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第十話 帰宅途中でかかってきた電話

 車は穏やかに走っている。突然、池のポケットの中のスマホが鳴り出した。池は習慣的にポケットに手を入れて携帯電話を取り出そうとしたが、ふとあることに気づいた――自分のスマホの通話機能が回復したということ。


 着信表示には「数ヶ国語に精通し、口達者な中年の大文豪」と表示されている。


「母さん?母さんか?久しぶりの声だ……会いたかったよ……」

「池!!! まったくもう!この1ヶ月どこへ行ってたんだ!!!宇宙勤務から戻ったら連絡するって約束したじゃないか!!!こんなに長い間音沙汰がなく、あたしと父さんは毎日心配でたまらなかったんだ!!!心配のあまり飯も喉を通らず、眠れず、宇宙で何かあったんじゃないかと恐れていたんだ。君はもう一人前な宇宙飛行士なんだから、私たちをこんなに心配させないでくれないか? あんたってば……」


 道理で池が母親をスマホの連絡先に「口達者な中年の大文豪」というへんてこな名前で登録しているわけだ。詰め寄る言葉が機関銃の弾のように絶え間なく池の耳に突き刺さり、答える隙さえ全く見つからない。せめて数秒だけでもいいから、池に何か言わせる時間をあげてよ……


 しょうがない。声のトーンを上げて母の執拗な追及を無理やり遮るしかない。目上の人への礼儀なんて、ひとまず脇に置いておこう。

 

「母さん、本当にごめん!わざと心配させようとしたわけじゃないんだ!もう親父と母さんに会えないかと思っていた……でも、今戻ってきたし、すぐにみんなのそばに戻れるよ!良かった、本当に良かったよ……」


 最初の高い声から、喋れば喋るほど声が次第に小さくなりつつ、震えていた。明らかに泣き声だった。池は涙をこらえるのがやっとだったが、前方の運転席で下田の手下が車を運転しているという事実を覚えている。もし運転手に泣き顔を見られたら、彼が間違いなく下田に報告し、そして下田の奴に笑い話にされてしまうわけだ。それに先生にも、私の心は以前より強くなったと言われたんだ。それなら他人の前で簡単に泣いていいものか?たとえ強がっても、心の強さを見せつけなければならない!


 と思った後、池は頭を少し後ろにふんぞり返り、目の周りの筋肉をすべて動員して、目尻に溜まった涙を必死にこらえ、深呼吸をしながら気持ちを落ち着かせ、母との通話を続ける準備をした。


 その時、池はスマホの向こうがしんとしていることに気づいた。不気味なほどの静げさだ。それは母親のいつもの様子とは違っている。さっきまで延々と話し続け、むしろうるさくさえ感じられるような様子こそが、彼にとって馴染み深い母親の姿だったのだ。母親が通話を切ったのか? いや、画面には依然として「通話中」と表示されている。


「母さん……? まだ聞いてる?」


 母は答えない。


「母さん、どうしたんだ! 何かあったのか!」と、池は焦って叫んだが、やはり返事はない。


 30秒近く経ってから、ようやく電話の向こうからかすれた声が聞こえてきた。


「池、教えて。一体何が起きたの? あんたが生まれてから、こんな気持ちになったことは一度もないわ。池を永遠に失ってしまうかもしれないという恐怖……辛すぎる。政もあたしも、もう二度とこんな気持ちになりたくないの……」


 母の声にはすすり泣きが混じっていた。池は、普段口達者な母が、なぜこの瞬間だけこれほど静かになっているのか、一瞬で理解した。今、彼の耳に届いているのは、生まれてこの方一度も聞いたことのない、もう一つの母らしい声質だ。


「安心して、母さん。金輪際心配させたりしない。宇宙であろうが、ここであろうが、僕は母さんと親父の人生から消えないと約束する!」


 先生との約束をしっかりと守ると決めたから。


「漢として、自分の言った言葉には責任を持たなきゃいけないんだ、わかる?今日誓った約束は、ちゃんと守ってね!」


 母はすすり泣きを止め、声の調子がずいぶん優しくなった。


「もちろんだ!命がけでもこの約束は守る!」

「『命がけ』なんて縁起の悪い言葉は言わないで!」

「ごめん、ごめん……とにかく、母さん、僕の言いたいことはわかってくれればいいんだ!」


 母が安堵した口調で答えるのを聞いて、池は久しぶりにほのかな笑みを浮かべた。しかし、その笑みは長くは続かなかった。母は根掘り葉掘り聞き出しそうだから。


「まだ答えていないわよ。この一ヶ月、一体何があったの? 今どこにいるの?」


 この質問を避けるのは無理のようだ。どう答えればいいのだろう? 母に洗いざらい白状すべきだろうか?


