安達池がさっき見せたような物凄く異常な反応を示すはずがないからだ。
しかし、否めない事実が目の前にある以上、信じたくなくても信じざるを得ない。ゴミ箱を開けると、文緋の目の前に現れたのは、数々の分別された可燃ゴミの袋。そこからほのかで、不快な匂いが漂ってきた。それに、池が適当に放り込んだあの布巾、そしてゴミ箱の中に散見された髪の毛の切れ端も。
「お兄ちゃんが捨てたのは本当に髪の毛だった。でも、どうしてさっきあんなに辛そうな顔をしてたんだろう? 変だな、やっぱり今回帰ってきたお兄ちゃんは、以前とはちょっと違う……」
文緋はゴミ箱の中の髪の毛を見据え、考え込んでしまった。とはいえ、それはほんの一瞬のことだった。文緋はすぐに、あることに気づいたからだ。
「ちょっと待って、兄ちゃんったら、ゴミ箱をめっちゃくちゃにしとおいて、結局片付けるのはあたしに任せるつもりなのか!」
文緋は文句を言いながらも、息を殺して大人しくゴミ箱に手を入れて、中の髪の毛の切れ端を拾い始めた。
「もう、兄ちゃんったら!!!まだ昼ご飯できてないのに!」