 こう伝えるべきだろうか。「火星で、宇宙服の防護限界の21783倍ものガンマ線バーストを直撃され、 危うく死にかけた」と言うべきか、「運よく生き延びたとしても体内の細胞が変異し、将来いつか不治の病にかかり、最後には苦しみながら死ぬかもしれない」と言うべきか、それとも「いつ怪物に変異して、実験体として捕まってしまうか分からない」と言うべきか?


 だめだ、どれも間違った選択肢だ。正しい対処法は、善意の嘘で誤魔化すことだ。もしこんな残酷な真実を正直に話したとしたら、両親がどれほどのショックを受けるか想像もつかない。適当に、あまりでたらめには聞こえない理由をでっち上げよう。


「あ……その……火星から戻った後、すぐに特訓を受けるよう派遣されたんだ。急なことで、母さんと親父に事前に連絡する暇がなかったし、その特訓は外界と完全に連絡が取れない環境で行われたから、ずっと連絡できなかったんだ。そういうことさ、アハハ……」


 なんてこった、この下手くそな嘘のつき方。自分の作った嘘に、池自身でも全く信憑性がないと感じている。飛び切りの知能も、この分野ではまるっきり役に立たない。


「ただの特訓なら、なんで『もう親父と母さんに会えないかと思っていた』なんて言ったの?その特訓ってそんなに危険なの?」


 やばい、口を滑らせた! 母さんの洞察力はさすが鋭い。


「そうだ、そうだ、確かにすっごく危険な訓練だったよ。何度か命にかかわる状況にさらされたし、本当に過酷だったんだ……」


 母の話をそのまま受け流せば、かえって言い訳が通る。飛び切りの知能がやっと役に立った。


「まったく、ただの特訓なのに、いくらなんでもやり過ぎだ!もう1年も宇宙飛行士やってるのに、これ以上何を訓練する必要があるの?」

「その……基地の内部機密に関わる話なので、口にしてはいけないんだ。ごめんね、母さん……」

「まあいい。そういうルールがあるのは分かってるし、これ以上は聞かない。最初の数日間は毎日いくら電話したってメッセージを送ったって、連絡が一向につかなかった。政がリチャード教授に電話して状況を尋ねたけど、教授とも完全に連絡が途絶えてしまって……」


 そりゃあ当然だ。先生も僕を見守るために、一ヶ月間軟禁されていたのだから。


「結局、あたしは政と虎視島まで直接探しに来るしかなかったんだ。しかし、あの下田司令官に入口で止められて、『安達君は秘密の訓練中だから外部と連絡を取れない』と言われて、無理やり追い返されたんだ。ずっと彼に嘘をつかれていると思ってたけど、あんたの話を聞くと、どうやら彼を誤解していたようだ。」


 池はそれを聞いて驚いた。マジかよ、下田の嘘をつく腕前が自分と同じレベルだなんて……多分そのおかげで、二人がでっち上げた嘘が偶然にも見事に繋がり、完璧な「真実」を構築していたのだ。とにかく、これでごまかせる。


「そうか、僕を探しに来ていたなんて、全く知らなかった……下田ってやっぱり嫌な奴だろ?」

「そうそう! 下田は訓練がいつ終わるのかどうしても教えてくれなくて、仕方なく毎日あんたに電話したり、ビデオ通話したり、メッセージを送ったりして、いつか返事が来るかもと思ってて、たとえ一言だけでもいいからと待ち続けていたんだ……」


 池は呆気に取られ、数秒間啞然としてから意識を取り戻した。


「ごめん、母さん。待たせてしまったな...」

「あなたが無事でいると分かれば、お父さんとあたしはいくら待っても構わないよ。今どこにいるの?」

「京空に戻る途中だ。基地から少し長期休暇をもらったんだ。家に帰って休んだら、明日……明日はちょうど週末だから、会いに行くよ!」

「このところ大変だっただろう。帰ってからゆっくり休むのが一番大事だ。わざわざ京空から来ることはないよ。」

「でも、本当に会いたいんだ……僕と会いたくないの~?」


 ニヤニヤと甘える池は、前方に運転手さんがいることや、外で常に監視しているカメラの存在をすっかり忘れていた。22歳の成年男性であっても、母親に甘える時があるものだ。32歳になっても、42歳になっても、自分の最も弱い一面を家族にしか見せないのだ。


「もう、本当にこの子は…...明日は父さんと一緒に、超豪華なごちそうを作ってあげるから、遅刻しないようにね!」

「もちろん、もちろん!待ちきれないよ!」

「さて、政に伝えなきゃいけないから、これで切るね。家に帰ったらしっかり休むのよ、いい?」

「うん、大丈夫だよ、母さん!じゃあ、また明日!」

「うん、また明日!」


 15分くらいの通話が終わった。


 池は自分のスマホを念入りに確認した。案の定、虎視島を離れた後、以前制限されていた機能はすべて回復した。これもまた、下田のいつもの仕業だ。宇宙飛行士のチャットグループには特に変わったことはなく、皆が宇宙での体験をシェアしたり、交代で地球型惑星に戻って休んた後に、どこへ遊びに行くかといった話をしていた。池が1ヶ月間音信不通になっていたことには、全く気づいていない。多分、池が普段グループ内であまり活発に活動していなかったからかもしれない。


 通話履歴のアイコンには、なんと431件もの着信履歴が表示されていた。開いてみると、予想通り全部両親からの着信だった。ここ1ヶ月ほど、毎日少なくとも十数回、多い時は1日に30回以上も電話がかかってきていたのだ。メッセージボックスの未読件数はさらに恐ろしいもので、実に1266件もある。広告や勧誘などのスパムメールを除いても、両親からのメッセージが圧倒的多数を占めていた。その中で何通かランダムに選んで開いてみたら、両親の自分への心配や気遣いがひしひしと伝わってきた。


「池、一体どこにいるんだ?何かあったのか?火星への任務はもうとっくに終わっているはずなのに、なぜ電話がつながらないんだ?メッセージも返信がない。本当に心配しているんだ。早く返事をしてくれ、頼む!」

「池、お願いだから返事をしてくれないか?私とお父さんは、ここ数日もう限界だ……」

「息子よ、ここ数日、十香子と私は毎日神社へお祈りに行っている。君が一日も早く無事に帰ってきてくれることを願っている。もし神様がこの祈りを君に届けてくれたら、どうか必ず返事をしてくれ。これが残りの人生で唯一の願いなのだから。」


 こういうメッセージを見て、池は心の中で神様に静かに感謝した。両親の願いが無駄にならず、そのまま自分に届き、知らず知らずのうちに、この困難な時期を乗り越える支えになっていたからだ。


「息子よ、最近、十香子と一緒によく考えていたんだ。もしかしたら、あの時、君を宇宙飛行士という危険に満ちた道を歩ませるんじゃなかったと。そもそも親の身勝手だったんだ。ただただ家名を揚げてもらうとばかり考えて、君の気持ちは全く配慮していなかった。文緋にも……」

「いや、自己中心的だったのは僕の方だ。宇宙飛行士の道は自分で選んだし、後悔なんて一度もしたことはない。でも、いつも親を心配させてしまったし、隔離中は一度自暴自棄になって、とんでもないことをしようかとも思った……親の気持ちを考えてなかったのは、僕の方だ!」


 最後の一通のメッセージを読み終えると、池は車の窓の外を眺めながら、この思いを両親に伝えようとした。本来なら、こんな時は青空を見上げ、天上の神々に思いを託し、彼らに代わりに伝えてもらうはずなのに。しかし残念なことに、今、窓の外に見える景色は、トンネル内で後ろに流れ続ける金属の壁ばかりだ。池はついに我慢できなくなり、目頭が熱くなり、そして一粒の透き通った涙がこぼれ落ちた。運転手は運転に集中しており、後部座席の池にあまり注意を払っていない。だからどれたけ涙で顔を濡らしていても気づかれないはずだ。監視センターの奴らに見られても人間の正常な反応と見なされるはずだ。それでも池は心の強さを示すことを選び、自分に許したのはこの一粒の涙だけだった。


 そういえば、電話でも、メッセージでも、ビデオ通話でも、彼女からの連絡は全く見当たらないようだ?


 確認するために、池は着信履歴と未読メッセージを一つ残らず、よくよくチェックした。指がスマホの画面の上を素早く滑るように動いており、5分未満、計1697件の記録の確認を終えた。


 確認の結果は――――ない。本当に彼女の痕跡は皆無だ。


 アイツ、まさか本当に俺のことをそこまで無関心に思ってるのか? 少し気遣いの言葉をかけるくらい、そんなに難しいことじゃないだろうに。


 運転手の声が、池の思考を遮った。


「安達様、まもなくトンネルを抜けて京空市に入ります。ご住所は京空市浅陸区2丁目8番1号ですが、合っていますか?」

「そうなんです。あそこまでお願いします。」

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